ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・Ⅹ

   

 

 

 

 悲鳴もなく落ちた少年に、アイシャはハッと我に返った。

 我を失っていたのはコンマ数秒で、慌てて手を伸ばしたが、少年の身体に届かなかった。

 

「あぁあ! 何て事!」

 

 身体中の血が凍り付くアイシャの真横を、疾風が駆け抜けた。

 目の端に映ったのは、竜胆(りんどう)色の草の馬。それも一瞬だった。

 

 滝淵から垂直降下した若紫が落水に弾かれるのと、その背から誰かが少年に飛び付くのと、同時だった。

 弾かれてクルクル回る草の馬を、リリが必死に立て直す。

 全て一瞬の中の出来事。

 

 けれど落下するカノンは、誰かが自分を掴まえて頭をしっかり抱えられるのが分かった。

 

 ――ザフッンンッッ!!! 

 

 激しい衝撃。

 鼻と口から物凄い勢いで冷水が入って来る。

 滝壺には魔が潜んでいる。

 泡のせいで身体が浮かび上がらないのだ。

 

 身体が痛い、芯まで痛い! 

 助けて! 痛い! 誰か・・

 手足が・・

 

 千切れ・・・・

 

 

 ――ザッザアアア――――!

 

 水が激しく渦巻いた。翻弄された手足がぶつかって、痛い・・!

 ああ手足ちゃんとある! と思ったら、いきなり周囲の水が失せた。

 

「アヴッ、ゲボッゲホホホ」

 

 泥の上を転がって水を吐くカノンに、鋭い声が飛んだ。

 

「手伝ってえぇ!」

 

 泥だらけの視界の向こう、水の無くなったすり鉢状の滝壺の底で、リリがぐったりとした男性の下に潜り込んで、必死に抱え上げようとしている。

 青銀の髪が真っ赤にしとどおっている。

 

 慌てて立とうとしたが、痺れた足がいう事を聞かない。

 転ぶ・・! 

 

 誰かの手が延びる。

 ガッシリ支える肩と、赤いバンダナ。

 

「間に合った」

「レン・・!」

 

 リューズは既に、ユゥジーンに担ぎ上げられていた。

 

「駆け上がれ! 早く!」

 

 レンに支えられて、カノンはすり鉢の泥の中を必死で這い登る。

 登りながら上を見て、仰天した。

 

 滝壺にあった大量の水が、上空で渦巻いているのだ。

 その真ん中で、両手を掲げて竜巻の大旋風を起こしている者がいる。

 ここいらでこんな大技が使えるのは一人しかいない。

 黒衣の馬に、碧緑の乱れ髪の女性。

 ――西風のモエギ!

 

「お、ぉ、お祖母様!」

 

「早くしろ・・もう、もたないぞ・・」

 

 カノンが力を振り絞ってすり鉢の淵へ上がった瞬間、上空の水の塊がザンブと落ちて来た。

 

「うわっぶぶ」

 

 溢れる波の中、レンがカノンに覆い被さって、流されないよう必死で踏ん張ってくれた。

 

 水が治まって

 耳に音が戻って

 カノンは閉じていた目を開いた。

 

 霧は吹き飛ばされ、海辺の眩しい空。

 滝は何事もなかったようにドウドウと落ち、ずぶ濡れのレンが、隣で荒い呼吸をしている。

 

 離れた所に髪を真っ赤に染めたリューズが横たわり、その額にモエギが掌を当てている。

 よろよろと立ち上がって、カノンはそちらへ歩いた。

 

 リューズは動かず、頭の他に足にも血が滲んでいる。

 止血をするユゥジーンの隣でリリが、顔を上げてカノンを見た。

「水底で頭を打っちゃったのよ」

 

 ――覚えている。

 このヒトが、全身で、自分を庇ってくれた――

 

 

「リューズ――!」

 

 転げるように梯子を降りて、アイシャが走り寄って来た。

「リューズ、リューズ!」

 

「心配要らない。意識が戻った」

 モエギはリューズの額から掌を離して、静かに身を引いた。

 

 アイシャが屈み込んで、自分の衣服の袖で彼の顔を拭う。

 

「う・・」

 リューズが小さく震えて、灰色の眼を開いた。

 そうしてゆっくり視線を動かし、側に立つカノンを見上げる。

 

 ・・・・

 

 二人、黙って見つめ合った。

 

 リリがレンの袖を引いた。

「何だよ」

 見るとユゥジーンも立ち上がって、遠退こうとしている。

 

「トモダチは、よろめいた時に支えるだけでいいのよ」

 今までみたいに居丈高じゃなくて、静かな声だった。

 

