三対のひょっとこの面が並ぶ。
小さなひょっとこの面が前を歩き、腰に刀を差した二人の大柄なひょっとこの面が後ろに続く。
晴哉の前で透鉄は歩みを止め、一人の護衛が担いでいた木の箱を下ろした。
「幾万もの玉鋼を見、数多くの刀を打ってきたが、あんなにも美しく、不思議で、癖のある玉鋼は初めてだ」
透鉄は地べたに胡坐をかいた。
だが、今いる此処は晴哉が東郷と鍛錬をしていた場所であり、そもそも外である。
「着物が汚れるから中に入らないか」
「お前が選んだのは間違いなくあの中で最高の玉鋼だった」
「聞いているか、透鉄殿」
「里の長である儂が保証しよう」
話が嚙み合わない。
というか、透鉄は日輪刀の事を話すのに夢中で晴哉の声など聞こえてはいないのだろう。
護衛達はそんな透鉄に慣れきっているのか我関せずであり、東郷も既に諦めている。
此方の声は聞こえていない様だし、本人が良いのなら良いかと、晴哉も諦めて透鉄の前に座った。
「お前さんに似合う美人な刀に仕上がった」
前に座った晴哉に気づいたのかそうでないのか、透鉄は刀の入った箱を開け、一振りの刀を取り出した。
黒地に金色の縁取りが成された四ツ木瓜型の鐔、同じく金色の拵と目貫の無い出鮫式柄の他、無地の縁頭に黒塗りの鞘であり、質素ながらも何処か華やかさも感じさせる拵だった。
「ささ、抜いてみなさい」
晴哉は透鉄から日輪刀を受け取る。
ずしりと、覚悟の重さがした。
左手を鞘に添え、右手で柄を握ると、ゴクリと誰かが息をのんだ音がした。
なんてことはない、ただの日輪刀だ。
だがどうしてだろうか、ただの抜刀がこんなにも神秘的に思えてしまう。
「では」
晴哉は日輪刀を抜き放った。
刀身には互の目の波紋が浮かび、刃元には『滅』の文字が刻まれている。
素人の晴哉でもわかる、美しい刀だった。
だが次の瞬間、動揺が走る。
「刃が黒く…!!?」
鉄の色をしていた刀身が、墨を滲みこませたかのように刃元からじわじわと黒く染まっていったのだ。
見開かれた五対の目がとうとう切先まで染まった日輪刀を凝視する。
誰もが驚き固まる中、真っ先に動き出したのは透鉄だった。
「てめぇ……」
ふらりと立ち上がり、ゆらゆらと揺れながら晴哉に近づいていく。
俯いた為にひょっとこの面に影がかかってより一層不気味である。
流石の晴哉も不味いと思ったのか立ち上がろうとしたが、透鉄が胸ぐらを掴む方が先だった。
「てんめぇ…俺の、俺の刀に何しやがったァ!!!!」
晴哉が抜き身の刀を持っているにも関わらず、胸ぐらを掴んでゆっさゆっさと揺すりながら透鉄は叫ぶ。
「し、知らない。私にも何が何だか…!」
「知らねぇ訳ねェだろうが!!てめぇの事だろ!!!」
より一層透鉄の揺さぶりが激しくなる。
漸く我に返った東郷が慌てて晴哉の手から刀を抜き取り、護衛の二人も透鉄を晴哉から引きはがす。
「ふざっけんな!!」
「ちょ、落ち着いてください!!」
「之が落ち着いていられるか!!」
護衛の一人に後ろから羽交い絞めにされながらも、透鉄は叫び続ける。
透鉄にとって刀は自分の子供のようなもの。
其れをどんな理由であれ汚されて黙っていられるはずがないのだ。
☆
「其れで、どういった経緯でこうなったのかな?」
藤の匂いが香る屋敷の中、カポーンと鹿威しの音が響く。
鞘に納められた日輪刀を前に、いつもと変わらぬ笑みで煌哉は聞いた。
あの後、透鉄は誰の静止も聞くことなく叫び続けていたが、晴哉も含め刀が黒くなった件について話せる者はいない。
誰もわからず、透鉄は叫び続けている状態で出てきたのは、一先ず御館様に報告をしようといったものだった。
何とか透鉄をなだめ、煌哉に取り次ぎ、今に至る。
「…透鉄殿に諭され刀を抜くと刃元からじわじわと黒が滲んでいき、今の黒曜石の様な漆黒に染まった」
「そうか…こうなってしまったことに何か心当たりは?」
「いや」
東郷と二人の護衛は居らず、晴哉、透鉄と並んで煌哉と向かい合いながら晴哉は二人の視線を浴びながらも淡々と答える。
生まれながらに表情が動かない為どうにも気にしていない様に見えてしまうが、その無表情の下ではとても申し訳なく思っていた。
なんせ打ってくれた刀を台無しにしてしまったのだ。
晴哉が刀を抜いた時に染まったのだから原因は晴哉にあるのだろう。
「鋼も、晴哉の選んだ玉鋼に何か変わったことはなかったかい?」
「里で管理されとる玉鋼の中に変なもんは一つとしてない。玉鋼も刀も数えきれないほど見てきたが、此奴の選んだ玉鋼は間違いなく最高のもんだった」
里で管理されている玉鋼は透鉄が一つ一つ見て選んでいる。
だからこそ、日輪刀に起こった変化が許せないのだ。
