ナナリーは考えることを放棄して晩餐を乗り切り、我に返ったときにはハーレの制服姿で寮の自分の部屋にいた。
時間を跳び越えたわけではない。上機嫌のノルウェラ様に見送られてアルウェスと公爵家を出たのはぼんやりと覚えている。しかし、いつアルウェスと別れたのか記憶にない。
「やられた……!」
二人きりになったら魔力暴走の話をするつもりだったのに。
アルウェスのことだ、ドレスの話でナナリーの頭がいっぱいになるのを見越していたに違いない。
実際にドレスの話が始まったらナナリーの意識はそちらに移ってしまい、ノルウェラ様と話をしている間はほとんど思考を停止していた。
ノルウェラ様と一緒にドレスのデザインを考えるなんて気が遠くなる。晩餐中の会話を思い出すだけで頭がくらくらしてきた。
「もう寝よう……」
今日は色々な出来事があって頭の整理が追いつかない。こんなときはさっさと寝てしまうに限る。無駄に起きていると余計なことを考えてしまう。
ナナリーは寝間着に着替え、鞄の中身を整理する。アルウェスから渡された書類の間に魔法陣を見つけた。公爵家と直接手紙のやり取りができる転移陣だ。
アルウェスが描いたであろう魔法陣は美しくて完璧だった。
「まったくもう! あの男は!!」
寝台の上の天井に
……あんなに苦しそうだったのに。
アルウェスは一人で何もかも引き受けるつもりなのだろうか。
鉄壁の笑顔が憎たらしい。
*
翌朝、目覚めると上掛けの上にノルウェラ様から手紙が届いていた。
本当は机の上に転移陣を設置したかったが、寮の机は食事と書き物を兼ねているから、食事中に手紙が届いてお皿に落ちてしまう危険がある。
朝起きたときに布団の上に手紙が置いてあるのは思ったより悪くなかった。
ノルウェラ様の手紙には、今日仕立て屋を呼ぶので仕事の後に来てほしいと書いてあった。なんとも行動の早い方である。
明星の鐘の頃に伺います、と返事を書いて魔法陣で送った。
ハーレに行く支度をしている途中、魔法陣がまたもや光り、手紙が二通落ちてきた。一通は先ほどと同じ封筒で、ノルウェラ様から楽しみにしているという返事だった。
もう一通は水色の封筒である。それだけで動悸がして頬が緩んだ。
やっぱり恋は病気だ。頬をペチッと叩いて自分に渇を入れる。
アルウェスの手紙は昼食の誘いだった。今日の昼、時間も指定してある。昨日の今日で仕事の調整は大丈夫なのだろうか。
ドルセイムの知恵は必ず身につけておくようにと一言添えてあった。
アルウェスはこの後すぐに王の島の騎士団へ出勤するはずだ。ナナリーはすぐに承諾の返事を書いて送った。
椅子に腰かけて水色の便箋を読み返す。
用意周到で何もかもナナリーより
彼が一人で背負うのを見てるしかできないなんて歯がゆくて仕方ない。ナナリーも共に闘わせてくれと伝えたい。
ただ会話するだけじゃのらりくらりと躱されるだろう。何とかアイツに自分の本気をわからせてやりたい。
ナナリーだって、いつまでも遅れを取るつもりはないのだ。
*
「おはようございまーす」
ナナリーがハーレに出勤すると、いきなりゾゾさんやチーナ、ハリス姉さんたちに囲まれた。
「ちょっとナナリー!!」
「その指環、隊長さんから!?」
「婚約指環にしては地味じゃないですか?」
「式の日取りは決まったの? 国一番の色男で侯爵様の結婚式だもの、きっと盛大な式になるんでしょうね」
「隊長さんもナナリーもさっさと結婚したほうが世のため人のためよ。とにかくおめでとう!」
「はいいいぃぃ!?」
矢継ぎ早浴びせられる質問にナナリーの顔から血の気が引いていく。
ドルセイムの知恵のせいでとんだ誤解をされている!!
