ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・Ⅳ

  

 

 

 

 朝の冷気に身震いして、カノンは目を覚ました。

 西風の中心の宿屋跡。

 ルウシェルとカノンのちょっと広すぎる住居だ。

 

 上衣を羽織って、湯を沸かしに厨房へ向かう。

 窓の外には白い朝霧。

 カノンはその日が何の日か忘れていた。だってその日を楽しみにした事なんてなかったから。

 

 厨房にはルウシェルが立っていた。

 長の仕事の、朝の風を速やかに流して、帰って来た所みたいだ。

 

「おはよう」

 今日は僕は居る日かな?

 

「おはよう、カノン」

 彼女の手には二人分の食器があった。よかった、居る日だ。

 

 しかしカノンが修練所へ行く用意をして居間に入ると、ルウは食卓の支度途中で止まっていた。

「えぇと……」

 

「貴女はルウシェル!」

「ああ、私は、ルウシェル……」

「僕は誰?」

「…………」

 

 カノンは一限目の授業を諦めた。

 放って置いたらこのヒトは、スプーンを並べかけたまま午前中一杯止まっているからだ。

 

「はいスプーン、はいパン、はいスープ。無理に思い出そうと気張らなくていいから、今は食べる事に専念して」

「どうもご親切に……」

「どういたしまして!」

 

 思い出せなくて塞ぎ込んでいる位なら、しっかり食べて活動した方が建設的だ。

 窓を開いて空気を入れ換え、洗濯したら事務仕事。カノンの中でルーチンが完成している。

 

 スプーンをくわえたルウが、フッと立って窓辺に歩いた。

「呼んでいるな……」

 

「えっ、何が、誰が?」

 温めたミルクをカップに注ぎ分けながら、カノンが忙しげに聞いた。

 

「里の外だな、行こう」

「ちょっ、まっ……」

 ミルクを置き去りに、外へ飛び出すルウシェルを、カノンも慌てて追い掛けた。

 

 

 朝靄の砂丘。

 馬に乗って結界を越えると、ルウの言ったとおり、本当に笛の音が流れ、風紋の海の中に二人の人影が立っていた。

 白い青年と飴色の女性。

 

「フウヤ! カーリ!」

 カノンは馬を飛び降りて駆け寄った。

 母の古い友人のこの二人は、記憶の中であまりソラと絡まないので、彼女を混乱させないのだ。素直に嬉しい。特に様々な土地の土産話を持って来てくれる旅の彫刻家フウヤを、カノンは大好きだった。

 

 フウヤは吹いていた木の笛から口を離して、二人を見て、ににっと笑った。

「僕は他所の者だから、里に入るのにルウの許可を得ようと思って、ね」

 

「それは丁寧にありがとう。歓迎するよ、我が家へ来てくれるのだろう?」

「ありがと。でもその前に、ここまで出向いて貰ったのにはもう一つ理由がある」

 フウヤがカーリに目配せし、今一度笛を構えた。

 

 ――ヒュウルルル

 

 こんな小さな笛から、どうして? と驚く程に、深い音が響く。

 カーリが上衣を脱ぎ捨て、離陸する大鷲のように跳んだ。

 

「わあ!」

 

 巷で評判の舞姫の舞踏。

 修道院で習った奉納舞いだと言うが、彼女のそれは他の巫女とは別物なのだ。

 優しいメロディの笛に、滑らかに手足をしならせる砂漠の舞姫。カノンは頬を紅潮させて夢中で見入った。

 

「この曲? 知ってる……」

 ルウの記憶の引き出しがスッと開いた。

 そうだ、昔、風紋の砂漠で出逢った蒼の妖精の女の子……リリ。

 彼女が『砂漠の星空の詩』に付けてくれた曲じゃないか?