「此奴は最高の玉鋼を選び、俺は其の玉鋼で最高の刀を打った。なのに…!!」
ひょっとこの面の下で唇を噛みしめ拳を強く握る。
透鉄とてわかってはいるのだ。
幾本もの日輪刀を打ってきてこんなことは初めてだったが、あの漆黒に染まった状態の日輪刀こそが本物なのだと。
あの時は怒りに身を任せてしまったが、今になればあの刀がどれだけ美しいのかがよくわかる。
自分の打った刀が変わってしまったことに不満はある。
其れでも、其れ以上に晴哉が握らなければ本物にはならない様な未熟な刀を打つ己が悔しくて仕方がなかったのだ。
「誰もこうなってしまった原因はわからない様だね」
一見対称的で、其れでいて似たような思考に沈む晴哉と透鉄に、煌哉はそっと息を吐く。
歴代の当主が残した書物を家の者で手分けして探してみたが、刀の色が変わったという話は見つからなかった。
鬼狩りという組織が生まれてから凡そ500年余りの時が経つが、其れでも前代未聞の出来事だ。
ともあれ、物事には何事にも始まりはある。
変化を恐れていては何も成すことは出来ない。
「晴哉が選んだ玉鋼も、鋼が打った日輪刀も普通だったということは、何かがあるのは君かな、晴哉。」
上に立つ者というのは、非情で残酷にならなければいけない時がある。
例え知られるのを避けていたとしても、其れを承知で他者の領域に踏み込まなければいけない。
「些細な事でいい、君が他の人とは違うと思う事があったら教えてほしいんだ」
そう言われて出てくるのは、つい最近まで神職であった事と、其れから呼吸と透き通る世界の事だった。
生まれの事は特に隠しているわけではないし、既にこの場にいる者は全員知っている。
だがしかし、呼吸と透き通る世界に関して知る者は誰もいない。
言うべきか、隠すべきか。
「、ぁ」
一度小さく口を開き、しかし諦めたように閉じる。
母は晴哉に己が見えないものが見えていると知っても、変わらず優しい手つきで髪を結んでくれた。
父は己以上に才に溢れた我が子を見ても、変わらず厳しく祈祷や禊祓を教えてくれた。
疲れ知らずで人体が透けて見える普通ではない晴哉の事を、この至って普通に生きている人たちは理解してくれるのか。
そうやって諦め、視線を落とそうとした晴哉の視界に此方をじっと見る透鉄の姿が映り込む。
其れに、ハッとした。
何を自分は怖気づいているのかと、己の特異が受け入れられるかなどどうだっていい。
日輪刀を変えてしまったのは自分なのだ。
まずは其の事を謝罪し、透鉄にも御館様にも真摯に向き合わなければいけない。
「…生まれ落ちた時より、私は特異な存在だった。どれだけ動いても疲れを知らない呼吸法と人の体内が透けて見える視界を、私は持っている。透鉄殿の打った刀が変化したのは、恐らく呼吸か透き通る世界のどちらかが原因だろう」
晴哉は煌哉の藤色の瞳を真っ直ぐに見、そして横に座る透鉄を向く。
申し訳ない、と両手を畳に付け、頭を下げる。
ザァッと強い風が吹き、着物の裾を揺らし、晴哉の髪紐についた鈴がカランと寂しく鳴る。
暫くの間、誰も何も言わなかった。
「てめぇに不思議な感じがするとは言ったが、まさか刀の色が変わるなんて思う訳ねぇだろうが」
透鉄はそう言うなり、頭を下げたままの晴哉をそのままに煌哉の前に置かれていた日輪刀に手を伸ばす。
鞘から刀を抜けば、変わらず漆黒に染まったままの刀身が見える。
癪ではあるが本当に美しい日輪刀だった。
透鉄が完成させたままの、只々刀身が染まっただけの透鉄が打った刀だ。
其れならば多少変わったとしても愛してやらなければいけないだろう。
「もうこの刀の主はお前だ。しっかり愛してやれ」
刃こぼれしても、折れたとしても、俺がしっかり直してやるよ。
透鉄は刀を鞘に戻して、晴哉の前に置いた。
晴哉は漸く頭を上げると、己の前に置かれた日輪刀を見て、透鉄の目を見ると確りと一つ頷いた。
☆
其の晩、煌哉は縁側に座って淡い光を放つ月を眺めていた。
思い出すのは勿論、日輪刀に起きた不思議な変化の事。
晴哉も己の特異が原因だろうと言ったし、煌哉自身も話を聞く限りそうだと思った。
先日、晴哉と初めて対面したときに己が待っていたのは彼だと思ったのは、之が原因なのだろうか。
きっと晴哉は、鬼狩りの数百年の悲願を、鬼舞辻を殺しこの世界から鬼を消滅させる為の大きな鍵だ。
何故刀が染まったのか、刀が染まったのは何の意味があるのか。
彼が話していた、痣か、疲れ知らずの呼吸か、人体が透けて見えるという透き通る世界か、将又全てなのか。
来週(12/5)と再来週(12/12)は諸事情により投稿はお休みします。