重桜
首都郊外
「……ここなら安心して良いでしょう。重桜防衛軍にいる我々の協力者達も、この施設のことは知りません。」
重桜海上防衛軍基地での襲撃の後、ルートヴィヒ夫妻は首都郊外の落葉会セーフハウスへと移送された。
まさか敵が重桜防衛軍内部にまで浸透しているとは天城にとっても予想外だったようで、その悶々とした表情からそれが読み取れる。
セーフハウスには天城とルートヴィヒ夫妻の他に比叡と三笠、それに天城が直接連絡を取った重桜陸上防衛軍の下士官3名がいた。
3名とも信頼できる人物のようで、今は拳銃を片手に交代でこの敷地を警備していた。
ひとまずの安全は確保されたわけだが、それでも天城の表情は晴れない。
落葉会と海上防衛軍は戦後も深い関係を維持してきたはずだが、今回襲撃者達が易々とヨアヒムの下まで辿り着けたことを考えるに、内部には敵の協力者がいると考えた方がいいだろう。
しかし、襲撃に晒された以上の事を天城は心配しなければならなかった。
「………もし、敵が重桜海上防衛軍の内部に人脈を持っていたとしても…本当ならそれを使いたくなかったはずです。」
天城が茶を啜ってからそう切り出した。
それなりに情報機関での勤務歴があるヨアヒムには、その言葉の意味がよく分かる。
「敵はあの襲撃によって、僕やあなた達に警告を与えてしまったに等しい。あんな襲撃は協力者が海上防衛軍の内部にいると宣言するようなものだから。」
「…"あなたの職業には関係ない話"という考えは捨てねばならないかもしれません。敵はそれほどのリスクを承知の上であなたを狙ったのです。あなたのお母様の方はすぐに諦めたのに、あなた自身への攻撃は諦めるどころか情報源を危険に晒してまで続行している。」
「戦友会が目的ではないと?」
「いいえ、主目的はそれでしょう。あなたの抹殺だけが目的なら、わざわざお母様に手出しは致しませんわ。…しかし敵には高いリスクを承知してでもあなたを抹殺する事により得られる利益があるのです。そしてそれは…」
「恐らく僕の仕事に関係がある………うん…」
「…あなたには機密を保つ義務があります、ヨアヒム様。しかし敵の狙いが分からなければ、我々としても先手は打てません。無理強いできる立場にはありませんが…何か教えていただけることがあれば……」
ヨアヒムはしばらく考え込んだ。
結ばれたばかりの妻エミリアには、今日と昨日だけで2回も襲撃の憂き目に遭わせてしまっている。
もし自分が狙われているのであれば、敵は今後も狙い続けるだろうし、先手を打たない限り打開策は見出せない。
それに、天城はオイゲン"母さん"の組織と同盟関係にある組織のKANSENだった。
基地での襲撃は海上防衛軍の内部から情報が漏れ出ていた可能性が高いとはいえ、ヨアヒムが話す情報を防衛軍に流すようなヘマはしないだろう。
しかし、話すとしても何を話せばいい?
ヨアヒムは現在中東部門を外される直前で、次の任地は東アジア部門だった。
ミトロヴィッチは北連系組織からの依頼をよく受けていたことが知られているし、基地の襲撃で捕縛した殺し屋は北連マフィアの人間だと身元が割れたが…ヨアヒムが北方連邦から狙われる理由が何も思いつかない。
何せ、中東での相手はテロリスト、東アジアでは東煌であり、ヨアヒムと北方連邦には何の繋がりも…いや、待て。
考え込んだヨアヒムはあることに思い当たる。
それは"情報"と呼ぶには根拠があまりに不十分な内容だったし、ヨアヒムは重桜に赴任したらすぐにそれを調べるつもりではいたが、優先度は低く信憑性は薄いと見られていた。
だが、北方連邦と自分を結びつけられる線はその一本しかないと、ヨアヒムは断言できる。
だから彼はその事を、目の前の"母さん"の戦友に話す事にした。
「『コルキスタン』………」
「コルキスタン?……東煌の西、北方連邦の南にある国家ですね?」
「ああ。元は北方連合の構成国の一つに過ぎなかったが、連合の崩壊と共に独立した。北連から受けた過酷な支配がトラウマだったのか、西側との友好関係を模索していたが…やり方がまずかった。突然国内にユニオン軍基地を建設しようとしたものだから、北方連邦の侵攻を受ける事になった。」
「あの戦争自体は短期間で終わったはずです。国境地帯を爆撃されて、コルキスタン政府はユニオン軍基地建設を諦めた。」
「その上で北連に優位な条約を結ばされた。西側の安全保障体制に加盟できず、軍備にも制限を設けられている。…ここまで聞けば、もう誰も注意を向けたりはしないだろう。大国が暴力を振るって周辺国を従属させる…実によくある大国のエゴだ。ところが…」
「………?」
「…最近、中央情報局にある情報がもたらされた。情報というにはあまりに信ぴょう性に乏しく、僕が東アジア部門に移動した時に裏付けを取る事になると言われていたんだが………コルキスタン政府のユニオン軍基地建設を、モスクワの誰かが後押ししていたらしい。」
「!?」
天城が驚きの表情を浮かべたのも想像に難くない。
もし北方連邦が南の隣国に仇敵の基地を作るよう後押しするとしたら…その利益はなんであろうか?
