はろー・にゅー・わーるど   作:充椎十四

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大将二人共書きにくい敗訴

誤字報告有難きことかな
》太陽のガリ茶様、kuzuchi様


その2

 世界に君臨するために必要な知識をタダで手に入れる手段がある――そう語ったトレーボルが取り出したのは、一匹の電伝虫。

 

「十日に一度、『でんでん読み聞かせ物語(ラジオドラマ)』と言う朗読がある。それを聴くんだ、ドフィ」

「何をバカな――読み聞かせがごとき何の役に立つ? おれをガキ扱いするつもりか」

 

 ドフラミンゴはもう十歳、読み聞かせを聴いて喜ぶ歳はとっくに過ぎている。サングラス越しにトレーボルを睨み上げたドフラミンゴに、トレーボル本人は落ち着いた調子で「勘違いするなドフィ」と首を横に振った。

 

「この放送は、タダで、物語の一部として、上流階級のマナーや常識を教えてくれる――カンのいい奴らは気付いてるのさ。これからのマナーブックは『でんでん読み聞かせ物語』だってな」

 

 高い飯屋ではカトラリーを外側から使う。店に入るためにはドレスコードなんていう服装の規定があり、その規定を守らなければ入店を拒否されることもある。――そんな知識を身につける機会なんて底辺で育ったおれたちには存在しねェ。

 だが「でんでん読み聞かせ物語」では言ってるのよ、そういうマナーってやつがあるんだと。

 

 知って何になるか、なんて今は考えなくていい。知ってりゃ役に立つときが来るし、そのときが来れば恥をかかずに済む。

 

「この番組はこれから世界の常識になり、隠語になり、共通の話題になり、相手を推し量る手段になる。どの物語が好きか、どんなところが好きなのかでお前はそいつの底の深さ浅さを知り、逆にお前の根底も探られる……」

 

 トレーボルはドフラミンゴの胸を人差し指でトンと突く。

 

「ドフィ、『でんでん読み聞かせ物語』を聴け! これは間違いなくお前のためになる」

 

 ドフラミンゴは「お前がそこまで言うなら」と渋々頷いた。そして。

 

『さあ、今日も始まりました、でんでん読み聞かせ物語――今日からは長いお話です。悲しく苦しいお話ですので、苦手な方はご注意を。ではお聞きください「黒○兄弟」』

 

 冒頭は年下の少女の声だったが、物語を語る声は壮年から初老あたりだろう男性のもの。生活に余裕のあるじいさんが孫を巻き込んで暇つぶしをしているのだろうとドフラミンゴは内心でツバを吐いた。だが。

 

 語られたのは、貧しさから人買いに売られたジョルジョの物語。厭らしい人買いに連れられ、悲惨な船旅の末ようやっと辿り着いた都会は貧富の差が田舎のそれを遥かに越えており……これからジョルジョがどうなるのか全く分からないまま、三十分が過ぎたからと切り上げられた。

 ドフラミンゴは唖然として電伝虫を見つめた。これは何だ――「読み聞かせ」とは毒にも薬にもならないチンケな物語を語るものではなかったのか。

 

 読み聞かせの中でドフラミンゴは貧しい家庭の少年となり、狭い船内に閉じ込められ、同じ境遇の子供たちと身を寄せ合った。

 

「なんなんだ……これは」

「これが『読み聞かせ物語』だべぇ」

 

 もしかして、ロシナンテがあのとき聴いていたのは「でんでん読み聞かせ物語」だったのか? 指折り数えれば、ドフラミンゴが父を殺したのはちょうど二十日前。時間も合っている。

 ロシナンテはこれを知っていたのだ。ドフラミンゴに教えなかった理由は分からないが、ロシナンテはこれを聴いていた。

 

「いい根性だえ、ロシー……」

 

