ロンメルの受難   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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神流川の戦い

 天正7年(1579年3月)

 

 織田との和睦に成功した景勝の影響力は上杉家中で跳ね上がり、春日山城から景虎を追い出し、周辺豪族や国人衆の掌握を完了させた

 

 景虎側からも後から黄虎丸に上杉家督を譲り、景虎を関東管領とする折衷案が出されたが黙殺し、上杉景勝を援護するために北条に対して恨みを募らせていた真田を使い上野に侵攻を開始

 

 甲斐の左恵、信濃の一政、小県の真田による連携の取れた同時攻撃により上野の防衛線は瓦解

 

 北条との同盟は破棄となり、本格的な関東争乱の幕開けであった

 

 上野を制圧すると真田が欲していた2郡を割譲し、景虎の補給線を遮断

 

 これにより2月に御館の乱は景虎が処刑されて終了し、景勝は信長に謁見して臣従を約束

 

 佐渡、越後と越中の一部を安堵とし、北陸軍は越前、加賀、能登、越中の大半を有する巨大派閥となり、織田家筆頭家老柴田勝家の名声は天下に響き渡った

 

 信長は一向一揆残党がいてまだ安定化していない北陸を柴田勝家に任せ本願寺の本格的な攻撃を開始

 

 津田信澄を大将とし、本格的な攻撃を開始

 

 海上から九鬼水軍の鉄甲船や安宅船、大量の関船による海上からの砲撃、地上も支城が次々に落城し、残るは石山総本山のみとなった

 

 毛利としては何とか補給して石山に継戦してほしかったが2年前に木津川口の戦いで織田水軍が勝利していたことで毛利自慢の村上水軍は弱体化してしまい、山陰山陽も羽柴秀吉率いる中国方面軍が戦っており本国が危険になっていた

 

 丹波、丹後も明智光秀と細川藤孝率いる畿内軍が大手をかけている状況

 

 約700万石の石高に近畿の主要経済都市である堺、政治の中心地京等といった莫大な権力、財、兵力を保有する信長の前に第三次織田包囲網は瓦解寸前であった

 

 ちなみに怪異織田家は上野平定により真田領20万石を抜いたとしても現在書式上100万石、実石高(農地改革による米以外の作物含む石高だと)130万石を保有していた

 

 これは140万石近くを保有する北陸軍に次ぐ数値であり、動員兵力は4万人と最盛期武田軍以上の動員可能としていた

 

 対する北条は伊豆、相模、武蔵、下総の約130万石

 

 これに佐竹や下野の国人衆、里見等が北条と敵対していたのだが怪異織田家による上野侵攻により和睦し、一致団結して外敵怪異織田家に対峙する構えを見せた

 

 総兵力だと5万人以上にもなる

 

 無茶すれば8万人動員も可能だろう

 

 こちらはこちらで同盟国徳川の2万5000人もいるので勝負にはなるが、徳川としては北条とあまり事を構えたくは無いのが本音だろう

 

 今川氏真が元々北条に身を寄せていたので駿河統治の為に今北条と敵対するのはリスクが高いとし、徳川は北条と秘密協定を結んでいることが忍衆の活躍で明らかとなったが、ロンメルは徳川の考えもわかるのでこれを黙認

 

 となると出きることは兵の質の向上である

 

 既に有った馬車隊(補給及び兵員の輸送)と騎兵、新兵科の鉄砲騎馬兵、弩騎馬兵等の誕生により今までの戦闘スタイルとは違うため、適正があればガンガン新兵科に割り当てていった

 

 兵を雇うのも織田式の職業軍人制に変え、出が悪くなったとはいえ甲斐の金山は大きな収入源であり、鳴海という経済都市からの上がり、信濃の水運や道を整備したことによる宿場町からの上がり、前秋による農地改革により着実に成果が現れており、4公6民でも何とかなる税収を確保していた

 

 学校も順調に機能しており、人材も問題ない

 

 特に鈴木孫三郎や的場源四郎が紀州攻めにより降伏した旧雑賀衆の吸収を進め、多くの鉄砲鍛冶や練度の高い狙撃手を確保

 

 その中で早合という技術が流れ込み、装填時間の大幅な短縮を可能とする技術であり、ロンメルはすぐに怪異織田家に広まるように技術指導を依頼し、奉行衆に早合の弾倉の量産をすぐさま行うように指示を飛ばし、そうこうしているうちに半年が経過した

 

 

 

 

 

 

 

 天正7年(1579年9月)

 

 明智光秀が丹波及び丹後の制圧を完了し、明智光秀が丹波を、細川藤孝が丹後を獲得、明智と細川は婚姻により繋がっているので実質明智軍が丹波丹後を獲得したといっても良い

 

