重桜
川崎市内
「母さん、まさか本当に来るとは思ってなかったよ。」
「アンタだけならまだしもエミリアちゃんまで狙われてるんだから仕方ないでしょ。それにユニオンでの活動も手詰まりだし。」
「ティルピッツさんもありがとう。わざわざ重桜まで。」
「気にしないで、ヨアヒム君。私の思うに、敵の狙いはあなただけではない。きっと戦友会全体が敵の攻撃目標よ。」
「敵の目標には我が落葉会も入っているかもしれません。此度は戦友会の皆様と連携が取れて幸いです。」
川崎市内のホテルの一室に、ヨアヒムとエミリアの夫妻、天城、比叡、オイゲン、ティルピッツが集まった。
出入り口には例の中尉が立ち、いつもは私有しているオンボロ軽自動車のトランクに載せてある在重桜ユニオン軍払い下げのM37散弾銃を持って椅子に座っていた。
あまりにも使用感のあるその散弾銃はティルピッツの不安を煽ったが、手渡したM92Mのみでは完璧と言い難いだけ口を閉じるしかない。
比叡は最新式の20式小銃を片手に中尉の向かい側で同じく警戒に当たっているので、その分ティルピッツは安心できた。
彼女達が話し合おうとしているのは敵の目的の分析と、重桜内における敵の発見、撃破についてである。
一連の状況を良く把握しているティルピッツが、まず最初に切り出した。
「まず、私たちが知っている最新の情報を伝えておくわ。36時間前、天城からの情報に基づいて私は直属の私兵をインビエルノの協力者と協同させ、プラタの海軍施設を攻撃させた。」
「…空振りだったのですね?」
「いいや、空振りどころか…大当たりという表現すら的確じゃない。」
…………………………………
30時間前
インビエルノ
大統領宮殿
かつて大統領宮殿といえば恐怖の象徴だった。
そこには冷酷無比なパラノイアの独裁者がいて、全ての処刑命令はここから発せられていたのだ。
それも今では過去の話。
広大な施設には政府関係機関の様々なオフィスが入り、健全な行政組織の本拠地として機能している。
軍の統合作戦本部作戦室もそのうちの一つだった。
退役の身から再び駆り出された同志アマンダは、年季の入ったベレー帽を被って今はその部屋にいる。
「じゃあ、なんだい?…プラタはあのイカれた国王が鉄血の戦犯を出汁にして手に入れた核開発資材をいまだに持っているって事かい?」
「正確には持っていた、と言うことになります。連中がコルキスタンに運ぼうとしていたのは毒ガスの製造設備なんかじゃない。」
ウガルテ海軍長官は人好きのする笑みで有名だが、今はもう笑っていない。
真剣そのものの瞳の奥には、この状況への危機感が募っていた。
「…プラタ軍事政権にとって、ユニオンは冷戦終結と同時に同盟国でもなんでもなくなった。彼らは自身の体制がユニオンの標的になることを見越して北方連邦に乗り換えたんです。しかし、北方連合崩壊直後ではその力も脆弱でした。連中の目的は北方連邦による軍事援助ではなく、ある器材の復元だったのです。」
「王政時代に持ち込まれた核開発資材を北方連邦の技術で復活させたってわけかい。」
「それどころか複製まで行って、コルキスタンに輸出した。何回かに分けて、ね。連中は周到で資材の存在を完全に秘匿し、尚且つ核開発までは行わなかった…あくまで"準備"の段階に留めていたんです。」
「コルベット一隻を沈められて戦車と装甲車まで失ったのに、アイツら未だに抗議文すら送ってこない…妙に静かだと思ったんだ。」
「軍事政権はこの件を"なかったこと"にするでしょう。あれだけの被害を与えても尚、存在の秘匿を優先するかと。」
「北方連邦への復讐に燃えるコルキスタンが核を手に入れればどうなるか、いやでも分かる。連中は積年の恨みを晴らすだろう。…目録がまだ残っていたということは、資材はまだ…少なくとも最後の便はコルキスタンに到着していないはずだ。」
