ピリッと肌を刺すような痛みが走り、ナナリーは顔を上げた。慌てて台所と居間を繋ぐ扉に駆け寄る。
アルウェスの魔力が膨れ上がっているのを感じる。ベンジャミンの家でいったい何をするつもりなのか。
「アルウェス!?」
アルウェスの周囲を炎が飛び、魔石を置いた窓の付近が燃えていた。ナナリーはすぐに氷で消火して、アルウェスにも氷をぶつけて彼の周りの炎を相殺する。
「どうしたんだよ、おい!」
「ロックマン!? 時おじ様!?」
炎の中心にいた時の番人は目を回している。アルウェスは生気を失った顔で呆然と立ち尽くし、顔や体に氷が張りついて氷の彫像めいていた。ナナリーは指を鳴らして彼にぶつけた氷の魔法を解除する。
「ベンジャミン! アルウェスの氷を解かして!!」
「えぇっ!? ロックマンを!?」
「──大丈夫」
馴染みのあるものよりも一段低い声がして、アルウェスの体に張りついた氷が一瞬で解けて消えた。
「アルウェス! 大丈夫!? 体の中は凍ってない?」
「大丈夫だよ。凍った箇所はすぐに治したから」
アルウェスがナナリーの氷で本当に凍るなんて彼に何があったのだろう。
ナナリーが彼を凍らせるのに成功したことなど数えるほどしかない。それもほんの一瞬で、彼はすぐに火で相殺するのだ。
「ごめんね、フェルティ―ナ、サタナース。あとで弁償する」
「いや、そこまで酷くねーから」
サタナースが言った通り、時の番人の周囲以外はほとんど燃えていなかった。
カーテンや絨毯は一部が燃えてしまったが、鉢植え以外の調度品は燃えていない。
魔石はアルウェスの炎でも何ら損傷はなく、包み紙と袋は燃えてしまったけれど、魔石の発見者の名前は別紙に記録してあるから問題なかった。
ただの黒い石は廃棄するからどうでもいい。
魔力を暴走させたにもかかわらず、アルウェスは火が及ぶ範囲を最小限に抑えていたのではないか。
「うっ……」
口元を手で押さえてアルウェスがガクッと膝をついた。
「アルウェス! 気持ち悪いの?」
ナナリーは彼の広い肩に手を置いて顔を覗き込む。アルウェスはかろうじて頷いた。
彼の顔色は蒼白で、額には脂汗がにじみ、眉をしかめて嘔吐をこらえているように見える。
「お水持ってくるわ!」
ベンジャミンが台所に走り、サタナースは燃えてしまったものを手早く片付ける。
ナナリーは床に座ってアルウェスに寄り添い、氷を出して
ぐったりとしていたアルウェスが微かに頬を緩ませて、ナナリーに少しだけ体重を預けてくる。
……傷ついた顔をしている。
何があったのかわからないが、ちびアルウェスを彷彿とさせるようなどこか痛々しい表情だ。
目にかかる金色の前髪を払って額の汗を拭いてあげた。意識はあるようだけれど、呼吸は荒く苦しげで、瞼は閉ざされたままである。
「え……!? アルウェスくん!?」
サタナースが頓狂な声をあげた。ナナリーも息をのむ。
瞬く間にアルウェスの長い黄金の髪が真っ黒に変色していった。
*
「準備はいい?」
「オッケー。いつでもいいぜ」
ナナリーとサタナースは森の小さな泉のそばに使い魔で降り立った。
サタナースは結晶化したララから黒髪のアルウェスを降ろして肩で支える。ナナリーはララを使い魔の空間に戻し、
「……う……」
薄っすらとアルウェスが目を開ける。瞳の色は変色しておらず、美しい赤のままである。
ようやく戻って来た瞳の色まで黒に塗り替えられたかと恐れていたが、アルウェスに潜む魔物の魔力は瞳に浸食するほどは残っていないようだ。
「アルウェス? 公爵家に行くから、下手に魔法を使わないでよね」
サタナースたちの家は特殊な魔法がかかっていて敷地内で転移ができないため、使い魔に乗って結界の影響がないところまで飛んできたのだ。
フェニクスに乗ったサタナースが先導し、大人二人が乗れるくらい大きくしたララを結晶化させて、アルウェスとナナリーが乗った。
