ホライズン   作:西風 そら

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よっつめのおはなし
夏紫(なつむらさき)・Ⅰ


 

 

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! こらぁ!」

 

 夏草むせかえる、深山の繁み。

 灌木の下をでっかいヤマアラシが走る……と思いきや、リリのザンバラ頭だった。

 前方には、二足歩行のタヌキ風物怪(モノノケ)。

 

「このぉっ!」

 リリの放った風礫(つぶて)が二度三度土煙を上げるが、タヌキはヒョイヒョイと避け、前歯を見せてケタケタと笑った。

 

「このっ、キャッ、いたたた!」

 いつの間に、誘い込まれた蕀(いばら)の繁みで、長い髪を絡み取られて動けなくなるリリ。

「ああっ、もぉ~~」

 

 タヌキはペロリと舌を出して、この隙にと前を向いた所で、逞しい足に行く手を阻まれた。

 

「ほぉら、捕まえた。大人しくしろ」

 ジタバタするタヌキを両手で抱えて、コバルトブルーの青年が立ち上がる。

 

「ユ、ユゥジーン」

 娘は蕀を引きちぎりながら、ムスッとして青年を睨んだ。

「あたしの仕事に手出ししないでよ!」

 

「ああ、悪い悪い」

 と言いつつ、青年はあんまり悪いと思っていない風で、タヌキを目の前に持ち上げて覗き込んだ。

「ここはお前さんの住む場所と違うんだ。木霊達が困っているから、自分の領域へ引き揚げてくれるかい?」

 

「そんなんじゃダメよ! 言ったって何回も来るんだから。お仕置きで身を持って分からせないと!」

 

 娘が二本指を振り上げる前に、タヌキは青年の手をすり抜けて、繁みに飛び込んで姿を消した。

 

「ああっ、何で放しちゃうのよっ」

「手出しするなって言ったのはリリだろ」

「~~~~!」

 

 リリは葉っぱを絡ませたまま立ち上がって、膨れっ面でユゥジーンを睨み付けた。

「何しに来たのよ」

 

「いいじゃない。俺の仕事早く終わったし、ここ帰り道だし」

 青年は近寄って、紫の前髪に絡んだ茨を取ろうとした。

 その手を払い除けて、リリは踵を返してズンズン歩く。

 

「ね、こういう細かい説得系の仕事は苦手だろ? 苦手なモノは苦手って割り切って、手伝って貰ったっていいじゃない。みんなもそうしてんだし」

 

 繁みをバキバキかき分ける娘の後ろを、ユゥジーンはゆっくりと着いて行く。背丈が大人と子供なので、歩幅が全然違うのだ。

 

「余計なお世話! あたしは一日も早く何でも出来るようにならなきゃなの! 手伝って貰っている暇なんかないの! でないとこの間みたいに……」

「リ――リ!」

「何よっ!」

 不機嫌に振り向いた娘の真ん前に、コバルトブルーの真剣な瞳があった。

 

「な、何よ・・」

 

「それはもう、気にしなくていいって言っただろ? 結果的に大丈夫だったんだし。俺、何とも思っていないよ」

 

「うっ、うるさ――いっっ! ううううるさいうるさいうるさいっ」

 肩に掛けられた手を思いっ切り払い除け、リリは怒鳴るだけ怒鳴って、藪を物ともせずに走り去ってしまった。

 

 後にはヒラヒラ舞う葉っぱの中に立ち尽くすユゥジーン。

 困ったものだ。

 この間の事件……ユゥジーンが山の集落で獣人に襲われてあわやの目に遭ったのを、リリは自分のせいだと引き摺って、ずっとピリピリしているのだ。

 確かに、カノンが予知を一番に伝えたのはリリだったが、その後ホルズにだって他の大人にだって、当のユゥジーンにだって、彼は伝える機会があったのだ。

 

「伝えて貰えなかったのは、俺がカノンとの信頼関係を築けていなかったからだよ。リリには何の責任もない」

 何回もそう言って宥めているのだけれど、あの自分中心が身体の芯まで染み付いている娘は、何でも自分のせいにして、殻に隠(こも)ってしまうのだ。

 

