「ではまた後ほど!」
「はい、では。」
桐生院さんと同期同士で昼食を取りつつ、お互いの近況やトレーナーとしての情報交換を終え、自分のトレーナー室の前で別れた。
いやあ、実に有意義な時間だった。
さすが名門出身と言うか、彼女の意見からは長い歴史とともに積み重ねられてきた知見が垣間見え、さらに彼女自身もその膨大な情報をうまく担当のハッピーミークに最適化していることがわかった。
日常の様々な出来事をスカーレットのトレーニングに活かす柔軟性には自信があったが、それでも扱う情報量が桁違いのはずだ。
負けたくない。
改めて自分に火を入れる非常にいい機会になった。
さて、昼休みもそろそろ終わるし、午後からのトレーニングの準備に取り掛かろう。
スカーレットには既に一週間分のメニューを伝えてあるけど、昨日の様子も取り入れて少し内容を調整したい。
桐生院さんのお陰で気合も入った。
さあ、まずはスカーレットとの打ち合わせから始めよう。
そう意気込んでドアを開けると―――
「遅かったじゃない。」
仁王立ちで、目を細め、耳を後ろに絞った我が愛バと目が合った。
「遅かったって……まだ昼休み、終わる前だよ?」
「いいから、そこ座って。」
「ハイ。」
……どうも今日の彼女は虫の居所が悪いらしい。
どうしたんだろう、一体。
自分がソファに腰を下ろすと、スカーレットは対面に座った。
「……さっきの声、ハッピーミークのトレーナーよね?随分仲がいいみたいじゃない。一体何を話してたのよ。」
「あ、ああ。昼休みの時間を使って情報交換をね。同期だし、横の繋がりは大切にしないと。」
何故だろうか、本当のことを言っているのに言い訳をしているような気分になる。
「もし仕事で悩んだ時、最後まで頼りになるのは信頼できる同期や先輩だからね。それに知っての通り、彼女は名門の出身だろう?こちらが何を返せているかは分からないけど、話していると学べることが多いんだよ。後々スカーレットのためにもなると思う。」
「ふぅん……。」
「変わらず1番を取り続けるためにも、色んな視点が欲しくてさ。」
相変わらず耳は倒れたまま、紅い瞳がこちらをじろりと睨みつけている。
「じゃあ、最後に言ってた『また後ほど』ってどういう意味?もう十分“親密”になったみたいだし、トレーニングに対しても収穫はあったんじゃない?」
「えっと、今夜はトレセン職員を集めての飲み会があるんだ。さっき言ったように、横や縦の繋がりを強固にするためにも、こういったイベントへの参加は大事なんだよ。……スカーレットも特に親しいウマ娘以外や先輩、メディアなんかにはある程度気を遣ってるだろう?それと似たようなものだよ。」
「それはそうかもしれないけど……。」
それなりに理由を以て話したつもりだったが、納得がいっていないようだ。
一体何が不満なのだろうかこの子は。
会話の返しにも若干のトゲを感じる。
……もしかして私生活でなにかあったのだろうか?
それが自分の中でうまく処理できず、こうしてよく分からない反応として自分にぶつけてきているとするならば……トレーナーとして解決せねば。
よし、一先ずトレーニングメニューは後回しだ。
「どうしたんだスカーレット。今日はやけに機嫌が悪いみたいだぞ?何かあったなら話して欲しい。」
「……。」
「何時間だって聞いてやるぞ?ほら。」
今は何故だかヒートアップしている彼女も、こちらが真剣になって話しかければきっと応えてくれるはずだ。
お互いにそういった信頼関係があるから、彼女も自分に不満をぶつけてくれたんだろう。
俺はただじっと彼女の言葉を待ち、それがどんな内容だとしても親身になって話すだけだ。
彼女が口を開く。
「あのね……?」
いつしか絞られていた彼女の耳は力なく前方に倒れている。
「……ただ心配なのよ。アンタがその飲み会の帰りに何処かの女にお持ち帰りされないかって。」
なんて?
