ホライズン   作:西風 そら

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いらっしゃいませ
シリーズ物の一端ですが、単品でもお楽しみ頂けるよう、工夫しました
のんびり読めるものなので、宜しかったら、ごゆるりと

一応、羽根シリーズの第6シーズンではあります
全31話 約11万文字で完結


ひとつめのおはなし
ホライズン・Ⅰ


 

 

 

 筋雲美しい砂丘の空に、二頭の馬影が螺旋を描く。

 

 やがて軌道は地上に近付き、砂煙を上げて着地する。

 

「やっほぉ、今日は僕の勝ち! お前の馬の方が先に砂に足を着いた!」

 青毛の馬上で、赤いバンダナの少年が片手を突き上げた。

 青い巻き毛に、健やかに伸びた飴色の手足。西風の妖精の子供だ。

 

 この砂漠の地には、人間の視覚に入らない空間に、多種多様な部族が住む。

 西風の妖精もその一つで、規模は小さいが太古の血族。

 特殊な馬を養い、空を駆ける術を使うのは彼らだけの特徴だ。

 

「ん――? 僕、結構粘ったんだけれどな」

 パロミノ馬に跨がった少年が、遠慮がちに反論した。

 こちらの子供も同じ西風の子だが、少し色素が薄い。青い髪の表面には薄い膜のように銀が掛かっている。

 

「お――い、ファー!」

 先のバンダナの子供が、砂山の向こうへ声を掛けた。

 小さな駱駝が砂山を越えて、テクテクと追い付いて来た。ひとつコブの背中には、ビィドロみたいな真ん丸い目のそばかすの女の子が、ちんまりと座っている。

 

「見ていたよな、パロミノの方が先だったろ」

 

 女の子は勿体ぶって指をこめかみに当てた。

「ざぁんねんながら、お兄ちゃんの方が断然早く落っこちたわ。それにカノンの描いた弧は、とっても綺麗だった!」

 

「何だよお前、カノンに好かれたいからってデタラメ言うな」

「きゃあん、ファーは公明正大よ。助けて、カノン」

 女の子は駱駝を急かして、青銀の男の子の後ろへ回った。

 

「レン、妹を苛めるなよ。まあ今のは二人とも結構いい風に乗れたよね」

 カノンと呼ばれた少年は、指をヒュッと吹いて小さなつむじ風を作った。

 フワリと持ち上がる前髪の下の明るいオレンジの瞳を、後ろのファーはトロンと見つめている。

 

「分かんないよ、そんなの。僕、お前みたいに、風を流せる長様の息子じゃないモン」

 レンと呼ばれた少年は、拗ねた感じで口を尖らせた。

 

「それを言うのなら、君のお父さんだって、里で一番飛ぶのが上手いじゃないか」

 

「まぁね・・ じゃ今のは引き分けって事でいいや」

 少年が濁して話題を変えようとしたのに、妹のファーが口を挟んで来た。

「カノンのお父さんだって、きっと凄かったよ。父さまが外交官になる前の、ちょーゆーしゅーな外交官で、毎日砂漠の色んな国を飛び回っていたんでしょ?」

 

「んん、皆そう言うよね……」

 カノンは表情が沈んだ。

 

 レンは、(このバカ)って顔で妹に睨み付ける。カノンに父親の話題はご法度なのに。

 

 

 上空の筋雲がサァッとほぐれた。

「あっ!」

 目のいいファーが空の一点を指差し、少年二人も見上げた。

 黒い影がみるみる近付いて騎馬の形となる。

 レンの青毛より一回り大きい、見事な鞆(とも)の、濡れた鉄色の青毛が降りて来る。

 

「父さん!」

 兄妹は馬を飛び降りて駆け寄った。

 

「よぉ――す! ただいま、チビッ子ども!」

 レンとファーの父親、今の西風の外交官の巻き毛豊かな男性は、旅装をひるがえして馬から飛び降り、子供達に腕を広げた。

 

 西風にとって、外交官という役職は特別だ。

 この地の各部族は過去の確執が深く、領地を結界で覆って他とあまり交流しない。

 が、まったくの無連絡では色々と危なかしい。特に西風のように、弱小なのに特殊な能力のある部族は、何もしていなくてもあらぬ誤解を受ける。

 他部族との折衝を保つ外交はとても重要で、月の半分しか帰って来ない父親だが、子供達は誇りを持って見上げている。

 

