「ありがとう、バーソロミュー」
ウタの言葉と共に、涙が零れ落ちる。
ウタの指先から放たれた音符は大海賊に命中すると、愛らしい茶色のテディベアに変わってしまうのだった。
「でもね、もう引き返せない……私には、この世界にしかないんだ……」
彼女の囁くような声は震え、苦しそうな息とともに吐きだされる。ウタはゆっくりと地面に落下するテディベアを左手で捕まえると、観客たちと再び向き合った。
「ウタちゃん……!? あんた、いったいなにを!?」
観客たちは茫然とした様子で、テディベアとウタを交互に見ることしかできなかった。
「……なにって、楽しいものに変えただけだよ」
このときになると、ウタの眼から涙は消えていた。代わりに、どこか狂ったような笑みを浮かべている。紫の瞳はどこまでも暗く、にやっと歪んだ口元は契約を迫る悪魔のようにしか見えない。
「みんな、現実を忘れるくらい楽しいことがあればいいんだね! そうしたら、いつまでも永遠に楽しく過ごすことができるよ!」
観客が「まずい!」と逃げ出そうとしたときには、すでに遅かった。悲鳴を上げるよりも先に、甲板に集っていた者たちの姿は愛らしいぬいぐるみやら甘そうなカップケーキなどに姿を変えていく。遠目から見ていた観客たちは目の前で起きた異常事態に動きが止まり、ウタの言葉に耳を貸さずに言い争いを続けてる者たちですら目を疑うしかなかった。
「え……いまの、なに?」
「ちょっと、これ……なんかやばくない?」
観客たちの動揺が広がる前に、ウタは軽快に舞い上がる。彼女の周りに光が集まり、ライブ会場上空を飛ぶ姿は天使のようだった。だが、天使が指を軽く振れば会場の全体に五色の水が溜まっていく。美しい水は最初にステージを覆い、そのままロイヤル・フォーチュン号や観客席も呑み込んでいく。当然、密集していた観客たちに逃げ場はない。観客たちが水に浸かった途端、ぽんっと軽快な音と共にカラフルなぬいぐるみやお菓子に変身してしまう。
「みんな楽しい気分になれるでしょ! 平和で自由な新時代で、ずっと一緒に楽しく暮らそうね!」
五線譜で捕らわれている者たちも、ウタに見逃されなかった。
「や、やめるだえ~! わちしは偉いのに! わちしは神なんだえ~!?」
チャルロス聖は醜い声をあげるも、聞き入れられるわけがない。
「だから、ここでは奴隷も天竜人も平等で仲間なんだって」
ウタは明るく笑いかける。
チャルロスは反論しようとするも、すでに水が迫ってきていた。逃げようとじたばたもがくもどうすることもできず、ピンク色のソフトクリームに変わってしまうのだった。
なお、この映像を電伝虫を通して見ていた五老星たちが「チャルロス聖が! もはや一刻の猶予もない!」と焦り始めるのだが、ウタには知る由もなく、どうでもいいことである。
「ねぇ! これで、みんな幸せになったかな?」
ウタはテディベアに語りかける。しかし、物言わぬクマのぬいぐるみは言葉を返してこない。ただ、その真っ黒な瞳は「貴方は幸せなのかい?」と問いかけてくるようで、ウタはぬいぐるみの目元を赤いリボンで覆った。
「私は幸せだよ。みんなが幸せなら、私も幸せ。これでお腹がすくことも死に怯えることもない。勉強も仕事もする必要ないし、いじめなんて起こらないし、痛い思いをすることもないんだから」
ウタは自分に言い聞かせるように呟くと、会場を覆いつくした水上に寝転がる。
「新時代は希望に満ちてるよ。絶対に間違いなんかじゃない」
ウタは自分に言い聞かせるように呟くと、ゆっくり目を閉じる。
くまのぬいぐるみを片手に横になる姿は、19歳の少女というより無垢な子どものようであった。
※
その頃、藤丸立香たちは城の地下から脱出したところだった。
