「平均タイムも順調に縮まってるし、レースまで良いペースだな、スカーレット。」
午前のトレーニングを終わらせた後、トレーナー室で今日の振り返りを行う。
来る次のレースに向け、調整も後少し。
この先は無理に追い込むよりややウマなりに流すべきだろう。
「そうね。早く同じチームの先輩方に追いついて、それから追い越さなきゃ。」
差し出したタブレットPCに映されるデータをじっくり眺めて頷くスカーレット。
シャワーを浴びて、ほのかに頬が上気してややリラックスした様子だったが、その目からは静かに燃える熱意が読み取れる。
自分が担当するウマ娘の中で誰よりも1番であることを目指し、その熱意ゆえオーバーワークしがちな彼女がちゃんと自重してくれるかは疑問だ。
まだしばらくは目を離せないな。
そんな事を考えながら、ソファの上に腰を下ろす。
……さて、少し休んだら、この後は昼を食べながら、他の子達も含めた午後の計画を―――
「……ふぅ。」
あれ?
いつもならこの後食堂へ向かうはずのスカーレットが、向かいのソファに腰掛ける。
「……?どうした、スカーレット?」
「ん……その、アタシ達が契約してから今まで、アンタはアタシのことはよく気にかけてくれてるし、なにかあるたびにアタシのことは話してるけど、アンタ自身のことはあんまり聞かないなって思ってて。」
……おぉ。
トレーニングのときに声掛けをしているのはもちろん、レース前に励ましたり、悩んでいるときは相談に乗ったり、一緒に出かけてみたりと、可能な限りこの子に寄り添って来たつもりだ。
これは、他の担当の子に対しても同じ、自分のスタンスだから。
彼女自身も言う様に、彼女の好きなことやレースに込める想い、母親との関係など、色々と身の上を話してくれる程には良好な関係を構築できているのは感じていた。
それに加えて、彼女のようなレースへのストイックさを見せる子が、自分のプライベートに興味を持ってくれるとは。
担当がレースに勝つことは勿論だが、こうしたウマ娘との間にできた絆の成長を感じられる瞬間も、トレーナー冥利に尽きるというものだ。
「そうだな、まずは何から話そうか。」
――――――――――
「そうね……まずは新人の頃の話を聞きたいわね。クリークさんが最初に担当したウマ娘なんでしょ?」
その事を話したのは最初にチームメンバーを紹介して以来だと思うが、覚えてくれていたんだな。
「ああ。今でこそ安心感のある彼女だけど、担当した当時はちょっと自信なさげなところがあってな―――」
思えば最初から包容力のある彼女だったが、やはりそうは言ってもまだまだ年端もいかない女の子。
レース前は不安になったりもするし、スランプに陥ったりもする。
トレーナーとしての経験が浅く、始めの頃は彼女の気遣いに甘えるところがあっただけに、そんなときこそ支えられる自分でなくてはどうするんだ、と奮起したものだ。
「ウマ娘とトレーナーは一緒に成長していくものなんだ、心のつながりがウマ娘を成長に導くんだって、クリークに教えてもらったよ。」
「ふーん、アンタにとってクリークさんは特別な思い入れのあるウマ娘なのね。」
「みんなに差をつけるわけではないけど、大事な思い出なのは否定しないよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
スカーレットがスマホを操作した後、手を止めてこちらをじろりと見直す。
「心の繋がりだけじゃ愛情表現が足りなかったから、公衆の面前でこんなことをしたんじゃないの?」
「え?」
……急にスカーレットの語調が冷たくなる。
そうして彼女の手から差し出されたスマホには菊花賞後の映像が映し出されていた。
「これ、レース後のアンタ達だと思うんだけど、埋まってる、わよね?」
「……知らないな。」
「抱え込まれて頭を撫でられちゃって、そんなにママに褒められたかったのかしら?」
見ればスカーレットは半目でこちらを睨み、やや耳を後方に絞っている。
……一体なんだ、この状況は。
思い出話に花を咲かせるほのぼの空間になると思っていたのに、気づけば差し切られる寸前のようなハラハラ感に満ちている。
しかし、当時の映像まで用意してるなんて、準備が良すぎるじゃないか。
親睦を深める機会だと思っていたのに、まさかこちらの弱みを握るつもりで……?
でもなんのために?
いや、それよりもまず、スカーレットの口撃を躱さなくては……!
