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「う、うおおお!」
ガストンが絶叫しながら跳びかかってきた犬らしきモノからの噛み付きを避ける。
顔の横でガチンと歯がかみ合わされる音がして、ガストンは最早生きてる心地がしなかった。
ただの野犬程度ならばガストンにとって物の数ではないが、彼を、いや、右翼に展開した彼等を取り囲む犬に似た何かは断じて野犬ではない。
というより犬との共通点など四つ足である部分以外には存在しない。
胴体には眼球がいくつもあり、開いたアギトから覗く口内には鋭い鍵爪のような歯が生えている。
皮膚はなめした革のようであり、弾力性に富み、短刀程度では刃が通らない。だがまあこれは余り意味がない性質だろう。
なぜなら胴体に目がいくつもついているのだから、そこを狙えば良い。
(でもよう、これがまた難しいんだよなァ)
“犬”の胴体の目はぎょろぎょろと周囲を見回しており、広い視界を確保している。
これが為に迂闊な攻撃は全てかわされてしまうし、隙をさらしてがぶりとやられてしまったら、ミキサー状の口内でたちまち挽き肉にされてしまうだろう。
「ガストン、あんた私に負けて犬にも負けたらもう冒険者やめなさいよ、ね!」
ガストンの背後から迫ってきていた“犬”だったが、リズが姿勢を低くしながら突進し、短刀を数本投擲して奇襲を妨害した。
“犬”はまるで訓練された曲芸犬のように短刀をかわすが、態勢が崩れ、そこをガストンが組み付いて目の1つに得物を付きこんでグリグリとねじこむ。
「「セシル!」」
ガストンとリズの叫びが重なり、それに応じるようにリズが飛び込み、大上段からの切り落としで“犬”の首を落とした。
力を溜め、確かな太刀筋で剣を切れば“犬”を殺す事は出来る。
問題はそれを当てられるかどうかなのだが、そこは斥候の二人が撹乱、牽制し隙を作るのだ。
「やったぁ」
リズが表情をほころばせ、ガストンもこの時は余計なチャチャを入れる事はない。
仲間同士、難敵相手に見事な連携だったとやや感動すらしている。
普段喧嘩ばかりしているリズにいたっては、ガストンの背後を護ってくれさえしたじゃないか。
(もしかしてリズの奴、俺の事が好きだったりするのか?)
ガストンは先ほどの組み付きはリズの目にどう映ったのかにわかに気になってしまった。
あんな不気味なバケモノに組み付き、勇敢に短刀を突き立てたというのは控えめに見ても格好良かったのではないだろうか。
モテない男の哀れな妄想だ。
そんなガストンの妄想を他所に、セシルは流石にリーダーの自覚があるのか、さあ次よ、と中軍を邪魔しそうな個体を探そうと周囲を見渡す。
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「グラゴアアァァアアア!!」
雄たけびと共に丸太のような脚で“犬”を蹴り飛ばし、両の手に握った片手斧を振り回し、血と殺戮の旋風が吹き荒れる。
“犬”はぎゃんぎゃんと啼き喚き、“犬”のみならず“尖兵”と呼ばれる種々雑多な、思い思いの武装を身につけている兵士達も肢体の一部を切り離されたりしているではないか。
左翼に展開するオリバスが暴れているのだ。
セシル達が3人がかりでやっとこさ仕留めた“犬”を数匹纏めて切り刻む様は凄まじい。
傭兵団、『オリバス陸戦団』の団長であるオリバスは容貌魁偉な男で、特筆すべきは全身を覆う濃い体毛だ。魔力を流す事で硬質化し、生半可な刃物ならば弾いてしまう。
彼がこの別働隊に帯同したのは両傭兵団に交流があったからであるが、オリバスとラドゥ自体は別に親しいというわけではない。
ラドゥ傭兵団の前副団長であるダッカドッカとオリバスが親しかったのだ。
両者は喧嘩仲間であり、勝敗数は拮抗していた。