「違います!! これはそんなんじゃ……」
「ヘル、所長が呼んでいるぞ」
アルケスさんが天からの使者のように思えてくる。
何とか女性陣の質問責めから抜け出して、ハァ、と大きな溜息を吐くと、じ……っとアルケスさんの視線を感じた。ナナリーの指に
「アルケスさん!? これは違いますよ!」
「ああ、わかってるよ。高価なものだからな、失くすなよ」
アルケスさんはナナリーの肩をぽんと叩いて去っていく。
所長もドルセイムの知恵だと即座に気づいてくれた。変な誤解をされずに済んで良かったと安堵したのも束の間、「隊長さんも上手くやったわね」と所長がニヤッと笑った。
所長の話は昨日の打合せの確認だった。ハーレの職員全体で魔石に関しては共有するけれど、鑑定方法などの詳しい情報はナナリーを含む一部の職員しか知らされないそうだ。
改めて魔石運びの担当を任命され、騎士団の聞き取り調査に協力してほしいと頼まれる。
「ハーレ外の仕事が増えて申し訳ありません」
「ナナリーのせいじゃないわ。騎士団の要請なんだから、せいぜい恩を売っておきましょう」
「あの、なぜ昨日の打合せはロックマン公爵家で行われたんですか?」
「ああ、それはね、ロックマン隊長の私物である高価な魔具をナナリーに貸し出したでしょう? 騎士団本部で行うと手続きがちょっと面倒くさいの。くれぐれもドルセイムの知恵のことは秘密にしてちょうだい」
「わかりました。でも、なんか誤解されているようで……」
「左手の薬指じゃねぇ。結婚相手がいると公言してるようなものよ」
「けっ……!?」
ナナリーの顔が一気に赤くなった。所長は苦笑している。
あの男はなに食わぬ顔をしてこういう事をするのだ。本当にいまさらだけども、ナナリーは自分の迂闊さを呪った。
「うーん。それなら、右手の薬指にしたら? 指環は指によって意味が変わるの。右手の薬指は創造性を刺激するそうよ」
「そうします!」
さっそくドルセイムの知恵を右手の薬指に
「ヘルさん……その指環……もう決まった人が…………?」
その日の仕事はまるで拷問のようだった。右手の薬指に
極めつけに昼にアルウェスがハーレにやって来た。
ハーレの扉が開くと同時に沸き起こった黄色い歓声に、ナナリーの背筋を戦慄が走る。恐る恐る振り返ると、女性たちの輪からするりと抜け出したアルウェスが受付に向かって来るのが見えた。
「お待たせ。もう出られる?」
どうしてご飯を食べに行く約束をしちゃったんだろう!?
ハーレ中の視線がアルウェスとナナリーに集まっている。非常にいたたまれない。
「さっさと行くわよ!」
ナナリーはアルウェスの腕を引っ張ってハーレの外に連れ出す。悲鳴混じりの黄色い歓声が追いかけてきたが知ったこっちゃない。
木製の扉を閉めると頬を刺すような冷たい風が吹きつけて、水色の髪をなびかせる。空離れの季節の真っ只中、雪でも降りそうな鈍色の重たい空が広がっている。
「君、そんなにお腹空いてるの?」
「違う!!」
担ぐように掴んでいたアルウェスの腕をバシッと勢いよく放り出す。
ハーレから離れて人目につかない場所を探し、ナナリーはすぐ目についた裏小路に入った。
周囲に誰もいないことを確かめると、念のため七色外套の魔法を自分たちにかける。ついでに防音の魔法も。
「ナナリー?」
魔法をかけるナナリーを驚いた顔でアルウェスが見ている。かと思えば、左右を見回して指を振った。
「わたしの魔法に問題があった?」
「いや、完璧だよ。ちょっと防御魔法を追加しただけ」
防御魔法?
どんな防御魔法をかけたのか気になったが、今はそれどころではない。
目を瞑って胸に手を当てるとスー、ハー、と深呼吸をして心を落ち着かせる。
何から話し始めればいいだろうか
「わたし、アンタに伝えたいことがあって」
「うん?」
チラッと見上げると、アルウェスは小首を傾げてナナリーの次の言葉を待っている。
どうしよう、本人を前にしたら言葉が出てこない。コイツに覚悟を思い知らせる作戦が──その方法が、ものすごく恥ずかしくなってきた。
言葉で伝えるのが先だろうか?
それとも、先に行動でわからせるべき?
「どうしたの?」
「えっと、」
言葉がうまく出てこない。
心臓がどきどきと早鐘を打つ。
頬が熱くなってきた。
ええい、ままよ!
ナナリーはアルウェスのローブの胸元を両手で掴むと背伸びをした。
ぎゅっと目を閉じてアルウェスの顔に唇を寄せる。──アルウェスの唇に。
上手くできたかわからないけれど。
柔らかいものには触れたはず。
パッと顔を離して俯いた。カーッと顔が赤くなる。恥ずかしくて、足元を見つめる。
アルウェスの顔が見れない。
ローブの胸元を握りしめたまま、紅潮した顔で必死に次にやることを考える。
……次は、次は、そう、言葉を伝えるのよ! 何を伝えるか決めてきたんだから!