「はは、顔が映ってるわけでもなく、証拠もないのに疑うなんて、君らしくないな。」
「あら、ウマ娘同士ならともかく、クリークさんが誰彼構わず男の人にこんな事すると思ってるの?そんな話、クリークさんが聞いたら―――」
「すみません、私です。」
逃げる間もなく差し切られてしまった。
「あのときは初めての菊花賞1着で、私も気が昂ぶっていたんです。感極まって抱きつく寸前、理性を働かせて立ち止まった一瞬を突かれて、気がつけばその状態になってしまったといいますか、その……。」
「案外あっさり認めるのね。」
「いや、だってな?そんな話がクリークの耳に入ってみろ。せっかく思い出して悶える頻度が月に1回くらいに抑えられてきたってのに……。」
再教育されることになるだろう。
えげつない方法で。
あの日以来、トラウマである。
「柔らかかった?」
「え?」
「柔らかかったの?」
「いや、もう羞恥心とかで混乱して、全然堪能する余裕なんて―――」
「へぇ、余裕があれば堪能したかったんだ。」
「勘弁してくれぇ……。」
ああ、積み上げてきた尊厳と威厳が崩れていく音がする。
――――――――――
「次はアイネスさんね。」
「まだ続くのか……。もうそろそろ食堂に行ったらどうだ?午後からのトレーニングに差し支えるぞ?」
「大丈夫よ。トレーニングを終えてここに戻ってくるまでに、配達のお弁当を二人分受け取っておいたから。」
ねえ、本当に準備良すぎない?
「はい、トレーナーのはこっちね。」
「……ありがとう、お代は?」
「いらないわ。」
「いや、流石に担当ウマ娘に奢らせる訳にはいかないだろう。いくらだったんだ?」
「良いんだってば。とにかくそれ、開けてみなさいよ。そうすれば分かるわ。」
腑に落ちないが、彼女の言う通り蓋を開けるしかなさそうだ。
もしかして、とんでもなくマズいネタ弁当だとか、言葉で辱められた次はそっち方面で尊厳を破壊されるのだろうか?
いや、スカーレットがそんなことをするイメージはないな。
……先程のも、まさかの出来事ではあったが。
そうして蓋を開けた先にあったのは―――
「そうそう、届けてくれたのはアイネスさんよ。トレーナーが食べる弁当を届けてほしいって言ったら喜んで引き受けてくれたわ。」
「……。」
「中身はお店の商品じゃなくて手作りだからお金はいらないって聞いていたけど、まさかアイネスさんのパーソナルカラーで拵えてくるなんてね。“私を食べて”ってことかしら?愛されてるわね―――“弟くん”?」
弟が姉を、なんて不健全だろ。
いや、まてまてそうじゃない、気にすべきはそこじゃなくて―――
「なんでその呼び名をスカーレットが知ってるんだ!?」
「またしらばっくれるかと思ったけど、自分から認めるなんて潔いじゃない。」
「……あ。」
しまった、墓穴を掘った。
でも仕方ないだろう?
先程の菊花賞の話はメディアにも出た内容なので、周囲からイジられたときの対処法を、ある程度シミュレートできていた。
それに比べて今度の話はあまりにも唐突で、動揺してしまったのだ。
しかし、一体どこで聞かれていたのだろうか?
「“レースとか、あたしのことになるとしっかりするのに、自分のことになると抜けてるの!全く、目の離せない困った弟くんなの!”ってアイネスさんがよく惚気けるのよ。少なくともチームメンバーは全員知ってるし、食堂で近くの席に座ってた子とかももしかしたら聞いちゃってるかもね?」
なんてことはない、当の本人が漏らしていた。
「うそ、だろ……?」
「全国放送よりはマシかもしれないけど、トレーナーからしたら恥ずかしいわよね?アイネスお姉ちゃんに外堀を埋められないように気をつけなさいよ?」
うん、後で厳しく言っておこう。
しかし外堀?
なんの外堀だろうか。
まさかアイネスは本気で姉の座を狙っている……?