 

 唇が自然に開き、暗記していた歌詞を唄い出す。

 

 カノンは初めて母の歌を聞いた。自分の母親とは思えない明朗な唄声。

 

 カーリが、砂の上とは思えない高いグランジュテをピタリと決め、夢の世界から戻ったカノンは弾かれたように拍手をした。

 

「凄い凄い、カーリもフウヤも凄いや!」

 

「ルウシェルの歌声も良かった。いつもより乗って踊れた」

 

 ルウは鼻の頭を赤らめた。

「唄うのなんてどれだけ振りだ。フウヤの笛がいいから、つい乗せられてしまった」

「うん、フウヤの笛と、声とが、ピッタリだった」

 

「それはそう。この笛はルウの声に合わせて作った」

 フウヤが笛を手の中でクルンと回して見せた。

「昨日モエギさんに協力して貰ったんだ。ルウと声質が似ているから」

 

「へぇ」

 と感心するカノンに、フウヤは笛の紐をそのまま彼の首に掛けた。

「はい、誕生日プレゼント」

 

「!!」

 

 カノンは、自分の誕生日を楽しみにした事がない。

 だってその日を境に母親がおかしくなったのだ。

 昔はシドやエノシラが何かしらしてくれようとしたが、ルウシェルを刺激してしまうので、触れるのを止めるようになった。

 

「僕は……」

「良かったな、カノン。ありがとう、フウヤ」

 ルウに先に言われて、カノンは複雑な気持ちのまま礼を言って笛を受け取った。

 

「ルウシェル、わらわは喉が乾いた」

「ああ、カーリも舞いをありがとう。我が家で何か馳走する」

「レモネードはあるか?」

「あったかな?」

 

 女性二人が先に乗馬して出発する後ろ、わざと遅れて、フウヤはカノンの横へ寄った。

「今の曲を吹けば、ルウの中に、唄いたくなるような明るい気持ちが湧いて来る」

「フウヤ?」

「そしてカーリの舞いを思い出し、君の生まれた日をキチンと思い出してくれる」

「・・フウヤ!」

 

 カノンは思い出した。

 前にフウヤに聞いた事があるのだ。彼もまた母親に忘れられた子供だったという事を。

 ずっと前、何かの折りに話してくれたんだった。

 

「誕生日おめでとう、カノン。頑張って練習しろよ」

「うん、うん! ありがとう、ありがとう、フウヤ」

 

 

 

   ***

 

 

 

 カノンとフウヤが馬繋ぎ場に馬を預けて長宅に近付くと、家の中ではもう女性陣の笑い声が響いていた。

 レモンがどこの、蜂蜜がどこのと騒いでいる。

 

 家に入る前にフウヤは足を止めた。

「所でカノン、最近変わった事は無かったか? 気になった話題とか」

「ううん、別に。どうかしたの?」

「いや、ならいいんだ」

「?」

 

 カノンが聞こうとした所で、玄関脇の繁みが揺れた。

 

「わぉ! フウヤ!」

 赤いバンダナのレンだ。

「カノン元気じゃん、心配して損した!」

 

 昼休みに近道を走って見に来てくれたらしい。

 彼の一家もフウヤと昔馴染みで、レンはカノンと同じく、彼の旅の話が大好きだ。

 

「フウヤが来ているんなら、僕も午後の講義休んじゃおうかな」

 

「こら!」

 後ろから大柄なスオウ教官が姿を現した。

「学べる時にしっかり学ぶのが子供の仕事だ。理屈を付けてはサボっていると、スッカラカンな大人にしかなれないぞ」

 

「いいじゃん、フウヤだって色々教えてくれるよ」

「屁理屈こねるな、午後の授業に遅れたら掃除罰だ、ほれ駆け足!」

「ひぇ――」

 レンは不服そうにその場で何歩か足踏みしてから繁みに駆け込んだ。

 

「待って、レン!」

 いつの間に、カノンが勉強道具を抱えて玄関から飛び出して来た。

 

「カノンはいいんだぞ、少し位ゆっくりしても」

 

「え――こ――ひいき――」

 一度消えたレンが繁みから顔を出した。

 

「こら、とっとと行け!」

 

「行こう、レン」

「オッケー、カノン。 フウヤ、僕らが帰るまで居てね!」

 

「ああ分かった約束する、頑張って子供の仕事をやって来い」

 

 子供二人はガサガサと繁みに消え、後に白い青年と、鼻から大きく息を吐く教官が残る。

 のんびり振っていた手を下ろし、フウヤは教官に向き直った。

 

