ベンジャミンとサタナースの家はドーラン王によって特殊な結界が張られており、転移魔法が使えない。
ララに乗ったナナリーはベンジャミンの使い魔が空を羽ばたくのを追いかける。
空気はやや冷たいけれど、肌を刺すような寒風ではない。明るい日差しにひんやりとした風が気持ちいい。ベンジャミンが目指すのは南西の森だ。この辺りはハーレのある王都よりも暖かく、一足早く光の季節がやってきている。
前を飛ぶベンジャミンが高度を下げていく。背の高い木々が生い茂る森の中に、一か所だけひらけた場所があり、そこにぽつんと建つ一軒家の赤い屋根が見えてくる。
ベンジャミンに続いてナナリーとララは玄関の前に着地した。
「ただいまー」
買い物籠を抱えたベンジャミンがドアを開けて、ナナリーも荷物を持って家の中に入った。
「ナルくーん?」
「サタナースがいるの?」
サタナースは破魔士の仕事に行っていると思っていたが、よくよく考えてみれば、時の番人に留守番をさせるわけにもいかないだろう。
「ナルくんにお客さんが来てるのよ~」
買い物籠を食卓テーブルに置いたベンジャミンが意味深に笑った。
玄関から入ってすぐの部屋ではいつも時の番人が魔石の鑑定をしているかベンジャミンとお喋りしているのだが、今日は珍しいことに時の番人はいなかった。部屋の隅には魔石が入った袋がいくつか置かれている。
ベンジャミンが奥の応接間の扉を開けて入っていく。
「ナルくーん?」
「おー、ベンジャミン。おかえり。ナナリーは?」
「来てるわよ。いらっしゃい、ロックマン」
「お邪魔してます」
へ!?
「おーっす、ナナリー。買いもんありがとな」
応接間には騎士服の上着を脱いだアルウェスがサタナースの向かいの長椅子に座っていた。
扉の前に立ったナナリーはその赤い瞳とばっちり目が合う。
「なんでここに!?」
「サタナースに用があって」
「そ、そう。じゃ、わたしは買い物終わったからこれで!」
言うが早いか、ナナリーはくるっと回れ右して入って来たばかりの玄関へ駆け出した。
*
「ナナリー!?」
玄関の扉に手が届くというところでべンジャミンにガシッと肩をつかまれた。あまりの勢いにがくんがくんと首が前後に揺さぶられ、頭がくらくらする。
「どこに行くつもり~?」
ベンジャミンの細い指が肩に食い込んで痛い。
「アルウェスが来てるなんて聞いてない!」
「私が呼んだんじゃないわよ~。ナルくんに話があるからってロックマンが突然やって来たんだもの。文句なら直接ロックマンに言ってよ」
「いやっ、ちょっ、わたしにも事情が……!!」
襟首を掴まれてズルズルと家の中に連れ戻される。ベンジャミンの細腕のどこにそんな力があるのか、体重をかけて抵抗しているにも関わらず、びくともせずにナナリーを引っ張って応接間のソファに座らせた。しかもアルウェスの隣だ。彼は銀縁の眼鏡を取り出してかけていた。相変わらず長い金色の髪は編んで胸元に垂らしてある。
「じゃ、俺たちは食いもんでも用意してくるわ」
「ナナリーの分のお茶持ってくるから。二人でごゆっくり~」
サタナースとベンジャミンはナナリーたちを置いて台所に行ってしまった。ベンジャミンに伸ばした手が行き場を失い、空しく宙を掻いた。
席を立つつもりなら何故自分をアルウェスの隣に座らせるのか。いや、まあ、正面に座るのもちょっと気まずいけれど。
どうしよう、アルウェスと二人きりになってしまった。
聞き取り調査が終わってから二人で会うのを避けている。公爵家には令嬢教育で通っているが、アルウェスは仕事が忙しくて騎士団の宿舎に寝泊まりしたいるので十日以上会ってない。
会うのが嫌な訳ではない。ただ、今は二人で会ったときにどんな顔をすればいいのかわからない。
聞き取り調査で無自覚とはいえ破廉恥な発言をしてしまった。そして、彼がナナリーと触れ合うことの先に何を望んでいるのかなんとなく察せられ……いや、はっきりと気づかされたのである。
「……楽しい買い物できた?」
アルウェスの顔を見ないようにカチコチと不自然な動きをしているナナリーにアルウェスが声をかけてくる。
口をパクパクと動かして何と答えればいいものか悩んだ挙句、首を縦に振って頷いた。
何を買ったか聞かれなくてよかった……。
あれこれ追及されなくとも、勘のいいアルウェスには簡単に説明しただけで誰に贈る品を買ったのか気づかれてしまう気がする。
「サ……サタナースに用があったって聞いたけど」
「うん」
「もう用事は済んだの?」
「終わったよ。だから君を待ってた」
「へ?」
「ハーレに行ってもなかなか会えないから。パラスタさんがフェルティ―ナに会いに行ってるって教えてくれた」
ゾゾさん! 余計なことを……!
