ホライズン   作:西風 そら

14 / 31
夏蕾・Ⅲ

   

 

 

 

 白い靄(もや)が視界を覆っている。手足の自由が効かない。

 粘り気のある液体の中に潜っているみたいだ。

 

(……夢?)

 

 カノンは何となく自覚しながら、身体を動かそうと努力した。

 しかし、ただの夢とは違う違和感が、靄の向こうから迫って来た。

 

(!?)

 

 水に落とした墨のようなドロドロが、生き物の如くこちらへ伸びて来る。

 カノンの本能がそれを怖がった。

 あれに触れちゃ駄目だ。

 しかし身体が言うことをきかない。

 

(助けて! レン、リリ!)

 

 叫びたいのに声も出ない。

 禍々しい黒はもう目の前。

(やだぁ――――!)

 ドロドロはカノンの周囲を通り抜けた。

(??)

 

 振り向くと、十歩向こうにコバルトブルーの髪が見えた。

(ユゥジーン?)

 黒い墨の標的は彼だったのだ。

 

 ドロドロは一ヶ所に集合し、獣の前肢の形となった。

 鋭い爪が四本指を広げてユゥジーンに襲い掛かる。

 

 ユゥジーンは目の前の驚異が見えていない。

 まったく無抵抗なまま、ナイフのような爪に身体を貫かれた。

 突然の衝撃に顔が歪む。

 口が開いて血泡と共に何か叫ぶが、音の無い空間でその悲鳴は聞こえない。

 

(ユゥジーン! ユゥジーン!)

 

 必死で手を伸ばす。

 しかし青年を捕えた爪はそのまま遠去かり、水底に沈むように小さくなって行った。

 

(助けて! ユゥジーンを助けて!)

 

 カノンは渾身の力で、眠っている自分の身体を覚醒させようとした。

 

 

 ――キンキンキンキン!!

 

 甲高い金属音が意識を身体に引っ張り戻した。

 目を開く、飛び起きる。

 隣のベッドでレンが耳を押さえてキョロキョロしている。

 

 リリは? 既に上衣を羽織って出口に向かっている。

「起こしちゃった? ごめん、あたし行くから」

 

「双子石だろ、今の音。西風で何かあったのか!?」

 

 双子石は、ナーガ長がエノシラに持たせている緊急連絡用の石だ。

 片方を叩くと、遠く離れた片方にも共鳴する。

 

「そうよ、だから行くの。そんなに心配しなくてもいいのよ、石を叩く余裕があるんだから。あんた達は大人しく待っていなさい」

 急いて御簾を開けると、外は夜明け前の薄暮だ。

 

「リリ! ユゥジーンが!」

 カノンの言葉にリリは止まって振り向いた。

「ユゥジーンに何かあった!」

「ええっ、ホントか?」

 

 リリは冷静に、首から下げた山吹色の小袋を手にとって、チラと見てから聞いた。

「何でそう言うの?」

「夢で……」

 

「あたしが今急いでいるのは、分かるわよね!」

「でも、あの夢は……」

 

 カノンの言葉を置き去りにして、リリは外へ駆け出して行った。

 

 後に茫然とした二人が残される。

「に、西風で何があったんだろ? でも、リリの言う通り、石を叩く余裕があるんだから、大丈夫だよな…… な、カノン」

 レンが自分に言い聞かせるように呟く。

 

「……」

「カノン!」

「あ、うん……」

「何だよ、自分の夢の方が気になるのか?」

「だって、あんなの普通じゃない。ユゥジーンが……ユゥジーンに何かあったんだよ、絶対!」

 カノンの真剣な表情に、レンは怒っていた肩を降ろした。

「どんな……夢だったの?」

 

 一通りの話を聞いて、真面目な顔になったレンが聞いた。

「そういう夢よく見るの? 夢が現実だった事って、今までにあった?」

「ううん、初めて。でも分かるんだ、ただの夢じゃない!」

 