ロマンチストはこう言うかもしれない。
モスクワ内部にいるコルキスタン出身者が旧構成国の祖国を思うあまり暴走したのだ、と。
しかし天城はロマンチストではなく、リアリストだった。
「…もしそれが本当だとすれば、北方連邦の侵攻と国境地帯での紛争は仕組まれていた可能性がありますわ。」
「北方連邦が本腰を入れた作戦にしては、あまりに小規模な戦闘に終始している…コルキスタン政府は紛争後も西側寄りの態度を崩していないし、コルキスタン大統領も変わっていない。北方連邦にしてはやけに"手ぬるい"。」
「"大国のエゴの被害者"を演じた事でコルキスタンは西側の信用を得ることができる…現にユニオン政府は条約範囲内で可能な限りの軍事支援を、重桜政府は公共事業開発を協力しています。」
「…もしこの情報が本物だとすれば……西側社会はとんでもない罠にハマっている事になる。ユニオンも重桜も、東煌や北連に対抗する上でコルキスタンの価値を重く捉えているからだ。」
「あなたはその情報の裏付けを行う予定だった………ヨアヒム様、もしその情報が本物で、私がモスクワにいるコルキスタンの黒幕なら………」
「その上で、それを把握していたとすれば…重桜内の資源を動かすだけの理由にはなるかもしれない。」
現実的に考えれば、コルキスタン政府内部に北連のシンパが潜り込んでいると考えた方が妥当なように感じる。
しかしながら、疑問点が払拭できたわけではない。
北連としても、たかが一介の情報部員のために政治的に高すぎるリスクをこうも簡単に考慮しないとは考えられないのだ。
もしヨアヒムの暗殺に北連の関与がある事を明かされれば、北連はユニオンに対して不利な立場に追い込まれる。
そのリスクを許容する理由がコルキスタンの偽装工作を守るためであったとしても、信憑性の低いと見做されている情報のためにここまで動く理由とは何なのか?
コルキスタンに"身売り"をさせてまで西側の信用を得たい理由とは…
「…私達の力だけでは、コルキスタンの件は深く追うことはできないでしょう。重桜とユニオンの両政府も、裏付けがない限りこの情報を元に動くことはできない。」
「先ほども言ったが、信憑性の低い情報だ。中央情報局の上司が僕に確認を求めたのも、事務的な手順の一つに過ぎなかったんだろう。…でも、僕が北連に狙われる理由があるとすれば、それくらいしかない。」
「両国の情報機関を動員できない以上、やはり"こちら側"で調べるしかありませんわ。…しかし…落葉会はコルキスタンで動かせる情報資産を持っていません。戦友会に問い合わせましょう。」
「………ユニオン軍基地建設よりは確度の高い情報だが、コルキスタン政府はユニオンの南…南方大陸と呼ばれる地域から"何か"を運び込んでいるらしい。」
「…"何か?"」
「ああ。軍事関連物資、と言うことだけは分かっている。……そうだ、"母さん"なら南方大陸に伝手があるだろう。戦友会に連絡して、そちらも調べてもらえないか確認してくれ。」
ヨアヒムとしては、自分の仕事に母親を巻き込むような事をしたくはなかった。
戦後永らく中央情報局に拘束されていたオイゲンは、南方大陸の独裁者に雇われるまで彼らから執拗な尋問と拷問を受けている。
息子がその仇敵の一員となる事には無論反対していたし、ヨアヒムが就職してから月日が経ってもあの組織への心情は変わっていないことが容易に想像できた。
しかし、今やヨアヒムは命を狙われている。
敵の先手を打つならば、母親の人脈に頼らざるを得なかった。