ウマ娘短編集   作:キャロットチモシー

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メジロのおばあさまと執事長

窓の外を、子どもたちが歩いて行く。

 

この家、メジロ家の将来を担う子どもたち。

どの子も皆、優秀で、個性的で、悩みながらも前に進む強さを持っている。

そんな彼女たちの姿に屋敷の中からですら、何故だか眩しさを覚えるほどでした。

 

身体は弱くとも、走りたい。

その一心のもと、見事体を壊すことなく3年を走りきった貴女。

いつも病院の外を見つめていた貴女にトレーナーが就いたときには、思わず我が事のように感涙したことを覚えています。

貴女のその日の体調に合わせて瞬時にメニューを切り替えながら共に歩むトレーナーとの姿は、本当に美しく映りました。

 

自身を鍛えるだけではなく、後進の子にも心を配り、共にあらんとした貴女。

確かに、いくつかのレースで勝ちきれない事はあったかもしれません。

有馬記念で1着を取ったウマ娘へのコールの中、一人歯を食いしばる貴方を見て、胸が張り裂けそうな思いでした。

その悔しさを知っているから、でしょうか。

目に涙を浮かべながらその子を応援する貴女の優しさは、とても深く、温かいものになったのでしょうね。

 

メジロ家の重圧で押し潰されそうになりながら、それでも必死に走り続けた貴女。

貴女の本当の良さと道を示してくれる、良い御学友をもちましたね。

ギャル語、でしたでしょうか。

たまに送迎をさせて頂く時に耳に致しますが、まだまだお甘いご様子。

どんな言葉を使おうと、貴女は貴女。

もっと、貴女を照らす太陽のようなあの方とともに、貴女の笑顔を見たいと心から思います。

 

一見おっとりとしていますが、激しい闘志を内に秘めた貴女。

私も、最初は誤解しておりました。

ですが、トレーナー、そして貴女を支えた子の想いを背負ってターフを駆け、しかし及ばずに泣き崩れる貴女を見て、酷い思い違いをしていたと自省したものです。

表面上の見た目で思い込むなど、私もまだまだですね。

 

人目を恐れ、しかしそれを乗り越えて走り抜けた貴女。

代理として貴女に新しく就くトレーナーが特に貴女が苦手とする男性だと聞いた時は、和が耳を疑ったものです。

前任者に抗議すべく、メジロ家で会議を開こうかと何度考えたことかわかりませんが……結果として、動かずに良かったと思います。

心に巣食う恐怖心は、怪我と同様になかなか完治が難しいと聞きます。

それをまさか、3年で克服してしまうとは。

恐れ入りました。

しかし、今後あの子を泣かすような事をした場合は、メジロ家の執事長としてただでは済みませんよ?

 

 

 

――――――――――

 

 

 

……そして、誰よりもお嬢様に似た容姿で、お嬢様とその子の影を追い続けて、見事に駆け抜けた芦毛の貴女。

メジロ家たる気品を持ち、どの子よりメジロ家を思って行動する貴女は、まさにメジロの体現者。

不治の病すら乗り越え、貴女がいる限りこの家は安泰だと思わせていただける、そんな貴女。

……いいじゃないですか、たまに食べすぎるくらい。

その後に必死に減量に励んでいらっしゃる姿を見れば、だれも追って咎めたりは致しませんよ。

メジロ家の防音壁を超えて聞こえる歓声も、貴女の走りを更に磨くためのストレス発散だと思えば、耳が痛いこともありません。

ときにムキになるその姿も、お嬢様を彷彿とさせるようで、愛らしさを感じます。

どうか、そのままの貴女でいてください。

 

 

お嬢様。

貴女がレースを降り、私が担当を外れてからもう50年が経ちますね。

どうしてでしょうか。

今の子だって負けていないはずなのに、私の目には未だ貴女の姿が誰よりも眩しく映るのです。

私だって審美眼は磨いていましたし、色眼鏡で見るようなことはないはずなのに。

 

……あの時。

お館様から契約解除を告げられた時。

もう少し私に勇気があれば、違った未来があったのでしょうか。

メジロ家ではなく、貴女だけの隣に立つ未来が、あったのでしょうか。

 

貴女や、今のお子様やお孫様に似た子孫を授かり、隣で笑っていられたような未来が。

 

やめましょう。

これ以上は詮無きことです。

今の私はメジロ家の執事。

ご令嬢方を否定するような考えを持つことは許されません。

……お館様にだって、不遜だと怒られてしまいますね。

 