いやいや、流石にないか。
まあとにかく、せっかく作ってくれた弁当だ。
ありがたく食べ進めようか。
……うん、美味しい。
数々のバイトを掛け持つだけのことはあって、料理のスキルもかなりのものらしい。
将来は良いお嫁さんになるんだろうな。
――――――――――
「で?そんな数々の担当ウマ娘と恥ずかしーいことをしてきたトレーナーさんが、なんで懲りもせずフジ先輩の匂いを嗅いでいたのかしら?」
「グフっ……。」
前置きなく差してきた。
ゲートを飛び出てすぐ端をとる彼女らしいといえばらしいが、できればターフの上だけにしてほしい。
「だからどうして、どこからその情報を……?」
「最初に話したクリークさんの菊花賞のときの映像、クリークさん自身がみんなに見せてるのよ。アタシが知ったのもそれが切っ掛けよ。そしたらフジ先輩が“君もトレーナーさんを抱いたことがあるんだね。でも、トレーナーさんは君の匂いの感想を言っていたかな?ふふ、彼は私のが病みつきみたいでね。レース後は私を嗅がないと落ち着かないみたいなんだ。いい匂いに感じる異性は、遺伝子レベルで相性がいいって言うし、本能には逆らえないよね。”って語ってくれたのよ。」
トレーナーを抱いたって表現、もう少しなんとかならなかったのか。
人聞きが悪すぎるぞ。
「いや、“レース後に毎回勝負服の間から匂いを嗅いでくれないと4戦より多くは走る気力が湧かない”とかよくわからない理由で駄々をこねたのはフジのほうじゃないか!」
「私に言われても知らないわよ。」
それはそうなんだが、言い訳くらいさせてくれてもいいじゃないか。
「あれは、そう、頑張ったあとの儀式のようなものだ。」
「へえ、儀式、ね。」
「そうだ。ちょっとだけ……まあまあ……いや、かなり特殊な感性だとは思うが、自分の頑張りをレースの結果以外でもトレーナーに伝えたいと思ったんだろう、多分。頑張りが認められないとやる気も出ないだろう?だからその、匂いを嗅がれないと走る気力が湧かない、と言ったんだろう、きっと。」
「で?いい匂いだったのかしら?」
「黙秘権を―――」
「で?」
「普通だ、普通!」
便利な言葉である。
……ところで、さっきのフジキセキの長台詞を喋っているときのスカーレットの表情と声色、フラットすぎて怖かったぞ。
せめて似せる努力をしてくれないだろうか。
なんだか今も目から光が消えているように思うし、レースでも勉強でも輝く君はどこへ行ったのか。
――――――――――
「さて、お昼も食べ終わったけど、まだ時間が余ってるわね。」
「……そうだな。」
一方的なとんでもない暴露大会のせいで全然心が休まらない昼休憩だったな。
午後もやることは残っているし、せめて残された時間はゆっくりさせてもらおう。
そう思っていた矢先―――
「……んしょ。」
対面に座っていたはずのスカーレットが隣に腰を下ろした。
「ねぇ、アタシ達、一緒になってもう結構経つわよね?」
何、その長年付き合ってきた彼氏彼女みたいなセリフ。
「もう耐えられないの。チームメンバーはみんないい先輩だけど、“アタシのトレーナー”のことを好き勝手に言われるのは嫌。だからね?そろそろアタシも、先輩たちに分かってもらおうかなって思ったのよ。アンタが、誰のものなのか。誰が、アンタの1番なのかを。」
いつの間にか膝に片手を置かれ、立ち上がることができない。
もう片方の手には、しっかりと肩を掴まれ逃げられない。
「ね、見て?アタシだって菊花賞のクリークさんみたいにアンタのことを甘やかしてあげられるわよ?アイネスさんみたいに弁当だって作ってあげる。毎日でも良いのよ?……それと、ね、どうかな。シャワー、芝の香りや土埃を落とすくらいにしか浴びてないから、アタシの匂い、しっかり感じられると思うの。」
嫌な感じは全くしないが、豹変した彼女の様子に戸惑い、うまく言葉を返すことができない。
「うんうん、顔もしかめないし、逸らさないってことはいい匂いに感じてくれてるのかしら?ちょっと顔が赤いのは、興奮してるの?少なくとも普通よりは上、よね?ふふ、やっぱり先輩たちよりも相性いいのね、アタシ達。……先輩たちとのこと、ぜーんぶ上書きしたあとで、アタシたちだけの特別な思い出、作りましょうね?」
次のチームメンバーは、もう少し大人し目の子をスカウトしようかな。
そんなことを考えながら、今はただ目の前のウマ娘に身を委ねるしかないのだった。