麦わらの一味と一緒に図書室に潜入し、ウタワールドから出る方法を探っていたのだが、いろいろとあって城が崩壊してしまい、ブリュレの鏡を移動する能力を使って、逃げ出して来たのである。
「死ぬかと思った……」
藤丸は鏡から転がるように出ると、安堵の息をついた。両膝に手をつきながら顔を上げ、辺りを確認しようとしたとき――藤丸の眼が一人の人物を捕えた。
「む、麦わらのルフィ……!?」
そこには、仲間との再会を喜び合う主人公の姿があった。なぜかサニー号をデフォルメしたような謎の生物やトラファルガー・ロー、バルトロメロにビッグマム海賊団たちなど大勢の人が集っていたが、藤丸の目にはルフィしか入っていない。
「ルフィだ!!!」
「ん? お前、誰だ?」
ルフィがさらっと尋ね返してくるので、藤丸はピンっと背筋を伸ばした。
「藤丸立香です! あ、あの、サイン……は、この世界だと持って帰れないんだっけ。せ、せめて、握手! 握手をお願いしてもよろしいですか!?」
「いいぞ」
あっさりとした返事と共に差し出される手に、藤丸は「本当にルフィだ!」と感極まってしまう。おそるおそる手を伸ばし、意外とがっしりとした手のひらが触れた途端、藤丸の顔は真っ赤になってしまった。
「黒ひー、どうしよう。俺、いま、本物のルフィと握手してる……!」
「おちつけって、マスター」
藤丸が興奮していると、空間に両掌ほどの小さな穴が開き、コビーが這い出てきた。
「なんとか逃げられたな……」
コビーの後から現れたのは、チョッパーと同じサイズほどの小さな男だった。
「お前、誰だべ!?」
「ブルーノ!」
バルトロメロに驚かれ、ブルーノはムッとした表情を浮かべるが、小さくて可愛らしくデフォルメされてしまっているので迫力がない。
「コビー、ウタに会えたのか?」
「それが……」
コビーが言葉を濁すと、ローが大きく息を吐いた。
「どうやら説得は失敗だったようだな」
「バーソロミューさんがいろいろと頑張ってくれたのですが……」
「バーソロミューに、なにかあったの?」
藤丸はルフィから手を離し、コビーに尋ねた。
「ウタの目的を推理してくれたのですが、途中で観客たちが暴動を起こしてしまい……すみません、僕たち逃げ出すのが精いっぱいでして」
「バーソロミュー……」
藤丸は拳をぎゅっと握りしめた。
「すみません、僕の説得は失敗してしまいました。……ロビンさん、ウタを倒す方法は分かりましたか?」
コビーは前に進み出ると、ロビンに話しかけた。
「記録によると、『ウタウタの世界』に取り込まれたものは、自分の力で現実に帰ることはできない……絶対に」
ロビンは語尾をわずかに強める。
絶対に無理だと宣告され、この場に集った皆の顔が絶望に包まれた。しかし、ロビンだけは厳しい表情のまま「望みはまだ残っている」と訴えるように言葉を続ける。
「ただし、『ウタウタの実』の能力者がトットムジカを使えば、チャンスは訪れる」
「トットムジカ?」
「古代から続く、人の思いの集合体。寂しさや辛さなど、心に落ちた影。『魔王』とも呼ばれてるわ」
「それは……兵器なんですか?」
藤丸がおそるおそる手を挙げると、ロビンは静かに続けた。
「『触れてはならないモノ』としか読み取れなくて……」
「トットムジカとやらを使ったとき、どんなチャンスが起きる?」
「記録によると、トットムジカを使い、呼び出された魔王はウタワールドだけじゃなく、現実の世界にも姿を現すみたい。そのため、魔王を接点としてウタワールドと現実が繋がってしまうらしいの。そのとき、魔王を2つの世界から同時に攻撃すれば、魔王を倒し、ウタワールドを消すことができる」
現実世界と協力すれば、ウタワールドを消すことができる。
ロビンの言葉に希望を感じたのか、ブリュレが嬉しそうに「本当かい?」と詰め寄った。そんな妹に向かって、オーブンも腕を組んだ。
