5話連続更新2話目
蛍硝子で覆われた、密閉されているにも関わらず非常に明るい廊下を二人の影が進んでいた。
その内の一人である四楓院夜一が、先導する男に対して声をかけた。既知の事実を、再確認するために。
「──お主、名は何という?」
「はっ、痣城と、名乗っております」
「ふぅむ、ワシの記憶が確かであれば、お主はこんな場所に居ていい男ではないと思うが。のぅ、痣城
「平にご容赦を。時灘様は私の恩人でありますから、普段からお手伝いを申し入れているのです。他意はありません。──粗相のないよう、私を抜擢して頂けたのかと愚行致します」
「そうかそうか。もしやと、
「……それには及びません。時灘様の強さは、あなたもご存知かと思いますが」
冗談を聞いた時のように、前を進む痣城は薄く笑みを浮かべている。
それを夜一は鼻で笑う。
「噂じゃ。所詮は噂」
「そう、噂です。しかし、噂の中には事実も隠れています」
淡々と述べる痣城に対して肩を竦める。
表向きの話と、裏向きの話。
どちらも夜一は知っているが、今回の話はそのどちらでもない、噂という不確定な情報における話題だ。
しかし、噂に一部真実が含まれるように、噂の中に『裏向き』の話が含まれていることもまた、夜一は知っている。いや、正確に言えば『裏向き』の話を荒唐無稽な噂話にするための『流された噂話』である事を知っていた。
故に、挑発するように言葉を続ける。
「……はて、どれが真実であるのやら。どれもこれもが荒唐無稽にすぎてのー」
「後学のために、どういった噂が流れているか伺っても?」
「はっ、お主がそれを宣うか。……しょうがないの。付きおうてやろう」
痣城剣八。その斬魄刀の能力は特異の一言。
一般隊士や並の貴族ならまだしも、五大貴族である夜一が知らない筈がない。むろん全容を理解しているとは言い難いが、その斬魄刀が剣八と名乗れるだけの実力を発揮しながら、情報収集にも秀でているのは知っている。
薄らと笑みを浮かべながら、夜一は滔々と言葉を紡いだ。
その警戒心を露わにするように、普段にはない真面目な声音で。
「──曰く、元柳斎殿と互角。曰く、『剣八』と互角以上に斬り合った。曰く、その『始解』は
「ご教示ありがとうございます」
涼しい顔で夜一の言葉を受け流す痣城を見る。
端正な顔立ちから僅かでも情報を引き出せればと思うが、無表情の男から情報を引き出す事は難しかった。
だが、他ならぬ痣城が、言葉で噂話を肯定した。
「──しかし、全て、
その言葉に合わせるように、ようやく辿り着いた目的地であろう一室の観音開きの大きな扉が開いてゆく。
内向きに開かれる部屋の奥には、畳が敷かれた部屋が見える。
肘掛けに体重を預けながら、余裕のある姿勢で
肩ほどまでに伸びた銀髪は貴族らしい美しい光沢を持っている。整った顔立ちに優しげな微笑みを乗せていて、綱彌代家らしい意地の悪さが微塵も感じられない風貌だった。だが、だからこそ逆に恐ろしい。
──あの綱彌代家に食い込む程の鬼才が、悪辣なる貴族ではないなどありえない。
強い警戒心を、しかし微笑みを作って覆い隠しながら、四楓院夜一は前に出た。
「──どうやら、待たせたようで相すまぬ。お初お目にかかる、四楓院夜一という。以後お見知り置きを」
「ああ、構いませんよ。あなたと顔を合わせるのは、初めてという気がしませんが、名乗らせて頂きましょう。──綱彌代時灘。気軽に時灘とお呼び頂ければ幸いですね」
にっこりと微笑む風貌は恐ろしいほどに自然体だった。
貴族らしい装いをしていなければ、気軽に接してしまいそうな雰囲気がそこにはある。間違っても貴族が作る雰囲気ではない。それも、己たち以外は全て塵と言って憚らないような綱彌代家の一員には、とてもではないが見えなかった。
知らず背中に冷や汗を流しながら、夜一もにっこりと魅力的に作った笑顔を返す。
政争における笑顔は武器であり防具である。それを剥がすなどあり得ない事だ。
「──さ、どうぞ座敷へ上がってください」
「では、失礼させて貰おう」
白打の天才。
女性ながらにして、当主内定というのは異例の事である。
それを成したのもその白打の才あってのこと。
この場でその瞬神と呼ばれるほどの速度を見せる事はないが、しかしその身のこなしは見るものが見れば、その実力を窺わせるに足りる。
座敷に上がって、時灘の対面に正座で穏やかに腰掛ける姿は四楓院家の姫君と呼称して何ら違和感のない美しい姿だった。
「では、軽い物でも摘みましょう。──痣城」
「はっ」
呼ばれた痣城がその『卍解』の力を遺憾無く発揮する。
時灘と夜一が向かい合っている間の、何もない空間に、突如としてちゃぶ台とお菓子、温かい湯気の立つ緑茶が姿を現した。
「では、頂くとしましょう」
「……温かい」
先んじて菓子とお茶を手に取ってサクサクと食べて啜る時灘を置いて、微笑みを浮かべながら、何も動揺していない様子を装いながら夜一が呟いた。
一瞬にして姿を現したちゃぶ台と茶菓子とお茶。
話には聞いていたが、実際に目にすると驚きが勝る。
