元亀4年(1573年6月)
ロンメルが信濃を侵攻し、約1ヶ月
西信濃をほぼほぼ抑え、ロンメルは次の侵攻先を上原城か上田城、深志城のどれかに絞っていた頃、東遠江にて徳川大勝の知らせが届いた
「本当か」
「はい! 高天神城近くにて決戦となり、徳川方が武田を撃退し、追い討ちを仕掛けて武田は多数の死者を出しながら甲斐に退却、天方城、一宮城、飯田城、挌和城、向笠城全てを奪還し、そのまま駿河に侵攻したとのこと!」
「北条が武田の失墜を見て徳川と不可侵を結んだとの事、これで武田は北条から見捨てられ上杉、徳川、織田に囲まれた構図になります」
「よし、上杉に使者を水内郡、高井郡を割譲するので牽制を依頼してくれ」
「は!」
「となると早急に馬場隊の排除をしなければならなくなった」
「では俺に1つ案が」
「なんだ? 左恵」
「一政兄上の子作坊が武田の朝姫の息子であるので武田を作坊に継がせることで武田の国人衆をこちらに付かせましょう。動揺すれば馬場は甲斐に戻るかこちらと決戦しなければなりません。決戦場所は錦織寺近くはどうでしょう! 馬場が籠る深志城から甲斐の道を遮断することになるので必ず通らなければなりません」
「よし! それでいこう! 他の城はどうする?」
「全て無視で良いでしょう。打って出てくるのを誘います」
「よし、後方は忠輝隊、鈴川隊に任せる。先鋒は左恵任せるぞ」
「は!!」
「よし! 皆の者早急に信濃を追い込む」
「伝令、小県郡の真田より報告が」
「なに?」
「小県郡真田は織田の動きを傍観するゆえとのこと」
「傍観……攻撃しなければ敵にはならないとのことか……小県郡は無視、諏訪郡を確保すれば信濃侵攻を止める。後は武田が瓦解するのを待てば良いな」
「では決戦を」
「これより馬場信春と決戦を行う! 最強武田軍を倒し、最強の座を奪い取ろうじゃないか!!」
「「「おお!!」」」
ロンメルは夜のうちに出陣すると先鋒の左恵は錦織寺を掌握し、甲斐との連絡路を遮断した
馬場信春はこれを読んでおり錦織寺近くで左恵隊3000と信濃衆5000が衝突した
「火力はこちらが上だ本隊が来るまでここを死守するのだ!!」
左恵は鉄砲隊を3組に分け掃除、装填、射撃を流れ作業でやらせた
「三段撃ちだ!!」
1000丁もの鉄砲を保有していた左恵隊は鉄砲の数に言わせて武田自慢の騎馬隊と拮抗状態を作り出した
そこにロンメル率いる本隊と池田隊が到着
ロンメルは一政を別動隊1000名に分けると錦織寺を北上し、千曲川を渡って川沿いから信濃衆の側面より射撃を開始した
ロンメル本隊は馬場信春本隊と激突
池田隊は信濃衆を半包囲する形の陣形をとり、馬場信春が敗れれば信濃衆ごと壊滅し、ロンメル本隊が敗れれば池田隊もろとも敗走、一政別動隊は敵地に取り残されるという絶対に負けられない戦いとなった
「妖怪大将ロンメルはここぞ! 首を取りたい奴はかかってこい!!」
ロンメルは先頭で指揮を取る
既に39歳になり力と技術は最盛期であり、その一騎当千ぶりに武田の勢いが弱まる
「いまぞ!」
槍隊に隠れていた鉄砲隊が前に出て馬場隊に射撃を喰らわせる
本来ならば竹束で守るのだが斬り込んで来たロンメルの対応をするために隙ができてしまいバタバタと先頭にいた武田兵が倒れる
「斬り込め!!」
ロンメルの号令ものと槍隊、抜刀隊が突撃を開始し、鉄砲隊は鈴木孫三郎が後ろに下げる
「我に続け!!」
ロンメルが道を切り開き、そこから傷口を抉るように突撃隊が傷口を広げていく
「なんとしても突破口を塞げ! 包囲すれば我らの勝ちぞ」
精鋭武田兵なだけあり、そこからなかなか崩れない
じわりじわりと傷口が閉じ始めたその時
パパパン
「うぐ!?」
ロンメルが窮地と思い自身の隊を率いて更に裏に回った右恵隊が鉄砲を発砲
それが運良く馬場の腹部に直撃した
「馬場殿! 退け退け!!」
「退いてはならぬ! ここで退いては……」
不死身の馬場の負傷により隊が動揺した隙を付き、ロンメルは更に圧力をかけると数が多いこともあり馬場隊が崩れた
「右恵! 追撃は任せた! 信濃衆の殲滅に取りかかる!」
ロンメルは面倒臭い国人衆を生きて帰す気は更々無く信濃衆5000の包囲を完了させると一気に圧殺した
【錦織の戦い】
織田 約1万8000
武田 約8000
結果 織田の圧勝
織田死傷者 約1200
武田死傷者 約5900
合戦の影響
馬場信春はこの後鉄砲の傷が元で1ヶ月後病死
信濃衆の当主、ご子息が多数討死したことにより信濃は国人衆がほぼ不在となり、合戦後休まず行われたロンメルによる強襲により佐久郡、諏訪郡、安曇郡、更級郡、筑摩郡が陥落
上杉が水内郡、高井郡を掌握し、信濃で武田の影響力が残ったのは真田の埴科郡と小県郡だけであった