「恐らくは大西洋のどこか、ということになるかと。…プラタ軍事政権は先月、北方連邦の対鉄血戦勝記念行事に艦隊を派遣すると声明を出しました。プラタ海軍の艦隊は既に出航し、経由地である黒海に向かっている。コルキスタンもまた黒海に面していますから、限定的な量であれば資材の受け渡しは可能でしょう。」
「何回かに分けて運んでいたなら、その限定された輸送量でも事足りるだろう。…黒海に入れば連中は北方連邦のテリトリーに入ってしまう。北連に使われる核の開発資材が積まれていると我々が声高に言ったところでモスクワは信じない。」
「ええ、プラタと北連を切り離す材料に利用しようとしていると考えられてしまうでしょう。…地中海という手もありますが、そちらは目立ち過ぎる。」
「なら、やはりプラタの艦隊が大西洋洋上にいる内に叩かなければならないね。」
「同志、問題はアプローチです。プラタ艦隊の
おおよその位置は分かりますが、通常の艦艇では連中に追いつけない。航空母艦があれば理想的ですが…」
「…そんなものを私達は持っちゃいない。ボイシなら追いつけるが、その場合は」
「ええ、彼女の火力だけでは不足します。プラタ艦隊の編成は鉄血製の駆逐艦1隻、フリゲート3隻、それに潜水艦2隻が同行しています。…更に言えば、この艦隊に核開発資材が載せられていることを証明する必要がある。」
「つまりは艦内制圧訓練を受けた高度な特殊部隊が何個チームか必要になるんだね…参った、ウチの海兵隊には荷が重い。」
「援護は可能でしょうが…臨検にはやはり戦友会のチームが必要になるかと。」
「やれやれ…この作戦をやり遂げるなら現代海軍の1艦隊を止められるKANSEN艦隊と、高度に訓練された臨検チーム、それにそのチームを輸送する潜水艦が必要になる…私達には高嶺の花だが…こんなモノを揃えられる連中は」
「戦友会なら可能でしょうな。」
ああ、確かにその通り。
戦友会連中なら可能だろう。
そうは思いつつも、アマンダにとってはこの事態自体が不自然なものに思えている。
プラタは北方連邦の手を借りて核開発資材を修繕した。
その資材を、核を使って北方連邦への報復を夢見ている連中に売り渡すのは利口と言えない。
北方連邦との同盟関係はプラタの硬直した軍事政権にとって頼みの綱となっている。
そんな相手との関係が冷却化することほど致命的な問題はないだろう。
プラタの連中に、それほどのリスクを背負ってコルキスタンに核開発資材を送る理由が分からなかった。
ふと大昔に聞いた与太話がアマンダの頭をよぎる。
アマンダがまだ若かった頃、プラタの国王は既に核兵器を保有していた。
しかしいざ使用する段階になったという時に、その核兵器は綺麗さっぱり消えていたという。
誰かが破棄したわけでも、ましてや使用したわけでもない。
"誰か"がこっそりと持ち出したというのが、与太話の結末だった。
今でもアマンダはその与太話を鼻で笑っているが、しかしプラタ軍事政権の不可解な行動はその態度を揺るがせるだけの成分を含んでいた。
もしかしたら"誰か"が…プラタ国王の核兵器を持ち出したような"誰か"が、裏で糸を引いているのかもしれない。
「考えすぎだよ、アタシらしくもない。」
アマンダは独り言を言いながら、再び海図と向き合った。
プラタ艦隊の予想位置は、南方大陸よりはエウロパ大陸の方が近いというくらいの両者の中間位置である。
時と共にこの艦隊はエウロパ大陸に向かっていくから、アマンダの手元にある戦力でこの艦隊に追いつけるのはボイシだけということになろう。
他方、戦友会連中はエウロパ大陸を本拠にしているから、比較的対処は容易になるはずだ。
「ウガルテ長官、戦友会に我々が掴んでいる情報を全て送りな。後は彼らに任せるしかない。それと、ボイシ!すまないが連中を少し手伝って来てもらえるかい?」