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レイアには剣の天稟があった。
とにかく眼が良かったのだ。
例えば巨岩を前にしても、どこを突けばそれを崩せるかが一目で分かった。急所…勘所といってもいい、そういうものが良く分かる。だから赤魔狼が様々な方向からレイアを八つ裂きにしようと触腕を振るおうと、そのどこをどうすればどうなるかが分かってしまう。降り注ぐ矢の雨を、剣の一本で数本弾き飛ばすだけで数十、あるいは百に届くかのような矢に影響を与えて回避してしまうなんて真似も彼女には難しい事ではなかった。
──ジョシュアの“穿ち”でも貫けなかった
──なら、団長のアレしかない
──団長は?まだ?
背後から伝わる裂帛の闘気からは、もう少しで“成る”とレイアに思わせる凄まじいものだった。
ラドゥの秘剣はジョシュアのそれを遥かに凌駕するが、溜めの時間が膨大だ。
レイアは雨の様に降り注ぐ連撃を丁寧に、丁寧に捌いていった。
時間を稼げばラドゥがどうにかしてくれると信じて。
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・
──まだ、もう少し持ちこたえられる
レイアの集中力は針の様に尖り、赤魔狼のあらゆるアクションに精密に対応していった。
だがその精密行動は突如として停止する。
なぜなら…
「と、義父さ…ん」
呆然と呟くレイアの前に立つのは血の似姿。
勇猛な戦士、ダッカドッカ。
『ず、ずまねぇな、れいあァァ…お、れ、ぐわれぢまっだ…よ、ひゃ、ははは、は』
真っ赤な人型は、その肌の色以外正確にダッカドッカの容貌をコピーしていた。だが声は水におぼれているかのようにくぐもっている。
しかし、それでもレイアの動きは一瞬停止してしまった。
あ、とレイアは上を見上げる。
眼前に一本の、先端に硬質な白い骨の針を持った触手が迫って…
走り込んできたジョシュアがそれを頭部で受けた。
ジョシュアとレイアの視線が交わる。
それはほんの僅かな時間だったが、その瞬間に交わされた二人の想いは千の言葉を費やしても余りあるものであった。
レイアの喉がひゅっと鳴り、息が詰まる。
しかし得たいの知れない妖気が速やかに思考を正常なものへ強制的に戻した。レイアの脳裏に不景気面した術師の青年…ヨハンの顔が浮かんで、消えた。
『良いか、長髪、そしてレイア殿、これは相死相愛の呪いという。愛し合う二人の最期の復讐の誓いだ。──相手は強敵。であるなら死を覚悟する場面もあるだろう。もちろんそれを凌げるのならばそれが一番いい。しかしそれが叶わない時もある。どちらかが死に、復讐を誓うだろう?復讐が叶うならばいい。だがかなわなければ?無為に死んでいくのか?それは厭だろう。…だから……の時は、……しろ。分かったな。しかし、この術はお前たち二人の死を前提としたモノだ。発動されることがないことを願うよ。特に長髪。俺はお前が嫌いだが死んでほしいと思うほどでもない。せいぜいお前の愛する姉に男が出来たらいいなと思う程度だ。くやしさで眠れぬ夜を過ごすお前のツラを肴に酒を呑みたいよ』
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・
愛する双子の弟が脳をぶちまけて死ぬ様を横目で見たレイアは、尋常な手段では敵わぬと判断する。
そして、ならばやはり尋常ならざる手段を取るべきだ、とも。
──どの道、ジョシュアがいないなら生きている意味はないのだから
レイアは静かな声でラドゥへ告げる。
──もう一呼吸、時間を作ります
ラドゥは頷き、同じ墓へ入れよう、と答えた。
レイアはニコリと微笑むと、それではお先に、と駆けていく。
そして、近付くやいなやおもむろに剣を放り捨て、両手を左右へ広げる。
触手は当然彼女の全身を貫くが、彼女を貫いた部分と同じ箇所の穴が赤魔狼に空いた。
剣達者が全力を込めた一撃でも有効なダメージを与えられなかった赤魔狼であったが、突如空いた全身の傷孔を見つめると
“────ッ!!!? ”
声に成らぬ絶叫をあげた。
連盟の術師ヨハンが彼等双子に施した相死相愛の呪い。
