「おやまあ、珍しいこった」
里裏の山茶花(さざんか)林の奥。
居住区より外れて一軒ポツンと、ひっそり灯りの漏れるパォ。
古いこの家(や)には、第一線から退いた前の長、ノスリが暮らしている。
「お前さんが訪ねて来るなんて、明日はヒョウでも降るんじゃないか? まあ、甘茶でもどうだ」
「いいえ、すぐ帰ります。ちょっと教えて頂きたい事があるだけです」
紫の前髪のリリは玄関先で畏まって、恰幅のいいノスリを見上げた。
この身体の大きな前長様とは、ほとんど話した事がない。
「あの、じじさま……大長さまに会う方法はないのでしょうか」
ノスリは眉根を寄せた。
彼女がじじさまと呼ぶのは、現長のナーガの叔父にあたる、先々代の蒼の長だ。
少し前に草原に降り掛かった災厄の後始末を付ける為、空間を隔てた彼方(あちら)側に残ってしまった。
自分はもう会えないと肝に据えている。
「あの方に何か用事かい?」
「はい」
「どういう用事かな?」
「…………」
ノスリは、ちょっと居ずまいを正した。
「あの方は確かに偉大だ。リリも沢山の事を教わっただろう。でも師というものはいつまでも側に居てくれるとは限らない。いつかは寄りかかるのをやめなければならないんだよ、リリ」
「そうですか……」
「その為に我らは、いつ何があっても良いよう、弟子や子孫にきちんと継承させる事に心血を注いでいる。大長の術に関してなら、ナーガが一番継承しているぞ」
「父様は……」
リリは一拍置いて呑み込んだ。
「他にいないんですか? じじさまの術を沢山継承しているヒト」
「そりゃ、一番近いと言われたのはカワセミだが、故人だし…… ナーガじゃ駄目なのか?」
リリはキュッと口を結んだ。
「お邪魔してごめんなさい。帰ります」
しょんぼりして去ろうとする娘の背中に、ノスリは何気ない風に声を掛けた。
「ああそういえば、俺も一つリリに聞きたい事があったんだ。今、いいか?」
「はい?」
リリは、緊張の表情で振り向いた。このヒトに限らず執務室の大人は苦手で、仕事以外の時は出来るだけ避けていた。
ノスリはすぐには返事をしないで、室内に戻って、小さな鍋を火鉢にかけ、甘茶の葉をパラパラと放り込んだ。
「まあ、お入り」
娘は戸惑いながら、室内へ踏み込む。
入って二、三歩で、電気に弾かれたようにハッと背筋を伸ばし、天井をキョロキョロした。
ノスリは微笑みながらその様子を見ている。
「あれ? あれ? 何か術が掛かっているんですか? この家?」
「ふむ、流石だな。まあ、お座り」
何だか嬉しそうに顎をさすって、ノスリは椅子に毛皮を敷いて勧めた。
言われるまま腰掛けた娘は、まだ上を見回している。
「この場所は俺が住む前、エノシラという女性が住んでいた。ルウシェルや、お前の大好きなシンリィが一緒に住んでいた時期もあったんだぞ」
「ホントなの?」
「エノシラの前は、さっき話した、カワセミが住んでいた」
「へえ……」
天井を見ながら段々上の空になって行く娘に、ノスリはそっと話し掛けた。
「どんな風に感じる?」
「どんなって……」
「俺はずっとここに住んでいるが、具体的に感じる事が出来んのだ。そんな風にすぐ分かるのが羨ましいぞ」
ノスリは甘い湯気のたつ碗を差し出しながら、娘を覗き込んだ。
「そう、部屋に入ったとたん、身体がふわっと軽くなって、安らかな気持ちになる。ノスリ様、ここに帰ると、疲れていても暗い気持ちにならない、疲れが癒える、そんな風に感じませんか?」
「おお!」
顔をほころばせた前長は、リリと同じように天井を見回した。
「やっぱり、お前さんに聞いてよかった、うんうん」
「あの?」
首をかしげる娘に、ノスリはニコニコして話し続けた。
「大昔、ここは忘れられたような馬具置き場だったんだ。ある朝突然、当時まだ小僧だったカワセミが、ここに住むと言い出した。あいつが言うには、この場所は、『里の中の命の力が交叉して強く流れる場所』なんだと。やはり今でもそうなんだなあ」
「へえ!」
リリは目を閉じて、鼻から大きく息を吸った。
命の力の流れる場所。ここで暮らしていたんだ、シンリィも、ルウシェルも。
娘が穏やかな顔になったのを見計らって、ノスリは口を開いた。
「なあ、リリ、気が向いた時でいいから、たまに遊びに来てくれないか?」
娘はハッと身構えた。
そういう事を言われるのは初めてじゃない。里へ来て間もない頃はそう言ってくれる大人が沢山いた。
お父さんが不在がちで寂しかろう、いつでも遊びにおいで、と。
自分も素直だった。
そして本当に訪ねて行ったら微妙な顔をされた。
ああそのまま受け取ってはいけないんだなと、学習した。
何の裏も考えなくていいのはユゥジーンだけだった。
でも外見年齢が離れ始めると、何となく遠退いていた。
だから今の、少年達とわちゃわちゃ居る状況は、入って行きやすくてとても楽だ。
真意を探るようにじっと見つめる娘に、ノスリは言葉を継ぎ足した。
「シンリィの事を教えて欲しいんだ。何気ない日常の話でいい」
「シンリィ? 執務室に居たんですよね、棚にシンリィの名前があったわ」
「ああ、確かにあの子はここで一夏を過ごしたけれど」
ノスリは少し視線を落とした。
「まだまだずっとここで暮らしてくれると思っている間に、あっという間に役目を果たしていなくなってしまった。親友だったカワセミの大切な忘れ形見、もう少しは一緒に過ごせるつもりでいたんだ。俺はいつもそうやって油断して、心残りを作っちまう」
リリは肩の力を抜いた。
この大きな身体の大人が、心そのままを喋っているのは伝わった。
「分かりました。次は早い時間にゆっくり伺います。あたしもシンリィが蒼の里にいた頃のお話を聞きたいです」
帰りがけ、ノスリが、ああちょっと待てと菓子箱を探っている間、リリは今一度天井を見回した。
本当に不思議な空間。ここに居ると思い悩んでいた事が、軽くなって行く気がする。
ふ……と、目の端で光が揺れた。
座っていた時はノスリの陰になって見えなかった窓辺だ。
そこにぶら下がった物が、回りながらチラチラ光っている。
リリは何気なく近寄った。
細い木の枝を輪っかにして、クモの巣型に毛糸を掛けた装飾。他の場所でもよく見かけるおまじないだ。
幸せを掴まえると言われ、窓辺に吊るしている家は多い。
クモの巣の中央に、他の家の物にはない大きな緑の石が吊るされ、リリの目の中へ光を放って存在を主張している。
(・・!!)
彼女の視線を捕らえると、それは意思を持ったように夥(おびただ)しく瞬いた。
初めて出会った物なのに、その石に込められたモノが、リリの中にスッと入って来た。
ノスリを見るとまだ背を向けて菓子袋を持ってゴソゴソやっている。
・・・・・
考えるよりも先に、手が動いていた。