ホライズン   作:西風 そら

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ホライズン・Ⅶ

  

 

 

 

 

「あちゃあ」

 

 湖に行った二人が帰らないので様子を見に来たユゥジーンは、湖畔に流木が三本立てられているのを見て、額に手を当てた。

 三角垂に立てられた枝のてっぺんが、紫のスカーフでまとめられている。

 

「どしたの? 二人、どこ?」

 レンが後ろから覗き込んだ。

 

「リリの奴、無理矢理着いて来たと思ったら」

「??」

「ああ、これは俺らの間の『先に行くから』ってサインなんだけれど……

 アイツね、リリ、とにかく勘がいい。そして割と当たる。憎たらしい程に」

 

 ユゥジーンがスカーフを広げて振ると、例のこまっしゃくれた声が響いた。

『あたし、やっぱりカノンに必要だったみたい。二人でちょっと用事を済ませに行くから、ユゥジーンはレンを連れて先に里へ行っていて。分かっていると思うけれど、手出し無用よ!』

 

「まったく……」

「追い掛ける?」

「いや、手出し無用って言ってるからな。破ったらおっかない」

 

「へぇ? あんなチビ助の言いなりになるの?」

「いやいや、レン。リリは成長するのがのんびりなだけで、ああ見えても君よりずっと年上なんだぞ。歴(れっき)とした執務室のメンバーだし」

「ふぇえ?」

「まあ、君みたいな子供相手に本気で言い合いをするあたりは、まだまだ子供なんだけれどね」

 

 

 

 

 湖畔でユゥジーンが溜め息を吐いている頃、竜胆(りんどう)色のリリの馬は、既に沿海州の鯨岩の街の灯を眼下に見ていた。

 

「ヒャッホゥ!」

 

 高空気流から飛び出して、そのまま星の中を落っこちるみたいに垂直降下した馬は、海岸の重い砂を舞い上げて着地する。

 

「着いたわよ。どう、初めての高空飛行は。……あれれ?」

 

 後ろの少年は腕を硬直させて、リリにしがみ着いたまま気絶していた。

「おーい、カノン! カノン! はあ、軟弱ね」

 

 屋根だけの漁師小屋に少年を引きずり運んで、リリは小さく息を吐く。

 この少年から聞いたのは、『ソラによく似たヒトがいるから確かめたい』、とだけだ。

 絶対にそれだけじゃないのは、彼の思いつめた青白い額から感じ取れる。

 

「ルウシェル……」

 風紋の砂丘で会った、燃えるようなオレンジの瞳の友達。

 父様は多くを語らないけれど、遠く離れる彼女の光がとても弱くなっているのは、感じていた。

 

「あたし、あんたの役に立てるかな? あんたの大切なこの子の額の陰を消してあげられるかな?」

 

 

 ***

 

 

 ――三日月湖の森から鯨岩の海岸まで、遥か高空を横切る紫の光に、地上で二人だけ、気付いた者がいた。

 

 

 砂の民の部族の片隅の民家で、窓を開けて空を眺める女性に、ロウソクを持ったキノコ頭が近付く。

 

「モエギ、冷えるから閉めよう」

「いや、大丈夫だ、カーリ」

「風邪をひくぞ」

「うん、しかし……」

「どうかしたのか?」

「風が乱れている。大きく荒れる前兆だ」

 

「嵐が来るのか?」

「そうだな。良き嵐なのか、悪しき嵐なのか」

「良き嵐ってのもあるのか?」

「嵐は時として、あらゆる澱(おり)を洗い流してくれる」

「それが良き嵐?」

「嵐が去った後、立っていられればな」

 

 

 

 ――そしてもう一人。

 

 鯨岩の海岸より何里か北方。

 海霧の溜まった山あいに、張り付くような村がポツリとあった。

 切り立った山はそのまま崖となって海に落ち込み、背後の険しい谷は苔と瀑布に覆われる。海路も陸路も絶たれた、俗世から隔離した小さな村。

 

