ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・Ⅲ

   

 

 

 

 渡る風が春の山から新芽の香りを運んで来る。

 血気盛んな砂の民の部族といえど、こんな外れの田舎は、西風の里よりも喉(のど)やかだ。

 

 山間の棚地に一軒の古家があり、窓辺のベッドに一人の女性が佇んでいる。

 面差しがルウシェルに似ているこの女性は、ルウの母で、西風の前長のモエギ。

 長らく身体を患っていた彼女は、娘に長を譲った後、西風の里を出てこの場所で静かに療養している。

 

 娘と同じオレンジの瞳が見つめるは、山道を登って来る一頭の騎馬。

 

 一点の白もない漆黒の見事な馬だが、鞍上は拍子抜けする程のチビッ子だ。

 反動で跳ね上げられるのもお構いなしに子供用の補助具は一切使わず、ピンと伸びた背筋に一丁前に片手綱。

 一際濃い飴色の肌も、真っ黒な瞳も幅広の口も、そっくりそのままミニチュアのハトゥンだ。

 

「よくもあれだけ似たものだ」

 

 女性はオレンジの瞳をしばたかせて、頬杖の上で苦笑する。

 

 子供は前庭に到着するや、馬から飛び降りて駆け寄った。

 

「母者!」

 

 

 西風の長であったモエギの伴侶は、隣の部族『砂の民』の総領息子のハトゥン。種族的には、砂漠のジンと妖精の中間だ。

 砂漠で一番勢力の大きい砂の民の部族と、一番歴史の古い西風の民。実は双方の古い大人同士は仲がよろしくない。

 大昔の諍(いさか)いだとかどちらが上だとか、漠然とした確執が源(みなもと)なので、気にしない若者達はそこそこ仲良くやっている。

 

 ハトゥンの父の総領は、モエギの事を気に入ってはるが、次期総領である一人息子が西風に婿入りなど、当然許さなかった。

 西風も同様で、元老院が、ハトゥンの血を引くルウシェルに風当たりが強いのは、いまだに古(いにしえ)の高貴な血とやらに拘(こだわ)っているからだ。

 

 夫妻は別居婚だったが愛情は深く、十二年前にソラの行方不明で心労が重なったモエギが倒れた時、父の近くで静養するよう強く勧めたのは娘のルウシェルだった。

 彼女は、身体の弱い母を早く父の側に行かせてやりたくて、最速で長を継げるよう、幼い頃から努力していたのだ。

 

 西風を娘に任せたモエギは、砂の民に対するそれまでの恩義と縁(えにし)に、身を持って応えた。

 すなわち、総領殿もすっかり諦めていた『ハトゥンの跡取り』を、病を押してこの世に送り出したのだ。

 

 これで双方、血が交じった跡取りが揃う。

 砂漠の地の歴史の流れの中でとても大きな出来事だったのだが、そんな事が語られるのはずっと後世の歴史書の中で、当時のモエギもハトゥンも、勿論、意識もしていなかった。

 

 

 

「アデル、凄いな。また馬に乗るのが上手くなったな」

 

「うん、お爺ちゃんにも誉められたよ! 薬と塩持って来た、あと父者から水菓子」

 子供は荷物を馬から外すのももどかしく、屋内へ駆け入る。

 

「今日は一杯食べた? 痛いのはない? あぁ――」

 言ってから子供は、サイドテーブルを見て母を睨む。

 朝拵(こしら)えられたであろう粥が、表面に膜が張った状態でそこにあった。

 

「あ、ああ…… アデルの顔を見たら元気になった。食べよう」

 モエギは笑顔を作って匙を手に取った。

 子供は安心して、小さい手あぶりに湯を沸かすための炭を入れる。

 

「カーリは留守なの?」

「ああ、麓の村に、菜の行商が来る日だって」

「カーリがいないからって、食べるのをサボっちゃ駄目だよ」

「分かった分かった、ホラ、食べただろ」

 

 母は空になった器を見せておどけて見せる。

 子供は教官のようにヨシ、と器を受け取った。

 住み込みで看護をしている叔母(父の妹)のカーリに、『モエギはお前が言うと食べるから、無理にでも食べさせてくれ』と、常日頃から頼まれているのだ。

 

「そういえばアデル、そこの棚に庭で採れた春胡桃があるぞ」

「わぁ、やった! ……あ、今駄目だ」

 

 アデルは顔を近付けて、にぃっと歯を見せる。

「前の歯三本、ぐーらぐらっ」

「ほぉ、喧嘩したのか」

「乳歯だよ乳歯! 何でこんないたいけな子供相手にそういうコト言うの」

「乳歯……ちょっと遅いな、ああ、ルウも遅かったっけ」

 