 「黒○兄弟」はまさしくドフラミンゴのためにあるような物語だった。父という名の誘拐犯、何もままならぬ苦しい生活、悪徳の極みめがと唾棄すべき「他人」――それを乗り越えろ、と。立て、とドフラミンゴに語りかけている。

 

 ドフラミンゴはそれからの放送を欠かさず聴き続けた。長い話、短い話、大人向けの話、子供向けの話――全て聴いた。放送の主は年若い子供の方であること、放送の主は海軍将校と交流があること、「これを聞いている大事なあなた」の心の慰めになるよう放送を続けていること――放送を聞くうちに知った。

 

 ドフラミンゴが二十歳を過ぎた頃には放送日が増えて過去の作品を再放送する枠が出来たことで知名度は更に上がり、「でんでん読み聞かせ物語」はこの海で知らぬ者がない放送にまで成長した。

 知らぬ者同士出会ったとき自己紹介には必ず自分の好きな作品名を挙げ、作中のセリフを掛け合いして喜び、酒が入った席では寸劇まで始まる。老いも若きも、男も女も、生まれの良いも悪いも、立場も、何もかも関係なく全員が盛り上がる稀有な話題……「でんでん読み聞かせ物語」はそんな存在になった。

 

 トレーボルの語った通り、「でんでん読み聞かせ物語」は今や文化であり、常識なのだ。

 

 しかし放送の主は番組を始めてから十年が過ぎても十五年が過ぎても名乗らないままで――困ったのは放送主の呼び方だ。

 気楽な連中らは放送主を「モンデンキント」やら「リトルママ」やら「お話の女王」やらと呼んでいる。物語の世界の女王だからという理由らしい。

 しかしドフラミンゴのような、現状に不満を持ち成り上がりを狙う者らは「家庭教師殿(ミス・ポピンズ)」ないし「(新時代の)ドンナ」と呼んでいる。何故なら彼女はドフラミンゴらにマナーや知識を与える家庭教師であり――同じ女から同じマナーを学んだ者が集う秘密倶楽部は新たな時代を担う者で溢れているから。

 

 ドフラミンゴはドンナが好きでも嫌いでもない。彼女の放送する「でんでん読み聞かせ物語」には感謝しているが、だからといって慕うわけではない。ドンナはただの情報提供者で……バカな女だ。

 そう嗤っていた。

 

 ――オペオペの実を奪われ、ローに逃げられた帰りの船内。ドフラミンゴは電伝虫のダイヤルを押した。

 今日は再放送の日。再放送とはいえ何が放送されるか事前告知はなく、当日まで分からない。

 

『さあ、今日も始まりました、「でんでん読み聞かせ物語」……今日は短いお話です。ではお聞きください、「100万回○きたねこ」』

 

 この話はたしか三年前に放送された話のはずだ。ながら聴きをしながら手元の便箋を開く。

 

「『義姉上』ね……」

 

 ローの行方について何か証拠になるものがないか、とコラソンの懐を探って出てきたのは古ぼけた手紙だった。差出人はマリージョア……聖地に暮らす天竜人・マリアローズ宮、宛先は世界政府非加盟国のドンキホーテ・ホーミング邸、ドフラミンゴ。

 

 親愛なるドフラミンゴ聖、お元気ですか、つつがなく暮らしておいででしょうか、という挨拶から始まった手紙には「これから読み聞かせの放送をするつもりだから是非に聞いてほしい」という言葉があった。放送に使うという電伝虫の番号は6700。

 古い手紙だ。いつも身につけ、何度も読み返したのだろう……上等な紙なのに折り目が擦り切れて毛羽立っているし、くしゃくしゃになった跡もある。

 違う。くしゃくしゃになったのは――そうだ。あのとき、まだ屋敷で暮らしていたとき、ドフラミンゴはこの手紙を受け取ったのだ。

 

 そして丸めて捨てた。

 

 ドフラミンゴはマリアローズ宮からの手紙を胸に押しあて、片手で顔を覆い、背中を丸めた。ああ、なんて――

 

