「──お早う御座います」
美しい声が聞こえた。
凛とした芯のある声。花の香りすら感じられそうな声音はしかし、覚えのない声だ。
瞼を開けば、そこは青い彼岸花が一面に咲き誇る川辺だった。
川に通う水が涼やかな音を立てている。
芳しい風が、川辺に差し込まれた風車をカラカラと回している。
オレはそんな中で、頭部に柔らかな感触を感じていた。
見上げれば、黒髪黒目の美しい女が、オレを膝枕しながら微笑んでいる。
見た瞬間に名が浮かんだ。
「──『 』」
「まだ、口に出しては成りませぬ。私の解合は今ではありませぬ故」
そっと指先がオレの唇を押さえた。
花が咲くように綻ばせる表情はオレの斬魄刀とは思えぬほどに美しい。
「良く良くお考えになって、お使いください。我が力、いいえ。あなた様の解合は、些か刺激が強すぎる故に」
「……しかし、使わなければ解らんだろう?」
「いいえ、いいえ。お解りになる筈です。斬魄刀とは魂の形。これまでに繰り返した事を思えば、いとも容易く」
「……」
「言わずとも、解る。強力無比ではありますが、強すぎる故のジレンマは生まれるでしょう。たかが始解。けれど、始解ですから故に」
「卍解はさせないと?」
「いいえ。お望みとあらば、如何様にも。しかし、必要であるとは思えませぬ。まだ、今は」
コロコロと笑う半身が言うならば、そうなのだろう。
一つ息を吐いて身体を起こした。
川のせせらぎが耳朶を打っている。
穏やかな日差しが心地よい。
きっとここは、オレの理想の風景なのだろう。混沌より生じた現実から逃避するために生み出された心象風景。
「もう、構わない。
「……ご随意に」
お淑やかに呟き、オレの斬魄刀は嗤った。
同時に目覚めの時が近づいていた。
薄れてゆく視界。
カタカタと嗤い続ける半身の姿。
最後に垣間見たオレの心象風景は、やはり、地獄そのものだった。
その、想像に漏れない風景と姿に、オレは微笑みすら浮かべて心の内で言葉を溢した。
──それでこそ、我が斬魄刀。
「──京楽か」
「おや、察しがいいね。起こしちゃったかな?」
目を覚ました瞬間にその気配を感じて、口を開けば返答があった。
朧げな脳裏をハッキリとさせる意味でも言葉を続ける。
「いや、ちょうど良かったよ。いい区切りだったからな」
「……? そうかい?」
なんだかんだ言って、甲斐甲斐しい男だった。
慣れた手つきで手拭いを絞ると、京楽はオレの額にある手拭いを替えてくれる。
瑞々しさを保持していながら、水滴は垂れてこない。良い塩梅の搾り方だった。
「慣れてるな、有難い」
「まぁ浮竹はしょっちゅう寝込んでるからね。好きでやってたらいつの間にやら、ってやつだよ」
肩をすくめて冗談めかしてそう言う京楽の姿に、つい先ほど半身と対話していたこともあってか、オレは気が緩んでついつい本音が漏れた。
「本当に、お前は良いやつだな」
「……どうしたの、急に。照れるじゃないか」
「たまには、いいだろう」
「やれやれ、男に甘えられるのは趣味じゃないんだけどね」
そう言いながら、手際良く周囲の片付けを進める京楽だったが、何気ない風を装って言葉を紡いだ。
「山じいの事、怖いかな? 側から見てたボクでも怖かったからねぇ、当事者のキミはもっと怖かったろ? なんたって最古最強の斬魄刀の一つである『流刃若火』だもの。もしキミが粗相してたとしてもボクは驚かないね」
京楽の口数が増える時は、暗喩が含まれていることが多い。
あるいはニュアンスとも呼ぶべきものだ。
既に京楽と浮竹との初めての会合を経てから、半年以上が経過している。
その間に理解できた事柄だった。
あえて総隊長のことを怖いかと聞く発言。
視線を向ければ、穏やかに微笑んでいる京楽がいる。
怖いか、と聞く割には表情と一致しない。総隊長と仲の良い京楽がもし本心で聞いているのであれば、そこに固さがあって然るべきだ。
もし表情と一致させるのならば『安心しろ』と言っているように見受けられる。
怖いか、という発言。それとは異なる表情。
そこから推測するに、つまり、山本元柳斎重國の事を『怖がる必要はない、安心しろ』と言っていると受け取れる。
そこでふと思い出すのは三つ編みの美人の事だ。
姿を直接みるのは初めてだが、特徴的に卯ノ花烈。四番隊隊長だろう。彼女がタイミング良く霊術院に居るのは少し考えればオカシイ。
その二つをつなぎ合わせれば、総隊長がわざわざ彼女を用意したと考えることができる。
それを含んだ上で京楽の発言を考えれば。
『山じい』というのは、その斬撃。つまりは殺意のことを指す。