 吹き寄せられた小石のような家々の、中央にやや大き目の家屋。その前庭に佇む人影。

 色の薄い灰色の瞳が、雲の隙間から南の浜に降った紫の光を、じっと睨み付けている。

 

「凶星だわ。嫌な風が流れて来る」

 

 低い声で呟くその者の腰まで覆う髪も睫毛も、海霧のように淡い白灰色だった。

 瞳も、唇も、額飾りまで、殆ど色のないモノトーンの女性。

 

「アイシャ?」

 自宅から呼ぶ声がする。

 鯨油のカンテラが黄紅色に灯り、寒々とした風景の中、そこだけ暖かな色が付いている。

「どうしたの、眠れないの? 凶事を予知しちゃった?」

 

「いいえ、風も霧もいつも通り。何も心配する事はないわ」

 

 女性は霧に湿ったケープを被り直して、戸口へ戻った。

 淡い人影の男性が、優しげに迎え入れる。

 

「そう? でも、この間から落ち着かなくない? 僕が迷子を送って外のヒトに会った日から。やっぱり勝手をしたので怒ってる?」

 

「いいえ、怒ってなんかいない。でももう、私の居ない所で外の世界と関わらないで」

「分かったよ、ごめん。迷子の子供が可愛らしくてつい。怒らないで、アイシャ、美人が台無し」

「バカ」

 

 アイシャと呼ばれた女性は、不安な顔を拭って笑顔を作った。

 

「本当に怒ってなんかいない。ただ心配なの。外の世界は本当に良くないのよ、リューズ」

「うん、分かったよ、君を哀しませたくない」

 

 リューズと呼ばれた男性は、青銀の長い髪を肩から滑らせながら、親し気に女性に寄り添った。

 

「ね、リューズ、あのお話の続きをして頂戴。そうしたらきっと安心して眠れるわ」

 

「『へっぽこ勇者の物語』かい? ホント、あれが好きだねぇ」

「ええ、子供の頃からずうっと好きだわ。何回聞いても、ちっとも飽きない」

 

 

 

   ***

 

 

 

 顔に何かが当たって、頬を伝う。

 

「う、う~ん……ぶわっぶ」

 

 顔面にいきなり冷たい海水を浴びせられ、カノンは跳ね起きた。

 

「目が覚めた?」

 漁師小屋にあったバケツをぶらぶらさせながら、紫の前髪の女の子が仁王立ちしている。

 

「しょっぱい……」

 

「そりゃ、海の水はしょっぱいわ」

「どうして?」

「海の底で巨大ミミズがおしっこしているからよ」

「えええっ」

「そんな事はどうでもいいでしょ。私達何の為にここに来たんだっけ?」

「え、えとえと」

 

 寝起きで脳みそが働いてないカノンの頭の中は、ひたすら巨大ミミズがのたくっている。

 

「お父さんに会いに来たんでしょ!」

「あっ、うんっ、そうっ」

「じゃあとっとと街へ行って、お父さんの居場所を聞き出していらっしゃい!」

「えっ、術で見付けてくれるんじゃないの?」

「甘ったれるんじゃないわよ!」

 

 リリにお尻を蹴飛ばされるように、カノンは朝霧の浜を歩いて鯨岩の街へ向かった。

 噂なんてちょいと突つけばすぐに転がり出る物なのに、内気な少年は非常な苦労をしてやっと、迷子が『へっぽこ勇者』に出会った場所を聞き出す事が出来た。

 

「遅かったわね」

 リリは浜の木陰で、自分の馬とゴロゴロしながら待っていた。

 手には大きな棒付きの飴を持っている。

 

「ソラのそっくりさんが出現した場所が分かったよ。北の海岸沿いの、竜返しの滝の淵」

 カノンはゴクンと唾を呑み込みながら飴を凝視した。

 

「ふぅん、じゃあ行きましょう」

 女の子はそっけなく言って、砂を払って立ち上がった。

 

「あ、あの、僕、足が棒みたいなんだ。あと、朝から何も食べてない」

「それで?」

「その飴を、ひとカケラ分けて……」

 

