記録によれば比叡は大戦中に沈んだ事になっている。
それが今も生きていて、天城の部下として働いているのは記録と真実が異なっていたためだ。
艦隊の司令官が彼女の雷撃処分を決めた時、比叡はまだ生きていた。
だが司令官は魚雷が命中して炎上した彼女の艤装を見て、比叡はもはや死んでいると判断したのだ。
重桜海軍はこの段階で、プロパガンダに強いユニオンに主力艦の惨たらしい死体を晒すという真似をしたくなかったのだろう。
かつて"御召艦"として栄誉を誇ったKANSENが力無く海に漂う姿ともなれば、復讐に燃えるユニオン国民にとって士気高揚の格好の材料となる。
彼女の雷撃処分を行った翌朝、重桜海軍は沈没した比叡の姿を確認することができず、彼女は亡くなったものと判断した。
しかし実際には、比叡は助け出されていた。
それは重桜海軍によってではなく、
彼女の艤装は海底の底に沈んでいったが、気を失っていた彼女自身の方はユニオン海軍の通常駆逐艦によって保護された。
目覚めた時、彼女はユニオンの衛生兵によって手当てをされていたところで、彼女はユニオンの宣伝材料に使われることを予期して嘆いたものだ。
しかし、当時のユニオン海軍艦隊司令官スプルースは比叡にそんな恥辱を求めはしなかった。
通常の戦争捕虜として扱い、手当をし、食事を与え、軽作業に従事させたのだ。
彼女はユニオン本土に移送され、最初に尋問があったものの、国際法に則り名前と艦級、識別番号の他を話そうとしない彼女に危害を加えるものもいなかった。
"海の男"として、誠実さに定評のあるスプルースが彼女達KANSEN捕虜の扱いに気を回していたことを、比叡は後に知る。
彼女はユニオン本土の捕虜収容所で終戦まで過ごし、そしていつもと同じように収容所で自ら耕したトウモロコシ畑の収穫をおこなっていた時に祖国の敗戦を知った。
自らがまだ息をしていた時に雷撃処分を受けた事に、比叡は怒っていなかった。
彼女の遺体を敵前に晒したくないという艦隊司令官の意図を理解していたからだ。
だが祖国とは違い何らの脚色もなされていないユニオン側の戦況情報を得ていた比叡にとってそれは当然の帰結のようにも思え、そして憤怒というよりかは徒労感と虚無感に襲われた。
赤城と加賀が沈んだ時点で、比叡は敗戦を予感していたのだ。
それは虎の子空母の撃沈という、単に大きな戦力を失ったことが原因ではない。
問題は失い方だった。
艦隊司令部は敵の空母を攻撃すべきか、それとも陸上航空基地を攻撃すべきか迷いに迷い、逡巡しているうちに空母は急降下爆撃機にやられてしまった。
上層部は情報を適切に処理できなかったのだ。
決定が遅延する間にも状況は変化し、取り返しのつかないことになるまで判断を右往左往させていた。
それどころか陸軍と海軍は互いにいがみあい、戦果を誇張して発表し、あろうことか気まぐれのようにそれを本気で飲み込むといった芸当まで見せている。
ユニオンにいて正確な情報を掴んでいた比叡は、祖国の劣勢を知っても何故か歯痒さのようなものさえ感じることができなかった。
戦争が終わり、比叡は捕虜収容所から解放される事になった。
比叡は帰国について存分に悩む事になる。
このまま生きて帰ったとして、重桜の国民は比叡を受け入れるだろうか?
