ユニオン
フロリダ州マイアミ
この地域の北連系犯罪組織を取り仕切っているのはアブラモフという還暦近くの大男で、この男も例に漏れずかつては国家保安委員会に所属していた事がある。
事務所は自身が率いる犯罪組織が経営するナイトクラブの上階にあり、この日もアブラモフは額の大汗を拭いながら自らのデスクに座った。
デスクの背後にある小型の冷蔵庫から冷えたウォトカを取り出すと、キャップを開けてショットグラスにそれを注ぐ。
その行為自体は過去何度もやってきたことだが…この日はいつもと違ってボスから無茶苦茶を言われた後だったので気が滅入っている。
曰く、どうやらアブラモフの配下が攻撃を受ける可能性があり、彼はどこからともなく湧き出るであろうその脅威にソツ無く対処しなければならないようだ。
勘弁してくれ、ゲリラみたいな連中を相手にするのはアレが最後だと思っていた。
まだ国家保安委員会に配置換えされる前に、アブラモフはかつて祖国が傾く原因となった局地での戦争に従事していた。
その戦争では山や、谷間や、村の井戸といったありとあらゆる場所からAK47を担いだゲリラが溢れ出て来て、若き日のアブラモフは何度寿命を縮めたかわからない。
ボスはそのスケールダウン版をフロリダでやれと命じている。
まだボスだけならなんとかなったかもしれない。
アブラモフはそう思い返しながら2杯目のウォトカを飲み込む。
液体の炎を食道へ通しながらも、何故我らが同志ログネンコまでもがボスに重ねて依頼をしてきたのか想像もつかないと思った。
ログネンコは常に先手を打つことを望む。
敵の攻撃に直面するようなら、進んで出て行って野外で潰すことを好むような人物だった。
相手でフロリダでアブラモフに喧嘩を売ろうなんて考えるような輩なら、尚のことこちらで待っている必要はない。
だがログネンコとボスはアブラモフに出て行って戦うのではなく、待ち伏せを望んでいる。
つまりこれは本来のログネンコのやり方ではない。
恐らくはきっと誰かの意図を汲んでいる。
それは北方連邦の大統領だろうというのがアブラモフの推測だった。
ただそれでもアブラモフは完全に納得していない。
ログネンコには想像を絶するような人脈や財力といった資源があり、やろうと思ったことの大抵はやる事ができる。
相手が大統領だろうと自分のやり方までは口を出させないだろう。
じゃあ、いったいそいつはどこの誰なのか?
こうなるとアブラモフにはもう分からない。
3杯目のウォトカをショットグラスに注ぎながら、アブラモフは自分のオフィスから見下ろせる眼下のダンスフロアをチラリと見遣った。
警備は普段の倍にしてあるが、攻撃への待ち伏せを指示しておきながらもボスは勤務怠慢を許さない。
ダンスフロアは客で満杯だし、危害を加えようとしている人間がいたとしたら簡単に紛れ込めるだろう。
ただし、それは敵が1人で乗り込んできた場合に限る。
ここの客や周辺の住民はナイトクラブの経営者がどういった人々なのか知っていた。
AK47を持った男達相手に単独で乗り込むなど…アクション映画の見過ぎにも程がある。
アブラモフは3杯目のウォトカを仰ぎながらも、眼下のダンスフロアを見てこう結論づけた。
きっと敵対組織の内のどれかがピックアップトラックで乗り付けてきて、サブマシンガンをドライブバイ射撃して行くような話なのだろう。
ボスはログネンコからその情報を得て、寧ろ敵対組織を潰すための口実を作ることにした。
だから注意を向けるべきは"内"ではなく"外"だ。
こんなところに、あの忌々しい局地にいたようなゲリラの類は現れない。
…………………………………
酒を愛するオイゲンだが、ダンスフロアはあまり好きではない。
飲んで楽しむのならバーかパブの方が好きだった。
初めてハンスとデートしたのはバーだったし、彼女はかなりの酒豪だったが、単にアルコールを流し込んで馬鹿騒ぎするような場所に縁はなかった。
だから目立たないようナイトクラブに潜り込むような服は持っていなかったし、その為にティルピッツと新調に行かなければならなかった。
彼女の手元には品があるようなものしかなく、週末の夜のどんちゃん騒ぎに行けるようなものがなかったのだ。
とはいえティルピッツもネオンとは縁がなく、結局オイゲンはどこか安っぽいレザー調のものを着ている。
オイゲンの趣味ではなかったが、ナイトクラブに難なく入れたところを見るに目的には十分のようだった。
表でボディチェックを行なっていた警備員は特に注意する事なくオイゲンを通す。
