浅井長政
幼名を猿夜叉丸と言い六角の倍以上の軍勢をはね除ける活躍をしており戦上手であったものの外交などは父久政に握られており権力の分散がされていた
これは信長を頂点とした絶対的な権力を集中している織田とは対照的である
対照的と言えば浅井家は家臣団の発言力が高いことも織田家と対照的である
信長のトップダウン方式の織田に対して家臣団にも配慮しなければならない浅井家……これが後の悲劇の始まりになるとはこの時まだ誰も知らなかった
永禄11年(1568年1月)
国友に寄って信長は美濃に、ロンメルが鳴海に帰って数日後
足利義昭の居る六条本圀寺が三好三人衆によって襲撃される事件が発生する
報告を聞いたロンメルは直ぐに美濃の信長と合流し、強行軍で京に向かうが、到着した時には事件は終息していた
将軍を守ったのは信長の家臣になっていた元道三の家臣で野心家であると言われて放浪の旅をしてたどり着いた毛利から散々な扱いをされるわ、外様だからと冷飯ぐらいを10年近く朝倉にされるわと苦労人明智光秀と古今伝授等の教養人で武芸も戦もできる戦国のスーパーマン細川藤孝(後の細川幽斎)他数少ない幕臣と5000の兵が2万の三好三人衆と斎藤龍興率いる浪人衆をはね除け、援軍に駆けつけた北近江衆の浅井軍が到着したことで三好方は撤退
なお真冬&大雪での強行軍だったことで織田軍は戦ってもないのに数名の死者が発生した模様
ロンメルは事件発生から3日後に信長本隊を置いて単独で京に到着したが既に敵は退いた後であり、将軍に謁見すると
「なぜもっと早くに来なかった! そなたの足は飾りか! 妖怪とは名ばかりよのう!」
と罵倒された
頭に来たロンメルは後から到着した信長にこの事を報告し、ロンメルは学校繋がりで保護していた貴族の親族を使い朝廷工作を開始
見返りは求めずに酒、米、干し椎茸、陶磁器、着物等を朝廷に贈り物として帝や貴族に送った
信長は直接的な銭でなければ良いと言われ、以後見返りを求めない贈り物を続ける
一方拠点である六条本圀寺を攻撃された義昭はもっと防御に適した御所を作るように信長に要請
信長は城作りのスペシャリスト松永久秀に京に御所作るように命令した
これが後の二条御所である
ロンメルはこの二条御所建設に従事し、松永久秀から城作りのいろはを教えられることとなる
「松永様はなぜ義輝様を殺されたのですか?」
「こらこら儂は殺してはおらん。殺ったのは息子だ」
「そうですが指示をしたのは貴方でしょ……将軍様とは2度も稽古をつけて貰いましたし、出生も妖怪の国な為にはっきりしない私のために役職と名字を与えてくださいました。なぜあの人は死ぬ必要があったのかを首謀者の貴方に聞いておきたくて……」
「義輝公は将軍としての器は確かに有った。それこそ中興の祖になる可能性も十分に有った……じゃが義輝公は時勢を読むのが苦手じゃった。三好長慶様が守っておったのにそれに歯向かい続け、長慶様が亡くなられた後も反抗をやめようとしなかった……儂はお主が信長様を愛しておるように儂は長慶様以外には忠義を持たぬ。義輝公は長慶様が遺された物を全て破壊する様に動いてしまった。だから殺めさせた。ただそれだけのこと」
「そうですか……」
「妖怪殿は儂と似ておる。もしも信長様に何か有った場合儂をも超える怪物になるであろう。……最もその時には儂はこの世に居ないであろうがな」
「松永様……」
「儂からの助言じゃが今の幕府に近づき過ぎるでないぞ。朝廷工作もしておるようじゃが幕府にあまり刺激しすぎるのはよろしくない……そなたは義輝公より役職を頂いて居る身ゆえあの馬鹿(義昭)が解任しない限りその役職は力を持っておる……長々と話して疲れたわい。茶にでもしようぞ」
蝙蝠だの将軍殺しだの言われ、ロンメルの兄弟子でもある義輝様を殺した首謀者であるのに、ロンメルは松永久秀の考え方に共感を覚え、忠告を守り幕府から距離を置くこととなる
