ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・Ⅴ

   

 

 

 

 

 青い月が砂の上に規則的な影を描いている。

 夜露が表面で煌めいて、雪の原みたいだ。

 もっともカノンは、雪の原なんて見た事もないのだけれど。

 

 旅装をくくり付けたパロミノを引いて、これから踏み出す砂の原を、少年はじっと見つめる。

 

「カノン」

 

 驚いて振り向くと、青い月の下、青い癖っ毛の友達が立っている。

 

「お前の行動なんてお見通しさ。悪いけどカノンが窓辺に置いた手紙、持って来ちゃったから」

 レンは、額がゴッツンする程の距離まで、怒った顔を近付けて来た。

 

「まったく……『しばらく留守にします。心配しないでください。ルウシェルの事をよろしくお願いします』……って? これだけかよ、こんな何の説明も無い手紙で皆が納得してくれると思ってんのか。逆に大騒ぎになるだろが、バカタレ」

 

「バ、バカって言うな。嘘は言いたくないから、それしかないだろ」

 

 フ――ッっと息を鼻から吐いて、レンは両手を腰に当てた。

「沿海州に行くつもりなんだろ? そのそっくりさんに会いに。会ったら納得するの? それこそ父さんに相談すればいいのに」

 

「違う、沿海州に行くんじゃない」

「じゃあ何処へ行くっていうんだ?」

 

「……蒼の里……」

「はあっ!?」

 

 思いも寄らない答えにレンは思わず大声を上げ、慌てて声のトーンを落とした。

 

 北の草原、エノシラの故郷、蒼の里。

 偉大なる蒼の長が統治し、西風には無い様々な知識や技術の詰まった、文化の高い里。

 どれだけレベルが違うって、エノシラの持ち込んだ医療がこちらの土地で大改革を起こしたんだから、いわずもがな。

 昔はルウシェルやシドら何人かの子供が留学に行ったらしいが、やはり遠すぎて気軽には行けない。飛ぶのに長けたシドだって何日も掛かるのだ。二人も勿論行った事がない。

 

「?? ルウさんの忘れ病(やまい)は、蒼の里の長殿が昔何回も治療に来てくれたんだろ?」

「ルウシェルの治療を頼みに行くんじゃない」

「じゃあ何の用事があって?」

 

 カノンは口を結んで、石のように固まってしまった。こうなったらこの少年はテコでも喋らない。

 

「分かった」

 しばらく時間が過ぎてから、レンが渋い声で言った。

「待ってろ、動くんじゃないぞ!」

 

 そう言ってカノンの足元をピシッと指差して、里の中へ駆け込んで行った。

 

 

 彼は両親に注進したりしない……

 カノンは惑いながらも、言われた通り突っ立っていた。

 しかし程なくして戻って来た彼を見て、全身の血が足元に落っこちた。

 

「駄目だ、レン! それは駄目! 幾ら何でもヤバ過ぎる!」

 

 レンの手には、里でただ一頭の、エノシラの緑の草の馬が引かれていた。

 飛ぶのに特化した、蒼の里産の馬。だけど……

 

 シドさんだのスオウせんせだの、普段しょっちゅう怒られているヒトは、そんなに怖くない。

 怒らせたら本当に恐ろしいのは、普段優しくて穏やかなヒトだ。

 

 しかしレンは、蒼白のカノンにお構いなしに、パロミノの荷物を外し始めた。

「蒼の里へ行くんならこれが一番現実的だろうが。腹くくれよ、それともお前の蒼の里へ行きたい気持ちは上っ面だけか?」

 

 確かにそうだ。普通の西風の馬では、少しづつしか飛べないカノンでは、北の草原までなんて、想像を絶する時間を要する。

 草の馬なら、同じ飛行術でもずっと飛んでいられる。何倍も距離を稼げるのだ。

 

「ごめん、腹くくるよ」

「じゃ、とっとと荷物を乗せ換えようぜ」

「うん」

「なるべく軽くしなくちゃな。地図コンパスは必需品っと。食料は調達しながらで……毛布も二人で一枚でいいか」

「え」

 