 執務室に入ってもう何年も経つのに、いまだに他のメンバーと馴染もうとしない。

 何かと言うと長娘、長娘、って垣根を作り、出来ないくせに何でも一人でやろうとする。

 元々魔法力だけは人並み外れて強いもんだから、周囲も迂闊に手を出せず、ますます孤立させてしまうのだ。

 

「優しくて純粋で、いい娘なんだけれどなあ・・」

 

 

   ***

 

 

「え? えええ――っ?」

 

 自宅でもう一度漏らしたその言葉に、芋の皮を剥いてたレンが悲鳴を上げた。

「や、優しくて純粋ぃ??」

 

「純粋だろ? 小さい時からあのまんま。ちっとも変わらない」

 ユゥジーンは岩塩をナイフで削りながらシレッと言った。

 

「ガ、ガキンチョなだけなんじゃないの?」

「ガキンチョ……うん、そうだな。大人の朱に染まらないんだよな、あいつ」

 

 レンはマジマジとユゥジーンを見た。

 ここへ来た時から何とな~く思っていたんだけれど、リリが執務室で働いていられるのって、このちょっとズレて寛容なユゥジーンのお陰なんじゃないか? 

 

 芋の皮をバラバラと落としながら立ち上がって、少年は鍋を引き寄せた。

「でもユゥジーンが悪かったね。そりゃリリ、怒るよ」

 

「ふぇ、何で?」

「『何とも思ってないよ』って、ダメだろ? 『お前には何も期待していない』って意味じゃん。ユゥジーンがそのつもりでなくても、そう受け取っちゃうんだよ。あいつ、プライド高いから」

「そ、そうか、複雑なんだな」

「逆! 単細胞なだけ。だからガキンチョだってんだ」

 

 ユゥジーンは削った塩をレンに渡し、ガラクタを端に寄せて食卓を作りながら思った。

 永らく隣に居ても越えられなかったリリの垣根を、この少年はヒョイヒョイと越えて行く。彼が来てからリリの表情が目に見えて生き生きし出した。

 さすがあのエノシラさんに育てられただけはあるな、と、しみじみ感謝するユゥジーンだった。

 

 カノンが退院してからも、リリは夜になるとユゥジーン宅に訪ねて来ては入り浸って、そのまま泊まってしまう日が続いている。

「僕、床で寝るの、好きになっちゃった」

 とかレンが言っているし、あのリリが、少年二人といる時は、まるで子供時代を取り戻すように無邪気になるので、好きにさせていた。

 

 しかし、彼らとは仲良く出来ても執務室では相変わらずだし、あの厳しいナーガ長が娘に関しては放任主義なのも心配で、何かと気苦労の絶えないユゥジーンでもあった。

 

 

 

***

 

 

 

「う・・」

 

 傷口を見たおウネ婆さんの呻きを聞いて、カノンは(やっぱり……)と、心で呟いた。

 

「う、うむ、熱も引いたし、もう膿む心配もなかろう。毎日の清潔を怠るでないぞ」

「はい、ありがとうございます。じゃ、包帯はもういいんですか?」

「い、いや、今日の所は巻いておこう」

 

 ――額に爪が食い込んだ時の感触から、覚悟はしていた……

 

 診療所を出ると、もう夕暮れだった。

 しかしカノンの足は、帰宅とは別方向へ向かう。

 

「どっちへ行くのよ」

 振り向くと、いつもの感じで腕組みをした紫の前髪。

 

「や、やあ、リリ」

「怪我人がウロウロと道草食ってんじゃないわよ」

「…………」

「何よ?」

「今日診療所へ寄る日だって知っていて、迎えに来てくれたの?」

「なに自惚れてんのよ。ついでよ、こっちに用事があったの!」

「ふうん、そうなんだ」

 

 カノンは逆らわず、並んで歩いた。

 ぼさぼさの紫の前髪は彼より拳ふたつ低いけれど、彼女の方が年上だ(幾つ上かは知らない)。

 

「で、どうだったの?」

「うん、もう通院しなくてもいいって」

「そ、良かったわね」

 

 返事をしない少年を、リリは見上げた。

 夕闇で表情が見えないけれど、多分『良かった』って顔はしていない。

 

