ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな) 作:愉快な笛吹きさん
『さあ、本バ場入場です!』
本番を知らせるアナウンスが流れたのを合図に、地下バ道からコースに進み出る。
夜間照明に照らされ、仄かに白く光るダートの土を踏んだ瞬間、前走とは比較にならない歓声が響き渡った。
芝ほどの規模は流石にないものの、それでもGⅠはGⅠ、観客も選手も熱量からして全く違う。
ぞくぞくと、心が打ち震えていた。
「いよいよだね……ラベルさん、リッキーちゃん」
隣にいるファル子さんがきゅっと口を引き締めて、こちらを向いた。
うん、と反対側にいたコパノリッキーさんが返事をする。
「ここまできたら皆ライバルだもんね。二人には絶対負けないよっ☆」
「ええ、よろしくお願いします」
互いに宣戦布告をすると、それぞれの番号のゲートを目指してばらけていく。
そのタイミングを見計らっていたのだろう。例のハートシーザーさんが背後から近付き声をかけてきた。
「どうやらあの中じゃアンタがリーダーみたいだね。動画サイトでデビュー戦の走りを見たよ」
「そうですか。それで?」
「あたいも脚質は逃げでね。今日は徹底的にマークしてやるから覚悟しときな」
「そうですか……ですが無理をなさらずご自分のペースで走られた方がいいですよ」
煽りではなく純粋に相手を慮っての発言だったのだが、どうにも伝わらなかったらしい。舐めんなよとばかりにガンを飛ばされると、肩を怒らせながら去っていった。
(さて……)
ゲートに入ると、早速いつものルーティンを行う。良バ場で砂がさらりとしているため、前走より深めに掘り下げ、念入りに踏み固めた。
呼吸を整えつつ、もう一度トレーナーさんから伝えられた内容を確認する。
ハートシーザーさんは勘違いしていたが、私の脚質は別に逃げ一択ではない。やろうと思えば先行や差しもいけるのだが、そのうえで今回も逃げを選択した。
その理由はやはりファル子さんの前走動画を見たことが大きいだろう。逃げの申し子のようなレース運びに加え、スパートで更に伸びていくという冗談じみた足を持つ彼女を好きにさせるのは危険過ぎる。
コパノリッキーさんも逃げだったが、こちらは後半までに稼いだリードをどうにか守りきらんとするオーソドックスな感じだったので、やはり危険度はファル子さんの方に軍配が上がる。
『――って感じだけどリッキーのトレーナーが寺本だからな。あいつがその辺のことをわかってないはずがないし、もしかしたら何か仕掛けてくるかもしれない』
そう語っていたトレーナーさんの見たてを参考に、プランを組み立てる。基本はファル子さんをノセないようマークしつつ、コパノリッキーさんの動きにも注意する。また宣言通りであればハートシーザーさんが競りかける可能性あり、と。
「……なら、ぶつけてしまいましょうか」
ちら、と内側を見ながら静かに笑みを零した。
がしゃこん、と音がした瞬間、前に出る。川崎は軽めの砂だとはトレーナーさんから聞いているものの、やはり芝ほどではない。加速に関してはどうしても鈍くなってしまう。
ちらりと横を見れば、やはり好スタートをきったファル子さんが気持ちのいい走りを見せていた。
スタート地点から最初のコーナーまでの距離は約500m。一周1200mという小ぶりのコースのためにコーナーでは半径が小さく速度を上げにくい。
そのためまずはこのタイミングでハナを奪う必要があった。この一ヶ月、『忍者が水面の上を走る感じだ』と繰り返し教えこまれたフォームとそれに応じた筋トレの効果を信じて走る。
(よし)
1バ身ほどの差ではあったが、どうにかハナを奪ったままコーナーに取り付けた。しっかりとインを閉めながら速度を落とす。
それまでとはうってかわったスローペースになったことで後続との差が徐々に縮まってきた。
そして、
「追いついた。さあ勝負といこうじゃないか!」
向正面に入った途端、外から上がってきたハートシーザーさんが私の右肩後ろに貼り付いた。掛からせたいのか挑発的な言葉と闘志を浴びせてくるものの、生憎この程度のやり取りは学生時代に散々経験済みだ。
すっかりお上品になったなあと思うくらいだが、他の娘にとってはそうでもないだろう。
「うう〜、っしゃしゃしゃーいっ!」
コーナーからずっと蓋をされ、更に外からも煽られたことで、流石のファル子さんもイライラしてきたらしい。
良い感じにヒートアップしてきたところで、突如ペースを本来のものに戻した。
