キュピレットは長く保たせる
花渡しでは特に赤い花が好まれ、花神祭に恋人や夫婦、大切な友人などの間で贈り合います。
花言葉は『真実の愛』『偽りのない人生』『純粋』です。
お昼ご飯はとても美味しくて、デザートまで食べたナナリーは大満足だった。
ご飯の後、行きたい場所があるから一緒に来てくれないかとロックマンから誘われた。ナナリーはキュピレットの花と誕生日プレゼントを渡すことで頭がいっぱいで、後の予定は何も考えていなかったので、ためらうことなく頷く。行きたい場所というのは着くまで秘密らしい。
「ララを召喚したほうがいい? それとも魔法陣で転移する?」
「近いから歩いて行こう」
ナナリーたちが食事をしたお店は大通りからちょっと外れたところにある。買い物をするなら街の中心に戻らねばならない。しかしロックマンは反対の方向に進んでいく。この先は官庁街があり、さらに奥には貴族が住む高級住宅街があるはずだ。
ロックマンはどこに行くつもりなのか。すぐ隣を歩くロックマンをチラッと窺うと、柔らかい眼差しで見つめ返される。ナナリーはこそばゆくなって、じりじりと離れながら歩いていく。
「ヘル」
「何?」
「そっちじゃなくて、こっち」
少しずつロックマンから離れているうちに、知らず知らず十字路を右に曲がろうとしていた。ナナリーはあわててロックマンのいる道に戻った。
「手を繋いでもいい?」
「えっっ」
思わずロックマン側の手を引っ込めてしまう。胸の前で手を握り締める。
「今みたいに道に迷ったら困るし」
「…………うぅ」
間違った道に迷い込みそうになったのは事実だ。だからといってロックマンと手を繋ぐのは……なんだかとても恥ずかしい。
ナナリーは自分の手に視線を落とした。昨夜ベンジャミンがお手入れをしてくれたおかげで、いつもよりもすべすべしている。形を整えた爪は薄紅色に染めてあった。ロックマンに見られても恥ずかしくない手だと思う。
この男、どうしてわざわざ許可を求めてくるんだろうか。ナナリーの知るロックマンは頼まれなくとも無駄に女性をエスコートする男だ。流れるように女性の手を取る洗練された仕草といったら国でも一、二を争うぐらいだろう。
「僕と手を繋ぐのは嫌?」
「そういう訳じゃ……ない……けど」
ナナリーは一回ぎゅっと目を瞑ってから、ぶっきらぼうにロックマンに左手を突き出した。
すると、ロックマンはナナリーの左手をなぜか左手で持ち、じっと指先を見つめる。目付きが鋭い。検分されてるようでちょっと怖い。
「何!? 何か問題でも!?」
「さっきから気になってたんだけど……爪を染めてるの?」
中指の爪の周りをロックマンの親指にするりとなぞられる。
くすぐったいような、妙な感覚にナナリーの心臓がばくばくと音を立てる。手を引っ込めようとしたが、ロックマンの力に
「こ、これは昨日ベンジャミンが……! 似合ってないと思うけど!」
「そんなことないよ。似合ってる」
「嘘。嫌そうな顔してるじゃない。やっぱり似合ってないんでしょ?」
「そうじゃなくて、僕が言いたいのは……ハーレにもこの爪で行くの?」
「仕事のときは落とすから!」
「ならいいけど」
──何がいいの!?
ロックマンは元のように機嫌が良くなり、ナナリーは訳がわからないまま、気が付けばロックマンと手を繋いで歩いていた。男性的な、長くて少しごつごつした指がナナリーの手を包んでいる。
ナナリーよりひとまわりも大きい手にどうしても意識が集中してしまう。力強いけど、優しくて温かい手。ロックマンはときどき思い出したようにキュッと握ってくる。それが気恥ずかしくて、顔を背けるようにして歩くことしかできなかった。
「着いたよ」
「え?」
左右を見回せば柵と塀が続いている。柵の向こう側には花に囲まれた広い庭園に
「花園の塔……」
花園の塔は、ヴェラッカーノという王国の結婚式場の一部である。
「塔に上ってみない?」
「でも、花神祭じゃないから入れないわよ」
「予約してあるから。大丈夫」
「予約?」
「塔に上ることしかできないけどね」
ヴェラッカーノの敷地に入り、ロックマンに手を引かれて花園の塔まで歩く。見上げれば、塔の外壁に巻き付いた蔓から無数の花が咲き誇っている。まさに花園の塔だ。塔の周りには防御の陣が張ってあるようで、ロックマンが呪文を唱えると二人の前に道が開けた。
「塔に上るのは初めて?」
「うん、初めて」
「僕もだよ」
ナナリーは目を
よくよく考えてみれば、騎士団に入ってからは毎年花神祭は夜まで仕事だろうし、もし魔法学校時代にロックマンが誰か女の子と花園の塔で花渡しをしていたら、あっという間に噂になってマリスが爆発するか大泣きしていたに違いない。
そっか、ロックマンも初めて塔に上るんだ。