――――――――――
「え?」
思わず疑問を口に出していた。
「ドーベルさんが言ってたの。“飲み会は想い人をお持ち帰りして手籠めにするシチュエーションとしても使われる”って。だからそんなところに送り出したら、アンタだってただじゃ済まないかもしれないじゃない!」
後輩になんてこと吹き込んでいるんだメジロドーベル。
いや、多分彼女の創作活動の一手法について語っただけで、悪気はないんだろうが。
彼女の作品はそのトレーナーによって(うっかり)広まり、密かに人気を博しているのだ。
「待て待て、それはか弱い女の子が悪い男に、とかのシーンだろう?俺は男だし、万が一そんな事になっても人並みには抵抗できるよ。」
心配してくれるのは有り難いが、それは杞憂というものだ。
「そう?じゃあ聞くけど、アンタ、懸垂100回くらいできる?障害レースでウマ娘と同じ様に垣根を跳び越えられる?」
「どうしたんだ急に。そりゃウマ娘からしたら余裕だろうけど、流石に人間の俺じゃあ――――」
「できるのよ、あのトレーナーは。空手も嗜んでて正月は瓦を割って過ごすって噂だし、そんな人間に本当に抵抗できるの?」
え?
俺の同期ってそんなにフィジカルおばけなの?
そんなに筋骨隆々には見えなかったけど。
「抵抗できないほどの力を持った異性の前では隙を見せないこと。良いわね?」
「わかったわかった。でも、俺たちだけじゃなくて今回は他の人もいるから大丈夫だよ。樫本トレーナーとか。アオハル杯ではお世話になったし知ってるだろ?」
「ええ、あの人も危険ね。」
なんで?
――――――――――
「一応聞くけど、どうしてかな。彼女に関してはフィジカル面での心配はいらないと思うけど…。」
噂では最近前転を習得したとのこと。
先程の彼女の論からすれば全く無害なはずだが……。
「樫本トレーナーは性格が危ないのよ。」
「性格が?」
それこそ問題がないはずだ。
あの人は過去の失敗を二度と繰り返さないために徹底管理主義のもと、多くのウマ娘のトレーニングを執り行っていた。
確かに以前は少々融通の効かないところはあったが、それでもアオハル杯を経てかなり丸くなってきている。
人格者だと思うんだが。
「そこよ。徹底管理主義。飲み会の席であられもない姿を見せてみなさいよ。『アオハル杯で鎬を削ったトレーナーにもこんな弱々しい一面があるのね』からの『ああ、この人は私がついていなければいけないんだ。管理してあげなきゃ』とか思うに決まってるわ。そうしたら管理主義が再燃してお持ち帰りからの軟禁生活間違いなしよ。」
「いやそんな無茶苦茶な……。相手は理事長代理も務めたトレーナーだぞ?そんな犯罪じみた事、するわけ無いだろう。」
言い返してみても、スカーレットは譲らない。
「いいえ、アタシには分かるわ。“ヤンデレ”って言うのよ。とにかく、束縛の強そうな女には不用意に近づかないこと!」
「そんな言葉、一体どこで知ったんだ?」
「ドーベルさんが教えてくれたのよ。」
またかよ。
「大体たづなさんや、ひいては理事長だっているんだぞ?特に理事長は酒の類は飲まないし、きっちりセーブしてくれるだろう。」
「たづなさんに、理事長ね……。」
なんだそのもったいぶった言い方。
まさか……。
「彼女たちこそ、一番恐れるべき人たちかもしれないわ。」
――――――――――
「いやいや、ずっと俺たちをサポートしてくれてたたづなさんに、秋川理事長にいたっては子供だぞ?そんなドロドロとした事態になる要素なんて無いだろう?」
「いいえ。……アンタもトレーナーだし、ウマ娘が貪欲な事は知ってるわよね?」
「勝利にな?」
「食欲に対してもね。他にも寝坊の多い子もいるし、基本的に三大欲求に対しても貪欲なのよ。後はほら……分かるでしょう?」
少し頬を赤らめながらスカーレットが上目遣いで聞いてくる。
まあ三大欲求といえば、残りは一つしか無いけども。
「分かるけど、それが彼女たちとどう関係があるんだよ。」
「ねえ、本当にたづなさんや理事長たちが人間だと思う?」
いやいや、彼女たちは歴とした人間で……あれ?
