「あっ!」
カノンが頓狂な声を上げた。
二人の大人が彼を見る。
「あの羽根の子、消えちゃいました。たった今までそこにいたのに」
確かに、ふよふよと三人の周囲を歩き回っていた子供が居なくなっている。
「シンリィ? 結界から出て行ったのか…… いや、境目がそこまで迫っているな。遊んでいて落っこちたのか」
「ああ、本当だ、ナーガ様、そろそろ結界が切れます」
「ええっ、落ちちゃったんですか、あの子供、大丈夫なんですか?」
慌てるカノンに、二人の大人は振り向いてシレッと言った。
「「大丈夫ですよ、シンリィは」」
辺りが白い靄に包まれて、ナーガが暇の言葉を述べた。
ではこれで、との別れ際、リューズがフィッと身体を伸ばして、少年に何か耳打ちした。
「??」
怪訝な顔をする少年の視界から青銀の男性は遠ざかり、
次の間には、ナーガとカノンは出発したハイマツの丘に立っていた。
「何て言われたんですか?」
チキチキ鳴く虫の声を背景に、ナーガ長ににこやかに聞かれて、カノンは焦って口を空回りさせた。
「あわっ、いえっ、あの、『師匠は選んでも良いんだよ』って…… どういう意味なんでしょう? ナーガ長に失礼じゃないですか? 僕、ナーガ長に指導して貰う以外考えていませんよっ。っていうか、もうあのヒトに会いたくありません、いえ、あのヒトが嫌いって訳じゃなくて……」
長殿はにこやかに少年を見ている
「どっちかというと好きなんだけれど、今は、離れていたいんです……」
「承知しました。最初の頃と違って、沢山話してくれるようになって、とても嬉しいです」
「…………」
***
―さわさわ――
――――さわわん――
青い空、高い梢、あお向けで動かないからだ。
イバラはトゲトゲ、はりつけ、動けない。
・・・う――んと・・・なんでこんなことに?
近付くあしおと。
バサバサ。
「ー・ー・ー」
葉っぱの間から、真っ黒な顔の男の子。
目の白い所だけ、雪みたいに真っ白。
「ー・ー・ー・ー・ー」
刃物をキンと抜いて、その子は枝を払いながら、トゲトゲの中へ踏み込んで来た。
――しらない子
でもこわくない
だってこの子のことは
きっと大好きになる――
***
「なに、絡まってんの? ああ、動くな動くな。今外してやる。いてて」
黒い肌に黒い瞳の少年は、慣れた感じでイバラの中へ踏み込み、ナイフで枝を切って、仰向けに倒れていた子供を救出した。
「生っ白いな、お前、どこから来たの。背中にそんなモン生やしてる癖に、こんな所に飛び込むなよ」
片羽根の子供は、ポケッとはなだ色の目を見開いている。
(見ない種族だな、言葉、通じないのかな?)
ここは三日月湖を擁する森。
草原地帯と乾燥地帯の境目。
湖畔に曲がりくねった大きな木があり、今、羽根の子供が危なっかしい手付きで枝に登り、黒い子供が支えてやっている。
小さい手が懸命に伸ばす先には、黄色い丸い実。
「まったく、その羽根、飛べないのかよ。まぁ片方だけならしようがないか。ほれ、もうちょっと」
イバラに倒れていたこの子供は、どうやら頭上の黄色い実を採ろうとして落っこちたようなのだ。採って来てやると言っても、どうしても自分で木に登りたがる。
「気持ちは分からなくもない。俺もこの実は自分で採りたいからな。しかし今日俺が収穫に来なかったら、お前何日ハリツケになってたよ」
ようやく指が届いて手繰り寄せ、子供はパチンと実をもいだ。
「一個でいいのか?」
子供は枝に腰かけて、嬉しそうに黄色いゴツゴツした実を見つめている。
「それで満足出来るなんて燃費の良い奴だな。ああ、そのままかじるな。口が曲がるほど酸っぱいんだぞ」
黒い男の子は、軽々と高い枝に足を掛け、上の方の実を持参の袋に詰め始めた。パチンパチンと実がもがれ葉が揺れる度に、あたり一杯清々しい香りが満ちる。
「俺の母者が、この実が好きだったんだ。採って帰って見せると、嬉しそうに笑ってさ。毎年、実のなる季節が待ち遠しかった」
男の子の横で、羽根の子供は、枝に腰掛けて足をブラブラさせている。
言葉が通じているのかどうかも分からないが、男の子の声にちゃんと耳を傾けているのは分かる。
中途半端な相槌を打たれるよりも、何でかずっと安心出来て、男の子はついつい沢山の事を喋っていた。
「もういないんだけどさ…… 習慣で採りに来ちまう。いないからって止めちまうと、本当にどんどん居なくなって行く気がしてさ」
――ザザ
風が吹いて、いきなり眼下の地面に、青銀の長い髪の男性が立っていた。
歩いて来る足音すらしなかった。
「誰だ!?」
男の子は緊張してナイフに手を掛けた。
男性は足が不自由そうで、身体が傾いて錫杖を杖がわりにしている位なのに、馬がいない。
こんな森中へどうやって来た?
