喫茶リコリコの閉店時間が近づくにつれ、千束はそわそわしだす。
「どうした? 今日はボドゲ大会の日じゃないだろ?」
客もいないので、パッとみ金髪幼女の居候兼雇われハッカーのクルミが客席でPCをいじりながら言った。
「んーいや今日が納品日だからちょっとねー」
「なにか発注したのか?」
「楽しみにしてろよー」
いひひと悪戯に笑う。クルミとたきなは視線を合わせ、また妙な事でも企んでいるのだろうと困ったように小さく笑った。
やがて訪れた閉店時間と同時に来客があった。どう判断するか、ミカに視線をやると頷かれたのでたきなが接客する。
「いらっしゃいませ」
「いや、客じゃなくて。注文の品を持ってきましたです」
断りを入れて現れたのはアキラだった。店にはごくたまーに顔を出す程度で、静かに来て静かに去るのでリコリコのメンバーの印象にはほとんど残っていない。
「おーアキラさん! 待ってたよ。して、例のブツは?」
千束が座敷の席に迎え入れ、ああ例の……といった感じでたきな達は合点をいかせる。たまに話にのぼっていた。
「何頼んだの?」
と一升瓶を背後に隠したミズキがミカに訪ねる。
「あー、チラシをな。どうかと思って。たきながうちに来る前にそういう話があったんだよ」
「へえ~。どんな感じのやつ?」
「知らん。そういうのは私にはわからないから、ぜんぶ千束に見てもらった」
それを聞いてなんとなく不安になった。いやミカが監修しても不安だから同じか。
まあ、業者に頼んだようなので妙な事にはならないだろう。
「はいみんな集合、集合~。リコリコで初のチラシだよ~。なあんと、みんなを描いてもらったよ~」
上機嫌で全員を座席に招き入れた。サプライズ的な発表なだけあって、どんなものになっているのか少し楽しみでもある。
じぶんがプロの仕事でどう描かれているのか、仕上がりが気になるところ。
千束がもったいつけて厚い封筒に入っているうちの一枚を抜き出し、キラキラした顔で言った。
「どう? どう? めっちゃ良くないこれー!」
こ、これは!
なぜ、と誰かが呟いた。
なぜ、ミカさんだけこんなデカいんだ……一人だけ身長がチラシの端から端まである。いやちょっとはみ出てる。というか、そもそも絵柄がなんというか、こう……言っちゃ悪いので黙ってるが、お金を払ったにしてはこどもが描いたような……
たきなだけが神妙な面持ちでふんふんと見入っている。絵の中の自分は、千束と手を繋いでいた。ほんの少し、気恥ずかしい。
「それはミカ店長がこの店の父親的な存在だと思ったからです」
出されたお茶を一口やったアキラに全員の視線が向いた。にしてもデカすぎんだろ。しかしミカはアキラの説明に口元に手をやり、胸を打たれていた。
「そういう抽象的表現技法に挑戦してみましたです」
ひょ、表現、技法……技法、この絵柄で。
「ええ。新しい試みでー、スランプにもなりかけもしたが」
す、スランプにも。
「ですが間違いなく──人生の中の最高傑作です」
ひょっとしてそれはギャグで言っているのか!?
