ホライズン   作:西風 そら

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夏紫・Ⅴ

   

 

「~~~~!」

 リリは俯(うつむ)いて拳を握りしめている。

 まだ納得していない様子だ。

 

「ああ、結界が切れるね、もう帰った方がいい」

 男性は、闇の空を見回した。白い霧がゆっくりと湧き出している。

 

 レンとカノンが何と声を掛けようかと逡巡している隙に、リリはガバリとリューズの懐に飛び込んだ。

「あああたしのせいなのっ」

 

 ビイドロみたいな瞳で見上げられ、流石に戸惑うリューズ。

 

「あたしが迂闊なせいで、ルウシェルの大切な・・大切なこの子の額をこんなにしてしまって、ああ、どんな罰でも受けるから、あたしの事嫌いになってもいいから、この傷だけは、とにかく何でもどうでも、この傷だけは、お願い、お願いします、お願い・・」

 

 少年二人は唾を呑みこんだ。

 こんな支離滅裂な、プライドもへったくれもないリリ、見たことがない。

 

「リリ、僕、もういいから」

 と言うカノンの声をかき消して、娘は眼光を湛えて更に叫んだ。

 

「初めて会った時、ひと目で分かった。ルウシェルがどれだけこの子に支えられて生きて来たのか。こんなにソラにそっくりで、髪の生え際までそっくりで。ねえお願い、この子を元のソラそっくりな額に戻して、ルウの元に帰してあげて!」

 

 誰に何が必要なのかを、本人よりも深く解してしまうのが、リリって娘(こ)だ。

 カノンは目を見開いたまま黙った。

 

 しがみ付かれたリューズも、さっきまでの厳しい表情が失せて迷いが露わになっている。

 信念は揺るがない。だがルウシェルの寄る辺ない顔を脳裏に浮かべてしまったのだ。

 

 

「……カッコいいよ」

 

 ボソッとした声が空気を割った。

 それまで黙って一歩下がっていたレンが、カノンの横までやって来て、額を覗き込んでいる。

 

「『砂漠の灰色狐』みたいだねっ!」

 

『砂漠の灰色狐』とは、西風の伝説に出てくる英雄だ。

 まあ、どこの土地でも『額に向こう傷のあるヒーロー』のお伽噺は、ありがちだ。

 

「そお?」

 カノンが努めて明るく返事をした。

 それから、口をパクパクさせるリリの手を取ってギュッと握り、反対の手でレンの右手を握った。

「あの、教えて下さい」

 

 少年の問い掛けに、リューズも気を取り直したように彼を見下ろした。

 

「蒼の長さまが決めたって事は、何か意味があるんですよね。どんな意味なんでしょうか」

 

 青銀の髪を肩からすべらせて男性は、屈んで少年と目線を合わせた。

「身体は人生の節々に様々な痕を刻みます。その者にとって何の意味も持たない傷ならば、あの方は治癒して下さったでしょう」

 カノンはハッとして、男性の萎えた片脚を見た。

 

「すぐに答えが出るものではありません。あの方々の教えはいつもそうだ。それを知って行く過程も、とても大切なのだと…… 僕はそう思います」

 そう、ナーガ様が、この子やルウシェルを大切にしていない訳がないのだ。言いながらリューズは、自分の胸にも刻み付けているようだった。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 少年が例のよく通る声で返事をし、リューズは更に表情を震わせた。

 彼はスッと立ち上がり、子供達に背を向けて、錫杖を鳴らして方向を探る作業を始めた。

 

「ねえ、ここ、何処なんですか? カノンの術で飛んじまったって事だけど。海霧(かいむ)なの? めっちゃ遠くない?」

 知り足りないレンが、今更ながらの疑問をぶつけた。

 

「ああ、ここは結界の中だから…… 距離の概念を無視して飛び込む事は有るかもしれないけれど、狙ってやる物ではないですね」

 リューズは背を向けたまま、杖を振りながらも丁寧に答えてくれる。

「あの蛇は?」

「あれは邪の魔性。退治しようと結界を作って閉じ込めた所で、君達がとぐろのド真ん中に現れた。肝が冷えました。本当に二度とやらないで下さい」

 レンが唾を呑み込む横で、カノンも神妙に頷いた。

 

「魔性退治って、普段からやってんですか?」

「いや、最近になってから…… モエギ様が亡くなられた後、たまに砂漠の上空の風が流しきれていない時があって」

 カノンはまたハッとした。

 清浄な風を流して邪を追い払うのは、西風の長、ルウシェルの役割だ。

 記憶が曖昧で至らなかった彼女を、引退した祖母のモエギが、田舎家から密かに補助してくれていたんだ。そして今はこのヒトが……

 

「まあ、たまにです、滅多にありません。西風の長殿も、今では立派に独りで勤めあげておられますので。ああ――・・」

 リューズは慌てて言葉を濁し、それからリリを振り向いた。

「ナーガ様には言わないで下さい。あの方いまだに、ルウ……西風の長殿を子供扱いで甘やかされるので」

 

「そう、そうね、確かにその通りだわ。そちらは貴方や他の頼もしい仲間がちゃんと居て、ルウを支えてくれているもの。余計な心配だったわね」

 半泣きだったリリが、自分にも言い聞かせるように声を張った。

 

「リューズさん」

 呼ばれて男性はビクンと揺れて、自分をじっと見上げる少年の、燃えるようなオレンジの瞳を見た

 

「今日だけで沢山の事を知る事が出来ました。貴方の事も少しだけ。こうして知って行く過程も、傷痕を残した『意味』なんですよね」

 

 男性は何かが溢れるのを抑えるように、引き締めた口の両端を震わせた。

 

 錫杖がリンと鳴って方向を探り当て、石を握ったカノンを真ん中に、子供達はそちらに立って各々の別れの言葉を口にする。

 青銀の妖精は黙って、でも闇に溶ける直前まで、じっと子供達を見守っていた。

 

 

 気が付くと三人は、夏の虫の声がチキチキ響くハイマツの丘に立っていた。

 

 

 

 

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