「フジ、またタイムが縮まってるぞ!ラストもう1周行こう!」
練習場をフジキセキが駆け抜ける。
その姿はトレーニングでありながら輝くようで、他のトレーナーやウマ娘すらも魅了する。
この数ヶ月、軽度の屈腱炎に悩まされたこともあったが、それを乗り越えることで更に強く、格好良くなったように思える。
そう感じるのは、僕が普段の彼女だけでなく、エンターテイナーとしての自分の姿を追い求める中で葛藤する姿、そして他人には見せない泥臭さを知っているからだろうか。
大勢のファンと同様に、彼女に魅了されてしまっているのは自覚しているが、その事実をトレーナーの自分だけが知っているなんて、ちょっと贅沢で誇らしい。
フジキセキは戻ってくると、トレーニング中にも関わらず足を止めていたウマ娘たちに振り返り、余裕の表情で手を振る。
黄色い歓声が一通り収まると、息を整えながらこちらに向かって歩いてくる。
「ふう、トレーナーさん、今日はこれで終わりかな?」
「うん、お疲れ様。あとは軽くストレッチをして、ゆっくり休んでね。」
タオルとドリンクを渡し、フジを労う。
「次のショーが近いからね。体調には特に気をつけてしっかり休むよ。」
「本当かな?いつかみたいに抜け出してのオーバーワークは駄目だよ?」
「あはは、いじわるだなぁ、トレーナーさん。」
汗をタオルで拭いつつ、フジがこちらを見据える。
「もう大丈夫だよ。今はあの頃みたいに不安なんて感じてないから。トレーナーさん、君を、信じてるからね。」
軽くウィンクをするフジに少しドキッとする。
……かっこいいなぁ。
突然平気でこういう事言うんだもんな。
「じゃあ、私は着替えて寮に戻るよ。また明日ね、トレーナーさん。」
フジが更衣室へと消えていく。
去り際まで、フジキセキはフジキセキだった。
うん、この数年で十分知ったことだけど、未だにフジの仕草には胸が高鳴る。
近くにいて、ある程度慣れているはずの自分ですら、これなんだ。
それは、フジキセキが本物のエンターテイナーとして相応しくなっていることの証左だと思う。
フジを見送った後、鼓動を抑えつつ、自分も家に戻ることにした。
フジのトレーニングを終えたら、次は身の回りの問題と向き合う時間だ。
――――――――――
ここ最近、自分には悩みがある。
よく、身の回りが破壊されているのだ。
最初はただのいたずらかなと思った。
多くの人々を魅了するフジを担当していることに、妬む誰かもいるかもしれない。
でも、それなら自分に直接危害を加えたり、もっと悪辣な手段が色々あるはずなのに、本当に自分の“周り”が破壊されている。
例えばトレーナー室の入り口前の床、トレセン学園の地面など、自分の見えないところで轟音がしたと思うと、それらが深くめり込んでいたり、ひび割れたりしている。
被害は学園内にとどまり、補修はいつの間にかされているので全く困ってはいないのだが、突然ものすごい音がするので気が気でない。
自宅は学園の外にあるので眠っているときに叩き起こされないのが不幸中の幸いだろうか。
さて、自宅に帰ってきた。
扉を開けて中に入る。
少し古くて広さもさほどではないが、トレーナーとして頑張る最初の一歩にと、高齢で中央を去るトレーナーが格安で譲ってくれた家。
そんな大先輩の心遣いもあって、居るだけで何だか心が温まり、ほっと落ち着く自分だけの空間だ。
一息つき、ここ最近のフジキセキを振り返る。
本当に彼女は強くなった。
出会った当初の、魅力の影に見えた微かな弱さも、今は感じない。
ああ、だからもし謎の現象が誰かの嫉妬によるものなら。
自分と彼女に対する周りからの評価の差が広がったことが、原因になってしまっているのだろうか。
「……僕も頑張らないとな。」
疲れた体と頭にやる気が灯る。
レースに向けたトレーニングも佳境に入る。
もう一度メニューを見直しておこうか。
……でもその前に。
「もっと周りから見て、わかりやすくするのも大事かな?」
影で頑張っても、それが伝わらなければ状況は変わらないかもしれない。
並び立っても遜色ないふるまいを心がけないと。
……ちょっとやってみようかな。
「ええと―――」
日中のフジとのやり取りを思い返す。
『本当かな?いつかみたいに抜け出してのオーバーワークは駄目だよ?』
『もう大丈夫だよ。今はあの頃みたいに不安なんて感じてないから。トレーナーさん、君を、信じてるからね。』
あの時、ただぼうっと見惚れるだけじゃなく、うまく返せていれば、少しは彼女に近づけていただろうか。
「んんっ……冗談だよ、フジ。僕も君を信じているよ。誰より強く、いつだってね。」
……顔が熱くなる。
言ってみて実感したが、やっぱり自分には似合わない。
フジの仕草は、フジにしか似合わないよなぁ。
そんなことを考えていると―――
―――ッガアァァァン!!
