永禄7年(1564年9月)
鵜沼城、猿啄城が即日陥落、森可成と池田恒興が攻めていた鳥峰城には城主が居なかったことでこちらも即日開城し、信長は伊木山の砦築上よりも拠点を猿啄城に移した方が早いと判断し本体を猿啄城に移動
「よくやったロンメル! 織田家の誇りぞ! 妖術でも使ったか?」
「いえ、大筒や鉛玉、矢大量に放ち敵を弱らせてから城門を破壊しました。その後は流れで」
「よいよい! 息子達も大活躍だったと聞く」
「はい、全員首を挙げました」
「それは見事! 流石余の息子だ! 褒美として織田の名と元服を許そう! 簡易だが今やるぞ」
信長は城の広間にて息子達を呼び寄せると髪を剃り、元服を行った
黄坊は織田一政(おだかずまさ)
茶一は織田忠輝(おだただてる)
茶次郎は織田右恵(おだうけい)
茶三郎は織田左恵(おださけい)
茶四郎は織田前秋(おだまえあき)
と各々改名を許され、一政は10歳、忠輝達は8歳で元服となったが、信や長の字を名乗ることは許されず、織田一門ではあるが嫡子ではないと明白にした
「うむ! お前達は背が大きい故に歳は若いが元服しても問題なかろう! より一層奮起し、余の力となれ」
「「「は!」」」
島峰城が落城したことにより東美濃との連絡路が遮断され、中美濃の斎藤方は窮地に追い込まれていた
現状を打開するため関城城主長井道利が加治田城、堂洞城と連携を計り、中濃三城盟約を締結
各々の城主同士の一門から人質を出して連携する動きをしたのだが、盟約は加治田城城主佐藤忠能が既に織田に裏切っていたことで瓦解
佐藤忠能の裏切りは丹羽長秀が調略し、関城と堂洞城の中間にあった加治田城が裏切ったことで両城は連携ができなくなっていた
「ロンメル、お主は斎藤利治と共に小貝川(関城近くの川)に陣を引き、関城から堂洞城へと救援の軍が来たら対処せよ」
「は!」
ロンメルは斎藤利治の部隊と合流し、その日のうちに小貝川近くでは陣が引きずらいと判断し、筑波山にて陣を引いた
「半乃助」
「は!」
「忍衆を使い小貝川上流を堰止めしておくように」
「は!」
ロンメルは地図を広げ斎藤利治や足軽大将以上の家臣達達を集め軍儀を開く
「斎藤殿、龍興(美濃斎藤家当主)は援軍として来ると思うか?」
「来るでしょう。ただ若さ故に経験が少なく、策も少ないでしょうな」
「既に忍衆は放っているから動きが有ればわかるでしょう。龍興の援軍が来るようであれば小貝川沿いにて決戦を致す」
「決戦ですか? しかし信長様からは関城より西の監視及び足止めと聞いておりますが」
「敵の数はわからぬがこの山道は多くの兵を布陣できる場所が限られている。小貝川を挟んで対峙となれば大量の鉄砲を有効的に使えまする。更に複数の策も用意してある」
「複数の策ですか?」
「策が多い方が勝つ……別に全ての策が決まらなくても良いのです。1つか2つ決まれば勝ちですのでね」
「わかった。斎藤利治は論目流殿の策に乗ろう」
「ありがとうございます」
ロンメルは忍衆や村民を買収し、情報収集に励み、約1ヶ月後関城に斎藤龍興率いる援軍4000が関城に入ったという情報を入手したロンメルは陣を小貝川近くに移した
「右恵、左恵」
「「は!」」
「各々に500の別動隊を預ける。川を渡り合図があるまで伏せていろ」
「は!」
「母上」
「左恵なに?」
「関城城下に放火をお許しください。釣って参ります」
「わかった。左恵は釣り後にそのまま本体に合流。右恵だけでは心許ないので鈴木(孫三郎)に200の別動隊を作る! 鈴木! 聞いていたな」
「おうよ大将わかったぜ」
「では各人奮闘するぞ」
「「「は!」」」
永禄7年(1564年11月1日)
前日の夜に川を渡った左恵の部隊は関城城下を明け方急襲、放火と破壊を行い城兵が出てきたのを確認し小貝川を渡る
そのまま左恵はロンメルに上流に移動すると言うと関城よりも更に北に移動する
城下を焼かれた長井道利は龍興と協議の上で出陣
小貝川中流に移動した
「織田の隊か……数は2000ほどか?」
「龍興様の援軍と関城兵合わせて5000ほど、数で勝るこちらが有利かと」
「うむ! 皆の者小貝川を渡り織田を倒せ」
「「「おぉ!!」」」
「鉄砲隊引き付けろ……放て!」
バババババと約400丁の鉄砲が火を吹いた
「怯むな! 鉄砲は次弾が遅い!」
バババババと斎藤龍興が鼓舞していると次弾が放たれる
「なに!?」
更に弩と弓隊による掃射も開始され、川を渡っていた斎藤兵はバタバタと倒れていく
うろたえる斎藤兵に装填が終わった初撃を放った鉄砲隊400が再度攻撃を開始する
手順は簡単である鉄砲隊1000を400、400、200に分け、400の部隊2組はロンメル本体に、200は鈴木に任せ、2組に分けて連射させた