起動条件は2つ。
愛する者を殺される事。
愛する者を殺した憎き仇に自分が殺される事。
愛する者を殺された者が、己の何もかもを捨て去ってでも復讐を誓った場合のみ起動できる報復の呪い。
愛は障害を乗り越え成就させるものと相場が決まっている。
従って、この報復の呪いは相手が如何なる防御策を講じてようと、その一切を無視して自らを害した相手に同じだけの報復を為す。
レイアは全身を貫かれてなお即死には至らなかった。
最期の力を振り絞り、這いずる。
そして愛する弟の死骸の傍まで行くと、その手を握ってから死んだ。
・
・
・
「…馬鹿め」
ジョシュアとレイアの惨死を見たヨハンは苦々しそうに呟く。
■
ラドゥは赤魔狼の身体が生まれる触手の雨を捌く事で手一杯となっていたが、ジョシュアとレイアが生み出した痛撃は赤魔狼の攻め手を確かに緩める。
2人の勇敢な傭兵が作り出した絶好のチャンスをラドゥが見逃す筈もなかった。
「おお!」
ラドゥは叫ぶと大剣を大上段に振りかぶり、赤魔狼の頭部目掛けてその頭蓋を叩き割らんと一閃させた。
傷を負い怯んでいた怪物はしかし、その両手を掲げ剣を受止める。
極めて硬質で、しかし弾力のあるなにかに刃を立てているような感触をラドゥは覚えた。
だが
ラドゥの大剣が細やかに震動する。
震動は波が押し、引くが如く独特のリズムで剣を伝わっていく。
『はつり』と同じだ。
物体を切り裂くのではなく、高速震動をもって物体を叩き壊す。
海はその波を持ってして長い年月をかけ岩礁を削りとるというが、重き波のラドゥがかけるのは長い年月ではなく瞬間であり、削り取るのは岩礁だけではなくあらゆるモノを削り取る。
重量級の大剣がズブズブと赤魔狼の腕に食い込んでいく。
堪らず赤魔狼の全身が波打ち、液状化の兆候を見せた、その時。
背虫のカジャがぬらりと赤魔狼の背後に現れ、その背に鋸のような形状の特殊なナイフを突きいれた。
弟のようであったジョシュアが、密かに想いを寄せていたレイアが死んでも一切動かず、じっとチャンスを待っていた。
だが、決して何も感じていなかったわけではない。
カジャの目は恨みと憎しみで血走っている。
あらゆる負の情念を込めた短刀が、ゾブリと音を立て赤狼の体へ沈み込んだ。
■
背虫と呼ばれるナイフの名手が突きこんだ短刀は何の抵抗もなく赤魔狼へ沈み込んだ。
何の抵抗もなく。
当たり前だ、液状化しつつあるのだから。
しかし、その液状化がにわかに沈静化した。
カジャがニタリと笑う。
彼の短刀からは“凝固剤”が滴っていた。
刃に溝が彫られており、これは毒を伝わらせやすくする為の溝で、暗殺者の類がよく使う形状の短刀であった。
凝固剤というのは、主にスライムや水精といった液状生物を仕留める時に使うもので、場合によっては人間相手に使うこともある。
液体を凝固させる、すなわち血液を凝固させられるというのは生物にとって致命的な現象だからだ。
毒物に耐性があるモノは多くとも、血液の凝固に耐性を持つモノというのはそうそういない。
「血腥ぇ、な、ひひっ…でもよぅ、ちちち、血のバケモノなら、堪らんだ、ろ?くくくく、苦しんで、し、し死ねッ!」
急速に固形化していく赤魔狼の肉体を前方からラドゥが、後方からカジャが削っていく。
カジャの短刀が凝固した赤魔狼の体内で蛇のようにうねり、内部をズタズタに引き裂いていった。
カジャは言い方は悪いが殺しに慣れている。
自身の刃が刺したモノの命に届いているかいないか、それくらいは分かる。
そんなカジャの感覚は確かに一つの命を吹き消したのを感得した。
熟練の斥候のバックアタックは、確かに一撃で赤魔狼の命の一つを吹き消したのだ。
──こ!殺した!殺した!
表情がどろりとした喜びで歪むカジャだがしかし、すぐに愕然としたものになった。
──馬鹿な! 確実に殺したはずだ!
カジャの掌は吹き消したはずの命の炎が、更に勢いを増して燃え上がるのを感じていた。
先ほど液状化を防いだにもかかわらず、再び液状化の能力を復活させ、背から伸びる悍ましい肉の触手がカジャの両腕に食い込んでいく。
肉に侵食されながらも、カジャの頭は疑念に満ちていた。
──なぜ死なない?いや、殺した。なのに蘇った…のか?