ですから、私は今日も見送るのです。

笑顔で駆けていく、メジロ家の未来たちの姿を。

 

窓の外を、子どもたちが歩いて行く。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「あら、じいや。そんなに真剣に窓の外を見つめて、どうかなさいましたの?」

 

投げかけられた言葉にはっとして、我に返る。

 

「すみません、お嬢さ……大奥様。」

 

「黄昏れて物思いに耽るなんて、まだまだ早いのではありませんこと?……さしずめ、昔のことに囚われていたのでしょう、トレーナーさん?」

 

呼び間違えたことが仇になったようですね。

 

「申し訳ありません、すぐに業務に―――」

 

「どうでしょうか、メジロの将来を担うあの子達は。」

 

踵を返そうとする私の言葉を遮り、お嬢様は言葉を続ける。

 

「皆、すでに多くの結果を残しているだけではなく、燃え尽きぬ向上心を持ち続けております。……まだまだ強くなるでしょう。」

 

「かつての私よりもきっと、もうあの子達のほうが速いのでしょうね。血を紡ぐほど、より強くなっていくのは当主として嬉しいことです。」

 

「……そうですね。」

 

そう言って視線を下げる私の目の前に、歩み寄り見上げるアメジスト色の瞳。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「もう、貴方はいつもそうでしたね。どんなに強いウマ娘が相手でも、『君のほうが強い、速い』と何度も私を励ましてくれて。決して私の勝利を疑わなかった。何度その目に鼓舞されたことでしょう。……必死に押し殺して見せても、透けて見えますわよ?」

 

「大奥様……。」

 

「今だけは『お嬢様』で結構です。他に誰もいませんからね、トレーナーさん?」

 

「……やはり、お嬢様には敵いませんね。」

 

あの頃から歳は下であったにも関わらず、よく誂われていた事を思い出す。

 

「今のこのメジロ家は、素晴らしいと思いますわ。」

 

「ええ。」

 

「素晴らしい子孫たちに囲まれ、これからもメジロは繁栄していくでしょう。私の夫も、当時の私が夢見ていた方とは違いますが……今では愛しておりますから。」

 

お嬢様がいたずらっぽくほほえみ、意地悪そうな視線を投げかける。

今では見かけるのも珍しくなった、当時から変わらない可愛らしい点だ。

 

「分かっておりますとも。」

 

「どこかの誰かと同じように、あの人も私を愛してくれています。」

 

「ええ、それも分かっておりますよ。」

 

「どこかの誰かと違って、言いたいことはしっかり言うお方ですし。」

 

「……分かっておりますとも。」

 

むう、今日のお嬢様は手厳しい。

 

「ふふ、いじめるのはこれくらいにしておきましょうか。」

 

視線を外し、くるりと背を向ける。

数歩私から離れたところで、もう一度私を振り返った。

 

「夢見た関係とは違えど、貴方はずっと私の隣に立ち続けてくれるのでしょう?あの頃のように。……私は、それで満足です。」

 

「ええ、もちろん。ずっと側におりますとも。」

 

そうですね。

私も、満足しなければならないのでしょう。

話も一区切り。

 

では、と一礼した後、大奥様を背にして私は仕事に取り掛かるのだった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

また明くる日、もう何年も繰り返した秋の夜長。

 

一日の仕事を終え、庭に足を運ぶ。

晴れた日の夜は、そうして月明かりに照らされたメジロの屋敷を見上げるのが、何時しか私の日課となっていた。

 

荘厳で、雄大で、すべてを包み込むような屋敷。

 

それは、私にとって帰るべき家であり、守られる親であり―――ときに立ち向かうべき好敵手でもあった。

年月が経ち、それでも変わらず聳えるこの屋敷は、私の人生と共にあったと言っても過言ではない。

 

一時期は嫌いにもなりかけたが、それでもあのお方……アサマお嬢様の家であると思えば、たちまち怒気も霧散した。

何より、どんな形でもお嬢様の側に居続ける。

そう選択したのは、他でもない自分であるのだし。

 

深呼吸をする。

鼻に抜ける芝の香り。

それはいつも、彼女との歳月を思い出させる。

初めて、メジロのご令嬢であるウマ娘のトレーナーという、大役を勝ち取り、任された日。

東京優駿での大敗、柄にもなく弱った彼女を見て、メジロのためでなく彼女自身のために走って欲しいと強く励まし、共に立ち上がったこと。

あの天皇賞で大輪の花を咲かせ、栄光を勝ち取ったこと。

そして2着に敗れた、最後の―――

 