「上手くいったことがあるから、記録として残したんだろ。やってみるしかねェ」
「でも、現実の世界じゃ、誰がウタ様を攻撃するんだべ?」
「おれたち全員、『ウタウタの世界』にいる」
ヘルメッポが表情を暗くしながら考え始めた。
「現実世界のウタを攻撃できるとしたら、海軍かサイファーポールくらい――……」
「無理です」
ところが、コビーが冷静に告げる。
「一般市民を傷つける恐れがある以上、海軍は手を出せません。……藤丸さん、あなたの仲間にお願いできますか?」
「どうだろう……?」
藤丸は考え込んでしまった。
「攻撃はできるけど、タイミングを合わせるのが難しいと思う」
この世界にレイシフトできるのは、ボイジャーのみ。
トリスメギストスⅡの演算結果に抗い、ドレイクやコロンブスを連れてきたとしても、同時攻撃のタイミングを計ることが極めて難しいことは明らかだった。
「マーリンが戻ってきてくれたら、千里眼で現実世界を透視してくれるかもしれないけど、それを現実世界側に伝える手段がない」
「解毒薬はどうです?」
「まだなにも……」
カルデアの医療系サーヴァントの腕を疑うわけではないが、解毒薬が完成したとしても、投与が間に合わなかったら永遠に閉じ込められてしまうのだ。
そもそも、解毒薬ができるまで、カルデアからの増援は望めない。こちらからカルデアに呼びかける手段はなく、マーリンを待つことしかできないのだ。
「……別の方法を探りましょう」
コビーが諦めるように言った、そのときだった。
「1人いる」
聞きなれない声が口を挟んだ。
声の方に目を向ければ、森の奥から車いすの老人が現れるところだった。足が悪いのか、可愛らしい白い熊が牽引している。
「キャプテーン!!」
白熊はローを見るなり、可愛らしい声で鳴いた。
「ベポ? あれが?」
「縮んでやがる……?」
サンジと黒髭がぽかんっとしていた。
「それに、誰だ? あのおっさん?」
「ウタ様の育ての親、ゴードンさんだべ!」
バルトロメロが男の代わりに答えた。
「マスター、マスター!」
ちょいちょいっと黒髭が小声で呼びかけてくる。
「黒髭、どうしたの?」
藤丸が耳を貸すと、黒髭は声を潜めて囁きかけてきた。
「あのおっさん、絶対に黒幕でござるよ。声もうさんくさいし見た目も怪しげだし育ての親とかいういかにもな設定……他はみんな原作キャラなのに、あいつだけ初登場。アニオリや映画の黒幕がこれ以上ぴったりくるキャラはいねぇって」
「設定だけ聞けば、それはそうだけど……」
「育ての親って立場を利用して、赤髪の娘に洗脳教育をしていたとかありえそうじゃね?」
黒髭に指摘され、藤丸もゴードンをじろじろと見つめた。
「育ての親であることを利用し、『ウタウタの実』の使い手であるウタを洗脳して無理やり『新時代』とやらを作らせようとしている」と言われてみれば、そんな気もしてくる見た目である。
「まずは話を聞いてみないと……」
藤丸が囁き返すと、ゴードンの前まで歩んでいった。
「ゴードンさん、1人いるとは?」
「……シャンクスだ」
ゴードンは軽くうつむいて、短く答えた。
「シャンクスが来れば、現実世界のウタを止めてくれるはずだ」
藤丸は息をのんだ。藤丸だけでない。「四皇」の名を聞いて、その場にいた誰もが息をのむ。ただ、ルフィだけが普段と変わらぬ様子で聞き返すのだった。
「おっさん。シャンクスとウタに、やっぱりなにかあったのか?」
「それは……それ、は……」
ゴードンは苦しそうに呟くと、そのまま押し黙ってしまった。
その沈黙が答えである。
シャンクスとウタの間には、なにか事情があったのだ。それを補足するように、コビーが「そういえば」と口を開いた。
「バーソロミューさんが聞きだしていました。ウタがシャンクスに会いたいのではないかって」
