ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・ⅩⅠ

   

 

 

 北の草原。

 

 蒼の里の静かな夜更け。

 執務室の大机で、カンテラのオレンジに照らされて、蒼の長は静かに言った。

「カノンが生まれた時、私が試そうとしなかったと思うかい? 血の力で血縁者を探す…… ルウシェルがソラの子供を身籠ったと聞いたら、誰だって一番にその考えが浮かぶだろう?」

 

「試したの?」

 

 長椅子に腹這いで書類を睨みながら、リリは顔を上げた。

 

「試したさ。ルウシェルが不安定だったんで、ちょっと遅れたけれど。二歳のカノンを連れて、沿海州に飛んだ」

「で、見つけられたの?」

「ああ。パロミノの見つかった谷と離れていた上に、強力な霧の呪術で隠されていた。前回見つけられなかった訳だ」

 

「それで?」

「お前が見た通りさ。ソラは記憶を失くしていて、ソラの側には、小さな娘とお腹の大きい妻がいた。西風のソラとは全然違うソラ。もう一人の『なりたかったソラ』だったのかもしれないね」

「…………」

 

「どうしようもない。真実を暴いても誰も幸せになれない。逆に憎しみを生んでしまうだけ。

 モエギ殿に打ち明けて、相談した。彼女も手をこまねいた。ルウシェルに告げようとしても、言った側から忘れてしまう。だから、待つ事にしたんだ」

 

「待つって?」

「小さなカノンが成長して、ルウの心の穴を埋められる存在になる日を、さ」

 

 リリは手を止めた。

「大人って勝手ね、カノンはルウシェルの為に生まれて来たんじゃないのに」

「そうだね、だから」

 長は細めた目で娘を眺めながらゆっくりと言う。

「カノンがルウを突き放して一人で歩き出す事が、ルウには必要だった訳」

 

 リリは止めていた手を再び動かして、書類に目を落とした。

「まだまだガキンチョよ」

 

「ふふ、ヒトの事、言えるかい? 『血で血を探す術』なんて、まだ使えない癖に」

「――!! いいでしょ? 必要無いって、初めから分かっていたわよ!」

 

「はいはい、我が娘も強烈にすくすく成長してくれて、喜ばしい限りだよ。でも、執務室の仕事を放ったらかしていきなり居なくなるのは、宜しくない」

「イ――だ!」

 

 リリがようやく書き上げた始末書を大机にバンと置いた所で、ユゥジーンが入って来た。

「いやはや子供ってあんなに元気だっけ? 無限の体力だな」

 

「ご苦労様ユゥジーン、二人は?」

 

「ベッドに入るなり、オヤスミ五秒です。その直前まで大興奮していたのに」

「ははは、男の子だな」

 

「手出し無用って言ったのに」

 リリが恨みがましくユゥジーンを睨み上げた。

 

「まあね、でも、レンがさ。カノンを置いて行ける訳ないって、テコでも動かなかった。それに、ソラを助ける美味しい所を残しておいてくれたリリには、感謝しているよ」

「ふん!」

 

 リリは長椅子に戻り、カノンに借りた書物を繰り始めた。

 これも彼女にとっては『光を放つ宝物』だった。

 不器用な『おとうさん』が、いつか出逢う我が子の為に、自分の子供な部分を曝(さら)けて書き綴った、拙(つたな)いおとぎ話・・

 

 ユゥジーンは大机で長の仕事を手伝いながら、嬉しそうに話した。

「レンとカノン、留学生用の寮じゃなくて、うちに住まわせる事にして、やっぱり良かったです。下宿から独立して一人住まいしていて良かった。明日から賑やかだぞ」

 

「男三人なんて、ムサ苦しいったらありゃしない。そんな事で喜んでいるからいつまで経ってもお嫁さんが来ないのよ」

「いざとなったらリリが来てくれるかい?」

「バァ――カ!」

 