「また、屋敷を見上げているのですか?トレーナーさん。」

 

聞き慣れた声がした。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「ええ、何度見ても良いものですよ。立派なお屋敷ですからね。お嬢様。」

 

近くに来ていることは分かっていたとも。

彼女が芝を踏みしめる音を、何より自分が聞き間違えるはずがないのだから。

 

「あら、そう?流石に見飽きるのではなくて?」

 

お嬢様が自分と同じように屋敷を見つめる。

 

月明かりに照らされ、彼女の芦毛がきらりと光る。

それは自分の知る、かつての面影と重なりより鮮明に輝きを増す。

 

美しい。

 

この光景を見て、誰がそう思わずにいられようか。

 

お嬢様が視線を自分に戻す。

 

……これは危ないところでした。

亡我のままに主人を見つめている所など見られたら、お嬢様に何を言われるか分かったものではありませんからね。

 

「……。」

 

お嬢様の視線を感じる。

まさかバレているのだろうか。

 

「お嬢様、如何なさいました?」

 

こういう時は知らぬふりをして尋ねるものだ。

長年の勘が、そう告げるままに白を切る。

 

「いいえ。……そうですね、ただ何となく、思い返してみたのです。」

 

お嬢様が近くまで歩み寄る。

 

「そういえば貴方、今まで私を呼び捨てしたことはありませんわね。何故です?」

 

何を言い出すかと思えば、このお嬢様は。

 

「いえ、それはそうでしょう。トレーナー時代も、今も、私は飽くまで雇われの身ですから。メジロ家のご令嬢を呼び捨てなど恐れ多い事です。」

 

この歳なのですから。

心臓に悪いことはやめて頂きたいものです。

お嬢様は顎に手を添え、一瞬考える素振りをすると、口元を吊り上げた。

 

「では、命令です。私を“アサマ”と。呼んでみなさい。」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「!!」

 

嫌な予感はしたが、たじろがざるを得なかった。

 

「どうしたのです?貴方は雇われの身なのでしょう?業務内容には含まれておりませんが、それくらいは上司へのゴマすりの範疇でしょう。執事長たる貴方にとっては容易いのでは?さあ、さあ。」

 

「お嬢様―――」

 

「“ア・サ・マ”。ほら、言ってみなさい。」

 

顔が熱くなるのを感じる。

このまま高血圧で倒れたらどうするのですか。

 

「あ―――」

 

「うん?」

 

「ア、サマ―――」

 

「はい!」

 

プレッシャーに負けて“お嬢様”を付け足す前に差し込まれた。

レースで勝ったときの笑顔が重なる。

 

二の句は告げぬまま、彼女を見つめる。

その目はこの晴れた夜にふさわしく、星のように輝いていた。

 

「ああ、なんて良い夜なんでしょう。娘や孫達が勝利を飾った夜と同じくらい、胸が高鳴っていますわ。」

 

「私の心臓は高鳴るどころではありませんよ、お嬢様。」

 

「あら、私は好きでしたよ?レース後に胸に耳を寄せ、直に聞く貴方の鼓動が。」

 

「止まりかねないと言っているのですよ、まったく。」

 

ふふ、と微笑み、彼女は空を見上げる。

 

「ほら、ご覧なさいな。いい夜にふさわしい夜空です。ほら、アレなんてどうでしょう。」

 

「お嬢様、アレなどと……しかし確かに仰る通りですね。本当に綺麗な―――」

 

月。

 

そう言いかけて口をつぐみ、お嬢様を見る。

その目には、いたずらっぽい光が宿っていた。

 

「私はまだ死ぬわけには行きませんが、貴方の気持ちだけは貰っておきましょう。」

 

足取り軽やかにくるくると回るお嬢様。

一体何重にこちらを誂えば満足するのか、このお転婆お嬢様は。

 

「小悪魔……。」

 

「なんです?」

 

「いいえ、何でも。貴女と一緒にいると退屈しない、と言ったのですよ。」

 

「あらそう?でしたら、そういうことにして差し上げますわ。」

 

さあ、そろそろ夜も冷えてくる。

主人の体を冷やしては執事としては失格だろう。

心の熱が冷めぬようにそっとお嬢様にショールをかけ、屋敷へと手を引くことにした。




某掲示板へ投稿した辻SSです。
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