「おっさん! 本当なのか?」
ルフィはゴードンの表情をじっと見つめる。そして、次の瞬間、突然走り出した。ゴードンの横をすり抜け、ライブ会場の方へと走り出す。
「やばいべ! ウタ様のとこへ行ったんだべ! まだ勝てねーのに!」
バルトロメロはうろたえるも、麦わらの一味はルフィの突然の行動には慣れっこのように笑うのだった。
「止めたって無駄だ、うちの船長は」
「どっちみち時間がねーんだ。おれたちも行って、カタをつけちまおう」
「でも、どうやって?」
コビーが首を傾げた。
「同時攻撃が必要っていうなら、こっちはひたすら攻め続ければいい。現実世界で攻撃が始まり、こっちとタイミングが合うまでな」
ゾロがさらっと言ったことに、コビーと藤丸は目を合わせた。
不測の事態にも完全に絶望することもなく立ち止まることもない。まったく動じた様子を見せない麦わらの一味に、バルトロメロが感極まって叫ぶのだった。
「ビビってたおれァ、なさけねェ! 麦わらの一味の皆さんがいれば、負ける気もしねェべ!」
「やるしかないのぉ!」
ジンベエが喝を入れ、ナミも大きく頷いている。それから、ナミは「ところで、これは……なに?」とウタによって姿を変えられたブルーノに気づき、ブルーノが「今さらか」と突っ込みを入れるのだった。
「……すごいな、さすが麦わらの一味だ」
藤丸は彼らの様子を見たあと、もう一度――ゴードンと向き合う。
「ゴードンさん、トットムジカはどうやって出現させるか知ってますか?」
「……『ウタウタの実』の能力者が歌えば現れる」
ゴードンは言葉を絞り出すように答えてくれた。
「ウタはその歌を覚えてるってこと?」
「楽譜があるんだ。城の奥深くに封印していた楽譜が……だが、いまは……」
ゴードンは再び押し黙ってしまった。
「ウタが持ってる?」
ゴードンは唇を固く結んだまま、重々しく頷いた。それを聞いた黒髭が、いけ好かないように鼻を鳴らす。
「封印してた楽譜ねぇ……なーんで処分しなかったのか気になるところですなー」
「処分などできるはずもない!!」
ゴードンが腹の底から出した大声で、この場にいる全員が振り返った。あまりにも大きな声に、黒髭も目を丸くしてしまう。
「音楽を愛する者として、トットムジカの楽譜を捨てることなどできない……! 捨てなければならなかったのに、できなかったんだ……!」
ゴードンのサングラスの奥の悲痛な瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
「すべては……私がいけないんだ。あの子に……ウタにトットムジカを使わせるわけにはいけないのに、私は……私は……!!」
「ゴードンさん、おちついて!」
「私がもっとしっかりしていればよかったんだ……! ウタはトットムジカの楽譜を見つけてしまった……黄金の杯と一緒に……!」
「黄金の杯!?」
今度は、藤丸が大声を出す番だった。
「聖杯ですか!?」
「なんて呼ぶのかはわからない……1年ほど前、私が見つけたんだ。だが……いまは、ウタの手に……」
藤丸はそれだけ聞くと、すぐに黒髭に叫んだ。
「黒髭! ルフィさんを追いかけて!!」
「承知っ!!」
黒髭は藤丸の言葉を聞くと、すぐにルフィのあとを追いかける。
「藤丸さん、聖杯とは?」
コビーが真剣なまなざしを受け、藤丸は一瞬ためらった。マーリンの忠告が脳裏を過るが、いまはそんなこと言っている場合ではない。
「おそらく、この特異点――今回の事件の引き金になった聖遺物だと思います。俺たちは、それを回収するために来たんです」
所有者の願いを叶える黄金の杯。
現在はウタの手の中にある。
彼女が聖杯に願うのは、新時代への希望かそれとも破滅への道程か。
ウタに残された時間は、残り1時間……。