 二人のやり取りをニコニコと眺めていた長は、ふと、窓の外の三日月へ目をやった。

 海霧の村にソラを発見した時…… 

 実は、もう一つの事実も見付けていた。カノンの血が指したのは、父(リューズ)と弟(タゥト)ばかりではなかったのだ……

 

 

 

  ***

 

 

 

 北の草原も砂漠の空も、三日月は変わりなくそこに在る。

 

 砂の民の街外れ、ひなびた山中の一軒家。

 モエギはベッドに横たわったまま、開いた窓からそれを見つめていた。

 もっとも、もう空か天井しか眺められない。

 

 ベッドサイドの椅子に座って、傍らに愛娘がうつ伏せる。

 

「ルウ、すまなかったな……」

「何で母者が謝る?」

 

 今、ひとしきり話し終えた所。ここ数日で少しづつ記憶の穴の埋まりつつある娘に。

 

「私は、大昔にソラの居所を分かっていた」

 

「うん……」

 

「奴の首根っこを掴んで、お前の前に引きずって来る事も出来たんだ」

 

「うん…… でも、それをやっても誰も幸せになれなかった。分かっている、母者。私は今、幸せだから」

 

 ルウは母の傍らに頬を埋めたまま、オレンジの瞳を向けた。彼女の瞳にも、月が映っている。

 

「ソラは、冷たい谷で辛い思いをして寂しく生を閉じたんじゃなかった。ずぅっと欲しがっていた暖かい家族に囲まれて、幸せに暮らしている。こんなに嬉しい事はない」

「……ルウ」

「以前の私だったら、その家族が自分ではない事に、悲嘆にくれていただろう。今だからそう思えるんだ。だからその時母者がそっとしておいてくれたのは、正解だったんだ」

 

 ソラの記憶が戻る事で心の穴を埋めたのは、過去の思い出ではなかった。

 ソラがいたからこその、自分の現在(いま)。

 ソラが残してくれた、未来(さき)への希望。

 

「カノンに感謝しなければ。私には勿体ない、天からの授かり物だ」

「ああ、そうだな……」

 

 モエギは目を閉じた。

 もう一つ、言っていない事実がある。

 ナーガも知っているから、もしも言うべき時が来たのなら、彼が明かしてくれるだろう。

 

 

 幼い頃、母の浅葱(アサギ)に聞いた昔話がある。

 

 砂漠の地が争いで荒んでいた暗黒の時代。

 流れ着いた他所者の剣士を、里の娘が介抱した。

 

 剣士は戦で故郷を奪われ、帰る場所を失くしていた。

 里の娘を伴侶とし、里の住人となった彼は、里の為に闘い、この地で寿命を終えた。

 

 太陽のように明るかった彼の子供達は、皆少し色素が薄く、皆少し心を通わす術が使えた。

 剣士の名は、リシュ・リューズといった。

 

 

 哀しみで刻(とき)の止まった海霧の村。一体、幾星霜、刻が止まっていたのだろう?

 

 ナーガが二歳のカノンを連れて行った時、彼の血は、祖先であるリシュ・リューズの娘シアや、他にも多くの村人達を差したのだ。

 

 西風に新しき血をもたらしてくれたリシュ・リューズ。

 その末裔のソラが、今度は故郷の刻を動かしに舞い戻る。

 縁(えにし)とは、不思議なモノ。

 そうして繋がった子々孫々は、どんな未来を創って行くだろう。

 

 

「ルウシェル」

「何、母者?」

 この娘や、この娘の子供達、自分の愛した多くの者達が、限りない明日を紡(つむ)いで行ってくれる。

 それを思うと、今ここで去る事は、ちっとも寂しくない。

 

「ハトゥンを呼んでくれ」

「うん、分かった。待ってて」

 

 粕鹿毛に跨がって飛び去る娘の頭上には、大熊座と胡桃の木。

 その梢近くの頂に、二つの薄い人影があった。

 浅葱色の内掛けをまとった女性と、寄り添うように腰掛ける、オレンジの瞳の青年……

 

 

 

 

 

   ~ホライズン・了~

 

 

 

 





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