サクラアスラン:単勝 測定不能
「よーし、2人とも準備運動は済んだな?位置につけー」
沖野トレーナーの声が響く。
ゆ、憂鬱だ…
一応怪我は怖いのでアップはしっかりやったが、正直現実逃避のためにやった、の方が近い。
既に薄暮の状態であり、レース場にはスピカしかいないが、寮へ向かう生徒達からちらちらと見られている。
大きなため息をつき、グロッキーな状態でスタートラインにつく。
するとそんな俺の状態を知ってか知らずか、テイオーが不敵な笑みを浮かべ、あることを言い出す。
「そんなに気落ちしなくていいよー今回キミには
「…え?マジで言ってます?」
「それぐらいないと勝負にならないでしょー」
ニシシと歯を見せて笑うテイオー。
こいつマジで言ってんのか。
人間の10秒と競走馬の10秒は訳が違う。
例えば「後ろからはなんにも来ない」の実況で有名な1975年の桜花賞。
1着テスコガビーと2着ジョーケンプトンの着差は10馬身以上の大差であったが、この時でも1.6秒差であった。
いくらデビュー前の新馬と少し前まで現役の優駿とはいえやりすぎじゃ…?
というか10秒ないと勝負にすらならないのか…
改めて今目の前にいる少女が稀代の名馬なのだと実感する。
(…だが10秒あれば…!)
そんな思いが芽生え、後ろ向きな気持ちを晴らす。
「分かりました。その余裕が蛇足であったことを示してみせます。」
「言うねー!負けないぞー!」
改めてスタートラインにつく。
「用意…はじめ!」
手が下ろされるのと同時に駆け出す。
「良いスタートダッシュじゃない!」
ダイワスカーレットが思わず声をあげる。
とにかく前だ。
10秒分のアドバンテージをとにかく広げる!
そしてコーナーを抜け、向こう正面の直線に出たらへんで「スタート!」と沖野トレーナーの声がかすかに聞こえた。
その瞬間。
風の音が変わった。
かなり離したはずなのに…!?
次第に風を切る音が大きくなる。
俺がペースを速めたのもあるが…明らかにそれだけじゃない。
風切り音が
そのまま最終コーナーにさしかかり、6のハロン棒を過ぎる。
所謂上がり3ハロンのスタートだ。
この状態でいけるか…っ!?
身体を内ラチ側に傾け、勢いを失わないようカーブを曲がる。
(コーナーが終わる2ハロン手前…いっぱいいっぱいだがスパートをかけるしかない!)
そしてスパートに向け、
そんな様子をトウカイテイオーは極めて冷静に観察していた。
実はサクラアスランには本人にも気付いていない癖がある。
アスランは左足を骨折したため、担当医や理学療法士から『左足に負荷をかけない』よう厳命されている。
それはトレーニングやレースの時も変わらない。
そのためスタートダッシュやスパートでは必ず
そしてそれをアスランは意識して行なっている。
その結果
右足で踏み込むタイミングを合わせるため、一瞬だけスピードと勢いが落ちるのだ。
テイオーは昨日のゲート体験とさっきのスタートダッシュを見て、それを見抜いていた。
(今だ!)
俺はしっかり右足に力を入れ、スパートをかける。
「フフッ」という声がした気がした。
ぞくりと得体の知れない悪寒が襲う。
思わずバッと後ろを見ようと顔を横に向けた瞬間。
「おっ先!」
とテイオーと目が合い。
そのまま抜き去って行った。
瞬きをする度に前を行くテイオーの姿が小さくなる。
(格が違う…)
気付けば俺はテイオーに5馬身差をつけられゴール板を通過した。
息が苦しく、膝に手をついてその場に立ち止まる。
「立ち止まるな!歩きながら息を整えろ!」
そう沖野トレーナーから指示が飛び、言われた通りに行なう。
落ち着いたところでトレーナーやスピカのいる所に戻った。
「お疲れ。足に違和感とかはないか?」
「い、いえ…大丈夫です…」
アイシングのスプレーを持ったトレーナーが声を掛ける。
スピカのメンバー達から口々にねぎらいの声を貰う。
ウマ娘になって初めての敗北を経験した。
相手がテイオーだったからか、それとも全力以上の力を出し切ったからか。
不思議と清々しく、そしてウマ娘の闘争本能…いや競争本能とでも言うべきか。
沸々とアツいものがこみ上げてくる。
「もう1本…もう1本願います!」
疲れはとうに失せ、心が燃え上がるような感覚を覚える。
「おっホント?よーし次はボクも本気出しちゃうもんニ!」
「ストップ。そこまでだ2人とも。」
沖野トレーナーが水を差す。
「ええーなんでさー」
「少しは体力を考えろテイオー。それに。」
沖野トレーナーがこちらを向く。
「お前は大怪我を経験しているうえ、本格化もまだと見える。無理なオーバーワークは禁物だ。」
そう言われ、ようやく自分が『掛かり』の状態であったことに気付く。
「と、言うわけで今日はここまでだ!みんなお疲れ様!」
「わーいボクの勝ちだー!」
そう言ってテイオーが近づき、手を差し伸べる。
「約束通りスピカに入ってもらうよ!いいよね?」
俺はその手をじっと見つめる。
「…いつか。」
「ん?」
「経験を積んで強くなったら、もう一度勝負してもらえますか?」
「もっちろん!!!」
俺は中身一般人の転生者だ。
史実の名馬たちに敵うとは今でも思っていない。
でも
実馬における父親であるトウカイテイオーに
『勝ちたい』と思ってしまった。
そしてテイオーの手を取る。
「…サクラアスランです。ここで、このチームで強くなりたいです!」
トレーナーやスピカのメンバーから笑顔が綻ぶ。
テイオーも満面の笑みを浮かべる。
「これからよろしく!アスラン!」
こうして俺―サクラアスランは
チームスピカへの加入を決めた。
おまけ
もしもこのレースに祖父と親戚がいたら
1番 ルドルフ「勝たせてもらう」
2番 シリウス「ハッ、寝言は寝て言いな」
3番 テイオー「よーし負けないぞー!」
出走取消 アスラン
アスラン「レース走ってる場合じゃねえ!1-3-2の三連単や!」