放牧地の手前に大きな杏子の木があり、甘酸っぱい香りの漂う真下が、ユゥジーンと二人の男の子の暮らすパォだ。
窓から湯気があがり、賑やかな声が漏れる。
「カノンのトコ、多い!」
「レン、ヒトのお皿を覗かないの。カノンは傷を治さなきゃならないんだから」
「ぶ~~」
「あの、おウネお婆さんが、傷は塞がったって。だからユゥジーン、僕もみんなと一緒にして」
「おお、そうか、よかったな。包帯はもう取れるのか?」
「えと、まだ触ると痛いから、もうちょっと」
入り口に足音がした。
「リリかな?」
レンが口の物を押し込みながら、玄関に出た。
「あ……」
意外なヒトが、困り顔でそこに立っていた。
***
里を出て、少し離れたハイマツの丘。
とっぷり陽の暮れた空の下、玉砂利の上に一人立つ、ザンバラ頭のリリ。
小さな両手に緑の石を握り締め、一心に術を唱えている。
声も身体も小刻みに震え、唇は血の気が引いて真っ白だ。
ついさっき、やってしまった事……
ノスリ様はすぐに気付くだろう。物凄くガッカリするだろう。でも仕方がない、引き換えせない。もう、やってしまったのだ。
長らくの時間が過ぎたが、手の中のモノはコトリとも反応しない。
リリはこわばった指をほどいて肩を落とした。
当たり前、手紙を読む以外の難しい術は、ほとんど使えないのだ。
「もっと教わればよかった……」
シンリィと旅をしたのは、小さい時のホンの数ヵ月。その時期に、大長と呼ばれる人物が、暇さえあれば様々な手解きをしてくれた。でも自分は、お説教キライ! と、すぐに逃げ出していた。
「本当に、教わる機会は山ほどあったのに」
あの時もっと真剣に説法を受けていれば、今こんなに術につまずいている事もなかったのだろうか。
あたしの素質が低い事が分かっていて、一生懸命育てようとしてくれていたのかもしれない。
小さなため息が暗い草原に吸い込まれて行く。
自分はいつだって、肝心の事に気付かなくて、後で後悔ばかり。
昔も、この間も……
「リリ――!」
不意な声に、リリは顔を上げた。
勿論、彼女の求めていたヒトではない。
大きな草の馬に二人乗りで、暗い空から降りて来たのは、西風のレンとカノン。
「やっぱりリリだ、その頭、上空からでも一発で分かる」
言いながらレンは上手に手綱を操って、玉砂利の上に降り立った。
「な、何やってんのよ、あんた達、また馬泥棒を……」
情けない顔を見られたかもと、リリは急いで気を張って、いつもの調子の声を出した。
そんな彼女の様子に気付いたか気付いていないか、少年二人は下馬してサクサクと近寄って来た。
「だ――いじょぶっ、今度はちゃんと断って借りて来たから」
レンは右、カノンは左側から、そっと彼女を伺う。
「ね、ノスリさんが訪ねて来たんだ」
「・・!」
「リリにあげたお菓子の袋の中に、間違って別の物を入れちゃったんだって。えっと、大切な物だから返して欲しいって」
浮草の上を歩くように喋る少年達に、リリは目をそらしたままブスッと言った。
「お菓子の袋に大切な物を入れちゃったって? ノスリ様がそんなドジをすると本気で思っているの?」
仏頂面の娘に、少年二人は困った顔を見合わせた。
少しの沈黙の時間が流れる。
「なあ、ここって、リリの秘密基地?」
レンがカラッと言った。
「え? ううん、なんでよ?」
いきなり聞かれたので、リリは普通に答えてしまう。
「見晴らしがいいのに下からはハイマツで見えないし、里からは適度に離れているし、秘密基地にもってこいだなって思って」
「はあ?」
「よし、先に取――りぃっ! ここ、僕の秘密基地だ! 旗立てて、見張り台作って」
「バッカじゃないの? 旗なんか立てたら秘密じゃなくなっちゃうじゃない」
「バカって言うなよ」
「バカだからバカって言ったのよ、ガキンチョ」
喋らされているうちに、娘の口からこわばりが消えて赤味が戻った。
「お、お菓子!」
今度はカノンが叫んだ。
「ひ、秘密基地では、持っているお菓子を分配するんだよっ。あ、あるんでしょ、貰ったお菓子っ。分けてよ、晩ごはん途中でっ、僕、お腹、ペコペコっ」
目を白黒させながら一生懸命喋る少年があからさま過ぎて、リリは苦笑いしながら、ノスリに貰った菓子袋を懐から引っ張り出した。
***
三人、玉砂利の上に並んで座る。
リリを真ん中に、右にレン、左にカノン。ただ黙って、風に揺れる草原が星明かりにチラチラ反射するのを見つめていた。
割って分けた麦菓子は甘くて苦くて、凍てついた頬の内側も溶かされて行くようだ。
「ごめんねぇ、付き合わせて」
リリがポツッと言った。
「は? リリに振り回されるのなんて、僕らにゃ通常運行だし」
「なによ、それ」
レンの言い草に、反対側のカノンもククッと笑った。そして、菓子の入っていた麻袋の口を開いて、リリに向けた。
娘は口をキュッと結んで、手の中に握り締めていた緑の石を、袋の中に滑り込ませる。