男二人をララに乗せるのは重そうだったし、サタナースのフェニクスにアルウェスを乗せるのはちょっと不安……違った、不安定な気がしたからだ。
ここから転移の魔法陣で一気にロックマン公爵家へ跳ぶ。
公爵家は侵入防止の結界が張られているが、サタナースは何度も公爵家に遊びに行ってるというから大丈夫だろう。
女神の棍棒から地面に転移魔法の魔法陣が広がっていき、サタナースとアルウェスを内包して魔法陣がまぶしく輝いた。
一瞬の後、ナナリーはロックマン公爵家の玄関の前に着地した。アルウェスはもちろん、サタナースも問題なく転移している。
公爵家からはすぐに感知されたようで、中から執事さんや使用人たちが出てくる。
「ヘル様? まさか……アルウェス様!?」
「ロウ……?」
執事さんの呼びかけにアルウェスはサタナースの肩に乗せていた腕を外した。蒼白い顔は隠せていないが、騎士団の上着の襟を手で整えて歩き始める。
自宅に帰ってきたら気が抜けて倒れるかと思いきや、反対にしゃっきりするのだから貴族とはすごい。
ナナリーはサタナースとともにアルウェスを追って公爵家にお邪魔した。
「アルウェス……!?」
ノルウェラ様が蒼い顔をして奥から小走りにやってくる。ノルウェラ様がこんなに慌てているのを初めて見たように思う。
「……母上」
「アルウェス! 酷い顔をしているわ。早く部屋に運んであげて。ナナリーさん、何があったの?」
「ノルウェラ様、わたしからちゃんと説明します。アルウェス、さっさと部屋に戻って休んで」
「おばさん、俺がアルウェスくんに付いていくから。ナナリー、説明頼むぜ」
サタナースがアルウェスと一緒に屋敷の奥へ進んでいく。屋敷にかかっている魔法であっという間に部屋に着くことだろう。
「アルウェス様のあの髪色は……?」
使用人たちが
「ナナリーさん、わたくしたちも行きましょう」
「はい」
ノルウェラ様と廊下を歩きながら何が起きたのか説明する。
とはいえ、アルウェスがサタナースたちの家でペストクライブを起こして急に体調を崩し、髪色も黒くなったことしかナナリーにもわからないのだが。
「瞳の色は赤いままですし、魔力の暴走で髪の色を変える魔法が解けてしまっただけかもしれません」
「……ええ、そうね……悪化しているのでなければいいのだけれど……」
ノルウェラ様が口元に手を当てて辛そうな顔をしている。畏れ多いとは思ったが、ナナリーはノルウェラ様の背中に手を添えた。
アルウェスよりもよほど倒れてしまいそうなノルウェラ様が心配になったのだ。
「……ありがとう、ナナリーさん。わたくしがしっかりしなければいけないのに……」
「いいえ、ノルウェラ様、不安になるのは仕方のないことです」
「ロウがミハエルを呼び戻してくれているわ。……ナナリーさん、彼が帰ってくるまでわたくしを手助けしてくださる?」
「もちろんです。何でもおっしゃってください」
「ありがとう。……頼もしいわ。さすがあのアルウェスが好きになった
いつもより弱々しく、儚げであったノルウェラ様が母親の顔に変わった。ナナリーもほっとひと安心する。
アルウェスの部屋に入ると奥の寝室の扉が開いていた。サタナースはアルウェスと一緒に寝室に入ったようだ。サタナースと使用人らしい女性の声が聞こえる。
ノルウェラ様に続いてナナリーもアルウェスの寝室に向かう。
扉の敷居を跨ごうとした途端、ナナリーだけがパンッと弾かれた。後方へたたらを踏み、危うく転びそうになる。
……え?
どういうこと?
もう一度寝室へ足を踏み入れようとしたが、強い衝撃に襲われて後ろへ跳ばされる。尻餅をついた勢いそのままに背中から後方へくるりと一回転し、片膝をついて扉の奥を凝視した。
「……結界?」
原作ではロックマンの髪は通常は金色に戻ってます。髪が黒いときは精霊の魔法は使えないようですが、『ナナリーの令嬢修業』では髪と瞳が黒くても普通に火の魔法が使える設定になってます。