東方秘封倶楽部 幻想探索録   作:パック

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鬼の隠里

 

 

 怪奇現象に遭遇したことは初めてではない。蓮子と二人で様々な霊場を巡る中で、現在の科学ではまだ説明できない不確かなものを、常識を超えた何かを感じ取ったことは何度もある。

 

 けれど、それはあくまで判然としたものではない。少なくとも、今私たちの目の前に立っている其れのように、直接この世のものではないと分かる存在と対峙したのは、初めての経験だった。

 

 ――片足の老人、その姿はあくまで人に見える。だが、きっとそれは仮初のものでしかない。半ば確信めいた直感が私の中でそう騒ぎ立てた。

 蓮子も同様なのだろう。傍らに立つ彼女を横目で見れば、その頬から冷や汗が伝っているた。

 老人はいまいち感情の読み取れない、淀んだ目でこちらを睥睨した後、ゆっくりと口を開く。ひどくしゃがれた声が不気味に響いた。

 

 「……可哀そうにのぉ、お前さん方、迷い込みなさったか。残念じゃが……もう二度と元いた場所には帰れんよ。あぁ、本当に可哀そうに……」

 

 こちらを憐れむ言葉とは裏腹に、老人の口角は上がっている。にやりとした、陰険で心地の悪い笑みだった。

 思わず私と蓮子は眉を潜める。

 

 老人相手とはいえ、その悪意をにじませた面を引っぱたいてやりたい衝動に駆られた。  

 だが、そんな怒りの感情を表に出すことこそ、相手をつけ上がらせかねない。

 ならば、こんなわざとらしい挑発になど乗ってやるものか。そう考えて、私が意地でも口を噤もうとしたとき、隣の蓮子が力強く踏み込み、そのまま前方へと駆けだした。

 

 「――え?」

 

 私の口から間抜けな声が漏れる。止める間もなく、蓮子は老人との距離を詰めると、そのまま大きく跳び上がった。

 

 「――五月蠅いのよ‼」

 

 切れ気味に言いながら、体全てを宙に投げ出し放たれた両足蹴り、所謂ドロップキックが老人の胸元へと直撃して、その軽い体を吹き飛ばした。

 小柄な上、片足が無い分踏ん張りも効かなかったのだろう、不意の一撃を受けた老人は見ていて気の毒になるほど勢いよく仰向けに倒れ込む。

 倒れた先に石でも転がってのか、ごん、というかなり恐ろし気な鈍い音が響いた。

 そして、蓮子は倒れた老人の様子を見て、満足げに頷く。

 

 一体何が起こったのか。

 理解を越えた一連の出来事に、漂白された私の脳が一拍おいて、徐々にその機能を取り戻す。

 開いたままになった口を閉じ、蓮子と老人の姿を交互に見やってから、私はようやく言葉を発することができた。

 

 「何を、何をやってるのよ貴方は!?」

 

 半ば掴みかかるように私は蓮子に詰め寄った。

 本当に意味が分からなかった。一体どういう思考回路をしていたら、老人にドロップキックを打ち込む選択をとるのか。

 今私たちが見舞われている怪異現象よりも、そちらの方がずっと理解を超越している。怪異を差し置いて未知で、不可思議な行動だった。

 しかし、当の蓮子はきょとんとした顔で、

 

 「何って……ムカつく老人蹴り飛ばしただけだけど?」

 

 見れば分かるでしょとでも言いたげな様子で、そう言ってのける。

 私は頭痛を覚えた。

 混乱に目を回しながらも、私は尚も言葉を探す。

 

 「……いや、いやいやいや、え? 何、私がおかしいの? 普通あんな人間かも分からない怪しげな老人にドロップキック放つ?」

 

 怪異に対して安易な暴力がどれほど危険かは前もって伝えていたはずだった。蓮子だってそれを理解していないはずはない。

 だからこそ、私は一層蓮子の行動理由が掴めない。

 しかし、蓮子は私の言葉に人差し指を突き出し、左右に振る。

 

 「逆よ、メリー。怪しくて、人間じゃなさそうだったから先手を取ったわけ。あれが悪意しかないのは見ていて分かったでしょ」

 

 「いや、確かにそうだけど……もっと慎重に……」

 

 言い淀む私に、ここぞとばかりに蓮子が言葉を重ねた。

 

 「甘いわよメリー。確かに危機的状況において、慎重な行動が必要なのは間違いないけど。相手は怪異よ、人を脅かす未知の怪物。下手に待ちの姿勢を見せれば、相手をつけ上がらせかねないわ」