ロンメルは直ぐに家臣達を配備し、信濃40万石のうち25万石を掌握
武田による奪還隊も撃退し、信濃侵攻は終了となる
残った信濃国人衆は一政と一政の息子作坊に忠誠を誓い、武田残党による一揆も尾張、美濃の豊かな物量により武田時代よりも生活の質が向上したことにより兵が集まらずに失敗
武田は駿河と信濃を失い甲斐と上野の一部を有する中堅大名まで没落
以後建て直しに躍起になるが無理な増税と金山の枯渇により急速に力を失っていくこととなる
元亀4年(1573年7月)
信長は二度目の足利義昭の挙兵を即座に鎮圧し、足利義昭を京から追放
年号を天正に変えた頃ようやく信濃が落ち着いたということでロンメルと信忠が京にいる信長と面会した
上京は幕臣の屋敷が多く有ったため焼き払われ、再建が進められていた
「面を上げよ」
ロンメルと信忠は顔を上げる
「信濃侵攻見事、徳川の動きを合わせれば武田の権威は失墜した。信忠、ロンメルよくやった」
「「はは!」」
「武田を抑え込み、将軍は追放、仏仏ども(本願寺や一向宗)も今は長島を除いて落ち着いておる……浅井朝倉にようやく本腰を入れて対処できるわ……信忠」
「はい!」
「余の代わりに美濃を纏めよ」
「は!」
「ロンメル」
「はい」
「東方のことはそなたに任せる。武田は最終的には滅ぼす良いな」
「は!」
「対朝倉は柴田に、佐久間の畿内軍は明智に、浅井は木下に、対本願寺は斎藤(利治)に、長島は滝川と分けた。それに余の本隊が潰す場所に各々向かう形とする。良いな」
「「は!」」
ロンメルは直ぐに信濃に戻ると功労者に対して褒美を与えた
主に土地の再配分である
主要な者だと
町田半乃助 4万石
鈴川千秋 2万石
鈴木孫三郎 2万石
服部一忠 1万石
岡部元信 2万石
朝比奈泰朝 1万石
と分配され、残りはロンメルの直轄領とし、一政達一門に分配した
更にロンメルは真田と秘密裏を装いとある寺で密会を行い、武田から寝返るのであれば所領安堵及び吾妻郡、碓氷郡、利根郡、群馬郡の4郡を渡すという厚待遇を出したが武田に恩が有るため即答はできないと言われた
ロンメルは武田信玄からも一目置かれた真田の軍略を取り込みたいと考えており、今回の信濃侵攻で真田も当主が真田昌幸に変わっており、その真田昌幸の次男とロンメルの娘鶴姫の婚約をしたいと願い出た
婚約で有ればということでこれは了承され、真田とは不可侵に近い同盟を締結するに至り、信濃の掌握を完了した
山だらけの信濃をの田にするのは効率が悪いとし、畑や果樹園に次々に変え、米を作らなくても生活できる基盤作りに注力した
また信濃にも学校を2校開校し、錦織学校、飯田城を廃城にし、跡地に飯田学校を開校した
これでロンメルは鳴海学校他2校の3校を有するに至り、優秀な人材発掘をスムーズに行える様になり、農業を教えることで飢餓を防ぎ、薩摩芋や馬鈴薯、各種野菜と果物の効率的な栽培、千曲川を使った水運も管理下に置いたこと、関所の廃止、楽市令による楽市の実施、徳政令の禁止等鳴海で成功したのを土地柄にあわせて実行
特に養蚕業にも力を入れたことで信濃では優秀なシルク生地の生産地となっていく
ロンメルが内政に力を入れた1年で浅井、朝倉は滅亡し、浅井の家臣団は木下秀吉が吸収、朝倉はほぼ族滅となり名門朝倉と北近江の浅井は滅亡となった
信長は浅井長政の死を大層悲しんだが、失った家臣の多さから許すことはせずに自刃に追い込んだ
浅井朝倉が片付いてほっと一息いれようとしたら朝倉領で大規模な国人及び一向一揆が発生し、信長が置いていた代官が殺害され加賀の国同様越前も一向一揆が支配する国となり、本願寺が和議を破り再び挙兵とハチャメチャ展開
信濃でも一向宗と勝頼が組んで一向一揆を発生しようとしていたので税率を武田の7から8公2民を3公7民に変更
そうなると一向宗を先導していた者が逆に吊し上げされる始末となりそれを勝頼が先導していたこともバレ一気に武田離れが進む結果となってしまう
ロンメルはその間に街道を整備したり、宿場町を作ったり、馬車の駅を整備したり、山賊を皆殺しにしたりと民優先の政策を次々にしたので信濃の民衆は妖怪である私や怪異織田家に懐いた
守護大名よりも力有る戦国大名
昔の権威は凄くても武田の権威が失墜したことにより甲斐からも人は逃げ出し国力が更に低下する
ロンメルは逃げ出した人々を吸収し、村や市を作り食べ物、着る物、金を産み出す
金の流れを読めない者は没落していく
ロンメルの力は武力ではなく経済力を使った経済制裁が行える点でもある
金山の収入が減ったことにより武田の財源は収支の支の方が多くなり信玄が蓄えた貯蓄をどんどん吐き出す事となる