サタナースにノルウェラ様、他の使用人たち。彼らは何も問題なく寝室に入ることができる。
ナナリーが入ろうとすると物理的な衝撃によって弾かれる。
「なんでこんなもの張ってあるのよ!」
「あ~アルウェスくんにも理由があるんじゃねえ?」
「理由って何よ?」
「ん~、まあ、男にはいろいろあるんだよ。ナナリーを苛めているわけじゃないと思うぜ」
「だからいろいろって何!?」
サタナースに詰め寄るが言葉を濁されるだけで埒が明かない。
よくよく室内を見てみれば、寝室の扉の前は調度品が
後ろに跳ばされても平気なようにアルウェスが片付けておいたのだろう。ナナリーはまだ後方の壁(というより壁一面の本棚)にぶつかってはいないが、おそらく壁面には何らかの防御魔法がかけられているはずだ。
ベンジャミンの勧めでスカートの下にドロワーズを穿いておいてよかった。転がった拍子に見事にスカートの中が見えてしまった。
サタナース……はまぁ、あまり気にならないけど、公爵家の執事さんたちに下着やら太腿やらが見られていたら顔から火が出ていただろう。
時空を超えたり、ニケと戦闘訓練をしたり、スカートでは少々障りがある機会が増えたのでナナリーもその辺りを気にしてはいる。
ベンジャミンはとても丈が短くて下着と見紛う可愛いドロワーズを愛用しているが、ナナリーのは少しフリルが付いていて、太腿をほとんど隠してくれる。
さて、問題はアルウェスの寝室に張られた結界である。
この結界が氷型だけを弾くものなのか確かめるため、ノルウェラ様が屋敷の人間の中から氷型を探してくださった。
公爵家の主だった使用人に氷型はいなかった。彼らは魔法学校を卒業した下位の貴族がほとんどで、希少な氷型は騎士団など引く手
平民の召使の女性に一人だけ氷型が見つかり、その人に試してもらったところ、ナナリーと同じく彼女も弾かれた。
怪我をしないように防御膜を張って受け止めたのだが、彼女は結界に弾かれた衝撃で泣いてしまった。申し訳ないことをした。
ナナリーは外套を脱いでハーレの制服姿になっているが、無効化衣装であっても結界に侵入することはできなかった。攻撃魔法は無効化するけれども、物理的な攻撃は普通に食らってしまう。
どう考えてもナナリーを狙い撃ちにした結界である。この結界には何か意図があるのだ。
この結界が氷型を感知すると物理的な攻撃を加えるように作られているのか、攻撃魔法の範疇に入らない魔法で氷型を弾いているのかよくわからない。なんて厄介なんだろう。
ただナナリーを締め出すためにここまで大がかりな魔法を使うとは思えない。部屋に入れたくないなら断ればいいだけの話である。
……やはりアルウェス・ロックマンはナナリー・ヘルの宿敵だと思う。
騎士のアルウェスに比べたらナナリーが魔物と戦った経験は少ない。むしろ、魔物よりアルウェスと戦った数のほうが多い。
下手な魔物よりもアルウェスの方が強くて狡猾なのは言うまでもない。
*
扉一枚分の空間から寝室を覗いてみれば、長椅子などの調度品と壁一面の本棚が目に入る。
華美ではないけれど、調度品はどっしりと重厚で、それらを彩る布類は上等で非常に趣味が良い。
アルウェスが魔石の短剣を胸に刺したときはロックマン公爵家全体を守る結界も破れてしまったが、どう改良したものか、今回はビクともしない。
「ノルウェラ様、少しだけ攻撃魔法を使ってもいいですか? 防御膜を張って室内は守りますから」
「……ええ、いいわ」
「ありがとうございます」
アルウェスが張ったのだから結界は部屋全体を覆っているだろう。窓から侵入することも無理だろうし、壁を壊したところで結界を破らなければ入れない。
ならばここから氷の魔力を叩きつけてやる。
「サタナース、そっちの部屋に防御膜を張って」
「何するつもりだよ?」
「軽く魔法をぶつけるだけよ。結界以外に被害が出るような強い魔法は使わないけど、念のため」
ノルウェラ様と使用人には廊下に出てもらい、アルウェスの寝室はサタナースが、居室はナナリーの周囲を残して防御膜を張る。
結界に触れると弾かれるので、寝室の入り口から二、三歩距離を取る。至近距離で魔法をぶつけるのだ。
「ニパス(吹雪)」
氷弾が当たった反応から結界の大きさや強さを推し量る。思った通り結界は寝室全体に張ってあり、ぶ厚くて非常に強い。
当たった氷はあっさり溶けて消えた。
「キーオーン(氷柱)」
氷の槍を高速で叩きつける。結界が振動して少しひび割れが入った。
このまま続ければいけるだろうか?