 

 「そうかもしれないけど……だからって初手暴力は……」

 

 あまりにもアウトローが過ぎるのではないだろうか。脳筋的な思考ともいえる。

 だが、蓮子は私の指摘に悪戯っぽく笑って見せた。

 

 「でも予想外だったでしょ? なら効果てきめんよ。目には目を歯には歯を、未知には未知をってね。何より、私は自分が安全圏にいると高を括ってる奴が気に食わないの。あの爺、私たちがやられるだけの獲物だとでも思ってたに違いないわ」

 

 憤然とした様子で吐き捨てる蓮子に、私はもう何も言う気が起きなかった。

 蓮子の言い分も分からなくはない。それに、わたしもあの意地悪そうな老人が、間の抜けた面を浮かべて、ドロップキックを喰らう様を見て、少しだけスカッとしたのも事実だった。

 

 「……ふ、随分お転婆なお嬢さんじゃな……」

 

 地の底から響くようなしゃがれた声が再び響いた。

 慌てて私と蓮子は視線を老人へと向ける。

 

 「あら、随分丈夫なご老体ね。まぁ、か弱い女子大生のドロップキック如きで、怪異が倒されちゃったら興覚めもいいとこだけどね……」

 

 「か弱い女子大生はドロップキックを放たないのよ、蓮子……」

 

 推定人外である老人に対し、蓮子は尚も強気な姿勢を保つ。

 その図太さは驚嘆に値するものだ。

 

 しかし、それはさておいて、私は老人の打たれ強さに目を剥く。

 死んでもおかしくない衝撃だっただろうに、老人はけろりとした顔で杖を突き、立ち上がって見せた。目立った外傷もないようだ。

 

 「やっぱり、あなたは人外で間違いないみたいね。それで、貴方の目的は何なの?」

 

 警戒しながら、私は老人に問いかけた。

 物理的な攻撃の効き目が薄い以上、ここで老人に襲われれば、私たちはひとたまりもない。片足しかない分、機動力が低ければいいのだが。

 

 私の言葉に、老人はくっくっくと、漏らすような笑い声をあげる。

 こちらを嘲る態度が、並々と伝わった。

 

 「ふむ、こちらのお嬢さんは普通のようじゃな。しかし、そんなに警戒しなくても良い、既に手遅れじゃからな……」

 

 「手遅れ?」

 

 「左様。こちら側に渡ってしまった以上お嬢さんたちの結末は決まっておる。皆残らず――わし等の腹の内に納まるのじゃ」

 

 笑う老人の口から、人のものではない鋭い牙が覗いた。

 黙り込む私と蓮子を見て、老人が更に愉快そうに口元を歪める。

 

 「どうした? 恐怖のあまりに言葉も無いか?」

 

 私と蓮子は互いに顔を見合う。そして、老人へと向き直り、

 

 「「――いや、別に」」

 

 図らずも私たちの声がぴったりと重なった。

 老人の顔が唖然としたものになる。

 

 「――な、いや、嘘をつけぃ! 喰われると聞いて恐ろしくないものか‼ 脅しじゃないのだぞ‼」

 

 焦った顔で老人が唾を飛ばす。

 別に、私たちとて恐れが無いという訳では無かった。当たり前だ。死ぬのが怖くない生物なんていない。もし居たら、それは何らかの疾患を抱えているに違いない。

 

 私たちは人並外れた好奇心の持ち主ではあるが、病んではいない。至って健康な女子大生だ。最近ちょっと甘い物を食べ過ぎて、脂質が気になり始めているけれど。

 まぁ、今はそんなことどうでもいい。

 私が、そして蓮子も恐らく同じ感想を抱いたのだろうが。

 

 「何か、あまりにも予想道理過ぎてつまらないっていうか……」

 

 私の言葉に蓮子も頷く。

 

 「メリーの言うとおりね。きさらぎ駅の怪談って、駅に辿り着いた者が辿る結末のミステリーさが大部分を占めてるし。安易な解は冷めちゃうのよね……」

 

 口々に言う私たちに、老人が目に見えて狼狽を見せた。

 本人にしてみたら、出鼻を挫かれたうえに、伝家の宝刀(脅し文句)すら不発だったのだ。たまったものじゃないのだろう。

 そう考えると、少し気の毒に思えなくもない。

 無論、自分たちを喰らおうとする化け物に同情する必要など露ほどもないのだが。

 

