海は空よりも少し濃い青色をたたえて、静かに揺れている。
藤丸は甲板で潮風を感じていると、足元に何かが近づいてくる気配がした。
「フォウ!」
「フォウ君、どうしたの?」
目線を下げれば、白いリスのような小動物がちょこんと座っていた。この動物の名前はフォウ。詳細は省くが、カルデアに住み着いている一風変わった小動物である。今回も、いつのまにかレイシフトについてきてしまっていたようだ。
「フォウ、フォウ!」
「うん、いい風だね……そろそろ、エレジアって島に到着する頃じゃないかな」
周囲を見渡せば、いくつかの船の姿があった。クラゲの海賊団みたいに船を襲うこともせず、行儀よく同じ方向へと帆を進めている。ひとつひとつの船に直接尋ねてはいないが、藤丸たちと同じ目的地を目指しているに違いない。
「エレジア……! ああ待ち遠しい! 理想のメカクレ歌姫! U・T・A!」
そんな藤丸の隣で、バーソロミューが新たな出会いを待ちわびていた。彼の手には、クラゲ海賊団から
「いい歌だね……でも、本当に歌姫さんがメカクレかどうかは分からないよ」
「メカクレだとも! ほら、この公式グッズに描かれている少女……っん、いい!」
バーソロミューは顔を赤らめながら、これもクラゲ海賊団から
ある意味、このメカクレ少女の存在が先のクラゲ海賊団の命運を分けたともいえる。
突然襲ってきたクラゲの海賊団を返り討ちにし、この世界の情報を聞き出してから一夜。
黒髭を「黒ひげティーチ」だと勘違いさせたままの尋問だったので、クラゲ海賊団の面々は戦々恐々の面持ちであった。恐怖故か、聞かれたこと以上にぺらぺらとなんでも答えてくれたのは良かったのだが、声をかけると白目をむいて気絶したり、小便をちびってしまったりした船員もおり、藤丸はなんだか悪いことをしている気分になった。
『お願いします! この船で一番価値のある物を差し出すので、命だけは奪わないでください!』
そんななか、海賊団の船長が平伏しながら、涙ながらに差し出してきたのが三枚のプレミアチケット――音楽の島「エレジア」で開催される世界中を熱狂させる歌姫「ウタ」の初ライブのチケットであった。
『ライブチケット~? 俺たちに遊んでいる暇などない。とっととカルデアに帰って、俺は寝るんだ!』
イアソンは非常に不服であったが、これに飛びついたのはなにを隠そうバーソロミュー・ロバーツである。当初は静観していた彼だったが、歌姫がメカクレと知った途端、目を輝かせて飛びついたのである。
『メカクレ歌姫のライブ! マスター、ぜひ行こう! すぐに出発だ! ライブに遅れていくわけにはいかないからね!』
いますぐにでも自身の船を出発させようとするほどの圧倒的熱意に負け、ウタのチケットや関連グッズ、エレジアを示した
「だけど、本当にいい歌声……」
リズミカルに奏でられる歌声を聞き入ってしまう。
カルデアにも歌うことが好きな英霊は何人かいるが、彼女たちと比べても頭一つ分抜けている。船の桟で肘をつきながら、ずっと聴いていたいような心地よさを感じた。
「でも、原作に歌姫なんて登場してたっけ?」
足元のフォウをなでながら、同じくぼんやり海を眺める黒髭に問いかけた。
「俺、覚えてないけど」
「拙者の知る限りいないですな。ですが、映画のオリキャラにいたようないなかったような……はぁ」
黒髭は、がっくし頭を垂れる。
「『原作知識で無双チート! 巨乳ハーレムが築けてたけど、俺なんかやっちゃいましたか?』って展開期待してたのに! ルフィが五番目の皇帝って……! ビッグマム海賊団倒したあとって……!! 拙者、そんな展開知らねぇんだけど!!」
「びっくりだよね」
藤丸も力なく笑うことしかできなかった。
クラゲ海賊団の情報が確かであれば、現在は自分たちの知る物語より未来の話になる。黒髭が読んでいた単行本時点ではルフィが「五皇」など呼ばれていなかったらしい。
黒髭は一晩中、展開を読む楽しみが奪われたことを嘆いていた。
「ルフィたち、新世界のどこにいるんだろう……?」
実のところ、藤丸は最新話まで読んでいなかった。
子どもの頃はアニメに夢中だったが気がつけば追わなくなり、カルデアに来てから黒髭に布教され、先日ようやく頂上戦争編まで読み終わったばかり。その先の巻をもっと早くに借りておけばよかった、と今さらながら後悔する。
ルフィたちは仲間と再会して、魚人島に到着したのだろうか?
新世界で、どれほど楽しく愉快で興奮する冒険を繰り広げているのだろうか……?
