ロンメルの死は瞬く間に全国に響き渡った
小妖怪から信長の下で立身出世し、大妖怪として関東8国の主まで成長させたその手腕、数多の合戦での活躍、剣の極地まで至った努力……これ等の功績を称え信忠はロンメルに妖怪総大将の地位が送られた
関東8国は一政が相続した後、弟達や家臣達と分割したが、ロンメル以上、信長とも引けを取らないカリスマ性を持つ一政の下で一致団結し、関東開発事業を引き継ぎ、邁進していくこととなる
ロンメルの死から2年後 四国征伐を開始
津田信澄を大将とした討伐軍8万が四国へ上陸し、一気に制圧し、長宗我部は土佐1国を安堵とし、他3国は織田家が接収し、津田信澄、斎藤利治、織田信雄が各々1国を貰う形となる
その翌年には九州征伐が開始され、半年の戦の後に島津が降伏し、旧大友領の大半を羽柴秀吉が引き継ぎ九州探題に就任と九州5ヵ国への加増、元羽柴領は明智が入り、明智領は織田家が接収した
将軍足利義昭は織田家の抵抗を諦め、将軍職を朝廷に返還すると隠居
朝廷より征夷大将軍の任を授けられた信忠は将軍に就任、全国に惣無事令を発表し、争いを禁じた……が、東北の一部が従わなかったことにより東北征伐が開始、伊達と最上が先陣となり後詰めとして怪異織田家、徳川家が続き東北征伐が完了
信長の死から6年で全国が統一された
全国統一から2年後……信忠は心不全の為急死
あまりの急死の為毒殺が疑われ次にまだ幼い三法師の扱いに信雄と信孝どちらが代理当主になるかで大揉め
重臣同士でも意見が別れ大論争から戦へ発展
応仁の乱の様に東西に別れて大戦が始まった
徳川家康と織田一政はこの動きを静観、国力増強と家臣の掌握に力を入れた
5妖怪と呼ばれる織田家重臣や信忠の下にいたウマ娘達が各々自分の主を出世させるため、家を守るために奔走し、中には生食と薄墨の様に戦場で直接対決をすることもあった
畿内は大いに荒れ、四国は津田信澄、斎藤利治、長宗我部元親が共謀して織田信雄を四国から追い出したことで争いは治まるかと思えば丹羽長秀、柴田勝家の病没による後継者問題、九州にて大規模な国人及びキリシタン一揆、東北も最上と伊達の戦争と戦国時代に逆戻り
更に信孝が毒殺されたことで混乱は頂点に達した
「……母上、あなたはこの光景を見なくて良かったですよ……これより怪異織田家は天下を取る! 各親族に連絡! 京に挨拶に来なかった者は逆賊として討伐すると」
一政は徳川と伊達と同盟を結ぶと直ぐに上洛を開始した
直ぐに津田信澄、斎藤利治、長宗我部元親、北畠具継、柴田家の望月が掌握していた諸公、上杉景勝が賛同し、明智光秀、羽柴秀吉も停戦して京に向かった
上洛軍は15万を数え3代目将軍三法師に統治能力が無い為将軍職の代行を関東公方織田一政に譲る誓約をし、改めて惣無事令を発布……敵対する諸公を一門だろうが譜代だろうが容赦なく族滅、関東に築いた江戸城を本拠地とし、明智と羽柴の所領を縮小したり、他の家臣も国替えを行い100万石以上の領土を持つのは伊達家、徳川家、柴田家の3家のみとなり、一政の弟に分家を7家(北畠具継も合わせると8家)作らせ50万石クラスの大名にした
信長の死から15年、再び天下は治まった
この後成長した三法師改めて織田秀信が挙兵したがすぐさま鎮圧され、将軍職を一政が引きついた
1600年の時の事である
このため3代目の秀信までを安土幕府、4代目の一政からを江戸幕府と呼ぶ
一政は1640年まで長生きたことで争いは完全に消えていった
一政は武家諸法度や禁中並公家諸法度を作り、1国1城制や4公税率の徹底、尺度の統一、経済の活性化に尽力し、この世を去った
5代目将軍は一政の孫の織田定正が引き継ぎ、正確な日本地図と蝦夷地開拓、大規模な河川の氾濫防止工事等を行った
6代目将軍織田照宗は織田幕府による貨幣製造や樺太の開拓を推奨させ、満州の騎馬民族と激闘を繰り広げた
7代目、8代目は照宗の治世を引き継ぎ外満州を制圧
9代目将軍織田孫一は能力は普通であったが3大家老と呼ばれる平野前恵、斎藤獺祭、服部一益の3名による南方作戦と呼ばれる台湾及びフィリピンを植民地化及び強烈な同化政策を実行し、本国に組み込む
10代目の頃には蒸気船の開発に成功し、東洋の産業革命が起こる
幕府は11代目の織田沙汰の時に大政奉還し、幕府は終わり、西洋改革が始まり近代に移っていく
その後は皆様のご想像にお任せしよう
これにてロンメル第一章天下布武編を終わりとする