「レンじゃないけれど、随分とカノンに甘いんですね」

「贔屓じゃない、区別です。あの子の家庭は普段から色々と複雑だから……いや」

 教官は苦笑いになって頭を振った。 

「やっぱり贔屓かもしれません。教官失格ですね」

 今だって、姿が見えないのを心配して、昼休みの業務を後回しに、様子を見に来たのだ。 

 

「まさか。子供を一律に平等なんてムリムリ。カノンなんて一見しっかりしていて、放って置いても大丈夫そうに見えるから、難しい所ですよね」

「そう言って貰えると助かります。ああ、それはそうと……」

 

 教官は数歩後ずさって、周囲を伺った。

 白い青年も察して、話し声が家の中に聞こえない距離まで離れる。

 

「沿海州からの旅人に、聞き捨てならぬ話を聞きました。鯨岩の街で仕事をしている貴方の耳にも入っているのではないかと」

 

「西風のソラが生きているって噂?」

 

 

 フウヤのサラリとした台詞に、繁みの中で息が止まった二人がいた。

 盗み聞きするつもりだったんじゃない。カノンが教材のひとつを忘れて、レンと一緒に取りに戻ったのだ。

 

 

「やはり知っていましたか。結構な噂になっているようですね」

 

「うん。だけれど、あれ、ガセだ。デタラメ確定」

「えっ、そうなんですか」

 

「丁度シドが来ていたから、二人で噂の出所を突き止めたんだ。何の事はない、他人の空似」

「はぁ、他人の……」

 

「コトの真相は単純。鯨岩の街の子供が、海岸で親とはぐれて怪我をした。通りがかって手当てして、親の所まで送り届けてくれた人物が、ソラに似ていたってだけだった」

「なんと、それだけ?」

 

「そうそ、名前も違うし、山あいの村で生まれ育ったって言う、まったくの別人。子供の親がたまたまソラの常宿していた宿の主人だったんで、『ソラ殿が生き返ったかと思った!』なんて話したのが、ヒトの口を伝って変な噂になっちゃっただけ」

「ほぉ、ヒトの口とは怖い物ですねぇ」

 

「その子供にも会って話を聞いたけれど、件のそっくりさん、博打で大負けしたって言って、何とマントの下がパンツ一丁だったって。そんでへっぽこ勇者なんて名乗って、陽気に歌って肩車してくれたとか。それってどう考えてもソラじゃないでしょう」

「そ、そりゃ確かに」

 

「無責任な噂がモエギやルウの耳に入っていないか心配したけれど……今のところ大丈夫みたいだね」

「いや分かりました。私も変な噂が里に入らぬよう、気を付けていましょう」

「頼みます。デタラメな噂なんて、どうせすぐに消えるだろうけれど」

 

 

 フウヤが建物に入り、教官も去ってから、繁みの二人はソロソロと顔を出した。

「あああ、びっくりしたぁ。凄い事聞いちゃったと思ったら、嘘の噂かぁ。心臓に悪いよな、カノン」

「うん……」

 

「父さんも言ってくれればいいのに」

「レン、シドさんはきっと、半端な噂を里へ持ち込まないようにしたんだよ」

「ふぅん、お前凄いな、冷静じゃん」

「ん……」

 

 確かにカノンは冷静だったが、何処となく上の空なのに、レンは気付かなかった。

 

「行こうか、カノン。時間ギリだよ」

「…………」

「カノン?」

「会ったんだろうか」

「えっ?」

「フウヤかシドさんか、その、他人の空似なヒトに、直接会ったんだろうか。フウヤの口振りだと、やっぱり人伝(ひとづて)にしか聞いていないみたいだ」

 

「だって名前も生まれ育ちも違って、性格も全然違うんでしょ? そりゃ他人だよ」

 

「そうだろうね、そう思うだろうね、ソラの全てを知っているつもりでいるから」

 

 レンは少しムッとした。自分の父親のシドは、ソラとは子供の頃から寝食を共にした親友だ。誰よりもソラの事は知っている筈。

 カノンもそんな彼の気配を察してか、その話はそこで止めた。

 しかし口の中だけで、独り言のように呟いていた。

 

(大人って、ホント、痒い所に手が届かないんだ)

 

 

 

 

 

 

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