 カノンの胸の中には、ユゥジーンの絶望の表情が楔みたいに食い込んでいる。

 そして黒い爪の恐怖が、まだ背中に鳥肌を立てていた。

 

 

 里の端の馬繋ぎ場から、紫の光が垂直に飛び立つのが見えた。ほぼ同時に執務室から鷹が矢のように発ち、少し遅れてナーガ長の大きな馬も、高空気流に向けて上昇して行った。

 

「ナーガ長も西風へ行ってくれるんだ。心強いじゃないか。ね、大丈夫だよ、カノン」

「うん、そうだよね……」

 

 夜明け前の薄明かりの中、レンとカノンは執務室へ向かって歩いていた。

 カノンの夢の話を、執務室の誰か大人に言っておいた方がいいと思ったのだ。

 

 二人は坂を登って、高台にある建物に到着した。

 ここへ来るのは留学の挨拶に来た時以来だ。偉いヒト達が忙(せわ)しなく出入りしていて、近寄り難く思っていた。

 

 窓の側まで来た所で、中からの声が聞こえた。

「ナーガ長殿まで行かれる必要があったのか?」

 年寄りっぽいひしゃげた声だ。

 二人は足を止めた。

 

「発祥を同じとする友好部族とはいえ、西風は遠い。高空気流を使っても、行って帰って一日がかり。鷹も飛ばしたし、差し当たってはリリ一人で充分だったのではないか?」

 

 別の年寄りの声。

「その間、こちらの草原で何か起こったら、どうなさるおつもりじゃ。だいたい長殿は、西風贔屓が過ぎる」

 

 レンとカノンは口を結んで顔を見合わせた。

 

「儂ら古老は常日頃、執務室に口出しせぬよう留意しておる。しかし今日は言わせて貰う。西風の事となると、長殿は無理を押し通して、自ら出張って行こうとなさる。幾ら亡きモエギの君に長殿が、昔、懸想(けそう)していたとはいえ……」

 

 カノンはそこまでしか聞いていなかった。

 後退りして、段差の縁で足を踏み外して落っこちたのだ。

 

   ***

 

 

 

 ―― どしゃっ! 

 大人の背丈ほどの高さを落ちて、したたかに背中を打った。

 しかしその痛さも霞(かす)む別の痛みが、心臓をワシ掴みにしている。

 

 物音に気付いた建物の中から誰かが出て来る。

 カノンは跳ね起きて、執務室に背を向けて力一杯駆け出した。

 レンの自分を呼ぶ声がする。でも足は止まらない。

 

 どんな言い訳も聞きたくなかった。蒼の里の中心の執務室で、自分の揺るぎなき誇りである祖母が、あんな風な言われ方をされた事実は変わらない。

 

 住居区を一気に抜けて、里の奥の放牧地まで走って、やっと立ち止まった。

 土手の側に小さな厩舎がある。

 修練所の授業用の、主無しの馬達が繋がれている。

 

 早朝でまだ人気のない馬房へそっと足を踏み入れた。

 と、同時に後ろから、赤いバンダナが走り込んで来て肩に腕を回した。

 

「ふぃ~、やっと追い付いた!」

「レン……」

「やっぱりカノン、本気出したら速いなあ。蹴り玉やればいいのに」

「…………」

 

「執務室から出て来た奴にアッカンベして来てやった。あんな連中にカノンの夢の話をしたって、まともに取り合ってくれるもんか。西風を馬鹿にしやがって」

 

 話しながら、レンはカノンに背を向けて、一番大きな馬を引き出して来た。

「カノン、頭絡頼む。僕、鞍やるから」

 

「レン」

「行くぞ、ユゥジーンのトコ。カノンもそのつもりだったんだろ?」

「僕一人で行こうと……」

「僕だって行くよ!」

 

「夢で見ただけなんだよ。それで馬泥棒をするんだ、レン」

「だって、そんなのよりユゥジーンが大事だよ。ユゥジーンを助けて、西風の妖精の能力を知らしめて見返してやる」

「そんな、知らしめる程の確信なんか無い、僕がただ行きたいだけなんだ。レンを巻き込む訳には……」

「僕は信じてる!」

 