「あたしと間接キッスでもイイのぉ?」

 リリは小さい舌を突き出して、わざと飴をベローンと舐めた。

 

「……」

「行くわよ、後ろに乗って」

 

 情けない顔のカノンを後ろに乗せて、リリの若紫は大きく跳躍して、真っ白な霧の空へ舞いあがった。

 霧で視界が悪いが、海岸沿いに飛ぶと、切り立った崖と川の流れが見えた。

 リリは海に背を向けて、川に沿った山の方へ手綱を引いた。

 

「あ、そっちじゃなくて、竜返しの滝……」

「滝壺に住んでいる訳じゃあないでしょう? 飴売りのオジサンに聞いた話では、滝の上流に一ヵ所だけヒトの住む村があるって」

「……」

 

「カマイタチで飴を切って実演販売を手伝ってあげたら、喜んで色々教えてくれたわ。情報は渡り商人に聞くのが一番だもの」

「……」

 

「昔の戦で追いやられた少数部族の村だって。外に対して凄く警戒心を持っていて、馴染みの商人以外とは殆ど関わらないらしいわ」

「……じゃあ、僕は無駄足だったんだ。最初からリリが調べるだけでよかったじゃな……フガッ」

 拗ねて尖ったカノンの口に、横幅一杯に大きなの飴が突っ込まれた。

 

「今あたし、そんな話をしていたかしら? ふふん、あの辺りね。不自然に霧が固まっていて、上空からは完全に姿を隠している。なるほどね。急降下するわよ、掴まっていて」

 

 カノンに何を言う隙も与えず、リリは山あいに立ち込める濃い霧の中に突っ込んで行った。

 落っこちるより早い降下、置き去りにされないようしがみ付いているだけで精一杯・・

 ・・と思ったら、いきなり地面が現れた。

 

 

 

「酷い! あんまりだわ! どうしてくれんのよ!」

 

 半泣きで怒鳴り散らすリリの後ろ頭には、棒の付いたままの飴がベッタリ。

 

「ご、ごめん…」

 

 村から少し離れた森の中に降りたのだが、霧で地面が見えなくて、急停止したら案の定こうなった。

 

「レディの髪を何だと思ってるのよぉ!」

「だって、リリがもうちょっと優しく降りてくれたら……」

「ヒトのせいにするの!?」

 

 このあたりでカノンは、もうホンットに嫌ンなった。

 朝起きてから、リリはずっと意地悪しか言わない。

 お父さんを確定する術を使って貰わねばならないから我慢していたけれど、もう限界だ。

 

「いい加減にしないと僕はもう……」

 カノンが言い掛けた所で、背後の繁みが激しく揺れた。

 

 

「うわぁっ!」

 悲鳴と共に飛び出したのは、小さい男の子と、続いて大きな猪。

「た、助けてぇ!」

 

 長い牙が上下に突き出した雄だ。

 男の子の背中に尖った牙が届く寸前、

 

 ――キュン!

 

 風切り音と共に、猪は後ろへ弾き飛ばされた。

 

 リリが両手の指を立ててカマイタチを起こしたのだ。

 更に指を交差させ、猪の眼前で空気の火花をパチパチと数回鳴らすと、野生の獣は恐れを感じて林へ去ってくれた。

 

「タゥト!」

 繁みから離れた細い道から、もう一人飛び出して来た。長い髪を赤いリボンで束ねた少女。

 先の子と顔立ちが似ているから多分姉弟だろう。二人とも色白で、灰色の髪と瞳、姉の方はカノンより二つ三つ年上な感じだ。

 

「お姉ちゃん!」

 男の子が駆け寄った。

「怖かった! あの子が魔法で助けてくれたの」

 

 リボンの少女は見知らぬ来訪者を見てビクッとしたが、気を取り直して礼を言おうとした。

 その前にリリがクルリと回って後ろ頭を示した。

 

「お礼の代わりに、これ、何とかしてくれない?」

 

 風を使ったせいで更に飴が絡まって、スゴイ事になっている。

 

 

 

 

 

 

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