総隊長は味方。なのに殺意を指すとなれば、彼に命じた部外者の存在が浮かび上がる。
以上を持って京楽の発言を翻訳するならばこうなる。
『山本元柳斎重國に、綱彌代時灘殺害を命じた者が居るが、怖いか?』
そう外れてはいない筈だ。
深読みだとしたら恥ずかしいが、京楽の様子を鑑みるに間違って居ないと思う。
で、粗相に関してだが。
京楽が普段から言いそうな事ではあるが、イラッとしながら一応含みがあると考えてみる。
粗相。
大小便をもらすこと。
それ以外の意味は、不注意・そそっかしさから、あやまちをおかすこと。
つまり、オレが何かミスをして殺害命令を誘発したのか? と、京楽は聞いている。
そうだよな? マジで粗相したのかって意味で聞いてるんなら拳骨だぞ。
ジッと見れば、微笑んだまま京楽はオレに視線を返してきた。
普段なら『やだなぁ冗談だよ、冗談』とでも言うだろうに、それがないとなれば、やはり含みがあると考えて良さそうだ。
ならば、オレの回答は単純だ。
「ああ、怖いね。夜も眠れなくなりそうだ。あの死神の手本のような形相が夢にまで出てくるだろうよ。あと、粗相なんかする訳ないだろうが」
意訳すれば『命の危機を感じている。これからは夜も警戒する必要がある。命令を出した人物に心当たりがある。ミスをした覚えはない』となる。
問題なく意味は伝わったようで、京楽は微笑んだまま薬を煎じていた。
「そうかい。そりゃあ大変だね。ウチの伝で良い薬師を紹介しようか? よく眠れる薬を煎じてもらいなよ」
『京楽家の伝で、護衛を用意しようか? 寝食は保証するよ』
「いや、それには及ばない。これでも強心臓なんでね。直接顔を合わせるならまだしも、夢くらいどうとでもなるさ」
『実力的にこれでも強いから問題ない。直接呼び出しを受けるなら考慮する必要があるが、普段暮らしならどうとでもなる』
そこまで話して、京楽は表情を変えた。
おちゃらけた普段の表情を見せて、暗喩は終わりだと示していた。
冗談を多く含んだ言葉を楽しげに続ける。
「そうかい? 残念だな、キミに恩を売れる良い機会だっていうのに」
「はは、五大貴族のオレに恩を売ろうとは、死神よりも商人の方が向いてるんじゃないか?」
「ボクもそう思うんだけどねぇ。これでも期待の次男坊だからさ、そういう訳にもいかないのよ」
楽しげに、いつも通りに、オレと京楽は会話を続ける。
その会話に含ませた意味を気取らせる事のないように、粛々と。
救護室にいてもしょうが無いので、次の日には自宅に戻って養生していた。
布団に寝転がって回道の練習がてら胸の傷に手を当てていたのだが、強い霊圧を持った馴染みのある気配が近づいてくるのを感じて、ギクリとしながら視線を玄関口に向けた。
ガラガラと何の躊躇もなく玄関が開いた音がして、タンタンタンと軽快に廊下を進む音が聞こえる。
そして、勢いよく襖を開いてオレの寝室にまで上がり込んできたのは、京楽や浮竹と同じく、これまた同期の女だった。
「──どうも〜〜! 元気してるかい? ほらほら、せっかく来たんだから寝転がってないで。とりあえず作ってきたから食べときなよ。残りは今作ったげるからさ」
「……曳舟?」
曳舟桐生。
五百年以上後には零番隊に昇進することが決められている、義魂技術を生み出すであろう天才。
その張本人がオレの部屋に上がり込んできていた。
「そーだよ! あんたが斬られたって聞いていてもたっても居られなくってね。あたしの料理食べれば少しは元気になるだろ? ほらほら、食べちゃいなよ。あ、もしかして動くのも辛い? それならあーんしてあげるよ、あーん」
「いやいやいや!? じ、自分で食べれる! いいから離れろっ」
「いけずだねぇ。まぁ元気そうで良かったよ。じゃあ、ちょっくら厨房借りるからね〜」
「……あ、ああ」
嵐のようにやってきた曳舟桐生が残していった、作ってきたというまだ暖かさの残るご飯がちゃぶ台に並んでいる。
せっかく用意されたものを食べないのも悪い。
それに曳舟の料理は回復効果もある。
以前から魂魄を食い続けた結果故か、オレは曳舟の料理の持つ回復効果が他の死神の数倍ほど効く。
料理を振る舞う曳舟にそれを知られてから、やたらと付き纏われるようになって多少困惑していたのだが、今は有り難く頂いておこう。回復が早いに越したことはない。
「……頂きます」
両手を合わせて、箸で掻き込む。
白飯にたくあん。焼き魚に汁物。
霊圧のこもった回復効果故か、それとも別の何かが篭っているからか。
──その食事は、とても温かく感じた。