何かが爆発したような音と砂利が飛び散る音が玄関の外から鳴り響く。
思わず身をかがめ、呆然と扉を見つめた状態で固まってしまう。
今までは学園内だけで起きていた怪現象が、ついに自宅にまで現れるなんて。
恐る恐るドアを開けると、そこには誰もおらず、家の前の地面がえぐれ、敷いてあった砂利が飛び散っていた。
幸い弾けた砂利で家が傷つくこともなく、被害は少ない。
砂利を集めて敷き直すくらいでもとに戻せそうだ。
しかし、自宅は学園の外や他のトレーナーやウマ娘たちには公開していない。
だれも知らないはずだ。
あまりオカルトは信じていないけど―――
「……誰かとルームシェアでもしようかな。」
一瞬フジの姿が頭をよぎったが、幽霊怖さに女の子、しかも学生を呼ぶのは流石に人としてどうかと思うし色々まずいだろう。
いくらフジが格好良くたって、超えてはいけないラインはあるのだ。
それにさっき、フジと並び立てるようになろうと意気込んだばっかりじゃないか。
怪現象が誰かの嫉妬のせいじゃなく、幽霊の仕業だったとしても、その想いはたしかに自分の本心だ。
フジに相応しい、格好良い大人は幽霊ごときじゃ怖がらない。
さっきのことは忘れることにしよう。
とっとと風呂に入った後、お気に入りの音楽をかけ、照明を煌々と点けたまま寝ることにした。
――――――――――
翌日、トレーナー室で昨夜できなかったトレーニングメニューの見直しをしていると、フジがやってきた。
「おはよう、トレーナーくん……ってどうしたんだい、その目の隈?」
驚いた顔でフジが心配してくれる。
「えっと、ちょっと昨夜、フジの走りの参考になりそうな動画があってね……。」
ついつい、夜更かししちゃったんだ、と告げる。
フジが困ったような顔をしている。
心配してくれているのだろうか。
自分の名誉のために吐いた嘘に、ちょっと心が痛い。
……ボロが出る前に話題を切り替えよう。
「さて、今日のトレーニングだけど、昨日のフジの走りを考慮して、もう少し突き詰めてみたんだ。一緒に確認してほしい。」
「いいよ。でも、その前に―――」
フジが僕の前に歩み寄り、手をかざすとポンッっとお守り袋が現れた。
「これ、最近トレーナーさんがバッグに付けてたお守りだよね?昨日の練習場に落ちていたよ。」
慌てて自分の鞄を確認すると、お守りがなくなっている。
たしかに自分のもののようだ。
それにこれはマンハッタンカフェのトレーナーにもらったもので、近くの神社、仏閣では手に入らないもの、らしい。
同期のつながりで怪現象について相談したとき、
『もし、君の周りの出来事がオカルト的なものなら、これが役に立つかもしれない。俺も、色々と危険な目にあっていてね。特にカフェがいないときは手放さないようにしている。時間稼ぎにしかならないと思うが、予備がいくつかあるから分けてあげるよ。』
と言っていたのを思い出す。
当時の自分としては半信半疑ながら、せっかくの心遣いを無駄にはできないとその場で鞄につけたのだ。
思えば短い間とは言え、このお守りが近くにあるうちは、怪現象に見舞われなかった気がする。
じゃあ、やっぱり―――
「トレーナーさん、顔色が悪いよ?……やっぱり体調が良くないんじゃ―――」
「大丈夫だよ。さあ、メニューの確認をしよう!」
打ち消すように話を切り上げると、ますますフジの顔が曇っていく。
いけない。
自分の不甲斐なさで担当の調子を下げるなんて。
これじゃ本当にフジのトレーナーとして失格になってしまう。
自分に心のなかで叱咤をし、お守りをポケットにねじ込みつつ、頭を切り替えてトレーニングについて話し始めることにした。
「お疲れ、フジ!!どうだったかな、新しいメニューは?」
「うん、いいね。脚に無理な負担もかかってないし、それでいてちょうどいい負荷だよ。」
よかった。
とりあえずメニューに問題はなさそうだ。
ほっと胸をなでおろし、さらなる改善点を思いつく限りメモに取ろうと思っていると、
「トレーナーさんの方は大丈夫?やっぱり何だか、いつもと様子が違うよ?」
……確かにちょっとテンション高めな口調だったかな?