「お前はなんて最高なんだ、コラソン……! お前のおかげで、おれは愛すべき『婚約者殿』のことを思い出した!」

 

 秘密倶楽部の「敬愛すべきドンナ」はマリアローズのことだから、「大事なあなた」とは――そうとも、ドフラミンゴのことなのだ。

 

『義姉上、どうか……ローを……』

 

 そう言って事切れた弟に愛しさすら覚えて、ドフラミンゴは肩を揺らす。

 腹の底から溢れ出た哄笑は船中に響いた。

 

****

 

 ガープが初めてマリアローズと会ったのはマリアローズが五歳のときで……ガープはロックス海賊団を壊滅させる際に海賊であるロジャーと協力した責で降格させられており――その他ガープの過失による海軍施設の破壊もあり――先日少将に戻ったばかりだった。

 

「わちしはマリアローズあます。今日はよろしく頼むあます」

 

 まだ担当区域の振り直しがなされていないガープは元帥の「お前ヒマだよな?」の一言でマリアローズの護衛を任された。『母親』はシャボンディ諸島へ奴隷の買い付けに行くため別行動で、マリアローズだけ海軍本部――マリンフォードに来ていた。

 聖地で箱入りの天竜人とはいえまだ5歳の子供だ。ガープはマリアローズの視線と高さを合わせるよう片膝を突く。

 

「御身の護衛として力の限り尽くさせて頂きます」

 

 ガープの言葉に「そうか」とマリアローズは鷹揚に頷いた。しゃぼん越しに見える顔は『母親』のそれと似ている。

 薄茶色の髪に金色の瞳、子供らしいふくふくとした頬は健康的な薔薇色だ。健康に育てば『マリアローズ宮』もこんな顔になっていたのだろう。

 

 ――シャボンディ諸島で天竜人の護衛を任されているのはガープの下士官昇格時の同期だ。態度や口調が柔らかいため天竜人の対応に向いていると、頻繁に護衛役を任され出動している。

 

「なあガープやい、子供から親を取り上げるのもだけどよ……」

 

 あるとき、酒の席で、首まで真っ赤にした同期は鼻を啜った。

 

「親から子供を取り上げるのもよ……胸がいてぇや。まだ『ワンワン』とかしか言えねぇような赤ん坊だぜ? 自分の親がよ、目の前で殺されて……それがどういうことなのかも分かんねぇ年だ」

 

 とある天竜人は喪った我が子そっくりな子供を見つけるや親から取り上げ、護衛に親を撃ち殺させ……その子供を我が子として聖地に連れ帰ったのだという。

 同期はガープのネクタイを奪って鼻を擤んだ。

 

 もちろん殴り合いになった。

 

 ――その事件から三年。いまガープの目の前にいるマリアローズこそ、その子供だ。

 

「どこをご覧になりたいですかな」

「どこ……ここには何があるあます?」

「そうですなぁ、ではわしの執務室にでもご案内しましょう」

 

 ガープはマリアローズを執務室へ連れて行くことにした。

 なんせマリアローズは5歳児、あちこち案内している間に迷子になられたら大変だ。「女子供が好むような場所」も分からないし、とりあえず執務室に閉じ込めておいて、ご機嫌取りにオヤツを……センゴクの煎餅を与えておけばいいだろう。

 名付けて「室内で()オヤツでも()食わせとけ()」作戦――完璧だ。

 

「あれ、少将? 今日は天竜人の護衛だったはずでしょう、なぜお戻り、に……」

 

 少将に戻ったことで増えた書類仕事を任せていた部下たちは先ずガープに気づき――そしてガープの足元にチマっと立っているマリアローズに気づいた。

 椅子から転げ落ちる者、壁に貼り付く者、「ほげー天竜人!」やら「てててて天竜人だマジもんだ!」と叫ぶ者と……執務室は一気に騒がしくなる。

 しかし『天竜人に取るべき態度』を思い出した者が平服したのを見て全員が慌てて平服し、執務室はしぃんと静まり返った。

 