妙な感慨を覚えつつ、大事なことに思い至る。ロックマンが塔の上で花渡しをするつもりだとしたら──ナナリーは渡す花を持っていない。
昨日ロックマンからすでにキュピレットをもらっているし、ナナリーが持ってきたキュピレットは誕生日プレゼントと一緒に渡してしまった。花園の塔に行くつもりなら、前もってそう言ってくれれば良かったのに。
「どうしたの? 怒ってる?」
「花園の塔に行くなら、前もって教えてくれればいいのに」
「ごめんね、言い忘れてた」
ロックマンがくすくす笑った。ナナリーが口を尖らせると、その唇をつんつんとロックマンの指につつかれる。
「きゃぁぁぁ!」
ナナリーは顔を真っ赤にして跳びすさった。手を離そうとすると逆にぐいっと引っ張られる。
「そんなに驚かなくても」
「いや、その、だって」
「時間がなくなるから、上るよ」
ロックマンは涼しい顔で笑っている。自分ばかり振り回されて悔しい。鼓動をかき消すようにナナリーは早足で歩いた。
塔の外階段は地上よりもやや風が強い。髪がなびき、ボリュームのあるえんじ色のフレアースカートがふわっと膨らむ。スカートの裾が気になって仕方がない。
他に人がいないからいいけれど、もし花神祭にこの階段を上ることがあったら服装には気をつけよう。まあ、ロックマンはどうせ毎年仕事だから、花神祭の日にぞろぞろと花園の塔を上ることはないけれど。
そこまで思い至り、ナナリーはハッとして頭をぶんぶんと横に振った。
「どうかした?」
「何でもない!」
先のことを、それもロックマンと自分のことをこんな風に考えるなんて。
長い外階段を上り切って、花園の塔の最上階に着いた。ぐるっと石造りの壁がめぐり、等間隔に大きな窓が並んでいる。最上階の中心で上を振り仰いでみると、とんがり屋根の天井は思っていたよりも高かった。
ロックマンの手がするっと離れたと思えば、いつの間にかその手に花束を持っていた。ひと抱えもあるキュピレットの花束だ。
「ここで君に花を渡したくて」
「昨日、もらったのに」
「僕の気持ちだから。受け取ってくれる?」
ためらいつつ、手を伸ばして花束を受け取ると、ロックマンが優しく微笑んだ。
キュピレットは一つだけでも大きな花だ。お姫様のドレスのように、大きな花弁が重なって広がっている。その花束は両手で抱えられるほど立派だった。
こんな凄いものを私が貰っていいのだろうか。
「すごく綺麗……」
ナナリーの口から感嘆の溜息がこぼれた。
花園の塔から降りる時間まではまだ余裕がある。アーチ形の窓の側に佇んで外の景色を眺めて話をした。ナナリーたちが立っている場所から見えるのは高級住宅街で、ヴェラッカーノの庭園の向こうに貴族のタウンハウスが建ち並んでいる。その最奥に、お城のように建っているのがロックマン公爵家だろう。
「ずっと思っていたことがあるんだけど」
「何?」
「ナナリーって呼んでもいい?」
「ええっ!!」
「……駄目かな?」
駄目とかそういうのではなくて。今までずっと『ヘル』と呼ばれていたから、心の準備がまったくできていない。
……でも、ロックマンはマリスをずっと名前で呼んでいるし、他の貴族の令嬢たちも、ウェルディさんも名前で呼んでいる。きっとロックマンにとって大したことではないんだろう。
そうだ、ゼノン王子もサタナースもナナリーを名前で呼んでいるのだ。何も特別なことじゃない。
「…………ぃぃ」
「うん?」
「いぃ……わよ」
頬だけじゃなくて耳までものすごく熱い。きっと顔は真っ赤だろう。頭が沸騰しそうなナナリーに、ロックマンのくすくす笑う声が聞こえる。
「ナナリー」
呼ばれた途端、ナナリーの目が飛び出しそうなくらい大きく見開いた。あわてて服の胸元をぎゅっと握り締める。駄目だ、今度こそ心臓が飛び出しそう。花束に顔を埋めて心が落ち着くのを待った。
「ナナリー?」
ロックマンの、耳に心地良い低めの声が自分の名前を呼んでいる。返事をしなくちゃ。このままではキュピレットの甘い匂いにむせてしまいそう。
花束から顔を上げると深呼吸をして、爽やかな空気を胸に吸い込んだ。窓から見える外の風景に目をやる。とてもじゃないがロックマンの顔を見ることはできない。
「…………なに?」
聞き取れないくらい小さな声になってしまった。自分らしくないのはよくわかってる。でもこれがナナリーの精一杯だ。
「こっち向いてくれる?」
ぴょんっとナナリーの肩が跳ねあがって、そのまま固まってしまう。
……ギギギギギギギギと音がしそうなほどぎこちなく首を動かし、とうとうロックマンの顔が視界に入ってきて、炎のような瞳とパチッと目が合った。
軽く小首を傾げたロックマンがやんわりと微笑む。長い指が伸びてきて、ナナリーの頬に触れると、燃えるような
花神祭デート編はこれで終了です。
次話から本編に入ります。この物語では、第零章と第一章の間に時の番人事件が起きた設定です。