やりとげた職人のような佇まいをするアキラに、ミズキとクルミの口が塞がった。というか、どう反応すればいいのかわからない。
「ミカさんはわかるのですが、クルミの身長もわたしたちと同じなのはどういう演出意図があるのでしょうか」
ひとり真面目に質問するたきなが、これほど頼もしく映るとは思わなかった。
「それは、たまに顔を出してこの店を観察して思ったが──従業員間に互いの能力を尊重している対等感があるように感じた──」
「おまえは実によくわかっているッ!!」
急にクルミが拳を握りしめて立ち上がった。
「これは外見のようで実は内面を描いているのだな!? 人を見た目で判断し、小さいからと言って軽んじるような輩にはこの絵の良さはわからん!」
「そういう解釈も──ある」
それはいいが、顔を出したのは観察しに来てたからなのか? プロらしいと言えばらしいが、次からはもっと気軽に飲食してほしい気もする。
「それはやはり、自然な勤務態度を確認したかった」
「そ、そう……ところでわたしはなぜ一升瓶を片手に」
ミズキがおずおずと手を挙げて尋ねた。なぜ、閉店後にしか吞んでいないはずなのに知っている。
「これだとただのアル中にしか……」
「それは──それも個性かと」
「いやちょっとこれはチラシとして配るのはマズいんじゃ」
さすがにミカに判断を仰ぐ。
うーんと首筋を撫でながら困ったように言った。
「オレンジジュースとかに見えなくもないし、ほぼ事実だから」
「いえ、一升瓶です」
「喫茶店の従業員がそれは」
「一升瓶です」
アキラが遮るように訂正する。頑固そうなプロだったので、ミズキはもう諦める事にした。まあいいかと小さく嘆息する。
チラシの中のリコリコのメンバーは、みんな朗らかな笑顔だったので。これが続くのならば、それでいいではないか。
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契約はつつがなく終わり、報酬が支払われた。ちょっと時間いいですか? と千束がアキラに確認し、ニヤニヤしながら藪から棒に言う。
「ミズキさんミズキさん、アキラさんに誰か紹介してもらったらどうですか?」
「おいおいおいおい千束ちゃん、会ったばかりなのにそんな図々しいっておいおい無理に決まって」
口では嗜めるが、内心でナイスアシストと褒める。ナイスなのか? 不自然すぎる。
「俺が知っている範囲であれば」
「え!? いいの? マジ」
「どういう人が好みなんですか?」
ミズキは素手で鯛を掴み上げた気分になった。
「まあ詳しい人となりは知り合ってからじゃないとわかんないけど……タイプとしてはそうねえ」
顎に手をやり、たっぷりと時間をかける。なげーよ、とクルミが口を開こうとした瞬間に言った。
「やっぱり筋肉っていうかー頼りがいがある程度には身体を鍛えてて、うーん……確信を持ってるっていうか一本筋が通った感じ? 絶対浮気せずに気になった相手には尽くすーみたいなー」
頬に手を当て、くねくねしだしたミズキをリコリコのメンバーは一歩引いて眺める。千束はずっとニマニマしていた。
「あーそれなら一人いる。後半はどうかわからんが、ジムに通ってて、まあまあ強いしヤルときはヤルやつだ! 人望もある、と思う」
「えー! ホントー!」
ミズキの顔がパッと明るくなる。
アキラが自信満々に言った。
「ああ、クロちゃん言うヤクザやー」
「カタギじゃないんかいッ! おいっ! こっちは真剣だぞおいッ!」
「ヤクザはあかんかー」
「ダメって言うか、え? これわたしがおかしい? んなわけないよね」
急に不安になって周囲をきょろきょろする。ミカとたきなは笑っていいのやらミズキに同意した方がいいのやらで感情がよくわからない。クルミは何とか吹き出すのを耐えている。千束はヒィーヒィー言いながら笑っていた。
「えー、じゃあそうだな」
とアキラは人間関係を洗う。彼女の反応からして元殺し屋もアウト寄りだろう。
「知り合いの知り合いにキックボクシングをやってるやつがいてー、こいつもそこそこ強い」
「急に遠くなったうえになんで上から目線なんだ……ちなみにそいつはヤクザじゃないわよね?」
「あー、組員じゃない」
「……ん? なんの仕事をしてる人?」
「うーん、仕事は知らんがヤクザに頼まれて因縁付けたり人手が足りない時に」
「とどのつまりよ!」
ミズキはどこからともなく取り出した一升瓶をグッと呷ってゴッと飲み下しとダンッ! とテーブルに叩きつけるように置いた。
「とどのつまりそりゃヤクザの舎弟じゃねーか!」
「そー……なるか」
「なるわ!」
「じゃあもういないな」
「おまえの交友関係どーなってんだよ! 世界がもし百人の村だったらの住人でももっと多いぞ! この世はヤクザかチンピラだけかよ期待させやがって!」
グッ、ゴッ、ダンッ!