 目を丸くするカノンに、レンは手を休めないで続ける。

 

「まさか一人で行くつもりか? お前、草の馬に乗った事あるのかよ。僕は何回か飛んでるけど」

「いや、でも……」

「僕が勝手に馬を引っ張り出して、嫌がるカノンを無理矢理誘ったって方が、説得力があるんだ。みんな、カノンは理想的な良い子だと思っているから」

「…………」

 

 荷物を下ろされたパロミノは、ちょっと不満気にしたが、ソバカス面の草の馬にバトンタッチするように鼻面を寄せ、ポクポクと厩へ帰って行った。

 

「さて行くか。グスグスしてたらファーが起きて騒ぎ出す。あいつ、勘だけはいいんだ」

 

 レンが先に乗ってポンポン叩く後ろに、カノンも覚悟を決めて跨がった。

 手綱を張って馬銜を掛けると、馬は素直にフワリと浮き上がった。

 

 

 ***

 

 

 草の馬は滑るように斜めに上昇し、たちまちカノンに経験のない高度まで上がった。

「カノン大丈夫? 初っぱなに早い気流で距離を稼いで置きたいんだけれど」

「平気、僕に気を使わないで」

 

 カノンはなるべく平常な声で返事をした。地上は暗いが、風の感じで、とんでもない速度が出ているのが分かる。

 レンは背筋をピシリと伸ばしてブレない。西風の馬で飛んでいる時と全然違う。

(蒼の妖精の血が入ってるからなんだろうな。レンはこちらの方が合っているのかも)

 

「僕の置いて来た手紙はこうだ。『兼ねてから話をしていた、蒼の里へ留学に行く事にしました。草の馬をお借りします。自力で旅をして己の力を試してみたいと思います。僕の誇るべき両親は、追い掛けて来て世話を焼くなんて過保護な真似はしないよね。あ、カノンも一緒に来てくれる事になりました。カノンのお母さんを宜しく』 ……どうだ、嘘は吐いていないぞ、完璧だろ」

 

「うん……」

 

「留学に行きたかったのは本当なんだよ。父さんは、帯剣出来る年になってからって言っていたけれど」

 

 カノンは決心した。自分の為に、あんなに優しい両親にも反抗してしまったこの友達に、何も話さないでいるのは駄目だろう。

「レン、これ、見て欲しい」

 懐から薄い書物を取り出して、手を伸ばしてレンに見せた。

 

「んん?」

 ささくれた表紙に、手書きの薄い文字。

 

 ――【へっぽこ勇者の物語】――

 

「ソラの部屋の、棚の奥に隠すように突っ込んであった」

「…………」

「最初の方に、博打で負けてマントにパンツ一丁になる件(くだり)もあるよ」

「え、だって、既製品のおとぎ話だろ? 巷に沢山出回っているんじゃないの?」

「ううん、直した後が一杯あるし、中途なんだ。シドさんの持っている外交記録のソラの字と同じ。ソラが創作したんだ」

 

 レンは思わず振り向いた。後ろの少年は、行方知れずの父親が見つかって嬉しい、なんて顔はしていない。下唇をギュッと噛み、眉間にシワを入れている。

 

「完璧な大人ほど隠しおおせるんだ。自分が意外とコドモだって事」

 

 ゴクリと唾を呑み込んで、レンは前を向いて手綱を握り直した。

「わ、分かった、理解した。でも、それで何で、蒼の里へ?」

 

「いま名乗らないヒトに会いに行っても、はぐらかされるだけでしょ。それこそ他人の空似だって」

 

「うん……」

 

「フウヤに聞いた事がある。昔、生き別れになったお母さんを捜すのに、蒼の里のナーガ長の手を借りた事があるって」

 

「ああ、聞いた気がする」

 

「あちらの長に受け継がれる太古の術、『同じ血を持つ者を捜す術』。血の一滴があれば、確実に血縁者を特定出来る」

 