「うん、そだな」

 レンも素直に立ち上がり、三人は自分達の馬を連れて、そっと海の方へ身を引いた。

 

 

 リューズが口を開き掛けた時……

 

「父様ぁ!!」

 

 上方で声がした。

 灰色の髪の姉弟が滝上から見下ろしている。

 二人ともさっきの竜巻を見たのだろう。酷く動揺して、二人一緒に梯子を降りようとしている。そんな様子では危険だ。

 

「お前達! 止まれ、駄目だ!」

 アイシャが慌てて二人を制そうとする。

 

 カノンがスッとそちらを見上げて、よく通る声で叫んだ。

「君達のお父さんが、助けてくれたんだ!」

 

 皆、一斉に少年を見た。

 

「大丈夫! そこで待っておいで。へっぽこ勇者は何があってもへっちゃらさ! そうだろ!」

 

「うん!」

 男の子が大声で答え、二人は梯子を降りるのを止めた。

 

 少年は、リューズに正面向いて一礼する。

「ありがとうごさいました」

 

 そうしてオレンジの瞳で真っ直ぐ、青銀の髪の男性を見た。

 ただ、見た。

 焼き付けるように。

 

 

 

   ***

 

  

 

「それじゃあ、お祖母様、行って参ります」

 カノンはしっかりとモエギに対峙して言った。

 

「行っておいで」

 モエギは柔らかく目を細めた。

「お前は、私の誇るべき西風のカノンだ。どこへ行ってもそう言って胸を張るがいい」

 

「はい」

 

 少し離れた滝下のリューズとアイシャにも目礼し、カノンは、待たせていた三人の所へ走った。

 

 そうして、二人乗りの二頭の馬は、煌めく水平線(ホライズン)を越えて、大空高く上昇して行った。

 

 

 その影が見えなくなるのを見届けてから、モエギはグラリと揺れた。

「悪いな、肩を貸してくれ」

 

 アイシャが慌てて彼女を支え、立ち上がれないままのリューズの側に座らせた。

「久々に会ったと思ったら、お互いボロボロだな、ソラ」

「…………」

 

 青銀の髪のリューズは、じっと彼女の瞳を見つめた。

 懐かしい、暖かなオレンジ色が、すっと心を呼び覚ます。

 子供の頃からこの瞳を知っている。

 この瞳の前では何も繕えないって事も。

 

「僕は……すみません。ソラの名を、名乗れる者ではありません」

「リューズとしてここに暮らすか?」

「……はい」

「そうか……うん、お前らしいな。ここにはお前を必要とする者が沢山いる」

 

「ルウシェルって女性(ヒト)は?」

 アイシャが躊躇(ためら)いがちに聞いた。

 

「ルウには、あの子がいる」

 モエギが静かに言った。

 

 灰色の女性は口を結んで、オレンジの瞳の少年が飛び去った方向を見上げた。

 

「そしてあの子には、支えてくれる素晴らしい友がいる」

 

 リューズも同じ方向の空を見上げた。

 

 

「あの……私、私の罪……」

 アイシャが、モエギの前にしゃがんで俯(うつむ)いた。

「私はあの子に恐ろしい事をした。ルウシェルってヒトにも。……罰してくれ」

 

 リューズは慌てて顔を上げて、懇願するようにモエギを見る。

 

「そうだな、だがお前を罰する刃(やいば)を、私は持っていない」

「でも……」

「では、彼らに託そう」

 モエギは滝上を指さした。幼い顔が二つ並んで、心配そうに見下ろしている。

 

「お前が償いたい気持ちのすべてを、あの子らに注げ。これから海霧で生まれる全ての命に。そういうのが巡り巡って、うんと未来に、皆を助くる事となる」

 

「ああ、分かった、必ず」

 

「リューズ、助けてやってくれ」

 

「――はい」

 

 

 

***

 

 

 

「ええっ??」

 

 鯨岩の街の中央広場。

 最後の舞天使の像を制作中のフウヤは、いきなり現れたモエギに、仰天した。

「どうしたの? 出歩いたりして、大丈夫?」

 

 駆け寄るフウヤの両手を、いきなりガッシリ掴んでモエギは言った。

「カーリを頼む。砂漠と病人以外の世界を見せてやってくれ」

 

「えっ?」

 フウヤは真顔になった。

「何だよ、それ。縁起でもない」

 

「あははは、確かに縁起でもないな」

 モエギは笑顔で、心配そうなフウヤの額を弾いた。

「ただ、一日も早くカーリの幸せな姿を見たくて、もう待ちきれなくなったのだ」

 

 

 

 

 

 

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