カノンは横目でそっと見た。
掌(てのひら)に収まる程の、少し白濁した翡翠石…… リリは何でこんなモノが欲しかったのだろう。下手したら取り返しの付かなくなる罪まで犯して。
でも、そこは聞かないで、そっとして置いてあげた方がいいんだろう。
ノスリさんは、ただこの石が返ってくればいいだけみたいだったし、僕らに頼んだのは、大事(おおごと)にしたくなかったからだろう。
「へぇえ! そんな平らな石が欲しかったの?」
いつの間にか覗き込んでいたレンが大声で叫んで、カノンは心臓が跳ね上がった。
リリも驚いた顔を上げる。
「リリが欲しがるなんて、どんな秘宝かと楽しみにしていたら、どこにでもありそうな石じゃん。ああでも、さっき呪文みたいなの唱えていたよね。もしかして、すっごい魔法が含まれていたり?」
あたふたするカノンを尻目に、レンは軽々と垣根を越えて踏み込んで行く。
「そ、そんなんじゃないわよ、ただ」
リリは、さっきみたいに、つい喋らされてしまっている。
「ただ、この石を作ったヒトに、会いたかっただけ……」
「へえ? やっぱり何処かの術者さんが作った魔法石なんだ、誰なの?」
「知らない……」
「お? じゃあ今唱えてたのって、『物から持ち主を探す』術? 凄いなリリ、その術、難しいんだろ?」
「うぅん、出来た事ないし、やっぱり出来なかった。諦めたわ、これでおしまい」
娘は俯(うつむ)いて首を左右に振った。
左のカノンは黙って唾を呑み込む。
右のレンは、「そっかそっか」と軽く頷いているけれど、真顔で何かを考えている。
おしまいと言っているんだし、もう触れないでその辺で止めてあげて欲しい。カノンは切に思ったが、親友はそんなつもりはないみたいだ。
「理由を言って頼めば、ノスリさんはその石、貸してくれたんじゃないの?」
更に追求を続けるレン。
カノンはヒヤリとし、娘は黙ったまま肩をピクリと震わせた。
「っていうか、その石の作者さんに会ってどうしたかったの? ノスリさんにも言えないんだろ? お父さんにも。ひょっとして、里の規則に反する術でも使って貰おうと……」
「もういいじゃないっ。返したんだからぁっ!」
図星だったみたいで、リリは真っ赤になって叫んだ。
左のカノンはビビって飛び上がったが、それでも頑張って口を開いた。
「だ、駄目だよ、掟破りの術を他人に頼んだりしちゃ」
「このヒトは里を出たヒトなのっ。石からそれが分かったからっ。だから頼もうとしたんじゃないっ!」
「で、でも、リリは里の一員だし、良くないよ、やっぱり」
「うるさ――いっ! カノンの癖にうるさ――いっ! そう思うんなら離れて頂戴。呆れて嫌って見捨てればいいんだわ。他の皆もそうしてんだし!」
娘は肩で荒い呼吸をし、髪の毛の先まで電気が通ったみたいに逆立てている。
カノンはもう、チキチキと音を立てる、真っ赤な釜戸の前に座らされている気分だった。
そこへ一歩も退かず、湿った生栗を次々と放り込むレン。
「それは無理だ、僕らリリが好きだモン」
「ど、どこが好きっていうのよ…… もう帰って、消えて……!」
「すぐにそうやって切り捨てようとする。ほんとガキンチョ。まぁリリだもんな」
「う、うるさい、うるさい、うるさ……ゲホゲホ」
叫び過ぎて、とうとうリリは声を涸らした。咳き込んで涙ぐみながらも、まだ口をパクパクさせている。
「分かった、黙るからさ。その前に一個教えて」
対照的に、レンは落ち着いてゆっくりになった。
「リリの目的って、『その石を使って探し出したヒトに、望みの術を使って貰う事』。それでオッケ?」
娘は力尽きた感じで、大人しく頷いた。
「うん、そう……」
「りょ~かいっ」
レンは膝を叩いて立ち上がった。
そして、さっきからリリの左で青くなったり赤くなったりしているカノンの前へ行って袋を取り上げ、中の石を彼の掌(てのひら)に転がした。
「じゃ、頼むわ」
「うへっ、そうなるの?」
「そうなるだろ」
「もぉ・・あんまり期待しないでよ」
青銀の髪の少年は、両手で石を握りしめて、神妙な面持ちで立ち上がった。
「えっ? なに? 何なの?」
呆気に取られるリリの前髪に、レンがポケットから出した何かをくっ付けた。
昼間カノンの髪に刺しっ放しにした、胡桃の櫛。
「ねえリリ、なんで僕らが初めてのこの場所に、リリを目指して一直線に来られたと思うの?」
「あ」
「『物から持ち主を探し出す術』。何気に十八番(おはこ)なんだぜ、カノン。この間の予知夢を見て以来、急激に色々出来るようになってさ」
「だから期待しないでってば」
丘の一番高い所まで登ったカノンが、足場を決めてから振り向いた。
「遠すぎると無理、古すぎてもダメ。半分はガッカリする気持ちでいて」
そう言うと、石を摘まんで包帯の眉間に付けた。
リリにはその瞬間、石が光を増したのが見えた。術は本物だ、効いている。