「うーん、そうかな。あまり寝てないから、深夜テンションってやつかも。……じゃあ、今日のトレーニングも終わったし、ゆっくり休んでね!」
フジとの話を切り上げると、早々に練習場を後にした。
向かうは、マンハッタンカフェのトレーナーのところだ。
彼はお守りを渡す時、時間稼ぎ、と言っていた。
これ以上、幽霊なんかに僕たちの道を邪魔されたくはない。
根本に対処するために、方法を相談しなければ。
「なるほど、事情はわかった。だが、俺の手には余る。」
だからカフェを呼ぼう。
彼女のトレーナーはそう言って担当を呼び出した。
「急に呼び出してすまない。実は―――」
事の顛末をマンハッタンカフェに説明する。
すると彼女は明後日の方向を見ながらぶつぶつとつぶやき出し、そして不意にこちらに向き直った。
「お友達に聞いてみましたが……どうやらフジキセキさんのファンの一部、彼らの情念が生霊となって悪さをしているようです。あなたは相応しくない、と。」
お友達、とは彼女といつも一緒にいる霊的な相棒のことのようだ。
そして出てきた結論は、最初に考えていた原因の、その両方をあわせたようなものだった。
「フジキセキさんのことを本当に思っているなら、担当をやめろ。でなければフジキセキさん本人にも手を出すこともやむを得ない、と言っています。」
「フジのファンなのに、彼女に危害を加えるのか……!」
「残念ですが、私にはどうすることも。大事なレースの前ですよね?一度ご自宅でゆっくりと考え直すことをおすすめします。信じるも信じないもあなた次第ですが。」
非情とも思えるアドバイスが目の前のウマ娘から聞こえてくる。
僕は参考になったよ、と言い残して帰路につくしか無かった。
背後からカフェとそのトレーナーの言い合いが聞こえてくるが、今の自分にはそれ以上何かを聞く気にはなれなかった。
――――――――――
家につくと、ホッとすると同時に脱力感に襲われた。
カフェの言う生霊とは、これまでの自分の姿が見えていたのだろうか。
フジのトレーナーとして、手は抜いていない。
それを見た上で、それでは不足だと思われたのだろうか。
その結果、フジに迷惑がかかるなら―――
「フジ、君は強くなった。」
その場にはいない愛バに向けるよう、言葉を紡ぐ。
「君は以前よりも、格好良く、魅力的で、……美しくなった。」
これまでの彼女を思い返しながら。
「どんなウマ娘も、君と比較したら霞んでしまうよ。僕はそう思う。」
一言一言、思いを載せて。
「君の愛する、君を愛する観客たちが、傍らに立つものとして僕のことをふさわしくないと思うなら―――」
目を閉じて、決意する。
「次のレースが終わったら、僕は、君から離れるよ。」
残念だけど、君のためなら。
そう告げた時、ふと家の照明が落ちる。
停電かな、と思う間もなく、バキリ、と玄関の扉から何かが壊れる音がした。
直前にドアノブが回る音がしたので、壊れたのはそれだろう。
その後、轟音とともにドアが開け放たれた。
何かが近づいてくる。
暗くてよく見えないが、幽霊にも足音はあるんだな。
なんてことを考えていると―――
「トレーナーさん!」
不意に、両手が包み込まれた。
「ふ、フジ?」
聞き覚えのある声に、戸惑いを隠せない。
同時に照明が戻る。
目の前にいるのは間違いなくフジキセキだ。
「私のことを想ってくれるのは嬉しいけど、そのために身を引くなんて、そういうのはミュージカルの中だけにしておいて欲しいかな。」
「え、どうして?なんでフジがここに?」
「トレーナーさんが思い詰めた顔をしていたって、友達が教えてくれてね。」
よく見るとちょっと彼女も涙目だ。
「観客のみんなが、君のことを相応しく思っていないって、どういうことかな?」
「ええと、マンハッタンカフェが―――」
今日のことを彼女に話す。
「確かにカフェはちょっと不思議な娘だけど、いきなりそんな話を鵜呑みにして、私との契約を破棄しようなんて。トレーナーさんらしくないよ。」
「今日だけの話じゃないんだ。実は、僕の周りでは謎の怪現象が―――」
ここしばらく続いている怪現象について、説明する。