「なっ?」
「あっ! よーし!」
いきなりの加速にファル子さんはついてきたものの、ハートシーザーさんの対応が遅れた。
横の蓋が無くなったファル子さんが今度は外からまくろうとするも、並びかけたところで再びコーナーへ突入する。
「くうっ!」
事前に速度を上げていたせいで、ファル子さんがやや外に膨らんでしまった。
すぐに戻ろうとしたものの、再び追いすがってきたハートシーザーさんが私の右肩に張り付いたため、そのまま大外を回らざるを得なくなる。
「はっ、はあっ……まだまだだよ!」
気炎を吐くハートシーザーさんだが、追いつくために無茶をしたのだろう、かなり息が乱れていた。自分の思い通りに走れないうえに大外を走らされる羽目になったファル子さんも辛いところだろう。
二人ともいい感じに削ったところで機は熟した。あとは進撃するのみだ。
「ふっ!」
最終コーナーに差し掛かると同時、残った足を開放する。ここに来て再び加速する私に、かたや距離損と集中力の欠如、かたやスタミナ不足の理由から反応することができない。
二人を振りほどいて直線へ。やや外に膨れつつ、あとは悠々なだれ込むだけだと思ったその時、背後からプレッシャーを感じた。
ここまで全く動向がわからなかったコパノリッキーさんが、いつの間にか上がってきていたのだ。
「巒頭よし理氣よし! 場は整った! いくよ! ラベルさんっ!」
「あー先行できたか」
ゲートが開き、真っ先に飛び出したのはたづなさんとファル子だった。その後ろにスケバンウマ娘のハートシーザー。ここまでが先頭集団。
マイルとはいえ三人とも序盤の弾みをつけやすいようで、先行の集団とはやや隙間ができている。
デビュー戦で逃げを決めたリッキーは、今回は先行集団の先頭と二番手をうろうろしていた。特に出遅れた素振りもなかったので指示通りということだろう。
「で、そのココロは?」
スタンドにかじり付き、頑張れファル子ー! と熱い声援を送る小崎を微笑ましく思いながら、隣の寺本に訊ねる。
「本人が最も走りやすそうな環境を整えた。周囲がごちゃごちゃしていると風水……というよりは自身のポテンシャルを発揮しにくい傾向があるからな。たづなさんとファル子の叩き合いに巻き込まれないように言付けておいた」
「なるほどな」
「あのレディースウマ娘まで加わるのは想定外だったがな……まあこちらにとっては好都合だ。やり合って疲れているところを鉄砲玉のようにカチ込んで来いと言って送り出してきた」
「言い方」
いちいち言葉のチョイスが物騒な友人に突っ込むとレースに集中する。舞台は既に第三コーナー。たづなさんが仕掛けた先頭集団のチェンジオブペースに巻き込まれることもなく気ままに走っていたリッキーが、ここに来て勢い付いてきた。
まさに鉄砲玉の如くコーナーを疾駆すると、龍がうねるようなコース取りでファル子たちを追い抜く。そのまま最終コーナー出口で僅かに膨れたたづなさんの内をつくと、最後は直線での勝負になった。
歯を食いしばりながら必死に競り合う二人。だがこの時点で勝利は確信した。予想通り最後の最後でリッキーが僅かに失速したのだ。
そうして広がった1バ身差をつけて、たづなさんが一着でゴール板を駆け抜けた。
二着はリッキー、ハートシーザーと最後までもみ合ったファル子がハナ差で三着という、中央側の完全勝利だった。
「はあっ、はあっ……」
オーロラビジョンに表示された結果を見て眉をしかめる。
ラストの直線――それまで足を温存していたぶん、確かに私の方が有利だったはずだ。
あらためて振り返っても巒頭、理氣に問題は無い。だけど最後の最後に、何故か膨れ上がった土の氣が私の足を阻んだ。
「お疲れ様です。良いレースをありがとうございました」
舞い上がった土煙の埃を拭いながら、ラベルさんが隣にやってきた。初のGⅠを獲ったはずなのにレース前と全く変わらない雰囲気は、まさに王者の風格といえるのかもしれない。
「うん、こちらこそ! あーでも悔しいなあ。絶対いけると思ったのに、何が足りなかったんだろう?」
「足りなかったわけではないですよ。リッキーさんの言葉を借りるのなら、まさに環境が差を分けたんです」
「それってどういうことかな?」
観客へのアピールを一通り済ませたファル子さんも話に加わってきた。「トレーナーさんの受け売りですが――」と前置きして、ラベルさんが説明を始める。
「こういう地方のレース場は小回りのために外から追い抜きにくく、内に入った側が有利になる単調なレースになることが予想されますよね?」