「ね、ね、僕、里からここまで足を付かずに飛んだんだよ!」

「ファーも、ファーも、ニガウリ食べられるようになったモン!」

 

「ああ、ああ、偉いぞ。帰ってからゆっくりな」

 男性は二人を順番に抱き上げてから、離れた所でこちらを見ているオレンジの瞳の少年に声を掛けた。

「久し振りだな、カノン。元気にしていたか?」

 

「はい、お帰りなさい、シドさん」

 

 

***

 

 

 四人でゆっくり砂漠を帰る途中も、レンとファーははしゃぎっぱなしだった。

「ね、父さん、今回の行き先は海岸地方だったんでしょ。船って見た? 大きいの」

「ファーも、ファーも、絵本で見たよ、お船」

 

「ああ、交易の中継所としての大きな港街で、見上げるような帆船が幾つも停泊していて壮観だった。カノン、知っているか? 鯨岩の街」

 シドは、少し離れて後ろを歩く少年を振り向いた。

 

「はい、地理の授業で習いました」

 カノンはポソッと答えて、会話は終わってしまった。

 本当はこの子供は、もっと多くを知っている筈なのだが。

 

 

 

「シド!」

 

 西風の入り口の結界の手前で、反対方向から声が掛かった。

 三頭の騎馬が、地表スレスレをそよ風に乗って駆けて来る。

 真ん中の三つ編みの女性の馬だけ色が緑で、鞍の前に二つ位の幼児を乗せている。

「お帰りなさい、シド」

「とーたま、とーたま」

 

「ミィ! もう馬に乗れるのか、凄いな」

 シドが三人から離れて、女性の方へ馬を進めた。

「ただいま、エノシラ。君は往診かい?」

 

「そうなの、弟子の娘(こ)達の研修も兼ねて。ああ貴女達、今日はもういいわよ。お疲れ様」

 エノシラは後ろの二人に声を掛ける。助産師で医療師でもある彼女に師事する娘達だ。

 

「はい、エノシラ師匠、お先に失礼します」

「久々のダンナ様とごゆっくりぃ」

「こら!」

 二人の娘達はかしましくキャッキャしながら、里の入り口の結界を越えて消えた。

 

 

「母さま、お腹すいた!」

「そうね、帰ったらすぐご飯にしましょ。ファーも手伝ってね」

「うん!」

「レン、ミィを背負って頂戴」

「ふぇ――い」

「返事はハイでしょ、ああカノン」

 

 この女性も、青銀の少年に声を掛けるのを怠らなかった。

「貴方もこのままいらっしゃいな。ルウも呼ぶつもりだから」

 

「ありがとう、エノシラさん。僕、ちょっと調べ物があるの。後で母と伺います」

 カノンは固い声で言って、レンに手を振ってから先に結界へ駆け込んだ。

 二人の大人は顔を見合わせ、嘆息して、賑やかな子供達を連れて里へ入った。

 

 

   ***

 

 

 

 カノンは馬を厩に戻し、自宅には向かわず、修練所の旧棟への坂を登った。

 昔は孤児達や独身の教官の寮だったが、建物が老朽化し、今は誰も住んでいない空き家。その一室に用事があった。

 

 朽ちたベンチの脇を抜けると、窓の板扉の一つが開いているのが見えた。目指す部屋の窓だ。

(ああ、また……)

 この部屋に来るのは、自分の他には一人しかいない。

 

 建物に入ると、廊下に面した扉も細く開いていて、窓を通した明かりが埃に筋を引いている。

 

 扉をそっと引くと、書物に囲まれた中央の長椅子に、予想通りの人物。

 窓から差し込むオレンジの夕陽に照らされて、オレンジの瞳の女性が、古ぼけた背もたれに身をもたせかけて、ボォッと一点を見つめている。

 視線は向かいの壁で、柄の長い衣紋掛けに、青磁色の長衣が袖を広げて掛けられていた。

 

 十二年前、袖を通される事のなかった、新郎の晴れ着……

 

 

 ***

 

 

 ――そのオレンジの瞳が、幸せしか湛えていなかった頃の、夏の宵・・

 