「わちしはお前たちの監視に来たわけではないあます――楽にして良いあます。仕事中だった者は仕事に戻るように。わちしのことは気にしなくて良い」

 

 この発言にはガープ含む海兵全員が目を丸くする。天竜人らしからぬ発言だ。

 執務室をぐるりと見回したマリアローズは、執務机に平積みされた書類に目をとめた。

 

「これらすべて海軍の書類あますか?」

「あ、ああ……そうです」

「手書きあますか」

「ええ」

 

 新聞や掲示物は大量に同じ内容のものが必要なので活版刷りしているが、報告書類などは手書きが主だ。いちいち文字を並べて刷るほどのものでもなし、手書きが一番手っ取り早い。

 

「大変そうあますね……」

 

 執務室に激震が走った。海軍の花形が現場仕事なのは仕方ないとしても、書類仕事は「誰でもできる」と軽視されがちで昇任も遅い。その裏方を見て――「大変そう」と、天竜人が言ったのだ! 天竜人が!

 幾人かは自分の耳に指を突っ込み、耳垢が溜まっているのではないかと確認した――指先に粉状の耳垢が付いてきたから息で吹き飛ばした。

 幾人かは自分の頬をつねった――ほっぺ痛いわ、夢じゃなかった。

 

 だが。マリアローズは好意で心配したのかもしれないが、「よくも不快にさせたな」と後から難癖を付けられる可能性がある。一人が慌てて「わたくしは書類が大好きです!」と叫んだ。

 

「わたくし、書類仕事が趣味であります! 天竜人様におかれましてはご心配ご無用であります!」

「はい! おれ――じゃなかった――私も書類仕事が三度の飯より好きでしてはい!」

「わたしは書類仕事が食事です! 書類からしか摂取できない栄養価がありましてそれはショルイミンAからショルイミンEまで大別して五種類あり特にショルイミンDは骨粗鬆症に効果があるという研究結果が――」

 

 そんな訳の分からない主張を最後まで聞いたマリアローズの表情は、煎餅を食べているときのセンゴクに似ていた。

 

「お前たちが書類仕事が大好きなのは分かったあます」

 

 理解してくれたのか、と執務室が揺れる。今この瞬間、ガープ少将の執務室には馬鹿な大人しかいなかった。

 

「……お前、お前の趣味は何あます?」

 

 元気な部下を見て元気を貰ったガープは、元気いっぱい答えた。

 

「鍛錬!」

「……さようか。うん、健康的で良いのではないあますか?」

 

 マリアローズに気を遣わせたと執務室の面々が気づいたのは、彼女が聖地に帰った後だった。

 頭を抱える者、自分は変なことを言っていないはずと信じる者、執務室内は混沌を極めた。

 

「やばいやばいオレマリアローズ宮に何かべらべら喋ったよな」

「ショルイミンDについて語ってた」

「ショルイミンDって何!?」

 

 やら、

 

「おれ三度の飯より書類が好きって言っちゃった……違うんです、おれは食事の時間が好きです! お酒があるともっともっと好きです!」

 

 やら。

 

 ――初回の訪問はこのような騒ぎになったが『まとも』なマリアローズの訪問が何度か続くうちに慣れた。「邪魔あます」としゃぼんの服を脱ぎあちこち自由にうろつくマリアローズを、本部勤務の面々は時にハラハラし時に温かく見守っていた。が。

 

「ママパパベッドでゴーロゴロ!……あっマリアローズ宮」

 

 鍛錬で基地外周を走る連中は硬く強張った笑顔を浮かべながら逃げるように去った。本部から下品なランニング歌は消滅した。

 

「おやおや、お嬢ちゃんどこのコだーい? 海軍総本部に入り込むなんていけない子だねェ」

「ボボボーボボルサリーノ中佐こっち! いいからこっちへ!」

「一体なんだい――エッ」

 