 レンは馬装を終えて、とっとと前に跨った。

「行くぞ、早く乗れ」

 

 渋々乗ったカノンを後ろに、レンは軽く馬銜を掛け、大きな草の馬を上手に御して上昇した。初めて乗る馬なのに全然危なげない。

 彼はどんな馬に乗ってもそうなのだ。

 ヒトだけでなく馬の心も真っ直ぐに掴むレン。そんなレンこそ西風の誇りだとカノンは思った。

 

「棘の森って南西だったよな。カノン、ナビして」

「うん」

 里の外へ出るのは初めてだけれど、地形図は、図書室の虫のカノンの頭にしっかり入っている。

 初めて飛ぶ土地で、二人は方向を違(たが)わぬように前しか見ていなかったので、後方の雲の中から、蒼の里へ垂直に降りる馬影に気付かなかった。

 

「ねえカノン、さっきの」

「んん?」

「モエギ様とナーガ長が昔付き合ってたみたいな話。ホントかなあ?」

「レン!!」

 カノンは後ろからレンの腕を掴んだ。

「お祖母様は、ついこの間、亡くなった所なんだ!」

 

「あ、ああ、実現してたら凄かったなって思っただけだよ。ごめん、悪かった」

 レンは罰悪そうに黙った。

 

 気まずくなって、カノンは後悔した。ここまでしてくれるレンに、神経質過ぎる自分。

 噂なんていつだって話半分なのに。

 こんなだから僕は、レンみたいに皆に愛されないんだ。

 

「ううん、ごめん、レン」

 謝りかけた所で、後方に気配を感じた。振り向くと、空の一点の騎馬が迫って来る。

 

「追っ手だ!」

 

 予測はしていた事だ。レンは心得たとばかりに高度を下げた。

 高空では飛行術に長けている蒼の妖精に敵(かな)いっこない。眼下は切り立った谷と多少の森林。

 

「カノン、しっかり掴まってろよ!」

「うん!」

 

 レンは谷の張り出した岩をくぐり、上空からの死角へ入り込んだ。

 後方の騎馬も高度を下げて追跡して来る。

「よ――しよし、こっちへ来い」

 相手が十分に降下して来た所で、そっと岩の反対に回り、逆死角から森の方へ飛び込んだ。

「これで、巻けるだろ」

 

 潜んだ木陰で外を見やるレンを、カノンは感嘆の目で見つめる。

 ホント、レンの飛行術は凄い。僕が大人だったら、躊躇なく草の馬の免許皆伝をあげるのに。

 ホケッとそんな事を考えていて、不意に後ろから肩を捕まれた。

「ひぇっ?」

 

「なかなかだったな。俺じゃなかったら上手く巻けていただろうけれど」

 気配もなくそこにいたのは、二人に見慣れたコバルトブルーの青年だった。

 

「ユ、ユゥジーン?」

 

 髪の毛一本間違(まご)う事なき正真正銘のユゥジーンは、腕組みして鼻から大きく息を吐いた。

「まぁったく!」

「えっ、何で?」

「何ではこっちが聞きたいよ。君ららしくないぞ」

 

 あまりの予想外に止まってしまっている二人を、ユゥジーンは眉間にシワを入れて睨んだ。

 徹夜で疲れて帰って来た所に余分な用事が待ってりゃ、そりゃそうだ。

「ホルズさんにだいたい聞いた。気持ちは分かるけれど、君達だけで西風に向かうなんて、無茶苦茶だぞ」

 

「ううん、僕達……」

 言い掛けるカノンを遮って、レンが叫んだ。

「僕達の気持ちなんか分かるもんか! 西風の者の気持ちは、西風の者にしか分かんないよ!」

 

 一瞬ひるんだユゥジーンに気付かれないよう、レンはカノンの手首を強く握った。夢の話はするなって合図だ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。