「うんうん」
「ですのでそれを防ぐために内側の砂をわざと厚くしているそうです。トレセン学園の練習コースは全て均一にしているとのことなので、その違いがラストの足色に現れたのではないでしょうか?」
なるほどなあと腑に落ちる。あのとき土の氣が膨れ上がった理由をようやく理解することができた。
ということは……
「もしかして……直線の前に外に膨れたのはわざと?」
「ええそうです。ちなみに始まってすぐの直線でもファル子さんは早々に内に詰めていかれましたが、それにも助けられた形でしたね」
以上です、とラベルさんが説明を終えると、ファル子さんと顔を見合わせた。はあ〜と互いにため息を吐く。
揃いも揃って勝てるチャンスはあったはずなのに、それを自ら棒に振ってしまっていたとは。
結果だけみれば、ウイニングライブにも出ることができ、例の恥ずかしいパフォーマンスが何故か会場のお客さんに受けた。名を上げて風水を広めたいという目的はきちんと果たせたはずなのに、悔しい気持ちが胸の底から湧き上がってくる。
と、
「……よう」
レース前とはうってかわった気まずい表情で、ハートシーザーさんがこちらにやってきた。
勝ったら何か言ってやろうと思っていたのに、その雰囲気の変わりっぷりに気が失せてしまう。
「レースお疲れ様でした。私に執着して貴方本来の走りを見られなかったのは少し残念でしたが……」
「……いや、あたいだってわかってる。たとえ本来の走りをしたところでアンタに――いや、アンタらに届いていたかどうか」
伏し目がちになったハートシーザーさんが頭を掻きながら頭を下げる。
「その……悪かったよ。ここに来る奴は毎年大したレベルじゃないって聞いてたからさ。アンタらを見くびってた」
「いえいえ、大丈夫ですよ。そのおかげで勝たせていただきましたので」
「うぐっ……口調は丁寧なのに結構毒吐いてくるね。まあ、これで手打ちにしてくれないかな」
「うん、中庸こそが風水の理だからね。私も水に流すことにするよ! あ、でもファル子さんの腕をはたいたことだけはちゃんと謝ってね」
「そうだったね……アンタとは最後までもつれたけど競り負けちまった。さっきはすまなかったよ。良い根性見せてもらった」
「ありがとっ! シーザーちゃんと走るのすっごく楽しかったよ☆ また一緒にやろうね」
「……ああ、また機会があればよろしく頼むよ、ファル子」
そう言ったのを最後に、ハートシーザーさんが踵を返した。去りながら後ろ手で手を振るさまはレースで負けたからだろうか? 潔さを感じると同時に、少しだけ寂しげな雰囲気も漂っている。
同じことを感じたのだろう。隣にいるラベルさんもどこか気がかりな様子で、小さくなっていく彼女を見つめていた。
「あ、ここにいらっしゃったんですね」
ウイニングライブを終え、彼女を探し求めていると、関係者トイレの手洗い場で無事に見つけることができた。
さっきまで顔を洗っていたのだろう。髪に付いていた水滴がぴちょんと落ちた。洗っていた理由については……目が少し腫れぼったくなっていることから察しはつく。
「アンタか……まだ何か用かい?」
さっきとはまた違う、まるで憑き物が落ちたかのような穏やかな様子で、彼女――ハートシーザーさんが訊ねてきた。
やっぱり、と思う。学生時代にも、秘書になってからも。彼女と同じ顔をしたウマ娘たちを幾度となく見てきた。
半ば確信をもって彼女に問いかける。
「その、もしかしたらと思いまして……今日でレースを引退されるおつもりではないか、と」
そう告げた瞬間、彼女が酷く動揺したのがわかった。
「な、何で……」
「ただの直感です。今の貴方と同じ目をしてきた方を、これまで沢山見てきましたから……」
「そうかい……」
観念したように呟いた彼女が、はあ、と息を吐き出す。
これまで色々と抱えこんでいたのだろう。数秒ほど間を置いた後、自身のことをぽつりぽつりと語り始めた。
曰く、片親で家に経済的余裕が無かったこと。
曰く、走りの才能があったためレースで活躍し、家族の生活を支えようと決心したこと。
曰く、親が倒れて当分入院することになったために、地方トレセン学園の学費が払えなくなったこと。
曰く、一か八かレースで好成績を収めれば退学せずに残れるチャンスがあったこと。
曰く、それが今回のレースだったこと……
「では、レース前に挑発したのも本当は……」
「そ、アンタらの感情を乱して勝ちの目を上げようと企んだのさ。あんまり意味無かったけどね」
「そうだったんですね……」