 船上での勤務が多い者や地方からの応援が親切や遵法意識によりマリアローズを本部の外に連れ出す事例が多発し、本部の掲示板にはマリアローズの写真に「お見かけしたらガープ少将まで」と書かれたポスターが貼られた。

 

 そんな状態だったこともあり、マリアローズが「これからは来る回数が減るあます」と言ったときには皆が胸を撫で下ろした。下品なランニング歌の復活が決まった瞬間だ。みんな下ネタが大好きなのだから仕方ない。

 

「したいことが出来たあます。ぜひ皆にも聞いてほしいあます」

 

 そうして始まった「でんでん読み聞かせ物語」を聴いたガープはその日中に息子に「こりゃ良いもんだ、お前も聴け」と電伝虫を掛けた。良いものは共有したい……家族なのだから。

 

「そうだな、親父。確かにこれは良いもの(・・・・)だ」

 

 19時の放送を自室で聴いた青年は、目を細めて電伝虫を見つめる。

 

「世界が変わる時が――近づいているということだな」

 

****

 

 ボルサリーノが初めてマリアローズ宮を見たとき、彼女はしゃぼんの付いたスーツを着ていなかった。

 

「お嬢ちゃんどこのコだーい? 海軍総本部に入り込むなんていけない子だねェ」

 

 そう話しかけてしゃがみこめば、曲がり角の影から青い顔の海兵が顔を出してボルサリーノを呼びまくる。

 

「ボボボーボボルサリーノ中佐こっち! いいからこっちへ!」

 

 ボの数がやけに多い。仕方なくそちらへ向かえば「見ろ」とばかりに差し出されるポスター。

 

「一体なんだい――」

 

 端っこにガープ少将の確認印付きのそれは、さっき見つけた少女の顔写真で、脇に「マリアローズ宮が迷子でおられるときはガープ少将の執務室までお連れください」という文字が踊っている。ボルサリーノは老眼を疑った――まだ三十歳にもなっていないのに。

 

「彼女は……」

「天竜人であらせられます。今はお散歩中です」

「頭の金魚鉢は」

「邪魔だから脱ぐ、と仰いました」

 

 嘘を吐いているのではと半眼になったボルサリーノにしかし海兵は首をぶんぶん横に振る。こんな不敬極まりない嘘を吐いてどうするというのか。嘘がバレれば彼の命はない。ボルサリーノもそれは分かっているが――信じ難いのだ。

 そこに、少女が声をかけてきた。

 

「そこの、ボルサリーノと言ったか。わちしはそろそろガープの執務室に戻ろうと思っていたところあます。わちしを先導する許しを与えるあます」

「……オオ〜」

 

 天竜人独特の癖のある喋り方は真似したくて真似できるものではない。ボルサリーノは帽子を胸に当てて「光栄です」と腰を深く折った。

 ガープ少将の執務室までボルサリーノの脚で五分、この少女の脚で十分といったところか。歩幅をできうる限り小さくして歩いているが、身長差はどうしょうもない。ボルサリーノはちびっこの頭を見下ろした。

 

「マリンフォードへは頻繁に来なす……いらっしゃるのでありますか」

 

 実力ゆえ入隊から数年で将校に駆け上がったボルサリーノだ、天竜人の対応はまだ経験したことがない。彼が『初めて会う天竜人』がマリアローズ宮であったのは幸運だった。

 

「そうあます。沈んでいたわちしを元気づけようと、母上様が連れてきてくださったあます」

 

 海軍本部が託児所扱いされていることに、ボルサリーノの軍人としてのプライドは傷付けられた。

 しかしそのかすり傷はすぐに回復する。

 

「ガープと一緒に、訓練中の新兵も地下牢の罪人も見て回ったあます。――この世界はわちしの知らないことばかり。わちしはもっともっと世界を知りたいあます」

「ちっ、地下牢の罪人を見て回ったのかいぃ?」

「そうあます。海兵にも罪人にも話を聞いて……この世界には思いやりの心を育てる機会が少ないのではないかと気づいたあます」

 

 齢5歳にして大覚を得たらしいマリアローズの表情は慈愛に満ちている。これが天竜人の教育なのだとすれば恐ろしいものだ――精神の成熟が早すぎる。良く聞くモンスター天竜人の話はあくまで噂でしかなかったということだろうか?