 薔薇色の頬に息を弾ませて、十六歳のルウシェルは、修練所の寮への夜道を登る。

 ソラが帰って来るのは今日だけだ。明日にはまた南の沿海州へ行ってしまう。

 急いた気持ちで、ほとんど空き部屋の埃っぽい玄関を入り、目当ての部屋に向かう。

 

「良かった、まだ帰っていない」

 カンテラを灯すと、部屋一杯の書物に圧倒される。

 同室だったシドが去年所帯を持って出て行ってから、ソラの唯一の道楽の書物収集に拍車が掛かった。

 

 紙を綴じた物の他にも、羊皮紙を巻いたのや、細竹を連ねた物、結び目を束ねた物、開くと勝手に喋り出す合わせ貝……あれも書物、これも書物、天井までぎっちりと、まるで書物の森。

 

 夫婦(めおと)になったら住居はルウシェルの自宅へ移る事になっている。

 大きな本棚を作って整理整頓して収めよう、と提案すると、『この配置で頭に入っていますし、入手してここに並べた思い出もございますので』と拒否られた。

 あの頑固者。

 

 結局、この部屋はそのまま借り続ける事になったのだが、自分の立ち入れない領域を大切にし過ぎるソラが、ルウシェルには少し不満だった。

 

 溜め息ひとつ吐いて、壁の一ヶ所を開ける為、横積みの書物の順序を崩さぬように並行移動を始める。

 

「大体ソラばっかり忙し過ぎだ」

 西風は確かにちっぽけな部族だ。

 他部族との擦り合わせを怠るとアッと言う間に崖っぷちに持って行かれる、ってのがソラの口癖。

 しかし来月には婚礼の儀式だというのに、直前まで出張詰めなんて。こんな事で新婚気分を味わえる隙間などあるのだろうか。

 

『私が長を引き継いだ暁には、外交を組織化して人数を増やしてやる』と言うと、

『ヒトとヒトとの付き合いは形骸化出来る物ではないのです』と突っぱねられた。

 だから頑固にも程があるだろっ。

 

 ルウシェルはもう一度溜め息吐いて、持って来た風呂敷包みを解いて、柄の長い衣紋掛けを引っ張り出した。

 

「ルウシェルさ……ルウシェル」

 戸口に久し振りの声がして、旅装の男性が突っ立っている。

 婚礼を来月に控えて、ようやっと『様』が抜けるようになった、青銀の髪のソラ。

「女性が殿方の部屋に立ち入る時間ではありませんよ」

 通常運行の頑固者。

 

 だけれど、口の端が緩むのを隠せていない。

 今まで帰って独りだった部屋に暖かい光が灯り、家族が待っている……

(素直に現せないだけなんだ、嬉しい癖に)

 それに気付いて愛しいと思ってしまうと、頑固も不満もどうでもよくなってしまうルウシェルだった。

 

「うん、ごめん。おかえりなさい、ソラ」

「あ、ああ、ただいま……」

「明日早くには発ってしまうでしょ。どうしても見て貰いたい物があって」

「?」

 

 ルウが視線で示す先、書物を退けた壁に、袖を広げた青磁色の長衣が掛けられていた。

 白絹の刺繍の縁取りが、カンテラの灯りを映してオレンジに揺れる。

 

 ソラはポカンと口を開けて、刺してはほどいた跡のある刺繍を見つめた。

 

「えっと、冬の市でさ、この布を見付けて、ソラの髪と同じ色だなあって眺めていたら、エノシラが、新郎の晴れ着を縫ってあげたら? って」

 

「・・・・」

 

「わ、私はガラじゃないって言ったんだけれど、エノシラが、一生に一度の機会だからって強引に。教えて貰ったんだけど……その……」

 

「・・・・」

 

「あんまりマジマジ見ないで! あちこちヘボいのは分かってるんだから!」

 

「・・・・」

 

 ソラは、口を開けたまま、機械人形のような動きでルウシェルに向き直った。

 そうして手を伸ばし、絆創膏を巻いていない指のない両手を、強く握って引き寄せた。

 

「……ソラ?」

 

 ――タガが外れる切っ掛けなんてヒトそれぞれなんだろうけれど、ソラのそれは、かなり分かりにくくて、唐突だった。

 

 