しかしながら表の通りにはあからさまな黒いバンが並んで路上駐車してあり、敵が何らかの情報を事前に入手していることを雄弁に物語っている。
豊かなプラチナブロンドの髪で隠されたヘッドセットで、オイゲンはティルピッツに連絡を取った。
「これがアンタの言う待ち伏せなら、肩透かしも良いところね。他に罠の予兆はある?」
『いいえ、今のところは。でも油断しないで。あなたは今艤装をつけていない。』
KANSENは今でも軍務に服しているが、オイゲンの"後輩"達は休養の時に陸で外出するために護身用として極めて軽量な艤装を支給される。
それは近年導入された最新鋭の技術であり、目的は工作物やテロによるKANSENの喪失を防ぐことにあった。
KANSENは所属する勢力にとっての守り神。
故に陸上でそれを暗殺したとなれば敵国の大戦力を安価な方法で倒した大戦果であり、テロの場合は復讐相手の威信を地に落とす事ができる。
それ故現代のKANSENは陸にいる時そう言った装備を目立たない形で装着している事が多いが…今夜のオイゲンはそうではない。
いくらKANSENでも生身では、最悪の場合命の危険もある。
しかしオイゲンはこれに関してはあまり心配していない様子だった。
彼女は今やナイトクラブのカウンターバーに腰を下ろし、ダンスフロアではなく上方の様子を伺っていた。
上階には会場内を見下ろせる窓があり、1人の男がショットグラスを片手にダンスフロアを見下ろしている。
モスコミュールを注文し、グラスを傾けながらそちらを観察していたオイゲンは再びヘッドセットでティルピッツに呼びかけた。
「………ところで、ここの支配者の名前は…アブラ………」
『アブラモフ。元国家保安委員会所属。今は犯罪組織の管理職ね。』
「なるほど…少し質問をしに行きましょう。」
オイゲンはモスコミュールの最後の一滴を飲み干すと、その美貌にも関わらず、誰にも気づかれることなくカウンターを離れた。
…………………………………
ボディチェッカーはこんな忙しい週末の夜でも手を抜かなかったが、流石にオイゲンの豊満な谷間まで調べはしなかった。
あろうことか、オイゲンはそこにコンパクトモデルのP30SKとサプレッサ、予備弾倉一本を隠し込んでいた。
ダンスフロアを抜けて管理者用のドアを抜けると、オイゲンはP30を取り出してサプレッサをつける。
予備弾倉を含めても弾薬は20発しかないし、できる限り銃撃戦は避ける必要があった。
故に人影を避けるようにして上階を目指していたが、途中で違和感に気がつく。
犯罪組織の支部の事務所だというのに、内部の警備は驚くほど少ない。
オイゲンは物陰に隠れて思考を巡らせたが、やがて内部とは比較にならないような表の警備状況から、アブラモフは恐らく敵対犯罪組織による攻撃だと思い込んでいるのだろうと結論付ける。
敵の情報網がオイゲンのことをどれだけ嗅ぎ付けているかは分からないが、彼女にとっては天の恵みとも言えるほど良い状況だ。
その後も油断をせず慎重に立ち回ったおかげで、彼女は簡単に上階へとたどり着く事ができた。
ナイトクラブの事務設備は大きくないどころか質素なもので、オイゲンは容易に先程ダンスフロアを見下ろしていた男がいると思しき部屋を特定できる。
部屋の前まで音を立てないように警戒しながら進み、ドアに張り付いて中の様子を伺う。
どうやら部屋の中ではここのボスとその部下2人が話し合っているようで、オイゲンは耳をそば立てた。
「無駄ですよ、ボス。いつまで待ったって攻撃はありません。兵隊を動員するのはボスの権限ですが、1時間ごとに金が消えていることを忘れないでください。」
「しかし…ログネンコからの依頼だ。奴に背くわけにはいかん。」
「ログネンコさんの情報がガセじゃなかったとしても、連中が襲ってくる気なら1番のチャンスはもう過ぎています。この時間じゃあ遅すぎる。…ここ最近は抗争の原因もありませんが、もし襲ってくる算段だったとしても…何か向こう側で問題があったのでは?」
「………分かった。何かの間違いだったのかもしれん。あと1時間待って、何事も無ければ兵隊を下げろ。」
会話を盗み聞きしたおかげで、オイゲンは2つの重要な情報を得た。
1つはここの"兵隊"が緊張を張り詰めすぎて疲れ、中弛みしていること。
もう1つは、大切な息子を狙っているクソ野郎は"ログネンコ"という名前だということ。
オイゲンは"ログネンコ氏"について尋ねるため、サプレッサ付きの拳銃を前に突き出しながらドアを開けた。