 

「ン〜……マリアローズ宮。1から9を足した和は?」

 

 一緒についてきた海兵が目をかっぴらいてボルサリーノを振り返った。どう考えても自殺行為、不敬ストリートのど真ん中を歩いている。

 

「45あます」

 

 ――この出会いのせいで、数カ月後にシャボンディ諸島で他の天竜人の護衛をしたボルサリーノは「ンン〜?」と首を傾げることになる。

 

****

 

 鼻歌をふんふんと鳴らしながら廊下を歩くボルサリーノの手には赤い表紙の本――通り抜けざまその本のタイトルを目にしたサカズキは「おい」とボルサリーノを呼び止めた。

 

「その本は何じゃあ」

「コレかぁい? 『は○しない物語』だねぇ」

 

 ボルサリーノが両手で胸の前に掲げたのは赤金色の絹張りが美しい本だ。互いの尾を噛む二匹の蛇の紋様に「はてしな○物語」と流麗な文字。「でんでん読み聞かせ物語」で語られていた通りの装丁だ。

 

「どこで手に入れた? 万国版ではないようじゃな――」

「オオ〜、これはマリアローズ宮に言えば貰える……云わば本人謹製版よォ。わっしが姪の誕生日プレゼントに迷っていることを話したら、わざわざ用意してくだすってねぇ」

「マリアローズ宮御本人のか」

 

 海軍本部のごく一部でのみ知られている事実――「でんでん読み聞かせ物語」の放送主が天竜人のマリアローズ宮であること――を、もちろんサカズキも知っている。下界の汚い空気を吸わないためのスーツを脱いであちこち歩き回る姿には初めこそ混乱したが今はもう慣れた。

 

「宮様の御好意じゃ、見せびらかしたくなる気持ちも分かるが……下の奴らには見つからんようにせぇよ」

 

 マリアローズ宮は、彼女が「でんでん読み聞かせ物語」の放送主であることを知らない者たちからも人気が高い。「他の天竜人とは違い人間味があり下々の者にも優しいから」という比較対象が悪すぎるがゆえの人気だが――人気がないよりはある方が良いだろう。

 本人が名乗ると決めるまで「でんでん読み聞かせ物語の放送主が誰であるか」は海軍の極秘情報なのだから。

 

「当たり前だよォ。はぁ……しかし、姪相手とはいえ手放したくないねぇ」

「うむ。それは家宝にして姪御には万国版をやったらええ」

「悩むこと言わないでくれないかい?」

 

 「読み聞かせ物語」の書籍は三種類ある。私家版、万国版――別名ビッグマム海賊団版、本人版ことマリアローズ版だ。

 

 私家版は放送から書き起こした文書を書籍の形にしたもので、広く流通しているのが私家版になる。マリアローズは「言葉の勉強に使ってくれたら嬉しい」と事実上の許可を与えているため、小さな出版社や印刷屋ないし個人が好きに製本している。

 万国版はマリアローズが「でんでん読み聞かせ物語」の放送時に「どなたか書籍の形にしてくれないかしら」と呟いた結果、ビッグマムが「はいはいはい! おれ! おれおれおれおれおれお・れ! おれが一番ふさわしい!」と盛大に名乗りを上げ……公式(マリアローズ)の許可をもぎ取って作った豪華装丁版だ。ビッグマム海賊団の面々はニュースクー経由でマリアローズから原稿を借りていることを誇りに思い過ぎており、万国やその近辺の私家版を焼き尽くすことに腐心している。やめろ。