 ルウシェルはやっと教えて貰えた。

 触れただけでヒトの心が見えてしまう体質のソラが、ずっと側に居たいヒトと肌を重ねる事…… それはとても勇気の要る事だったんだ。

 

 ――怖かった、貴女の全てを知る事が

 

 夕べ初めて弱さを曝(さら)けて白状してくれたヒトを、朝陽の射す書物の部屋の窓から見送った。

 ルウシェルの大好きな青銀の髪は、一度振り向いて大きく手を振ってから、坂の下へ消えた。

 

 

   ***

 

 

 予定を越えても里へ戻らないソラを案じて、モエギ長(当時の長、ルウシェルの母親)が、幾人かを捜索に、沿海州へ送った。

 その内の一人、シドが見付けて連れ帰ったのは、鐙皮(あぶみがわ)の切れたソラのパロミノ。

「V字谷の抜け道付近をウロウロしていた。あそこ、気流が悪くて危ないけれど、近道だったんだ……」

 

 西風の者、砂の民の部族の者、遠く蒼の里の長までが駆け付けてくれ、皆で捜索したが、青銀の髪の妖精は見付からなかった。

 

 ルウシェルは、周囲が不安になるほど感情を表に現さなかった。

 気遣う周囲に逆に気遣い、捜索してくれる皆の身を案じて労(ねぎら)った。

 母のモエギや父のハトゥン、親友のエノシラらが隙間を開けずに側に着いていたが、それに対してすら気を遣った。

 

 そうして成果のない捜索の二週間目に、自ら打ちきりを宣言した。自分が言い出さねば、捜索を終われない事を分かっていた。

 本当ならば幸せな花嫁になる筈の、婚礼の当日だった。

 

 

 

 西風のソラは里に居る時間が少なかったが、存在感は大きかった。

 このヒトが帰って来ないと決まっただけで、里は一つの火が消えたようだった。

 

 亡くなったと確定した訳ではないので、正式な告知も葬儀もしなかったが、他部族からの使者がひっきりなしに弔慰を示しに訪れた。

 元老院が腰を抜かすような大物が、自らやって来たりもした。

 

 そんな来客達に、ルウシェルは母の名代として、堂々遜色なしに対応した。

 元々身体の弱いモエギ長は、その頃から臥せりがちになっていたのだ。

 

 里の者達は胸を撫で下ろした。

 あの娘もいつまでも子供ではない、辛い目には遭ったが、きちんと次期長らしく成長しているではないかと、仲の悪い元老院ですら誉めた。

 

 シドは順調だった教官の仕事をすっぱりと辞め、ソラの後を引き継ぐ宣言をした。

 妻のエノシラも賛成し、忙しい医療の仕事をやりながら、全力でサポートした。

 慣れない外交は大変だったが、マメなソラがきっちり付けていた記録が鞍袋に残されていて、救われた。

 修練所のシドの抜けた穴は、先輩教官のスオウが胸をトンと叩いてくれた。

 

 身体の戻らぬモエギは長を完全にルウシェルに譲り、砂の民の外れの田舎家で療養する事となった。

 エノシラやシド、ソラの教え子達が、力を合わせて新長殿を支えて行きますと宣言し、彼女を安心させて送り出した。

 

 そうして皆がそれぞれに、ソラが居ない事を受け入れて行った。

 せっかちな老人達が、影でルウシェルの縁談を囁き始めた頃……

 

 さすがのエノシラが気付いた。

「ルウ? 太ったんじゃ……ないよね……?」

 

 

「私が絶望の気持ちでいると、それがこの子に流れ込む。この子の血肉は、未来への希望で創られねばならない」

 

 ルウシェルが懐妊していた報せは、全ての者を躍り上がらせた。

 特に、子供の頃からソラの親友だったシドは、狂喜乱舞だった。

 

「さすがは母は強しだね。ソラの命を宿していたから、あんなにしっかりしていられたんだ」

 

 シドとハトゥンが嬉しそうに杯を打ち合わせる横で、エノシラは不安を拭えなかった。

 ヒトって、いきなり母になれる訳ではないし、母になったからっていきなり強さが備わる訳じゃない……

 

 春の花の咲き揃う穏やかな日に、ルウは、ソラにそっくりな男の子をこの世に送り出した。

 

 ――そして、エノシラの不安は的中してしまった・・

 

 

 

 

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