「既婚者が独身をバカにしやがってよー……」
いい感じに酔っぱらったミズキが目を据えて問い詰める。
「アンタもそのヤクザの舎弟みたいな事やってないでしょうねー因縁付けたりとかあー」
「してない。むしろ因縁は付けられて殴られた側だ」
「切れっ! 縁を! そんなやつらとは知り合いの知り合いにもなるなっ! むしろボコられてどうして知り合いでいられる! というか紹介すな!!」
クルミが耐えきれずテーブルをバンバン叩きながら吹き出し、千束は笑い転げてる。
グッ、ゴッ、ダンッ! …………ちくしょう……グッ、ゴッ、ダンッ! こんな非常識なヤツが結婚出来てどうしてわたしは……グッ、ゴッ、ダンッ!
「お、おい。ちょっとペースが速いぞ」
心配するミカの言葉など耳に入らず、ミズキはアルコールに思考を任せた。それでなんだか堪らなくなって、なぜだか視界がうるんできて、無性に慰めてもらいたくなって、近くにいたたきなの胸に飛び込み、顔を擦り付け眼鏡を雑に外し涙を拭う。
「え~ん、たきな~既婚者があ、妻帯者があ、強きものが弱きものを~持つ者が持たざる者をイジメるヨ~~うぉ~ん」
「えっ!? ちょ、ミズキさん!」
たきながたじろぎながらも、どうしようもないので恐る恐る背に手を回してやる。
さすがに気の毒になったアキラが少ししゅんとする。
「すまん……そんなつもりじゃなかったが」
「えと、その……だ、大丈夫ですよ。ミズキさんはほら、頼りになるし、じぶんでは気づいてないかもしれないようですけど大人の魅力もありますし……」
「……ほんとぉ?」
ミズキが少しだけ顔を上げ、上目遣いでたきなを見やる。涙ぐんでいた。
「……それでぇ?」
「それで!? それで……えーと他には、あー」
視線を宙に彷徨わせ、なんとか答えを探し出す。
「前職の関係上すごいエリートですし、地頭が良くて、お酒を毎日飲んでるから肝臓も強くて、あとコスメとか……時折お客さんの相談にのってる配偶者控除とか健康保険の被扶養者に詳しくて」
「あれ予習にしてもちょっと怖いよな」
と目じりの涙を拭ったクルミが、誰に同意を求めるでもなく独りごちる。言うな、と眼鏡を照明に反射せたミカがぼそり。千束はもう、呼吸が苦しそうだ。死ぬかもしれない、最強のリコリスが。こんな事で。
「うんうん……」
しかしミズキはまだ物足りない様子。胸に顔をうずめたまま無言の圧力で続きを促す。それに耐えきれなくなったたきなは勢いで口走った。
「と、とにかくミズキさんは悪くないです! 言い切れないくらいあるミズキさんの素敵な所に気付けない男の人が悪いんです!!」
「ん決めたぁ!」
ミズキがバッと顔を上げ、至近距離でたきなと視線を絡ませる。その瞳はいい感じにキマっていた。
「え? えと、なにを……」
「男はわたしの魅力に気付いてくれない! いや気付くことが出来ない! 愚かだから! まったくもって一部の隙も無くたきなの言うとーり!」
「いや愚かとは一言も……」
割烹着の足元をさらけ出し、たきなの腰裏へ回してがっちりと捕まえる。
「だから! わたしはわかってくれるたきなと結婚する!」
「な!? なに言ってるんですか!」
ド直球のプロポーズにたきなが動揺した。
「おーこりゃ飲酒運転が事故るかと思いきや路肩に乗り上げたな」
と、おもしろそうにクルミ。ミカは腕を組んだまま成り行きを見届ける。
「んむぁあ? ちょっとちょっと! 人の相棒になに勝手言っちゃってくれてんのよ!」
余裕こいて爆笑してた千束が急に血相を変えて慌ただしい。
アキラがお茶を一口やって千束を援護射撃する。