「見たまえ、マスター! 島だ!」
藤丸がルフィたちの冒険に思いを馳せていると、バーソロミューの弾んだ声が船内に響く。バーソロミューは純粋な少年のように目を輝かせながら、遠くに立ち込める霧のなかに薄っすら浮かぶ島影を指さした。
「あれがエレジア?」
「周りの船もあの島を目指しているうえに、コンパスも一致している。おい、黒髭。もう少し船の速度は上げられないのか?」
「最大出力ですー! 文句を言う暇があるなら、操船手伝えっての!」
黒髭の努力もあり、「アン女王の復讐号」は周りに並走する船よりもやや速度が速い。見る見る間に島の全貌が見えてきた。エレジアという島がどのようなところか詳しく知らないが、ワンピース世界の島であることには間違いなかった。
「春島かな? 夏島かな?」
「そもそも、『偉大なる航路』かどうかも分からんですぞ……ん? 拙者、なんでそんな重要なことを聞かなかったんだっけ?」
「バーソロミューの暴走の結果です」
藤丸は諦観した様子で答える。
尋問の末、ここが藤丸たちの知る時点より後の世界だということまではつかめたのだが、具体的な現在地を聞く前に「メカクレ歌姫」についての話になってしまったのである。
なお、バーソロミューには罪悪感の欠片もないらしい。
「細かいことは気にしない。エレジアに到着して、ライブを堪能してから現在地を照合すればいいだけのこと。ライブ会場の客に聞き込みをするのもいい」
「それはそうかもしれないけど……あ……」
と、ここで、藤丸は気づいてしまった。
「そういえば、チケット……3枚しかないね」
クラゲ海賊団から受け取ったチケットは3枚。
しかし、この船にいるのは、藤丸含め4人。フォウを入れれば、5枚必要になる。
「いやいや、マスター。ライブ会場にペット同伴はご法度でござるよ」
「フォウ!」
ペット扱いに異議があるのか、フォウは黒髭に勢いよくタックルをかました。向う脛に攻撃を受け、黒髭は悲鳴と共にその場にうずくまる。
「私が行くことは確定しているだろう? マスターも決まりだ」
バーソロミューは痛みにうめく黒髭の方をまったく見向きもせず、エレジアに視線を向けたまま言いきった。
「まあ……バーソロミューが行くことは確定してるとして、俺もいいの? 留守番は平気だけど?」
「まがりなりにも、いまの私はサーヴァント。マスターだけ船に置き去りにして、自分だけライブを楽しむことなどできないからね。万が一、マスターの身に何かあったら困る。そうすると、居残るのは――」
「拙者! 拙者も同伴しますぞ!!」
黒髭が向う脛をさすりながら、元気よく右手を上げる。
「全87巻すべて読了済み! ワンピースに対する熱意・知識量ともに、カルデアに召喚されたサーヴァントにおいてトップ! 万が一、不測の事態が起きたとしても、この世界の知識を踏まえて、慌てず冷静に対処できること間違いなし! 天竜人と遭遇したとしても、拙者なら安全に切り抜けられることを保証しますぞ!」
「いや、天竜人は下界のライブに来ないでしょ」
藤丸が苦言を呈すると、黒髭はちっちっと指を振った。
「分かりませんぞ? チャルロス聖あたりが『ウタちゃん可愛いんだえ~、決めたえ~、連れて帰って子守唄歌わせるだえ~』とか言って乗り込んでこないとも限りませんぞ~」
「ははは、メカクレでない限り、歌姫のライブを邪魔する不届きものは撃鉄をあげるから心配ないさ」
「ほら、こうなったときのメカクレフェチを止める役目に拙者は必要不可欠。拙者を連れていけば万事うまくいくこと間違いなし!」
「……たしかに」
天竜人が来るわけないと思うが、危ない海賊が紛れ込んでいる可能性は考えられなくもない。
それに、藤丸自身の知識は「麦わらの一味」の2年前の冒険で止まっているのだ。この2年で更新されたことや付け足された設定、キャラクターを知らずにのほほんとライブを楽しんだ結果、重大なことに気づかずじまいということは避けたい。
「……そうだね、黒髭がいたほうがいいかも」
「となると、この私が留守番か」
イアソンが若干不服の声を上げる。
「イアソンもライブに行きたい?」
「ハッ! まさか! サボれるいい機会だ。船で悠々と休ませてもらおう!」
イアソンは笑い飛ばしたが、藤丸は知っていた。イアソンはなにかと理由をつけて船室に戻らず、バーソロミューの持つ音貝から流れる歌声をずっと聴いていることを。「ウタ」の歌声が彼の琴線に触れているらしい。
「ごめんね。お土産、買ってくるから」
「ふん、せいぜい期待外れのない土産を持ってこい」
「了解! って、言ったけど、俺、この世界の金持ってないや」
「デュフフ、軍資金なら心配いらず」
黒髭が懐から札束のつまった布袋を取り出す。