「どこへ行くつもりだったのよ」

「うん、ハウス。散髪して貰おうかなって。上級生の女の子に髪を切るのが上手な子がいるんだ」

「…………」

「ほ、ほら、イメージチェンジ? レンみたく前髪おろして遊ばせて、てっぺん立てて、イマドキ風にしようかなって。えっと、その、そしたらレンみたいにモテるかな――っとか」

 

 リリが立ち止まったので、カノンも止まった。

 

「それならあたしが切ってあげる」

「えっ?」

「櫛なら持っているわ。それと小刀。はい座って座って」

 

 少年は勢いで路傍の柵に座らされた。娘は愛用らしい胡桃の櫛で、髪をガシガシ梳き始める。

 

「え、いや、待って」

「あたしのセンスを見くびるんじゃないわよ。そうね、あんたの髪だとレンの真似は無理ね、コシがないったら。いっそスキンモヒカンとかどう? インパクトあるわよぉ」

「待って待って待って――!」

 

 本当に髪の根元に刃を当てられて、カノンは慌てて逃げ出した。

 リリは追い掛けはせず、肩を降ろして小刀を鞘にしまう。

 

「そんなに目立つの? 額の傷痕」

 

 数歩向こうでカノンも止まって、ゆっくり振り向いた。

「うん、まあ」

 

「……」

「あの腹の据わったおウネお婆さんが凄い顔をするんだもん。スキンモヒカンなんかよりインパクトあるよ、きっと」

「見せてご覧なさい」

 

 カノンは戻って来て柵に腰掛け、包帯を解いた。

 

「・・!」

 そこそこ度胸のある筈のリリが、眉間に縦線を入れて黙ってしまう。

 子供らしくつるんと綺麗な額の、そこだけ無機質な粘土みたいに抉られた、無残な痕……

 

「凄いでしょ」

 珍しくリリより先にカノンが言葉を発した。

 

「見たの?」

「うん、明るい昼間に水鏡で」

「…………」

 

「これでも長殿が何度も術を施してくれたんだよ。だから回復は早かった。でもこの傷痕は消せないって言われた」

「…………」

「えーとだから、前髪切って隠すようにしようかなと」

 

 やにわにリリが顔を上げた。

「切るのはダメよ! あんた術者になるんだから、切っちゃダメっ」

 

「え、えっと、僕、術者になんて別に……」

「なりなさいよ!」

「なんでだよ、急にっ?」

「とにかく切っちゃダメなんだってばっ」

 リリのイライラした表情が爆発した。

「このあたしが気に入ってんのっ! 根元が深い青で表面が薄氷みたいなグラデーション。そんな髪色の子そうそういないわ。あんたは自分で分かっちゃいないだろうけれど、そのへんの女の子なんかにさわらせたら、きゃあきゃあ面白がって、台無しにされるに決まってる。だからぜったいにダメ!」

 

「えっ、えーと?」

 いっぺんに沢山捲し立てられて、カノンは混乱した。でもその沢山の中の切れ切れの言葉を繋ぎ合わせて、彼の聡明な頭脳が一つの結論を導き出す。

 

「あー、リリ、要するに、自分の気に入りの髪を他所の女の子がいじるのが嫌って訳?」

 

「バッカじゃないの? 何よ、その自惚れ!?」

「バカって何だよ。そもそも僕の事に、何でリリがいちいち口出しするのさ」

「あ、あたしは、その傷の責任が、あたしにあるからで」

 

 そこまで喋って、娘は口ごもった。

 その隙間にまろび出た、カノンの罪のないひとこと。

 

「リリに責任なんてないよ。僕、何とも思っていないし」

 

 

 

 

「あ? 何それ?」

 

 家に帰ってレンに指摘されるまで、カノンは、小さな胡桃の櫛がてっぺんの旋毛(つむじ)に刺さったままなのに気付かなかった。

 

「ああ、リリの櫛」

「一緒だったの?」

 食卓に器を並べていたレンは、首を伸ばして外を見た。

「うぅん、途中まで一緒だったんだけれど、帰っちゃった」

 カノンはあやふやに言いながら、食卓に付いた。

 

『うるさーい! あんたなんか大っ嫌い!』

 って、いきなり理不尽に怒鳴られた事は、黙っていた。

 

 

 

 




挿し絵:リリ 
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