「負けたくせにおめおめと帰って来やがって」…そんな心無い言葉をぶつけられる気もしないではない。
いっそユニオンに残って余生を過ごすことも考えた。
だがここは比叡の国ではないし、この国の懐の広さが彼女を受け入れたとして、それは単に温情によるもので彼女が居場所を獲得した事にはならない。
収容所と同じ、"施し"と大差ないようにも思える。
それなら自死でもと考えた矢先、かつての同胞からの連絡を受け取った。
天城…重桜海軍きっての策士は比叡のためにわざわざユニオンまで足を運んできたのだ。
「大戦の敗因は、情報の欠如にあります。"能く上智を以て問者と為し、三軍の恃みて動く所なり"…しかし重桜海軍は情報の使い道を理解できていなかった。」
「………」
「あなたの姉妹艦達は本当に残念でなりません。あなたにも"生き残ってしまったこと"への罪悪感があることでしょう。…だからこそあなたには命を賭してこの国を守ろうとした彼女達の意思を受け継ぐことができるのです。」
「…重桜は戦争に負けました。これ以降ユニオンの傀儡としてしか生きていけないでしょう。私たちの知った重桜は…もう………」
「…確かに、私たちの知る重桜はもう戻っては来ないでしょう。しかし。重桜は必ず復興します。かつて維新を成し遂げた国民達が、別の形で重桜の栄誉を取り戻すはずですわ。」
「………」
「あなたの言う通り、重桜はユニオンの影響下に置かれるでしょう。しかし世界はユニオンの物にはなりません。彼らはもう一つの勢力と対峙する事になる。」
「もう一つの勢力…?」
「はい。北方連合の共産主義とユニオンの資本主義は決して相入れるものではありません。世界は2つの陣営に分かれて対立する事になるでしょう。重桜は…その最前線に立たされる事になります。」
「そんな…ではまた戦争に…」
「させません!何としても…私はこの国が再び戦火に包まれることを防ぎたいのです。」
「………」
「要は"情報"です。北方連合とユニオンの勢力は互いに強大で拮抗していますわ。ですから、この新しい時代には情報による新形式の戦争が始まるのです。…かつて私達は情報によって敗れた…同じ轍を踏むのは愚か者のすることです。私達がチカラを合わせれば、きっと…もう
「……名は?」
「はい?」
「その組織の名前は…何と言うのです?」
「『落葉会』…
「…ふふっ…とても素敵です。」
…………………………………
実際には、落葉会の活動は情報活動のみに止まらなかった。
東西冷戦の最前線に立たされた重桜を守るために、天城や比叡はありとあらゆる活動を行なってきた。
時にはユニオンの中央情報局と協力し、時には北方連合の国家保安委員会と取引し。
そうして冷戦の微妙なバランス・オブ・パワーの中で、重桜の立場を守るのに様々な貢献を行なってきたのだ。
冷戦は過去のものとなり、落葉会のメンバーも戦友会のそれと同じように年々減っている。
しかし情報網は戦友会のそれに引けを取らないほど保全されているし、冷戦後に勢力を拡大させてきた東煌への活動は継続していた。
こうした活動の中で、落葉会にとっても戦友会にとっても、互いの協力は非常に有益なものであった。
今回の任務もその一環である。
ミトロヴィッチは一言も喋らずに自害したが、天城にとってはそれも織り込み済みのことだった。
彼女は重桜財政界に巡らせた独自の情報網を駆使して既にミトロヴィッチのカービン銃を輸送した連中について調べ上げている。
「………調べたところ、北方連邦系の犯罪組織に関わりがあるようですわね。」
「国家保安委員会絡みでしょうか?」
「いいえ、比叡。北方連邦にも、かつての国家保安委員会にも、新婚夫婦を狙う利益はありません。」
「なら、なぜこのような依頼を?」
「気にかかる事がいくつかあります。…戦友会によると、あの夫婦と血縁関係のあるメンバーも襲撃されたようですが…こちらは素人による襲撃だったそうです。対してミトロヴィッチはプロの狙撃手。元KANSENに素人をぶつけ、その家族にプロを当てる目的がわかりません。」
「普通は逆のことを考えますね。」
「はい…何か、こう…そこはかとない悪意を感じます。」
きっとこの件を発案した人物は…それが何者であるにしろ…標的になった戦友会のメンバーを揶揄うかのような目的で行ったように思えた。
実を言えば天城も戦友会も、襲撃者の依頼元まで辿るのにそんなに苦労をしていない。
その上戦友会のメンバーの正体を知っていて襲撃を依頼したとすれば。
この件の立案者はこちら側を誘き出していると考えるのは、決して行き過ぎた感想とは言えないだろう。
どうにも胸糞が悪い。
そんな汚い言葉は普段決して使わない天城だが、心の内では自然とそう呟いていた。