 そしてマリアローズ版は……本人から貰う以外に入手する方法はない。

 

 そろそろ40になろうというサカズキと、すでに42のボルサリーノ。四十男二人はしばらく見つめあい――絹張りの本を仕舞い込むことに決めた。なんせ限定版だ、10歳のじゃりン子にくれてやれる物ではない。

 互いの肩を叩き合って、歩き出す。

 

「今日の上がりは何時じゃ?」

「19時だよォ……見たいのかい?」

「わしも今日は19時にあがる。お前の家でいいな」

「ンン、決定事項かァ〜」

 

 当たり前だが、二人がこの場にいない同期――クザンを呼ぶことはなかった。

 

****

 

 ラジオを始めて三回目だったか四回だったか、祖父()に書斎へ呼ばれて注意を受けた。最近「でんでん云々」などという放送をしているようだが、仮にも天竜人の身分にあるというのに下々民に媚びるような行為は看過できない。今すぐ止めろ、と。

 

「で、でも、母上様は喜んでるあます……」

「は?」

「母上様は……わちしの初めての視聴者あます……」

 

 ぶっつけ本番で朗読の放送なんてできるわけがないだろいい加減にしろ。何度か練習で放送をし、それを別室の母に聞いてもらっていたのだ。

 生放送に焦って噛んだり読み飛ばしたりとちったりを繰り返す私に「トーンダイアルでの録音を流したらどうか」という案を思いついたのも母で、納得するものができるまで録音し直して放送する手法にしたおかげで朝と夕方に同じものを流せることになった。トーンダイアルってすげー!

 

「あの子がかえ」

 

 祖父()が額を揉むのを見ながら、「読み聞かせ」程度で下々民に媚びてるとか身分がどうとか、天竜人って縛りがきついなと考えた。

 私のいた世界ではロイヤルファミリーがツイッターしてたけど、あれを媚びだと考える人は少なかったように思う。それに私は天竜人と名乗らずに放送をしているから名誉のどうとかこうもないし。

 

 私と入れ替わりに母が呼ばれて祖父()の書斎に入っていき――五分と立たずに母の癇癪じみた怒声が響いてきた。

 

「マリアローズがしたいことを応援して何が悪いあます!?」

「だから――」

「マリアローズが見つけた可愛い趣味にあれこれ口を出さないでほしいあます! 奴隷を飼っては殺す無駄遣いバカより何千倍もマリアローズは賢いあますァ!!」

「それはそうなんだけれども」

「トーンダイアル程度、山になるほど買ったところで奴隷一匹にも足りないあます!! お父上様はこれだから頭が固い老人と言われるあます!」

「待つえ、誰がそんなことを言ったんだえ」

 

 モンスターマザー、敵にすると面倒だけど味方につけるとこんなにも有り難い存在になるとは。趣味を応援してくれる親の存在とはかくも有難きことかな。

 やっちゃえ母さん。

 

 ――とまれ、母の切れ味抜群な罵倒のおかげで「でんでん読み聞かせ物語」は延命が叶った。ただ祖父()からは「冒険に興味関心を持つような話だけではなく未知に飛び込むことの危険性なども話すように」と言われたので、『永遠に美○く……』を朗読したら「お前の頭はどうなっているんだえ?」と頭の心配をされた。

 変なもの(≒悪魔の実)をむやみに食べたり飲んだりしちゃいけません、という教訓を学べるだろうと思ってのチョイスなのに。

 

 そんな時間が半年過ぎ、一年過ぎ、私は頭を抱えていた。

 「でんでん読み聞かせ物語」放送までの工程はこうだ――前世で聞いた物語を思い出しながら下書きを作り、肉付けし、朗読しやすいように文章を整え、読み上げる練習をし、録音する。

 

 激務である。

 