ダッカドッカの死亡が判明したときには荒れに荒れ、ラドゥの指揮に問題があったからだと殴りこみにいく寸前であったが、そこを宥めて酒につきあって抗争を防いだのがフルヤである。
オリバスとフルヤは一晩中吞み明かし、翌朝、気付いた時には男男の関係となっていた。
冷静さを取り戻したオリバスはラドゥとも腹を割って語り合い、そして涙目のオリバスが繰り出した右ストレートをラドゥが頬に受け、それで両団の蟠りは完全に解れたという次第である。
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「…左翼は大丈夫そうだな…というかあのおっさんやばいな。団長より強そうだぜ」
「ぺっ!」
あまりの妄言にリズが唾棄した。
唾棄は正しくガストンの足に吐き捨てられ、ガストンは先ほどまで抱いていた“リズはもしかしたら自分の事が好きなのかもしれない”などという妄想を振り捨て現実へかえる事が出来た。
「おじさまより強いわけないじゃん!っていうか見て!あいつ絶対やばいよ!腕!腕!」
ガストンとセシルがリズの指さす方向をみると、魔将が刃腕を広げラドゥとフルヤにむけて縦横無尽に斬りかかっている所であった。
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まるで剣の雨だななどと思いつつ、ラドゥは上方から連続して繰り出される刺突を時には剣で弾き、時には半身になりと避けていた。
全てが全て無傷でかわせるわけではなく、ラドゥの体にはそこかしこに小さい傷が刻まれている。
ちらりとフルヤのほうを見るが、こちらはラドゥとは違って無傷のようだ。
これは両者の技量の差というよりは、どこまでダメージを許容しているかの違いに過ぎない。
ラドゥは小さい傷ならば許容し、その許容分反撃を多く加えている。
フルヤはラドゥほどにはタフではないゆえに、ただの一撃すらも受けない心算でいるようだ。
反撃の手は出しているが、ラドゥほどの手数はない。
魔将の腕はそこかしこが傷ついており、これらはラドゥとフルヤが与えたものであった。
だが、ラドゥもフルヤも刃腕の間断ない攻撃の前に本体へ近付く事が出来ず、戦況はまだ危険な緊張感を孕んでいる。
だがフルヤは舞うように刃腕をかわしつつも、その目つきは妖しく、何かをしでかしそうな凄みを放っている。
(なんとも頼りがいがある事だ)
そんなフルヤの姿にラドゥはレイアの事を思い出す。勿論ジョシュアの事も。
(この連撃。レイアならば無傷で全てかわしきるだろう。ジョシュアならば剛剣で腕ごと叩き切るはずだ。そしてカジャであるならば……)
ぴゅう、と可も無く不可もない短刀が魔将の首を狙って飛んできて、当然の如く首元を覆う装甲に弾かれた。
ラドゥが一瞬短刀が放られた方向へ目を遣ると、紫がかった黒髪の少女と目が合った。
リズだ。
「おじさまぁ!今です!」
魔将の注意がほんの僅かに逸れた。
極めて短い、瞬きの100の1程度の刹那に満たない一瞬だ。カジャとは比べ物にならない、未熟極まるリズのようなメスガキではその程度の時間を作る事が精一杯だろう。
短すぎてラドゥでも流石に付け入る事が出来ない間隙。いや、老いたラドゥでは、と訂正すべきだろう。全盛期のラドゥなら容易い事だったはずだ。
(老いか)
舌打ちの時間も惜しいとばかりにラドゥが走り出す。そして少し目を見開いた。
既にフルヤが走りこんでいたからだ。
猫のようにしなやかで、密やかな疾走。
全身から殺気を放射し、それゆえに魔将の注意がフルヤに向いた。
業前に優れた者ほどに殺気に釣られる。
それを知悉したフルヤの姦計であった。
フルヤと目が合う。
行け、と言われているような心地がしたラドゥは不快感の無い苛立ちという不可解な感情を覚えた。