──死ぬには死ぬ、だから不死ではない。俺は複数の命を感じた。複数の命、消えた魔狼、調査隊!…そ、そうか
──嗚呼!ダッカドッカ…あんたが削ってくれたんだな
カジャは空いた手で予備のナイフを取り出し、それを首に当て叫んだ。
「だだだ団長! 奴は、命を喰う!魔狼も、調査隊も!奴が喰った!でででも!ダッカドッカが削ってくれた!だだだから!」
ラドゥが頷いたのを見て、カジャは己の首を搔っ切った。
肉を取り込むなら、命を吸うのなら、どうせ己は死ぬのだ。ならば命の源泉たる血を一滴たらず流しつくしてやろう。
カジャの、最期の抵抗であった。
カジャが事切れたのを見たラドゥは剣を引き、後方へ駆け出す。
■
ヨハン
「ヨハン。奴は命を盗む。肉を食い、血を吸い、自分の命へと変えている。無限の命をもつ訳では無い。不死身でもない。命は使えば失われる。しかし、死体を取り込むことで補充が出来るようだ」
駆け込んできたラドゥがそんな事をいってきた。
彼と、その仲間たちに深く感謝する。
俺はぐちゃぐちゃに崩れた肉の塊を見やる。
肉の塊はやがて狼の姿を取った。
魔狼を模した怪物は、遠めからでも嗤っている事が分かる。
俺たちを嗤っているのか。
自分が食い殺した連中をあざ笑っているのか。
しかしなるほど、やはりお前は狼の姿を取るのだな。
ラドゥから聞いた事、奴の行動……これらを知ってようやく奴というモノの本質が見えた。
相手の正体が分からないとどうしようもないのだ、こういうのは。
勇敢な戦士達がいなければ、そしてコイツが度し難いほどの低脳でなければ敗れていたかもしれないな。
ヨルシカが俺の前に立つ。
俺を護るつもりでいるのだ。
かわいそうに。
護るつもりでいたら、これから頼むことが少しやり辛いかもしれないぞ。
気持ちは嬉しいが。
「ありがとう、ヨルシカ」
§§§
────ッ
よくわからない何かが断続的に聞こえて来る。
嗤っているのか。知能は高そうだ。
それにしても、なぜこいつは勘違いをしているんだろう?
俺はヨルシカにあることを告げ、腕をおさえて前へ進んで行った。
「憧れの存在に近づけて楽しいか? 野良犬。だがお前はフェンリークにはなれない」
フェンリークの名を出すと赤魔狼はあざ笑うようなナリを潜め、敵意に溢れた様子で俺を睨みつけてくる。
目玉もないくせに偉そうな犬だ。
「お前の姿、能力。お前はフェンリークになりたいんだろう? 冷たい月の牙、月魔狼フェンリークに。だからどんな姿を取れるにもかかわらずその姿を取り続けるんだろう? お前が命を増やそうとするのは、月の在る夜は絶対の不死性を誇っていたフェンリークのそれへの憧れだろう?」
だが、と俺は続けた。
「でもお前1匹だけじゃ大した事ができない。だから喰ったんだろ? 仲間を。仲間を食い散らし、それでも飽き足らずに今度は人間様を食い散らした。本来はそんな事したって命の嵩なんぞ増えないのだが……。真摯なる思いは力となる。お前に作用している力はある種の呪術なのだろうな。そうだな、名づけるならば月の呪いか。良かったじゃないか、野良犬。憎い人間を食って命を増やして、仲間を食って命を増やして……それで? 近づけたのか? 美しく強いフェンリークに。近づけていないよなあ、野良犬。お前はそんなにも醜く、臭く、忌まわしい。おかしくないか? お前は命をいくらでも補充できるのだろう? ならそれはもはや不死と同じではないか。それなのになぜフェンリークに近づけない? 答えを教えてやろう。お前が間抜けだからだ。頭が悪いんだ。フェンリークの上っ面だけを見て、その生き様を見ようともしなかったド低能の犬コロよ、なぜ間抜けなのか教えてやろう」
俺は手帳を取り出し、月下樹の葉を取り出す。この行動は息継ぎも兼ねている。雷衝の逆流の影響で肺活量に悪影響が出ている。
だが赤魔狼は全身これ殺気という様相で俺へ瞳の無い目を向けていた。
怒っているのか? 襲ってこないのは、お前がなまじ知恵が回るからに相違あるまい。仲間を殺された俺たちを嗤うほどの知恵があるほどの魔であるならば、俺の言葉はわかるだろう。