「お、おいナナリー!」
サタナースが何かに気づいたように叫び、結界を挟んで入口の向こう側に現れた。
「ナナリー待て! アルウェスくんが苦しんでる!」
「えっ!?」
アルウェスは胸を押さえて苦しそうに呻き声を上げ、手で何かを握り締めているようだとサタナースが言う。
「──サタナース」
知らず声が低くなり、問い質す口調になる。
「アルウェス、本当は起きてるんじゃないの?」
「はぁ?」
ナナリーは居室に張った防御膜を解いて、廊下からこちらを不安げに
「ノルウェラ様」
「……何があったの?」
「アルウェスと話をしてくれませんか?」
防御膜を攻撃した魔法が防御膜を張った本人に襲いかかるなんて聞いたことがない。それでは防御膜の意味がない。
全部アルウェスにお膳立てされていたのだ。
*
「……アルウェスと話ができたわ」
「ノルウェラ様!」
「こんな予定じゃなかった、と言っていたわ」
ノルウェラ様が眉を下げて苦笑した。
『ナナリーさんの氷の魔法が必要なのね?』とノルウェラ様は問いかけたらしい。
アルウェスは
シュテーダルを破壊できるのは氷型のみ。
破壊はできても細かく砕け散るだけで完全に消滅させることはできないが、アルウェスはララのクリスタルの首飾りを身に付けている。
クリスタルが砕けた魔物の魔力を吸収してくれるだろう。
ナナリーはアルウェスが自分に何をさせたいのか理解した。
「大丈夫だよ、おばさん。アルウェスくんが仕組んだことなら絶対大丈夫だから」
サタナースの言葉にナナリーはハッとする。ノルウェラ様はサタナースの励ましに頷いているが、その白くて細い手が震えていた。
これからナナリーがやろうとしていることは無抵抗な人間を攻撃するに等しいのだ。一応アルウェスに確認はとったものの、正常な判断ができてない可能性もある。
もしも見当違いだったら彼を殺してしまう。
理屈はわかってもノルウェラ様は不安で仕方がないはずだ。
「ナナリーさんに任せるしかないだろう」
「ミハエル……!」
「事情は聞いたよ。我々の息子はとんでもない魔法を編み出したものだね」
ロックマン公爵が複雑な刺繍が縫い込まれた外套を着て現れた。帰宅してから外套も脱がずに直接アルウェスの部屋に来たようだ。ノルウェラ様が公爵に駆け寄る。
公爵はノルウェラ様の肩を抱いて安心させるように白い手を優しく握り、アルウェスとの会話の内容を確認した後、ナナリーを見て決然とおっしゃった。
「君には重い役目を担わせてしまうが、お任せしてもいいだろうか?」
「本当によろしいのですか?」
「君にしか頼めない、とアルウェスは言ったのだろう?」
「……意識は不明瞭ですし、正常な判断ができているとは限りません。心配でしたらアルウェスが目覚めてからでも遅くはないと思います」
焦らなくてもよいと思ったのは嘘ではない。しかし、ノルウェラ様が辛そうに首を左右に振った。
「いいえ……できるなら今お願いするわ。アルウェスから邪悪な魔力を感じるの。とても凶悪な……禍々しい魔力よ。あの子は強い精神力でかろうじて耐えているに違いないわ」
ノルウェラ様が喉から絞り出すような声でおっしゃる。
「引き伸ばすのは余計アルウェスを苦しめるだけ……と判断されたのですね?」
ナナリーの問いかけにロックマン公爵夫妻が頷いた。
「君もアルウェスを信じているのだろう?」
「はい」
ナナリーの瞳に迷いはない。
*
鮮やかな
窓を開けると肌寒い風が室内に入ってきた。使用人に本棚以外の居室の調度品を全部廊下に出してもらい、床に溜まっていた埃を魔法で外に掃き出した。
寝室への扉とその前に立つナナリーの周りを除いて居室に防御膜を張る。それはサタナースがやってくれた。
公爵家全体の防御結界は、アルウェスが作った魔法陣にロックマン公爵が魔力を注ぎ込んで維持しているという。しかも公爵一家の私室がある棟の結界は最近個別に結界を張りなおしたばかりで、それはアルウェスの提案だったそうだ。
公爵夫妻には安全な場所に居てもらいたかったが、アルウェスのそばで見守りたいとおっしゃるので、寝台の側で周りに防御膜を張って待機してもらった。
準備は整った。
ナナリーは女神の棍棒を縮小して腰のベルトに戻し、足を前後に開いて、大きく息を吸い込むと右手の薬指を唇に当てる。
「プネウマ・パゴス(氷の吐息)」
後ろ足に体重を乗せ、結界めがけてめいっぱい氷の吐息を吹きかける。
絶え間なく吹きつける氷の粒子をすべて受け止めて、透明な膜が返事をするみたいにふるりと震えた。
この結界にはアルウェスの存在を感じる。彼の息づかいが聞こえてくるような──。
手の平を上に向けて頭上に掲げ、ナナリーは守護精霊の呪文を唱え始める。
──あまねく神と血の精霊達よ
──我がペルセポネの名のもとに告げよう
──氷帝の光は花の大地に降り注ぎ
──生きとし生けるもの全ての時を止め
──天への架け橋となる
──終結の鍵と共に去るは氷の意思であり
──また始まりも血の意思となるだろう
「
(※ドロワーズは素肌に穿く下着として使われることもありますが、この作品では下着の上に穿く見せパン系のドロワーズを想定しています)