 粗や矛盾が見つからないことのない肉付けと添削、長引く録音、無情にも十日に一度やってくる締切。私はまさに萎びた青菜だった。

 週一は流石に辛いから十日に一度かな、なんて気楽なことを考えていた過去の私を殴りたい。こんなの6歳児ができるスケジュールではない。つらい。きつい。私は一体何をやっているんだ? もう分からない。未来も見えない。誰だよこんな過密スケジュール組んだやつ――私か。ふええ死んじゃうよぉ。

 

 ジョーよりも真っ白な私を心配した母が「陽の光を浴びた方がいいあます。一緒にお散歩するあます」と言ったので屋敷から馬で十分の距離にある公園に行った。往復の道中、馬車に揺られながら外を見ていればあちこちで奴隷が働いている姿。

 

 道や建物の清掃をするのが奴隷――分かる。

 人力車を引くのが奴隷――まあ分かる。

 交通機関の動力が奴隷――分からない。もしかしてここは聖魔法王国だったのでは。関節技こそ王者の技よ、って語る肉体派魔法少女がこの街のどこかにいる……?

 

 はは、まさか。

 

 締切に追われて、締切に追われて、母とお出かけして、締切に追われて、母がマリージョアに連れて行ってくれて、締切に追われて――そんなときに母がくれたのは「初老の男性奴隷」だった。

 

「は、母上様、この奴隷は……?」

「マリアローズや。お前が趣味に全力投球で、わちしを楽しませるために朗読を続けていることはわちしもよくよく理解しているあます」

「あっはい」

「しかし、そのせいでお前は朗読以外に何一つできていないあます」

 

 母上がくれた奴隷はなんと、「朗読できる程度に文字が読める人材」だったのだ。私は嬉しさのあまり泣いた。ママァ、これからもママのために私頑張るよ!

 

 そんなこんなで十年が過ぎ、十五年が過ぎ……世の中では色んなことが起きた。ゴール・D・ロジャーは処刑されたし、フィッシャー・タイガーなる魚人がマリージョアで暴れまわって近隣の屋敷が半壊から全壊した――何故かうちは庭以外無事だったが。

 個人的な出来事でも色々あった。喉に山寺を飼った懐かしい顔と再会したり、ザ・ベルセ○クって感じのイケメン海賊(手配書で顔を確認した)と文通したり……いつか聖地に来るであろう「大事なあなた(主人公様ご一行はじめリスナーの皆さん)」に媚を売りながら時は過ぎてゆき、十七年。

 

 頼り甲斐がある我がモンスターマザー、母上様が病に倒れた。

 

 主人公登場前に私も退場? 嘘だろ承太郎。俺たちの冒険はこれからなんじゃなかったのか? 私が、一体何のために、読み聞かせなんて面倒くさいことを二十年近くも続けたと思ってるんだ!? 嫌だよぅ死にたくないよぅ、学校にいこう○みたいな青春送りたかったよぅヤダヤダ、嫌でござる嫌でござる! うぇーん恥も外聞もなく泣いてやる、ジタバタしてやる、転がりまわってやる!

 

 ――ストレスで髪が真っ白になった。めっちゃ漫画的表現じゃん、私でなきゃ泣いちゃうね。

 私? もちろん泣いたとも。エーンこんなのってないよぉ。

 

 母とともに死ぬなんてこと幼い頃から分かっていた――分かっていたけど感情が追いつかないのだ。私は死にたくない。まだ生きてたい崖っぷちでいい。神は言っている……ここで死ぬ運命ではないと……。

 わだじはぁ゛! 市民のみな゛ざんのだめ゛を゛おもっでぇ! 朗読を十七年も゛続けたんですゥー!(cv西宮の女神♂)報われても良いじゃないですか! まだ死にたくない!

 

 その思いが天に届いたのか、母は快復し私は目出度く延命となった。

 

 安堵のあまり部屋でこっそり泣いた。




拙作の評価してくださってる皆さんって――ほら、ネタ的に三十歳以上ざましょ? 仲間意識を覚えちゃうワ……(絨毯爆撃)
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