「フェンリークは、その多くの眷属と共にヒト種へ敵対をした。しかしなぜ彼女は……ああ、フェンリークは雌だ。まあいい、とにかく彼女がなぜヒト種へ敵対したのか分かるか? 簡単だよ、仲間を養うためだ。仲間に、家族に、友に飯を食わせるために人と敵対したのだ。200年前は大飢饉があったそうだからな。食料が足りなかったんだろう。俺が言いたい事が分かるか?」
ニタァ~っと嗤いかけてやる。
特に理由はない。
嫌がらせだ。
「お前の出来損ないの不死性を担保するのは、お前の“フェンリークになりたい”という願いが呪術へと昇華したものなのだが、そのフェンリークはお前と違い、仲間を、友を守る為に戦った。お前とは逆の生き方をしているよな。さて、ここで疑問なのだが、お前、その呪術を使い続けることでフェンリークに近づけると思うか?」
いいや! と俺は叫び、笑う。
低脳のあまりに愚かな勘違いが本当におかしかった。
「はははははははは!! 馬鹿め!! 大馬鹿め!! ならない! ならないよお前! お前が呪術を使えば使うほど、お前はフェンリークとは違う、おぞましい化け物へ変わって行くのだ! お前は最初から間違っていたのだ! お前は不死になりたいわけじゃないんだろ? フェンリークになりたいんだろ? はァ──ははははははは! どうした、震えて。怒っているのかな? ふ、ふふふ。怪物殿よ、そこまで呪が進行しているならば、もうお前はやりなおすことすらできないよ、俺たちを殺しても、お前はずっとずっとそのままだ。哀れな、フェンリークどころか魔狼にすらなりきれぬ世界の逸れモノよ。いつかフェンリークのように美しく強くなれると信じていたかもしれないが……ふふふ、無駄な努力、おつかれさん」
俺が言いおえるのと同時に、赤魔狼は絶叫をあげながら襲い掛かってきた。
“GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!! ”
赤魔狼は俺の傷ついた腕に食いついてきた。
分かっていた。
憎い俺が傷をかばっているのだ。
そこを攻めたくなるよな。
お前は化け物だが、魔狼でもある。
出来損ないだが。
なら弱味を狙いたくなるよな。
俺の腕が欲しければくれてやろう。
「ああ、なるほど。餌をより美味くするために俺に傷つけさせたのか」
マフゥが呆れたように呟いた。
§§§
連盟の術師ヨハンの腕に赤魔狼が食いついたその瞬間に、ヨルシカが疾風のごとく駆け寄り剣を一閃させた。
赤魔狼を狙ったものではない。
狙うは、ヨハンの腕だ。
予めいわれていた部分を正確に切断した。
赤魔狼は腕に噛み付き、咀嚼し、飲み下す。
ヨルシカの脳裏に、ヨハンがギルドでつかっていたある術が思い起こされる。
異変はすぐに顕れた。
異臭だ。
度し難い程の。
赤魔狼の動きが止まる。
両の手を広げ、愕然とした様子で眺めている。
赤魔狼の手のひらから煙が立ち上っていた。
§§§
「やあ! 間抜けな怪物。低脳の野良犬殿。不思議か? 何が起こっているか教えてやろう」
俺は喜んで赤魔狼へ話しかけた。
もっとも相手はそれどころではなさそうだが。
「仮初とはいえど不死たるお前ではあるが……痛いだろ? 苦しいだろ? 今。そうだろうな。なぜならお前は疑念を抱いてしまったからな。己の不死の根源たる呪いに。お前の体は今、内から腐り爛れていっている。沢山血と肉を取り込んだ醜い身体が、内側からドロドロと腐っていっているんだ。なぜかって? それは俺が自分の腕に腐り血の呪いをかけていたからさ! 本来のお前であるならば、こんなものは跳ね除けていただろう。不死なのだから! でも、なあ……くっくっくっく……」
俺の前で赤魔狼の身体がみるみるうちに変色していく。
「術師の先輩として教えてやろう。術とは世界を騙し、改ざんし、自らのルールを敷く者だ。必要なのは己への絶対的な信頼だ。世界のルールより、自分のそれが優越するのだと、そう心から信じられないものに術は使えん。然るに、お前はどうだ。自らの存在意義を見失ったお前に術の神は微笑まない。もうお前は不死ではないよ。ただの、腐りかけた野良犬さ……サー・ラドゥ!」
さすがにこのままラドゥを蚊帳の外に置いたらヴァラクに帰還後打ち殺されかねない。
「……ああ、しかし本当に君は話が長いな……だが感謝する」
ラドゥが苦笑しながら大剣を構えなおし
悶え苦しむ魔狼の成れの果てを
とろけた頭部めがけて一刀両断に振り下ろした。