サディア
サディアは大戦末期の泥沼の内戦を潜り抜けて、共和政という安定した民主主義政権を手に入れた。
サディアの統一から大戦までを導いた王家は廃位され、ファシストの指導者は処刑されたが、それでもサディアの政治事情の"おおらかさ"には驚かされる。
あろうことが内戦の末に見出されたサディアの共和政には、ファシストや共産主義者の後継団体が今も何食わぬ顔で参加しているのだから。
言い方を変えれば、サディアの共和政は真の意味合いで包括的であった。
そもそも、かのファシスト指導者の政権にさえ共産主義者の閣僚がいたのである。
ナチズムを完全に排除した鉄血や、戦後冷戦の最前線となった重桜では考えられない事だが、サディアはそれを成し遂げていた。
そんなサディアの穏やかな午後、首都の街角では1人の女性がカフェテリアの営業を再開しようとしていた。
彼女はアイリスの出身で、サディアに来た頃はまだ現地の食事情には疎かった。
食事となると何かと攻撃的なサディア人を相手にカフェを開くと言った時、出資を頼み込んだ人物からはあまりいい顔をされなかった。
「だって、あなた?まだサディアに来たばかりではありませんか。もう少しここでの生活に馴染んでからでも遅くはないのでは?」
忠告は完全に杞憂だった。
女性はサディアの首都の一等地で自らの腕前を振るい、それはサディア市民に歓声を持って出迎えられたのだ。
彼女は大戦後の荒廃から立ち直ろうとしていた時代から今に至るまで、ありとあらゆる人々に癒しを提供している。
現に今、そのカフェの一角で猫を抱き上げている記者も存分に癒されていた。
「んん〜!…やっぱり猫は癒されるわ!」
「その子ったらあなたに懐いて仕方ないのよ、アルジェリー。何なら飼ってあげてくれない?」
「ダメよ、ダンケルク。私は今でも"現役"のジャーナリストなんだから。いつ戻れるかも分からないのよ?…それにアパートはペット禁止だし。」
旧ヴィシア海軍のKANSEN、『アルジェリー』は、かつて南方大陸の独裁政権の悪行を暴いた事で名高い。
東西冷戦に明け暮れ、いつしか他の国を駒として見るようになった人々に、その"駒"の実情を伝えることで冷戦雪解けの端緒を作ったと評価する人々もいる。
彼女は元KANSENのジャーナリストとして、もはや一般の世に認められた存在だった。
共に独裁者の悪行を暴いた夫・パスカルには先立たれたが、彼女は身体の限界が来るまでこの仕事を続けるつもりでいる。
ただ、あまり有名というのも困るという物で、彼女はつい先日東煌国内の人権状況について取材を試みたものの、北京の空港でパスポートを突き返されて入国拒否とされたばかりでもあった。
猫を抱きながら東煌政府からの冷遇に意気消沈する彼女に、かつての戦友たる『ダンケルク』がカフェ・オ・レを差し入れる。
彼女からするとアルジェリーの試みこそ無謀に等しい行為に思えていた。
「有名になり過ぎちゃったわね、アルジェリー。私も東煌の入国検査官だったら、あなたを冷遇したでしょうから。」
「………」
「そう落ち込まないの!…そろそろ、あなたもゆっくりした生活を考えてみたらどう?"真実の探究"で命を落としたりしたら、それこそパスカルは悲しむわ。」
「確かに、そうかもしれないけど…誰かが真実を伝えない限り永遠に闇に葬られてしまうのも事実よ。…見てなさい、今度は陸路で侵入してやるんだから。」
「はぁぁぁぁ…何の話かと思えば、相変わらずねアルジェリー。」
2人のアイリス艦の話に、1人のサディア艦が割り込んだ。
「『ザラ』!…あなた、久しぶりね。」
「ええ、あなたも久しぶり。…何度も言うけれど、自分の命は大切になさい、アルジェリー。パスカルと結ばれた頃、わざわざ"条約型重巡として最優の私の方が長生きするわ"なんて手紙送ってきたの忘れたの?」
「うう…そのことにはあまり触れてほしくないわね…」
「うふふ!一本取られちゃったわね、アルジェリー。…さて、ザラ?いらっしゃい、ご注文は何かしら?」
「……はぁ…"マッチャ・フラペチーノ、シャルドネスペシャル"で。」
ダンケルクが再び"休業中"の立て札を立て、3人のKANSENはカフェの奥にある密室に移動した。
アルジェリーはいまだに猫を抱いているが、表情は真剣そのもの。