(小僧が、段取りしてやったとでも言う積もりか)
若いものにはまだ負けん、とラドゥは往時の気迫を大剣に込め、一息に振り切った。
◆
魔将カイラルディは殺気の往復ビンタを受けたようなものである。フルヤに意識を引っ張られ、ついでラドゥが放つそれに意識をかき乱される。
だが一瞬で危険度の濃淡を見極めるあたり、カイラルディの練達は並々ならぬものであったに違いない。
カイラルディはフルヤを放置し、“引き戻し”が間に合う刃腕、その数3本でもってラドゥの切り下ろしを防ごうとした。
ギャリリリ、という金属音。
何でも切断できるノコギリがあったとして、それで鉄柱を切断しようとしたらこのような音が出るかもしれない。
少なくとも、剣と剣がぶつかり合ってこのような音を立てる事はない。
凄まじい不協和音はラドゥの超振動を伴う必殺の一撃と、魔将の刃腕が鬩ぎ合う事で発生していた。
だがその拮抗は長く持たない。
ラドゥの大剣がカイラルディの刃腕3本を纏めて砕く。
そして、そのまま胴体を袈裟に斬り捨てた。
同時に強い疲労感を腕に覚え、ラドゥは思わず剣を取り落としてしまった。
「年か、糞ッ」
魔将を殺したにも関わらず、ラドゥの表情は険しい。老いが自身を着実に、そして素早く衰えさせている事を実感させてくれる一戦であったからだ。引退、の二文字が頭をちらつく。
「だだだんちょう!お疲れ様です、さあ戻りましょう!もういいですよね?」
しかしドタドタと走りよってくるカナタをみて、ラドゥは引退の二文字を頭から消した。
特異な能力に頼りきってるだけの駄豚を、少しでも更生させてやるのが年寄りの務めだと理解したからだ。
「まだだ!次はあそこにいる奴を狩る!なに、今の奴よりはマシな相手だ。さぁカナタ、先導しろ!急いでこの場を離れるぞ!」
ラドゥの叫びはカナタの意気地をこれ以上ないほどに粉砕し、カナタはこいつらはもうだめそうだから見捨てて逃げようと背を向けて走り出した。
しかし2歩も走らないうちに転倒する。
カナタの運動神経は絶望的だが、それでも不自然さが際立つ転び方だった。
まるで何かに足を急に掴まれたかのような…
(む…?白い手がカナタの足首を掴んだような…きのせいか?)
ラドゥは目を擦るが何も見えない。
(やはり年か…目にまで来るとは)
ため息をつきながら、カナタを逃すわけにはいかないと捕まえにいくラドゥだが、不思議な事にカナタはぶすっとした表情で大人しくその場に留まっていた。
「どうした?逃げないのか?」
ラドゥの質問にカナタは唇を尖らせて答える。
「なんか…1人で逃げたら死ぬかもしれないので…ついていきます」
カナタの返事にラドゥは頷き、“ついていくのではなくお前が先に行くのだ”とカナタの尻を叩いて先導させた。
◆
ラドゥ達別働隊はそれからも指揮官級の魔族を見つけるなり狩り殺していった。
カナタが導き、ラドゥ達が戦い、退路もカナタに任せる…そんな幼児でも考え付くような戦術だが、これが不思議とうまくいってしまった。
帝国軍の働きがラドゥ達の一助となったから、という面もあるだろう。
帝国軍が押されに押されていたのは、指揮するものが的確に防御配置をしていたからという理由もある。
悲しい事に少なくともこの戦場において人と魔のどちらの平均知能指数が高いかといえば、これは後者に天秤が振れるのだ。
ただでさえ肉体性能で負けているのに、作戦まで負けていてはどうしようもない。
しかし別働隊が魔王軍の頭脳となりうる者を狩っていったことで、平均知能の差は拮抗し、帝国軍もそれなりに抵抗が成立しつつあった。
結句、魔将はこの戦場にカイラルディを含めて3名が派遣されていたが、戦況不利とみた残り2人の魔将は軍を退くに至る。
一先ずヴァラク陥落は防ぎ得たとみていいだろう。
当然再侵攻はありうるが、その頃には援軍が到着しているはずである。