「…………」

 

「フウヤは、遠くからお母さんを一目見て、それで満足して去ったって。僕にそれは出来ないと思う。ソラを目の前にして、動かない証拠を突き付けて」

 

「カノン……」

 

「シドさんもエノシラさんも、ルウシェルですら、どんな理由がそこにあっても、ソラを許すと思う。ソラが大好きだから、大切だから。でも僕は許さない。ルウシェルの生きざまをぶちまけて、残りの人生二度と笑えなくなるまで追い詰めてやる」

 

「カノン!」

 後ろの友達の声が今まで聞いた事もない程おどろおどろしくて、レンはまた振り向いた。

 しかし青銀の少年は、小動物みたいにカタカタと震えていた。

 

「き、昨日から……繰り返しそればっかり考えて……もう胸の中が真っ黒なんだ。僕は理想的ないい子なんかじゃない。嫌になった? ……レン」

 

「嫌になって欲しいのかよ」

 赤いバンダナの少年はしっかり前を見直し、登りかける朝陽に目を細めた。

「カノンって元々、粘(ね)ちっこい奴じゃん。今更その程度で驚くかよ」

 

「えぇ――っ、そんなに粘ちっこい?」

「粘ちっこい、粘ちっこい」

「ちぇっ」

「まぁでも、打ち明けてくれて、サンキュ」

 

 陽が登って、二人はすっかり陽光のオレンジに包まれた。

 凍えていた身体が少しづつ暖まる。

 

「父さん達、手紙に気付いた頃かな」

「追い掛けて来ると思う?」

「微妙な所だな。母さんがヒス起こしたら父さんの方が弱いし」

 

 レンは緩めていた手綱を握り直し、改めて背筋を伸ばした。

(いつもは本心をほとんど喋らないカノンが、ここまで暴露してくれたんだ。どこまでも付き合ってやるさ)

 

 

   ***

 

 

 夜が終わって陽が昇り、忙しなく大空を横切って、今、西の空を黄色に染めている。

 眼下の砂漠が途切れ途切れになり、空気の匂いが変わって来た。

 

「カノン、あれ!」

 レンが前方を指差した。

 目に鮮やかな緑の森が、地平の端から端まで広がっている。

 こんもりとした樹木の中に、鏡みたいな三日月型の湖。

 

「凄い!」

 砂漠育ちの二人には初めて見る光景。

「砂漠地帯と草原地帯の境目に、三日月湖の森があるって聞いた。きっとこれの事だ。降りてみていい?」

 レンは馬の高度を下げた。

 

 湖から分岐した小さな流れの淵に、円形の広場があった。程よく木陰で、下生えが少なく居心地が良さそうだ。

 

 着地して下馬すると、レンはヘナヘナと尻餅を付いてしまった。

 こんなに馬を飛ばしたのは初めてで、疲れが一気に来たのだ。

 

「大丈夫?」

「うん、それよりここの地面、めっちゃフカフカしてる。もう夕方だし、ここで泊まっちゃわない?」

 

「あ、うん……」

 まだ明るいし気持ちは急いていたが、レンも馬も疲れている。

 カノンは素直に同意した。

 一人だったらここまで来るのにもっと日にちが掛かっただろう。感謝しなくちゃ。

 でもシドさんにはヒョイと来られる距離だという。つくづく自分の非力さを思い知った。

 

「僕、水汲んで来るよ。レンは休んでいて」

「火くらい起こしておく。馬も連れて行って水を飲ませてやって」

「分かった」

「二人きりで夜営なんてワクワクするな」

「はは」

 

 少しの藪を越えると清水の流れがあった。

 馬はすぐに鼻面を突っ込んでゴブゴブと水を飲み始める。

(そういえば、修練所の野外学習も、ルウシェルが不安定で参加を止めたんだっけ。外で寝るの、初めてだ……)

 ちょっとだけワクワクした。

 

 ピクニック気分を一転させたのは、レンの悲鳴だった。

 

 

 

 

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