ダンケルクもザラの話に集中している。
「………ねえ、思うんだけど、あの合言葉はそろそろ変えない?"マッチャ・フラペチーノ"はギリギリわかるけど、"シャルドネスペシャル"っていったい何なの?」
「合言葉はいいから本題を聞かせてちょうだい。」
「分かったわ。…ティルピッツから依頼があった。北方連邦の軍事式典に参加予定のプラタ海軍、その艦隊の中に大量破壊兵器製造設備を積載した輸送艦があると言う情報があったわ。その臨検を手伝って欲しいそうよ。」
「正気?プラタ軍事政権の腐敗具合は知ってるけど、相手は一応国連加盟国よ?」
「プラタはどんな手を使ってでも核開発を隠し通すつもりらしいの。戦友会は調査の過程で既にプラタのコルベットを1隻沈めているけど、それはあなたも耳にしていないでしょ、アルジェリー
「ちょっと、待って。プラタはコルベットを沈められたのに声明すら出していないってこと?」
「ええ、ダンケルク。連中は戦死したコルベットの乗員よりも秘密の秘匿を重視した。…このことからもかなり確度の高い情報だと判断できるわね。」
「それで…もしそうだとしても、どうやって艦隊を止めるつもりなの?…私達だけで艦隊を止められるとは…」
「ほらやっぱり。あなた達昔の癖が抜けてないのね。自分たちが参加することは前提で話をするんだから。」
アルジェリーもダンケルクもハッとした。
大戦はもう遥か昔に終わったというのに、任務の話となるとすぐにのめり込んでしまう。
「まずはあなた達の参加意思を確認したいの…この作戦は言うまでもなく非公式のもの。あなた達は存在しない海上戦力、よって戦死時の扱いも事故死と偽装されるわ。…といっても、考えを変えそうには見えないけど。」
「私のお店を開く時、戦友会は手を尽くしてくれたわ。今度は私が尽くさないと。」
「聞くまでもないでしょうけど、私も参加するわ。…軍事政権への痛手にもなるでしょうし。」
「ガスの時の事まだ引きずってるのね、アルジェリー…まあいいわ。ロイヤルとインビエルノからも1名ずつ参加する予定よ。」
アルジェリーはふと首を傾げる。
ロイヤル?
あまり良い思い出はしなかった。
トゥーロンの港で、ロイヤルはあまりにも理不尽な要求を彼女達ヴィシア艦に突きつけた。
ヴィットリオ・ヴェネトの戦友会が助けに来なければ、今頃海底の残骸に成り果てているはずである。
それはさておき。
戦友会はいつのまに旧アズールレーン勢力とも連絡を取り持つようになったのだろうか。
戦力が多いのに越したことはないが、組織の実態としては少し気にかかる部分がある。
アルジェリーの様子に気が付いたのか、ザラが付け加えた。
「冷戦も終わって、戦友会も秘密のベールを緩めつつあるの。と、いっても実際にはメンバーの多くが亡っていっているから、相互援助の輪を広げようって話。援助を得られる範囲が広がる利点もあるけど…」
「情報が抜ける可能性も高くなる…まあ、でも、ティルピッツが情報の統制を行っているうちは大丈夫でしょう。」
戦友会会員の多くがそうである通り、アルジェリーもティルピッツの能力を深く信頼している。
そもそもジャーナリストになる、などという突拍子もないアルジェリーの目標に手を貸したのはティルピッツだった。
北の女王の援助がなければ、パスカル共々アイリス国営通信社にネタを売ることなどできなかっただろう。
「よし、役者は揃ったわね。軽巡級KANSEN2隻、重巡級KANSENが
「ちょっと待って、重巡級KANSENが
「あら?以外だった?私も作戦に参加するのよ?」
「ザラ、あなた大戦の時に大怪我負ったはずよね。」
「あれから何年経ったと思ってるの?…それに、確かに今は教会の"シスター"だけど、プラタ軍事政権は国内の教会を弾圧してるのよ?戦わない理由にはならないでしょ?」
「ふふっ、なるほど。そうね、ザラ。なら…ちょっと競争してみない?」
「全く、あなたったら本当に変わらない!」
「それはお互い様よ、ザラ」
かつてのライバルはそう言いあいながらカフェを後にする。
大戦以来何十年ぶりの"実戦"だが、アルジェリーは難なくやれると確信を持っていた。
かつて死闘を繰り広げたライバルが、今は隣にいるのだから。