それにしてもアルウェスが立ったまま全然反応がない。まるで大きな木に手を当てているみたいだ。どうしよう、これから伝えたいことがあるのに。
え、どうしよう。アルウェスは何も言ってこないし、拘束術でもかけられたみたいに微動だにしない。
そろそろとアルウェスを見上げると、彼は炎のような赤い瞳を大きく開けて、呆然とした様子で固まっている。
顔の前で手を振ってみる。ゆっくりと赤い瞳が閉じられて、再び開かれるとナナリーを見た。相変わらず突っ立ったままだけど、意識はちゃんとナナリーに向いている。
すぅ、と大きく息を吸って、アルウェスの炎みたいに真っ赤な瞳に語りかける。
「……もう、一人で背負わないで。わたしだってアルウェスと一緒に戦いたいし、手助けできることがあるなら助けになりたい。アルウェスが全部一人で戦う必要はないじゃない」
ローブから手を離そうとすると、大きな手が包み込むようにそれを止めた。そのまま腰を引き寄せられて、ぎゅっと抱き締められる。
「……ナナリー」
「……アルウェ……」
ナナリーの言葉は途中でかき消える。アルウェスに口を塞がれて、最後まで言うことができなかった。
「……んっ……」
何度も角度を変えて、噛みつくように唇を重ねてくる。唇が濡れてきて。それがアルウェスの唾液だと気付いて心臓の鼓動が激しくなった。
バクバクとナナリーの心臓が大きな音をたてている。
ちゅう、と音がして、ふにふにと優しく食まれ、吸われているようにも感じる。アルウェスに食べられてしまいそうだ。
柔らかくて気持ちが良くて。何も考えられない。
フッと濡れた唇を吐息が撫ぜた。熱い吐息が交ざり合って。額と額がこすれ合う。柔らかな金糸がナナリーの頬をくすぐる。
鼻先がぶつかるほど近くに彼の綺麗な顔があって。頬に、鼻の頭に、口の端に、口付けが落とされる。
のぼせてしまって呼吸が上手くできない。
顔が熱くて、酷い顔をしていると思う。
薄く開いた口からハフハフと情けない呼吸を繰り返す。
もう立ち去りたいのが本音だけど、体に回された逞しい腕が離してくれそうにない。
ぼうっと目を開けると、アルウェスの伏せた睫毛が目に入った。切れ長の目の縁にびっしりと、髪の色よりやや暗い睫毛が生え揃っている。
なんて睫毛が長いのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていたナナリーを再び甘い感触が包み込む。
薄く開いていた唇にぬめっとした肉厚のものが入ってきて、それがアルウェスの舌だと気付いて頭が真っ白になる。
「んんっ……!!」
口の中をまさぐられる。生まれて初めての感覚にどうすればいいのかわからずナナリーは焦った。
奥に引っ込めていた舌が捕まり、絡められて執拗に擦り合わされる。
「ん……んんっ……!」
もういっぱいいっぱいで、アルウェスのローブを掴む。頭がぼうっとして、熱に浮かされたように体がふわふわする。
腰から力が抜けていく。
息も絶え絶えのナナリーが見ている前で、アルウェスはぺろりと自分の唇を舐める。口の端についた唾液を親指で拭きとる仕草が、細めた赤い瞳が、舌の動きがものすごく艶めかしい。
「なに……? いまの……」
「……恋人たちが仲良くするときの口づけ、かな?」
「……?」
恋人たちが仲良くするときの口づけ?
そういう口づけをするくらいなのだから、アルウェスはわたしを恋人……と思ってくれているのだろう。
それはともかく、わたしたちは仲良くなかったということだろうか?
もちろんアルウェスはわたしにとって好敵手で、絶対に勝ってやると思っているけれど、かつてのように目の敵にして喧嘩することは無くなった。
腹立たしく思うこともあるけれど、今朝みたいに手紙が届けば嬉しい。
「わたしたち、仲良くなかった?」
「え?」
「喧嘩も減ったし、ずいぶん仲良くなったと思うけど……」
「…………」
*
ナナリーは不思議そうにぶつぶつと呟いている。遠い目をしたアルウェスは、空色の頭にぽんと手を置く。
久しぶりに見上げた空は雲が覆い隠してしまっていた。
やがて雪が降り、アルウェスの腕の中にいる青い空をひときわ美しく輝かせることだろう。
第二章はこれで終了です。
長くなりました~!
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