そういえば彼女たちの耳、見たこと無いな。
でも尻尾も見当たらないし……。
うーん、確かにどちらとも断定できないような……。
「これまで長いことお世話になってたけど、二人とも帽子を取ったところ、見たことないわよね?たづなさんに至ってはスペさんに走って追いつくほどの身体能力を持ってるみたいだし。」
「うん、その話は知ってる。聞いたときは確かに驚いたけど……少なくとも理事長はただの帽子好きの可能性もあるだろう?」
「ねえ、“流星”のある人間を見たことある?」
「いや無いけど、ただのメッシュかも。……なあ、この話題はこれくらいにしておこう。」
もしそうだとしても、なんだか人の秘密にこれ以上首を突っ込むのは行けない気がしてきた。
「今回の飲み会、行くにしたって二人のことはウマ娘だと思って警戒しておきなさいよ。もしそうなら、アンタじゃ力で勝てないのも分かるでしょ?」
「わかったよ、気をつける。」
そんなこと、万が一にも起きないだろうけども。
まあしかし―――
「全く、深刻な悩みかと思って心配したよ。でも、この程度でよかった。」
「アタシにとっては深刻なのよ。」
「わかったわかった、気をつけるから。さ、トレーニングのすり合わせを始めよう!」
スカーレットがこんなにも自分の身を案じてくれていることをちょっと嬉しく思いつつ、午後の業務を開始した。
――――――――――
「うう、少し飲みすぎました……。」
「大丈夫です?すこし休みますか?」
「あなたがペースを崩すなんて珍しいですね。自己管理も大事ですよ?」
「フラフラしてますよ?背負ってあげましょうか?」
「辛抱ッ!この水を飲んで落ち着くと良い!」
ありがとうございます、と理事長から水を受け取る。
大丈夫、まだ歩けるし休憩は必要ないだろう。
あとたづなさん、背負われるのは流石にちょっと恥ずかしいです。
「いやぁ、でも楽しかったです。いい職場で働けて幸せだなぁ……。」
ぼやけた頭で思ったことを口にする。
本当にそう思う。
スカーレットを通して優秀な桐生院さんや樫本トレーナーと競い合い、困った時にはたづなさんや理事長に手助けをしてもらえる。
スカーレット本人もそうだ。
始めての担当だが、彼女で良かったと思う。
ときには今日のように不満をぶつけられることもあったが、それも直向きに勝利を目指すが故だ。
なんだかんだ言って、最終的には自分のメニューに従ってくれるし、信頼してくれているんだろう。
自分も、彼女にふさわしいトレーナーであり続けなければ。
彼女の事を考えていたからだろうか、ふと視線の先にスカーレットの姿を幻視した。
私服姿で心配そうにこちらを見つめており、駆け寄ってくる。
「もう、やっぱり飲みすぎたのね!」
声までする……あれ、本人?
「驚愕ッ!スカーレット君、どうして夜遅くにこんなところにいるのだ!?」
「トレーナーが心配だったんですよ。この人、忙しくって今日が2ヶ月ぶりの飲み会なんです。元々お酒が好きみたいなので、飲みすぎるんじゃないかって思いまして。」
「それでわざわざ……ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。責任を持って私達が家まで送りますからあなたは―――」
「大丈夫です。私が送りますから。」
「そ、そう?」
「スカーレット、たづなさん達は心配してくれてるんだからそんな言い方……すみません、彼女、ちょっと今日機嫌が悪いみたいで……。」
「ええ、それは構いませんけれど……本当に任せて大丈夫ですか?ウマ娘ですし、夜道は問題ないと思いますが、せめてタクシーまでは見送りますからね?」
たづなさん達の気遣いに感謝しながら、言葉の通り送り届けられることになった。
トレセンの職員たちと別れ、タクシーの扉が閉まる。
外界と遮断され、急に静かになった。
「今日は楽しかった?」
スカーレットが隣で話しかける。
「ああ、トレーニングの手法だけじゃなくて、スカーレットのライバルになりそうな子の情報も仕入れることができた。こちらも戦略やトレーニングにぃ……。」
大人数と別れたことで緊張の糸が切れたのか、睡魔が押し寄せて来た。
意識が途切れかける。
「ふふ、本当にアタシが1番なのね。」
「当たり前だろう……君が1番……。」
ああ、もう限界みたいだ。
座席に身を預け、目を閉じる。
その最中。
「昼間散々忠告したのに、アタシの前でこんな隙を見せるなんて。据え膳ってことで、いいのよね?」
耳元で囁かれたような気がした。