 また本願寺も降伏し、津田信澄が信長より誉められ、石山本願寺跡地により大きな城を作るように命令

 

 津田は大和の国を拝領し、織田家の親族衆としては甲斐、信濃、上野、尾張、美濃、伊勢、大和の7国を有する事となった

 

 信長は次の標的を伊賀に定め、伊賀攻めを行うと知らせを出した

 

 ロンメルはその頃信長に関東平定の為に援軍を送ってほしいと文を出していたが、伊賀を平定しないと畿内の安定化の為にもう少し待って欲しい(防御に徹しろ)という命令が届いた

 

 まぁ敵は待ってくれるわけも無く、上野に北条軍が侵攻を開始、厩橋城に入っていた城主東野良祐から急ぎ救援要請が入り、ロンメル自ら出陣し、鳴海衆1万、信濃衆1万5000、甲斐衆8000に上野衆7000が合流、更に真田5000も加わり4万5000の大軍となった

 

 対する北条は下野衆1万と北条本体3万の4万人を動員

 

 ロンメル率いる怪異織田本体が迫っているのを知ると北条は厩橋城の包囲を解き、武蔵の中山道にて陣を引いた

 

 ロンメルは北条最北端の三井城を大筒を200門も使った一斉攻撃により陥落させると真田隊によりすぐ南の金窪城を攻撃し、これも陥落

 

 両城と鳥川近くに部隊を3つに分けて陣を敷いた

 

 両軍にらみ合いの中翌日となり、金窪城に北条氏邦が奇襲を仕掛けようとした時

 

「待っていたぜこの時をよ!!」

 

 奇襲を想定していた鈴木孫三郎率いる鉄砲隊による伏兵が奇襲を仕掛けようとした北条氏邦に先制射撃を開始

 

 ここに時間差で別方面から来た北条氏直隊、北条氏規隊が鈴木隊の側面から攻撃しようとしたのを真田隊が更に側面から攻撃を開始

 

 全面対決が始まった

 

 ロンメルは一政に直ぐに鈴木隊を救援するべく鳥川を迂回し、本庄から攻めるように指示

 

 一政8000が北条の退路を絶つように動き始める

 

 ロンメルは神流川を渡り、北条氏直隊の背面より攻撃を開始

 

「どけどけ!! 磨墨様のお通りじゃ!!」

 

「一之太刀……!!」

 

 ロンメルと磨墨が先陣をきり、氏直隊の後方を粉砕

 

「ひ、ひぇぇ!! 妖怪がでたぁ!!」

 

「もう無理じゃ!」

 

「逃げる!!」

 

 北条氏直は現当主北条氏政の長男であり、後継者であったのだが虚弱体質であり、戦場で十全に力を発揮できないのが災いした

 

 混乱する北条氏直隊は脱走者が続出し、それを止めるために前に出た氏直は次の瞬間、磨墨の太刀により切り裂かれていた

 

「ぐは!? ……わ、私のぞ、臓物が腸が……あふれ……て……」

 

 切り裂かれた腹から内臓と血液が大量に噴出し絶命

 

 大将を失った氏直隊は周辺の部隊を巻き込みながら瓦解し、北条氏規隊が巻き込まれた

 

 壊走する味方の波に飲み込まれた氏規も制御不可能となり、僅かな供回りを連れて脱出

 

 そこの窮地を察した氏政隊がロンメル隊の側面から突っ込むが

 

「甘いんだよ」

 

 左恵率いる騎馬隊が神流川を渡り突撃

 

 獅子奮迅の活躍で北条氏政隊を撃退するだけでなく重臣数名が討ち取られる

 

 

 ロンメルはそのまま鈴木孫三郎隊に襲いかかっていた北条氏邦隊に攻撃を開始、同時期に鳥川を渡った一政率いる別動隊が背後より奇襲を開始し、完全に包囲が完成した

 

 北条氏邦は敵中突破による脱出しか生き残る方法は無いと考え、一政隊に襲いかかる

 

 一政隊を突破する頃には30騎程になっていたが、彼らに更なる絶望が待っていた

 

 左恵率いる騎馬隊が更に回り込んでいた

 

 残る30騎も全員討ち取られ、北条氏邦、北条氏照、大道寺政繁の3名が討死、北条下野連合軍4万のうちに3万人が死亡

 

 ロンメルは逃げる北条を激しく追撃し、小田原城まで追い詰めた

 

「小田原城は2万が監視し、残りは支城を全て落とす。別動隊は一政を大将に、忠輝、右恵、鈴川を付ける! まずは下野を落としてこい」

 

「はい!」

 

 別動隊2万5000は下野を約1ヶ月半で陥落させ、武蔵の反抗している国人衆を族滅させ、下総を攻めたりしながら小田原城攻めを継続した

 

 

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