ロンメルが長期間鳴海を離れている間に武田が三国同盟を破り駿河へと侵攻を開始
今川方は武田の調略により戦わずして壊滅
氏真はこの報告を聞き駿河から遠江に逃げ延びるのだが、約2年間潜伏していた左恵と鈴木孫三郎が作戦を開始
今川に恩を感じる者や武田が本国以外を奴隷のように扱うという情報を流した上で一揆を煽り、約1万の駿河農民や各寺社勢力が決起
駿府に進んでいた武田本隊と甲斐の連絡路を遮断
更に農民達を煽ることで武田の補給線を攻撃し始めた
これに怒った信玄は反転して一揆鎮圧に動きだし農民の虐殺を行う
左恵と鈴木は神出鬼没のゲリラ戦と呼ばれる手法で少数を率いて攻撃を続け、北条が出陣してくる時間を稼いだ
「あれが最強武田の騎馬隊か……潮時だな。鈴木、指揮権を譲渡して俺達は鳴海に帰るぞ」
「は!」
左恵と鈴木孫三郎は状態が劣勢になる前に駿河を脱出
その後一揆衆は約半年間抵抗を続けたが敗北し、一揆の手助けをした村人や商人等間接的な者も含めて3万人が虐殺されることとなり、駿府の荒廃は決定的となった
駿府の象徴だった今川館も財宝もろとも焼失
北条の援軍が駿府に到着したのは翌年(1569年)の1月であり、両者にらみ合いの後に一揆鎮圧で物資を多く消費していた武田が撤退
この一連の戦で今川の崩壊は時間の問題となり、徳川が西遠江、武田が駿河の半分、北条がもう半分を分け合う形となり、今川は東遠江を所有するだけとなる
その東遠江維持も難しいとなると氏真は
「もう良いであろう。皆の者今まで大義であった。今川家は今日を持って解散とする。私は妻と北条に身を寄せる故に徳川でも武田でも私と一緒に北条に行くのでも、感状は書く故に申せ……私の力が無いばかりにすまぬな」
と氏真は今川家の解散を宣言し、東遠江も徳川領となった
今川家臣団は様々な家に別れる形となるが、鳴海の地に向かう者も居た
「ここが……鳴海か? 昔とはだいぶ違うな」
「最後に来たのは桶狭間以来ですから9年前になりますな」
「9年か……長いようで短かったな」
ロンメルが不在中であったが今川から怪異織田家を頼りに来た者は朝比奈泰朝、朝比奈信置等の朝比奈一族と岡部正綱、岡部元信等の岡部一族がロンメルの下に着こうとしていた
朝比奈一族は代々幕府や朝廷に交渉を任されており、今川の外交官的存在である
岡部一族は武功に優れ、人望の厚い人であったため由比正純等の後日他の旧今川家臣団が続々と集まる
「お初にお目にかかります朝比奈泰朝様、岡部元信様」
一族衆の代表として鳴海城を任されていた長男一政以下弟達と家臣団が列なる
「左恵から氏真殿に宛てた手紙をお読みいただけたのでしょうか」
ロンメルは今川家臣団を吸収するために将来1万石以上の領土と雇うためにそれぞれ一族衆で5000貫の給与を与えるという破格の条件を提示していた
それだけ彼らの一族には価値があると思っていたのだ
「破格の条件感謝致します。更に氏真様の了承が有れば一政殿の子供と氏真様の子供を婚約させ、その子供に怪異家の当主を継がせるというのは本当ですか」
「ああ、母上や信長様にも了承されておる。それだけ今川家臣団を買っている証拠として貰いたい」
一政はロンメルと一政兄弟の血印状を岡部と朝比奈に見せた
「ま、真か」
「論目流殿の性格はわかっておろう……武田や徳川は裏切り者北条も今川から分裂し、敵対しておった家じゃ、なら最初から敵対していたが誠意を見せてくれたここ(怪異織田家)に仕えるのが良かろう」
「そうだな。一政殿、ご兄弟の皆様もどうかよろしく頼みます」
「うむ! 前秋」
「は!」
「朝比奈様や岡部様達が住まう館を急ぎ作らせよ」
「兄上わかりました」
こうして朝比奈一族と岡部一族、後から合流した由比正純等旧今川家臣団が臣従し、怪異家で不足していた経験豊富な武将が揃っていくこととなる