さすがは抜け目のない大海賊である。藤丸は札束を見つめ、ひゅうっと口笛を吹いた。
「凄いな! このデザイン、アニメや漫画で見た通りだ!」
札束のデザインに感心してしまう。
詳細に覚えていたわけではないが、なるほど、たしかにあの世界で使われていた紙幣である。
「本当にワンピースの世界なんだ……でも、そういうことってありえるの? ここ、特異点じゃなかったっけ?」
人類史に「黒髭ティーチ」は存在するも、「ヤミヤミの能力者 黒ひげティーチ」は存在しない。1から作り出された創作上の人物なのだ。藤丸がいま手にしている紙幣は本来の人類史に存在しない。創作物の世界にしかないものなのだ。
完全に創作上の人物が幻霊として召喚された例には心当たりあるが、完全に創作の世界が特異点となるとは、にわかに信じられなかった。
「んー、細かく考えなくていいんじゃね?」
「……そうだね」
藤丸は深く考えないことにした。
いずれにせよ、カルデアとの通信が復活すれば、この世界に関する情報が明らかになるだろう。
※
海上に設置されたライブ会場は、人々の熱気に包まれていた。
あちらこちらに食べ物の屋台が並び、巨大な物販ブースではオリジナルグッズが次々と完売している。
「マスター、あっちに並んでおいてくれないかい? あー、駄目だ、完売の札が上がった。残念……!」
「ペンライトは手に入ったからよかったじゃん。それより、あの肉! まさに、ワンピースって感じの骨付き肉だよ!?」
バーベキューで焼かれた特大骨付き肉は火に炙られ、肉汁がじゅわりと音を立てる。
「一本、買っていい? ねぇ、一本だけ!」
「いまから買ったら、ライブの邪魔になるでしょーが! メカクレ魔神、お前も急げ! ライブ、始まるぞ!」
黒髭が2人の首ねっこをつかみながら、チケットに示された席へと急ぐ。席といっても、具体的な座席が用意されているわけではない。だいたいこのあたりとブロックに分かれているような感じである。なので、遅く行った者たちに残されたスペースはお世辞にも見えやすいとはいえなかった。
「ぐぬぬ、これはうちわが無駄になるパターン? いや、ワンちゃんいけるか?」
黒髭はそう言いながら、うちわを取り出した。うちわには表裏それぞれご丁寧に「UTA♡」「ファンサして」と書かれている。
「作ったの!?」
「デュフフ、せっかくだし、ライブ楽しみてぇーじゃん? って、バーソロ、そんな冷たい眼はやめてくだちい。応援グッズ規定範囲内に収まってくることは入り口で確認済みだっての」
「もちろん、心配はしてないさ。万が一にも違反してようものなら、物理的に退場させるから問題ない」
バーソロミューはそう言いながら6本のペンライトを構えた。
クラゲ海賊団から奪ったUTAと描かれた応援ハチマチをつけ、服全体に公式缶バッジで華麗にコーディネートしているところは、どう見ても海賊というよりメカクレ歌姫「ウタ」の熱烈なファンそのものだ。
「2人とも、落ち着いて。そろそろ始まるよ」
3人はステージに目を向ける。
人々の歓声に迎えられ、赤と白の髪の少女がゆっくりとステージ上に姿を現す。
ウタだ、と誰かがため息を漏らした。
すうっと息を吸う音をマイクが拾い、ウタはまっすぐ前を見据えたまま歌い始めた。
「……かっこいい……!」
藤丸の口から言葉がこぼれる。
それはバーソロミューが奪った音貝から流れていた代表曲だった。その歌声は音貝よりも力強く、魂ごと惹きこまれそうな強い魅力を感じてならない。
バンドの奏でるエレクトロ調のサウンドとともに、生身とはとても思えない重厚な歌声が会場を支配する。
「――!」
ウタは客席を埋め尽くす観客一人一人にむけて、丁寧に、鮮やかに歌声を紡いでいく。まるで、新しい世界を願い人々に希望をもたらすような力強い旋律が伸びやかなウタの歌声と一体となって、聞く者の心を掘り起こす。
藤丸たちは知らなかったが、彼女の歌声は映像電伝虫を通して、全世界に同時配信されていた。
世界中の人々が、ウタの声に耳を傾けていた。
音楽に救われたいと願う人々は、世界中にいるからだ。
そして、会場から少し離れた場所でも、一人の男がウタの声を聞いていた。
肩まで伸ばした色素の薄い縮れ髪にサングラス姿の男は、会場から漏れ聞こえてくる歓声に耳を澄ませている。
彼はぎりっと奥歯を噛みしめる。
まるで、ライブをよく思っていないかのように。
※黒髭のワンピースの知識について
FGOの世界線だと2017年12月26日には(ホームズを除く)サーヴァントがすべて退去しているので、そのときまでの知識になります。次に彷徨海で召喚されたときには地球が漂白されているので、88巻以降の展開については知るはずがないと考えました。