 モエギは骨張った人差し指で、子供の前歯をツンと突いた。

 

「駄目っ、余計ぐらぐらになるぅ」

「いっぺんに抜いちゃった方が、後の歯が揃って生えて来るんだぞ」

 

 そう言ってモエギは、枕元の棚の裁縫箱に手を伸ばした。

 

 

 

 山道を登って来る騎馬が二頭。

 

「いいか、くれぐれもモエギに気に病ませるような話はするなよ。先週また胸を痛がって何日か寝込んだんだ」

「分かってるよ。僕ってそんなに軽率に見えるか」

「見える」

「…………」

 

 真っ白い馬に、チョコレット色のキノコ頭の女性は、モエギと同居している義妹のカーリ。

 黒砂糖色の栃栗毛に、白い綿帽子頭の青年は、旅の彫刻家、三峰(みつみね)のフウヤ。

 

「おや、馬がいる。アデルが来ているな」

 女性は馬を下りて、窓辺に駆け寄った。

「モエギ、ただいま。珍しい客人だ」

 

 部屋の中を向いていたモエギは、振り向いて目を見開いた。

「お帰り、カーリ。……おお、フウヤ!」

 

「アガガガァ――ッ!」

 部屋中に響く情けない悲鳴。

 

 

 

「ひ、ひロイよぉ…… ゆっフリって言っファのにぃ……」

 前歯三本一気に引き抜かれたアデルが、涙目でうずくまる。

 

「ごめんごめん、でもいっぺんで済んで良かったじゃないか」

 モエギは三本の糸にぶら下がった三本の乳歯をブラブラさせて、愉しそうに謝る。

 

「抜けた乳歯はどうするの? 三峰では固い実のなる木の下に埋めて、丈夫な歯が生えますようにっておまじないをするけれど」

 フウヤが、馬に積んでいた穀物を運びながら言った。彼は少し足を引きずるが、日常の力仕事なら差支えない。

 

「へぇ、砂の民では『真上に投げる』、西風では『屋根に供える』だったかな」

 

「全部やればよい。アデル、来い」

 カーリが三本の糸を受け取って、口を押さえる子供を連れて、外へ駆け出した。

 

 

「それにしても久し振りだな、フウヤ。ルウの所は寄ったのか?」

 モエギは窓越しに、白い青年に話し掛けた。

 

 シドの婚礼以降、毎年冬になると砂漠を訪れる三峰のフウヤだが、知り合いの多い西風より、何故かモエギの所にばかりやって来る。

 疑問を投げ掛けるのも野暮ってほど、理由はハッキリしているのだが。

 

「沿海州の鯨岩の街で大口の仕事が入ってね。ずっと制作していたんだけれど、一体どうしてもポーズが決まらなくて」

 

 フウヤはちょっとした売れっ子彫刻家だ。

 夏は三峰の自宅で過ごし、その他の季節は依頼を受けて各地を駆け回る。

 彼の作る『踊る天使像』は、見ているだけで癒されると、各地で大人気なのだ。

 

「ちょっと素描にカーリを借りるよ」

「借りるとかセコセコ言っていないで、とっとと連れて行っちまえ。砂の民の若い連中だって結構あの子を狙っているんだぞ」

「それで僕に、総領殿にシバかれろと?」

「あはははは」

 

 カーリは総領殿の養女で、モエギから見たら義妹に当たる。

 ルウシェルと同い年で、色々いわく付きの人生を歩んで来たが、今は、初めて娘の親になってタガの外れた総領殿に、猫可愛がりされている。

 彼女にちょっかいを出したウッカリ者が陰で総領殿にどういう目に遭わされたかは、フウヤもうっすら知っていた。

 

 当のカーリは行き場の無い自分を拾ってくれた総領家に多大な恩義を感じており、いつだって尽くす気満々。

 モエギの看護はそんな動機で申し出たのだが、水が合ったらしく、今ではすっかりこの家(や)の一員だ。アデルも半分は彼女が育てたような物だった。

 

 

「ところでモエギさん、最近何か変わった事ない? 気になった話題とか」

 

「いいや、至って平穏だが。何かあるのか?」

「うぅん、別に。あっそうだ、頼みたい事があったんだ」

 

 強引に話を切り変えて、フウヤは肩掛け鞄から数本の彫刻刀と木を削った筒を取り出した。

「これを作るのを手伝って貰いたいんだ」

「何だこれ……笛?」

 

 

 

 

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