こうなった以上、彼女にも知っておいてもらった方がいい。
話し終える頃には、彼女は苦笑いを浮かべていた。
これは本格的に頭がおかしくなったと思われているんだろうか。
そう思われても仕方のない内容だと考えていると、フジが口を開いた。
「ごめんね、トレーナーさん。それ、私なんだ。」
――――――――――
トレーナーさんが唖然としている。
それはそうだろうね。
この数ヶ月、頭を悩ませて守ろうとしていた相手がまさかの元凶だったんだから。
「何があってそんなことを?僕、なにか悪いことしたかな?」
悪いことではないけど、何かをしたといえば、した。
きっかけは弥生賞の後。
私のことを考えて、頑張って考えてくれたサプライズ。
普段はそんなことをしないだろうに、一生懸命練習してくれたであろう最高の演出。
最後のブローチを取り出すところ、そこだけ見れば失敗だったかもしれない。
でも私にとってはそれすらも愛おしかった。
彼の人柄と、私とともに有りたいという強い意志をこの身に感じて、思わず歓喜に震えた。
あの時からトレーナーさんがなにか、私の琴線に触れるたびに、私は自分を抑えるのに必死だった。
それこそ、瞬間的に脚に力を込め、身体に物理的な衝撃を与える必要があるくらいには。
栗東寮にいるアグネスデジタルがよく感極まってあられもない表情をしているが、これが「尊い」ということだろうか。
「そうだね。強いて言えば、嬉しかったから、かな。」
「嬉しくて毎回地面を踏み抜いてたの?」
そう言われると突飛に聞こえるが、詳細は話せない。
ちょっと恥ずかしいからね。
「この前、家の前にいたのもフジだったの?」
「うん、散らかしちゃってごめんね?あと、寝不足の原因になっちゃったのも。まだ時間に余裕があったから、お守りを届けに来たんだけど、その……なにか喋っているのが聞こえちゃってね。」
学園のスタッフと、担当の私だけが知っているこの住所。
そう寮から離れていないこの場所まで、私の脚ならそこまで時間はかからない。
そういえば地面をえぐった犯人、真っ先に住所を知ってる私に思い当たってもいいと思うんだけどね。
私がそんな事するはずないって、信頼してくれてるのかな。
信頼を裏切ってしまった罪悪感と、なんでかな、高揚感が押し寄せる。
「うわぁ、あれ、聞かれちゃったのかぁ……。」
彼が顔を赤くして両手で頬を挟む。
……両脚に力が入りそうになる。
駄目だ、今暴れるわけにはいかない。
今は屋外ではなく、室内にいる。
彼の家の床に大穴を空ける訳にはいかない。
ドアは壊しちゃったけど。
でもそれは仕方ないよね、急がなきゃ彼が私のもとからいなくなるところだったんだから。
後で弁償するから、それで許してくれるよね?
……うん、でも、今日は都合がいいかな?
「ふふ、ドアを壊してごめんね、トレーナーさん。ちょっと寒いよね?お詫びに今日は一緒に寝てあげるよ。」
「いやいやいや、何を言ってるの!?だめに決まってるでしょ!」
「一緒のベッドに入るだけだよ?レース前にトレーナーに風邪でも引かれたら大変だからね。ああ、外泊届けのことかな?急いできたから出してないけど、なんとでもなるよ。寮長だからね。」
「いや、一緒のベッドに入るだけでも―――」
「そんな事あるはずないけど、たとえトレーナーさんがファンのみんなに悪く思われてたって、私の隣はトレーナーさんがいい。私自身が心からそう望んでること、トレーナーさんの不安が消え去るほど伝わるまで―――」
そして私の昂りが収まるまで―――
「一緒にいて、見ていてあげるからね。」
その後、フジキセキは控えていたレースも大差をつけてゴールし、トレーナーはその秘訣を聞き出したい同僚に追いかけ回されることになった。
その様子を見つめる影が2つ。
「なぁカフェ。例の件、全貌をあいつから聞いたが、なんであんな嘘をついたんだ?」
「あのお二人を見て、お友達が焦れていたので。嘘も方便、です。お疲れのようで、思考力も落ちているようでしたし、うまく行って良かったです。」
「自宅で都合よく停電も起きたようだが?」
「一流のエンターテイナーに、演出は不可欠ですから。」