「ああ、妖しい者じゃない。その羽根の子にちょっと聞きたい事があって、追って来ただけ」
子供は足のブラブラをやめて、男性の方を向いた。
「ねぇシンリィ。ナーガ様は『今のあの子に必要な者』を求めて、僕の結界へ飛び込んで来たけれど、必要な者ってもしかして、君の事『も』じゃないの?」
子供はキョンとして首を傾げる。
「それとも、『今のあの子』じゃなくて『未来のあの子』に、君が必要になるのかな?」
羽根を揺らして子供は立ち上がる。
そうして手の中の実に指をかけて、二つに割った。
濃厚な酸っぱい香りがあたりに満ちる。
その瑞々しい半分を、隣の男の子に差し出した。
「え? えっと、俺、一杯採ったし。お前、それ一個しかないじゃん」
「受け取ってやってくれ」
地上の男性が、目を見開きながら言った。
男の子が戸惑いながら実を受け取ると、子供は羽根を広げて枝から跳んで、男性の前に降りた。
そうして残った半分を、青銀の髪の彼に差し出す。
「僕にも?」
男性が受け取ると、子供は片手を空に向けて上げた。
風を巻いて、白濁した草の馬が落っこちるように降りて来る。
「わっ!」
男の子は風圧に怯んだが……
「待って!」
馬に跨がった子供を呼び止め、袋の中の一番大きい実を掴み出して、彼に向かって投げた。
「俺、アデル! 砂の民のアデル!」
投げて寄越された実を両手で受け止め、羽根の子供は、溢(こぼ)れるような笑顔を見せた。
「なあ、えっと、シンリィ! また会える?」
つむじ風に巻かれる木の葉のように、馬は垂直に昇って行き、男の子が目を戻すと、地上の青銀の男性も消えていた。
何だったのか……
手元の半分の実が清しく香り、アデルはしばらく呆然と突っ立っていた。
***
「あの片羽根の子供は、何なんですか? 蒼の妖精? それとも精霊か何かですか?」
里へ帰る馬上、カノンの問いに、ナーガはゆっくりと答える。
「蒼の妖精だよ。僕の妹の子供」
「あ……」
「本能の赴くままに動いているのは、精霊に似ているかもしれないね。ただ、あの子の行動は一本筋が通っている。本人は意識していないんだろうけれど」
カノンは質問をやめて黙った。蒼の長の血筋にはあんな存在もいるのだなと、底知れなさを感じて、掘り下げてはいけない気がしたのだ。
「カノンもまた会えたらいいね」
「い、いや、僕なんか相手にされないでしょう? 今も興味なさ気だったし」
「今はまだ、繋ぐ手が見えなかったんだね」
「??」
ナーガは里へ向けて馬を降下させた。
シンリィの役割のひとつは、『繋ぐ』事だ。
ヒトとヒトとを繋ぐ事。
未来(さき)を見透し、必要になる縁(えにし)を、あらかじめ繋いで置く事だ。
予知能力どころじゃない。
(多分リューズも、うっすら気付いているんだろう)
***
再び作った結界の帰り道を、リューズは半分の蜜柑に頬を寄せながら海霧(かいむ)へ急ぐ。
「僕もまだ輪の中に居るんだ、嬉しいな」
~とぅん とぅん・了~
~ホライズン・完了~
To be next