頬が熱くなる。涼しい顔して口から砂糖を吐くのはやめてほしい。ナナリーは赤くなった頬を両手で押さえた。
「ごめん、最近忙しくて……」
忙しかったのは本当だ。でも
「ん? それは気にしてないよ。でもせっかく機会があるなら会いたいなって」
どうしよう、会うのが恥ずかしくて避けてたなんて言えない。
少し背を向けるようにやや斜めに座っているナナリーに彼が近付いてくる。頬にかかる水色の髪を持ち上げて小声で囁く。
「……ナナリー?」
ちょっと待って。心の準備ができてない。
「あの、ノルウェラ様が!」
「母上?」
ナナリーがパッと振り向くと、アルウェスが軽く驚いた顔で手を止めた。
「えっと、このあいだ本仮縫いのときに、ノルウェラ様がミスリナ王女のお世話係としてシーラに行くかもしれないって」
「ああ……その件ね」
アルウェスは水色の髪を背中に流すようにするりと撫でて息を吐いた。長い指で癖のある毛先をくるくると弄び始める。
「母上には申し訳ないけれど、同行するのは難しいと思う」
「そうなの?」
「母上が同行するなら父上も来ることになるからね。王弟のロックマン公爵夫妻が結婚式に参列するとなると予定を大幅に変更しなければならない」
「あ……そうか、ノルウェラ様もちゃんとしたお客様になっちゃうんだ」
「母上は裏方としてついて来るつもりだったかもしれないけれど、そういう訳にはいかないよ」
やれやれとアルウェスが首を振った。
指摘されるまでナナリーは気づかなかったが、ノルウェラ様が同行するならシーラも賓客扱いをする必要があるのだ。
ノルウェラ様がご自分の立場を失念していたとは思えないけれど、
それだけ息子のアルウェスを心配してるのだと思う。
「ノルウェラ様ならアンタのお姉様で通りそうよね」
「え?」
ゼノン王子とミスリナ王女は兄妹で出席するし、パートナーは家族でも問題ない。
ノルウェラ様がアルウェスと二人並んで歩いていたら、美男美女、さぞかし会場の注目を集めることだろう。
顔がよく似ているから血縁なのは一目瞭然だろうが、美形が揃っているだけで周囲の人々が大層喜ぶことをナナリーも知っている。
「ノルウェラ様が同行するならアンタのパートナーとして参列することもできそう」
ほんの冗談で言ったつもりだった。
「ナナリー」
低い声がナナリーの名を呼ぶ。アルウェスに両手首を掴まれて、彼の正面に向き合うように体の向きを変えられた。
「僕のパートナーは君だよ?」
銀縁眼鏡の奥で赤い瞳が燃えている。でも彼から発せられる空気はひんやりと冷たくて。手首に触れる手も、いつもは温かいのに少し湿って冷たく感じる。
「……はい」
……馬鹿なことを言ってしまった。アルウェスのパートナーを務めると決めたのはわたしだというのに。
ふぅ、とアルウェスが安堵したような溜め息を吐き、ナナリーの手首を離した。
「母上は同行できないけれど、君の侍女が女性騎士だけでは不安だという母上の意見は間違ってない。それに関しては少し手違いというか、ブルネルが誤解していたみたいだ」
「ニケが誤解?」
「君と一緒に行動する女性騎士にはブルネルも選ばれている。彼女は君の身の回りの世話も兼ねていてね。彼女と一緒の方が君も気が楽だろうという配慮からだったんだけど」
「うん。わたしもニケが一緒なら嬉しい」
「ブルネルの他にもドレスの着替えを手伝ったりするには慣れた侍女が必要になる。その侍女はまだ決まってなかったから、母上の推薦で
「わかった。ありがとう」
……会話が途切れる。
アルウェスの纏う空気は穏やかなものに戻り、緩く開かれた口元や細められた目からは甘さが漂っていて。
この部屋にはナナリーとアルウェスの二人きり。
少し開いた扉から台所にいるベンジャミンたちの声が聞こえる。サタナースに代わってもらえないだろうか。食事の用意なら自分がやるから。
──他に誰かいないの!?
「と、時の番人は!?」
「時の番人? 僕はまだ見てないよ」
ナナリーは席を立って隣の部屋を覗いてみる。魔石の入った袋が積まれてあるだけで時の番人はいない。ベンジャミンたちと台所にいるのだろうか?
「時の番人がどうかしたの?」
「別に? いつもは隣の部屋で魔石の鑑定をしてるけど、今日は見てないから」
「どうやら僕はアレに避けられているみたいでね」
「は?」
なんだそりゃ。
時の番人は胸の大きな女性が好きで男性には冷淡だけど、特に誰かを嫌っているような感じはしない。
あまりにも顔がいい男は気に食わないのだろうか?
そんなどうでもいいことを考えながら魔石の山を見ているといいことを思いついた。
「勝負よ、アルウェス!」
「勝負?」
「どっちが魔石を見つけられるか勝負よ!」
アルウェスは一瞬ぽかんとした後「いいよ」と答えた。
魔石を運ぶナナリーにもまだ魔石の見分け方はよくわかってないが、これだけ石があっても魔石なんてそういくつも見つかるものではないから、ひとつでも当たれば充分勝機があるはずだ。
魔石の入った袋を魔法で浮かせて食卓机の上に運び、椅子を引き出して座る。
ふとあることを思い出し、ナナリーはそのために勝負を利用することを思いついた。
「負けた方は勝った方のお願いをひとつ聞くってどう?」
ナナリーの向かいに座ったアルウェスが目を見開いた。
「そんなこと約束していいの?」
「ふん、負けないわよ」
*
アルウェスは勝負の高揚感に口角を上げて大きな瞳を輝かせている愛しい人を眺めながら心の中で嘆息する。
ナナリーが勝負に何かを賭けるのは珍しい。
しかも賭けの内容が内容なだけに、警戒心に欠けていると言わざるを得ない。本人が無自覚なのが恐ろしい。
食べ比べ勝負を口実に何度も彼女を食事に誘っていた影響が悪い方に出ているのではないか、と本気で考え込むアルウェスだった。