「あー、よくないなそれは」
「だよねえ!? だいたい、いきなり結婚て」
「まだ未成年だろーから、いろいろマズい! 年齢とか、法律とか」
「う、裏切ったな! 背中から撃つとは!」
「そんなつもりは……」
ぎゃーぎゃーやってる外野をよそに、ミズキはいつになく真面目な口調で問いかける。
「たきなは、わたしの事どう思ってるの?」
「ど、どうって……いいいきなりそんな」
なにかの言い訳を探しているうちに、目が合った。先ほどとは別の理由で、ミズキの瞳は情感に濡れていた。たきなの顔が赤いのは、きっと彼女の酒気に当てられたからだろう。
毎日会っているはずなのに、薄くリップの乗ったくちびるがあんなに柔らかそうだとは気が付かなかった。
ミズキがゆっくりと瞼を閉じた。たきなはまばたきすら忘れ、声が出ない。近づいてくる。日本酒とは別の、いい匂いした。そのまま押し倒される。
クルミが顔を覆った手の隙間からその光景を見ていた。ミカが眼鏡の座りを直す。アキラは千束にアレコレと文句を言われていた。
たきなはミズキの身体の柔らかさと、腹の胎動と、生命であることの重さ、畳の香りを感じていた。耳元で聞こえる静かな寝息も。
「あの、ミズキさん……?」
おそるおそる身体を横にする。ミズキはしっかり眠りに落ちていた。
誰かが深いため息ついた。妙に疲れた。ちょうどみんな、そんな感じ。どーせ翌日の二日酔いの酔っ払いには、この記憶は無いだろう。たぶん。
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とりあえずミズキはたきなが休憩室に連れて行き、クルミはミカの店じまいを手伝った。千束がアキラを店先まで見送る。
「今度は奥さんと来てくださいよ」
「そうする」
「そういえば、わたしとたきなが講師やってる日本語学校でアキラさんのデザインした張り紙見ましたよ」
「あー、あそこか。あれも自信作だ!」
「本業も、本格的に順調って感じですか?」
「おかげさまでなー。繁盛してる」
「んじゃ
「それかー、それはなー。続けてる」
「やりがいがあるから?」
「いや。俺は掃除が特別好きという訳じゃない。そう感じた事も無い。仕事だからプロとしてこなしてきただけだ。ただ──」
「ただ?」
「俺にはそういう才能があると言われた──もっとそれ向きの使い方をした方が発揮されるんだろうが、誰に何を言われようと、出来るだけ、ありがとうと言われるような使い方をしたい」
「……店長も言ってましたしね。
「どんな仕事でも、あまりに大手だと小回りが利かなかったりするらしい。昔の上司が言っていた。緊急の場合とか、縦割りのしがらみとかで。だからこの
「そっか。ちょっと気になって。踏み込み過ぎました?」
「いや、こうして言葉にするのは大事だと学んだ。それと、もし掃除が面倒な時は呼んでくれ。きみの家は散らかってると井ノ上ちゃんから聞いた」
「なっ!? そんなことないんですけど! くっそー、たきなめ。ちょっとBDが出しっぱなしなだけなのに汚部屋みたいに言いやがって」
「そうなのか。まあーお互いがんばろう。ふつうにな」
「そうですね。ふつうに。それが難しいんですけどね」
「ホントになー」
アキラが店の横手に停めてあるママチャリに跨る。あっという間に去っていった。
その背をしばらく眺め、店に戻る。
ふつうに後片付けをして、ふつうに帰宅して、ふつうにソファで映画を観て、ふつうに寝落ちした。
気の利いたオチなど無い。ふつうの日々の中のふつうの一日だからだ。