もちろん、表情にも声音にも出さないが、どういう事かと問う含みも込めて発言した。
「ああ、お気になさらず。痣城の力であれば容易い事です。しかし、私から説明するのは、彼に義理を欠く事となるのでご容赦ください」
「……無論、そこまでは求めぬ」
当然のように断ってくる時灘にさもありなんと、そっと好奇心の燻りを掻き消して、夜一は言葉を続けた。
「しかし、わざわざ次期当主たるワシを呼び出すとは、如何なるご用件かな?」
「まさしく。次期当主であるからこそ、お話ししたかったのです」
にこりと微笑む時灘に警戒心を強めながら、穏やかな口調で続ける。
「ほぉ何やら大きな話となりそうだが、ワシの就任がいつになるやら。気の長い事だ」
「ええ、それだけの価値があるかと。──我らの『ゲンザイ』に、関わる事ですから」
お菓子を食べながら、いきなりトンデモない爆弾を放り込んできた時灘に、さすがに夜一もピクリと眉を動かした。我らの、五大貴族の『原罪』。そう言われれば思い当たるものはただ一つ。
視線を横に動かせば、茶を用意した痣城はその場に立ったままだ。さすがに聞かせるわけには行かないと四楓院家の立場を示す。
「……痣城殿。下がった方がよろしかろう」
「夜一さん」
五大貴族の当主内定者に話しかけるには、不敬と取られてもオカシクない敬称で、時灘が静かに名を呼んだ。
「……貴殿に、軽々しく呼ぶ事を許した覚えはないが、の」
「ここからの話には、痣城も関わってきます。そして、彼は既に知っている」
一息を吸い込んだ時灘が語る。
「『現在』の尸魂界では、お菓子の貧富差がおかしい、と」
──お菓子だけに。
そう続けた時灘の言葉に対して、一瞬どころか数秒経っても理解が及ばず、夜一がしばらく宇宙猫のような表情をした後にはっと復帰して聞き直した。
「……お菓子?」
「そう、お菓子です。知っていますか夜一さん。瀞霊廷で貴族が消費するお菓子の量と平民たちの消費するお菓子の量は、実に10倍以上もの開きがあるんです。質に関して言及すれば、比べるのも烏滸がましいほどです。流魂街にまで視野を広げれば、もはや目を覆いたくなる惨状でしょう。──そこで、四楓院家の中でもお菓子に関して一家言のある夜一さんをお呼び立てしたんです」
「……ん?」
「知っていますよ。名店・銀紗羅の名誉会員として、様々な無理難題、もとい指令を投げて自分好みのお菓子を作らせている、とね。最近では手を広げて、中小関わらずにイキの良い職人に様々なお菓子を作らせているとも」
「……いや、まあ、の……」
「そのお菓子に対する金子の消費量は、歴代四楓院家の中でも随一でしょう。それも見栄ではなく純粋に味を追求し、貴賎問わずに美味を追い求める姿勢。お見事です、ぜひ、その慧眼と知恵を拝借したい」
「……あー、いや、まぁ、その……」
「どうしました、夜一さん。ぜひ、お菓子を追い求める同士として敬称を柔らかくさせて頂きましたが、ご不快であれば、元に……」
「あー!! 構わん!! 構わんからちょっと黙ってくれるかのぉ!!?」
貴族としての仮面を引っぺがして頭を抱える夜一であったが、さもありなん。
お菓子に
その影響でいまだに菓子職人を囲っていたりするが、そんな少女っぽい趣味は何気に黒歴史と化していた。
加えて、『ゲンザイ』を『原罪』と勘違いしたのも何気に恥ずかしい。
恐らくは
そんな悪辣なる、と表現するにしては可愛らしい悪戯を仕掛けられた夜一は額をヒクヒクとさせながら笑顔で苦言した。
「──おぬし、いい趣味しとるのー」
「いえいえ、それ程ではありませんよ。やはり、夜一さんには今の表情が良く似合う。……少し悪戯したのは事実ですが、お話に嘘はありませんよ。私も、これでもお菓子には一家言ありましてね。──痣城、あれを」
「はっ」
そういって用意されたのは、初めて目にする白いお菓子だった。
内部に赤い果実が見える、白を基調としたお菓子。
──いわゆる苺のショートケーキであった。
「……なんじゃ、これは」
「西洋にもお菓子がありましてね。残念なことに東梢局であるこちらには、西洋の死者たちは来ませんが、ちょっとした伝で情報だけ入手しましてね。その情報を元に発展させたお菓子です。どうぞお一つ」
恐る恐る、手で掴む。
フワリとした触覚とベタつく何かが指に付いたが、チラリと横を見れば手拭いが用意されている。
後で拭けばいいかと五大貴族にしてはかなり大雑把な事を考えながらその口にお菓子を運んだ。
──弾けるような旨さだった。
「なん、じゃこれはああああ!!」
「ショートケーキ、というお菓子でして、我ながらよくできていると……あの、夜一さん?」
ホールで8切れ置いてあったショートケーキが、瞬く間に、それこそ瞬神さながらの速度で夜一の胃袋に転送されて、失せた皿を持ち上げて言い放った。
「おかわり!」
「あ、はい」
それから、夜一が話を聞く姿勢になるために、ホールケーキが三つ消費された。
付け合わせで用意された牛乳も非常に高評価であったと、言葉を一つ付け加えよう。