ただそれだけでは装填時間が稼げないので弓隊1500による掃射を行わせ、鉄砲隊の装填時間を稼いだ
川を渡るということは足が取られるので動きが鈍くなり、更に時間が稼げる
本体の兵数を低く見せることで力攻めに作戦を絞らせたのだ
「合図を出せ!」
ロンメルは法螺貝を吹くと伏せていた右恵と鈴木の部隊、正面のロンメル本体と合わせ3方向からの挟撃となった
そして挟撃隊は武将を討ち取る毎に斎藤龍興討ち取ったりと言わせ虚言と3方向からの挟撃により斎藤軍は大混乱
「退け! 退けぇ!」
斎藤軍が撤退をし始めたその時
「狼煙をあげろ!」
ロンメル本体は徐々に後退して斎藤軍に川を渡らせると狼煙を上げて上流に居た半乃助が堰を切った
「「「「鉄砲水だぁ! うわぁぁぁ」」」」
増水した水により川辺に居た斎藤軍の大多数は流されるか足を取られて溺死したり、撤退する味方に巻き込まれて圧死する有り様であった
更に
「伏兵だ!」
狼煙の合図で旗を立てさせ伏兵が更に居るように見せることで包囲を完成させた
「無念……ここまでか」
「龍興様、我ら関城兵が死兵となり突破致す! 西美濃まで落ち延びてくだされ!」
「長井道利すまぬ」
龍興は自身の鎧を脱ぎ捨てて雑兵の鎧に着替えると戦場の混乱に紛れて運良く旗だけが立っていた場所から包囲を抜けた
「一兵たりも逃がすな!」
大将が逃亡したことにより斎藤軍は崩壊し、鉄砲や弓によって次々に討ち取られた、増水した川に阻まれ撤退もできず
「斎藤利治殿! トドメの突撃を致す!」
「わかった!」
ロンメルと斎藤利治本体の突撃により斎藤軍は全滅
生き残ったのは1割という大損害を受けてしまうこととなる
この混乱で関城城主長井道利も戦死
一方その頃左恵隊は半乃助隊と合流し、手薄になった関城を奇襲
搦手から一気に力攻めすると城兵が少なかったことにより降伏
一連の戦いを関、小貝川の戦いと呼ばれる事となる
この戦いは織田右恵と織田左恵の名を響かせ、左恵は後に上杉謙信亡き後に軍神と呼ばれるようになる
本隊で戦っていた織田一政、織田忠輝、織田前秋も鉄砲や弩を操り手柄をあげ、ロンメルはその策の数々を妖術と呼ばれ恐れられることになるが、ロンメルはこの策の数々は島津忠良から習ったものを自身で昇華させたものであると驕ることは無かった
「信長様急ぎ伝令、小貝川にてロンメル、斎藤利治隊が斎藤龍興、長井道利の軍と決戦、ロンメル、斎藤利治隊の圧勝でございまする! 関城も織田左恵殿が陥落させ西美濃との連絡路が遮断致しました」
「で、あるか! よし、堂洞城に降伏を促せ……猿!」
「は!」
「お主の口で堂洞城を開城させよ」
「御意」
斎藤龍興が小貝川の決戦で敗北したというのは美濃中に即日広まり、美濃三人衆は斎藤利治に従うとして降伏、堂洞城もこれ以上の抵抗は無意味と城主岸信周が自刃を条件に開城
永禄7年(1564年11月20日)をもって中美濃を織田家が掌握した
「美濃制圧も後一息、ロンメルよくやったぞ」
「ありがとうございます信長様」
「とりあえず褒美として織田一政、織田忠輝、織田利秋に1万石、織田右恵、織田左恵に2万石を鳴海に隣接する形で与える。怪異織田家当主ロンメルはそれらの土地の補佐とし、怪異家8万石を発展させい!」
「わかりました」
小牧山城の寝室に呼ばれたロンメルは抱かれた後褒美を先に言われた
後日ある評定にて正式に下知が下るが、信長は寝室に呼んだ時に先に教えてくれる
30歳となったロンメルはまだ若々しく、20代前半にしか見えなかった
「今回の戦猿がとても役にたった。お主の教育の賜物だろう」
「彼は学生の時から頭が切れる者でしたので、正直遅いくらいです」
「今回の戦で猿は侍大将に昇進させた。更に佐久間や柴田が失敗した墨俣の地に城を築くのを任せた故に成功の暁には城主と致す」
「とても良いお考えかと」
「あと、斎藤利治がお前の与力になりたいと言っておったが」
「美濃が平定されれば美濃斎藤家を継ぐお方を与力にするわけには……」
「いや、これは奇貨として余は受けるつもりじゃ。今回の戦で右恵、左恵の力が増した。そうなると怪異織田家の次期当主織田一政の立場が危うくなるかもしれんからな。後ろ楯として機能させよ」
「わかりました」
「それと一政は弟達の活躍にどの様な反応をしておったか?」
「弟達が皆無事に帰ってきてくれて泣いて喜んでいました。あと亡くなった馬廻りや供廻りの者の家に行き、弔っています」
「そうかそうか。器が広いな」
「器の大きさは一政が一番大きいでしょうね。右恵や左恵も兄があってこそ今回の手柄だと口を揃えて言っていましたし、左恵の関城攻略も一政の指示で半乃助と合流するようにしたらしいです」
「ほう、家長となるものはやはり違うのぉ」
「領土経営もしっかり学ばせます。ご安心を」
「頼むぞロンメル」