 しかし、行先の分からない列車の到着地がきさらぎ駅で、人食いの怪物が住まう場所なのだとすれば、大きな疑問が残る。

 蓮子の祖母が残した手記の記述と、辻褄が合わないのだ。

 思い返せば、線路トラブルで列車はこの駅にしばらく停車することになったようだが、ならばあのまま辛抱強く待っていれば、いずれ幻想郷に辿りつけたのだろうか。

 いや、それは無いだろうと、私はかぶりを振った。

 

 「一応確認するけど、あの列車って罠みたいなものよね。線路トラブルってのは本当のことだったのかしら?」

 

 私の問いに、ようやく老人は元の落ち着きを取り戻したようで、最初に出会ったとき同じように、陰険さをにじませた表情で大仰に首を縦に振った。

 

 「左様、あの列車は各地の駅を巡り、お前たちのような哀れな贄をこの地へと運びこむ」

 

 「……そう。じゃあ、外れなのね、幻想郷の手がかりが掴めると思ったのだけど……」

 

 老人の言葉に私はがっくりと肩を落とした。蓮子には悪いが、どうやら手記の内容は間違っていたらしい。

 ため息を吐いて、私は何気なく老人へと目を向けると、

 

 「――な、お前ら、一体どこでその名前を……」

 

 その顔は驚愕で見開かれていた。

 私と蓮子はすかさずアイコンタクトを取る。

 間違いない。この老人は幻想郷のことを知っているのだ。

 蓮子が飛びつくように質問を投げかける。

 

 「知ってるのね! 数多の人外たちが暮らすという異界のことを! だったら話は早いわ。教えてよ! 私たちのこと食べる気なんでしょう。なら冥土の土産として構わないから‼」

 

 「そうね。私たちを殺す気なんだから、それくらいはかまわないでしょう」

 

 すかさず私も加勢する。この老人から逃れる手も考えなければならないが、それよりも、目の前に転がった謎の手がかりへの関心が勝った。

 老人は、まるで狂人でも見るかのような目で私たちを睥睨して唸る。

 問いに答えてよいものかどうか、決めあぐねているようだった。

 

 「……いや、駄目じゃ。少々お前らを侮っておったわ。こちら側の知識も、それなりに蓄えておるようじゃしの……もう会話にはのらん。八つ裂きにしてくれる」

 

 静かな声で言い放ち、老人が一歩前へと進み出た。

 まずい、この流れは最悪だ。

 人外相手に対抗する手段など、私たちはもち合わせていない。

 だが、片足の老人相手なら全力で走れば逃げ切れるかもしれない。

 そんな私の淡い期待は、その直後、音を立てて変貌する老人の姿に打ち砕かれた。

 

 「うわ、何かグロいわね……」

 

 隣の蓮子が能天気な感想を漏らす。

 その図太さを今は少し分けて欲しい。

 枯れ木のようだった老人の体は膨れ上がり、身の丈3メートルほどの筋骨隆々とした体躯へと変化を遂げた。

 

 その頭部からは、天を指す角が二本生えている。

 伝承に名だたる怪異――鬼の姿がそこにあった。

 

 鬼と書いて(きさらぎ)と読む。蓮子の話が思い出された。

 文字通り、きさらぎ駅とは、鬼が住む郷里の最寄り駅とでも言うべき場所のようだ。 

 大豆やイワシの頭を持ってくるべきだったかもしれない。

 

 「……流石に、この姿には恐れを成すようじゃの」

 

 鬼が笑みを浮かべ、もう一歩前へと踏み出す。先ほどまで、欠損していたはずの方の足で。これでは、逃げきる希望も薄いだろう。

 状況が状況だけに、蓮子も苦い表情を浮かべていた。

 万事休すなのか。

 どう考えても覆りようがなさそうな危機的状況を前に、私が言葉に窮していると、

 

 「――随分面白そうな話をしているじゃないか」

 

 あまりに自然体な、状況にそぐわない声が響いた。

 私たちと鬼の目が驚きに見開かれ、声の方向へと視線が集中する。

 蓮子の持つ懐中電灯に、人影が照らし出された。

 夜の闇に溶け込むような黒いフード、そこから覗く顔には見覚えがある。

 

 「幻想郷について、知ってることを全て話してもらおう。無論――力づくで」

 

 肩に一振りの木刀を担いで、青年――八雲零が不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 




 次でこの怪異には肩がつきます。
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