「ああ……けど、それでアンタが気に病む必要は全くねえからな。全てはあたいの実力が足りなかった。それだけだよ」
顔に出てしまっていたのか、こちらを気遣う素振りを見せたハートシーザーさんが頬を緩める。
「うん! 話したら何だかすっきりしたよ……ま、今後はあたいの分まで勝ってくれ。アンタらが活躍すればするだけ、あたいも鼻を高くしていられるからね」
腰に手を当て、かかっ、と気丈に笑い飛ばすハートシーザーさんにつられて苦笑する。
やはり強い人だな、と思う。だからこそ、こんなところで終わってほしくはない。
「事情はわかりました……では、ちょっとこちらを見ていただけますか?」
引退する理由が経済的事情によるものなら、まだ私にもできることはあった。ジャージのポケットから携帯を取り出すとお目当てのサイトを開き、そっと彼女に手渡す。
表示されているのはURAの公式がほんの数日前にプレスリリースした記事。読み進めていくにつれ、彼女の表情が驚きのものに変わる。
「これ……マジか?」
「ええ。来年度より中央トレセン学園の試験に合格した生徒は、在学中の学費負担が一切不要になります。学園を去った後は当然請求しますが、在学中にレース等で賞金を稼いだ場合はそれをあてがうことも可能です。あとは国や自治体からもウマ娘に向けた新たな給付金が出るとのことなので、そちらもチェックしてみるといいかもしれませんね」
「アンタ……何モンだ? 何でそんなに詳しいんだよ」
まあ普通は学生が熟知しているような内容ではないだろう。訝しむハートシーザーさんに「内緒です」と呟き、話を続ける。
「それで、どうでしょうか? これならハートシーザーさんの事情にも沿える内容かと思いますが」
「あたいが……中央に」
「合格すれば、ですけど。とはいえ今日ほどの走りができるのでしたら全く問題は無いかと思いますよ」
「そうかい……」
それっきり、ハートシーザーさんが押し黙った。いきなり飛び込んできた話だけに、整理する時間も必要なのだろう。
そのまま静かに、彼女の答えを待つ。
「…………夢じゃ、ねえんだよな?」
「はい」
「まだ諦めなくても……いいんだよな?」
「はい」
何度も確認してくる声にその都度首肯する。そうして俯いていた彼女が顔を上げた。
ぎゅっと拳を握りしめながら、声を震わせる。
「あたいは走っても……いいんだよな?」
「はい。また学園でお会いすることを楽しみにしています」
「…………ありがとな」
「どういたしまして」
大粒の涙を浮かべて笑う彼女に、にっこりと微笑んだ。
「それじゃ、ここで解散だな。忘れ物は無いか?」
すっかり夜も更けたトレセン学園の校門前。
トランクを閉めると、車のハザードランプの光に照らされた面々に確認の言葉をかけた。
車中で爆睡していた反動か。「うん大丈夫!」というやたら元気なファル子とリッキーの声が返ってくる。
「今日はしてやられたな……だが次は負けん。首を洗って待っていろ」
「現代日本で使っていいセリフじゃねえよそれ」
眼光鋭く口ずさんだ友人にひやひやしていると、小崎が次いで口を開く。
「今日はありがとうございます。段取りのこと、本当に色々と勉強になりました」
「いえいえ、どういたしまして」
新人の仕事だとばかりにぺこりと頭を下げる小崎。とはいえその相手がたづなさんであることに、背後のファル子たちが苦笑いを浮かべている。
「うーん……ファル子のために勉強してくれているのはありがたいんだけどなあ〜」
「先生役がラベルさんっていうのはちょっと複雑だよねえ」
そんな言葉で締め括ると、最後は手を振って四人を見送る。
気配が消え、たづなさんと二人きりになると、ふうと息を吐いた。
「ようやく終わったな……で、どうする? 良かったら家の近くまで送っていくけど」
「よろしいんですか。ならお言葉に甘えさせていただきますね。ちなみに送り狼になる可能性とかは?」
「深酒や変な薬物でも摂取しない限りは大丈夫かな。というかウマ娘相手に狼とか無理だろ」
「え……」
「いやそんなショック受けなくても。単に普通に力負けするから不可能だろって話なんだが」
「あっ……そ、そうですよね」
勘違いを認め、ほっとした表情のたづなさんに苦笑する。そもそも生理的に無理ならばトレーナーの仕事を選ぶわけもないが。
と、そうして思い出した。仕事といえば今日はあと一つ、やり残したことがある。
「たづなさん」
「はい――あっ」
彼女を振り向かせると、そっと肩を引き寄せて抱きとめた。
「遅れてごめん。復帰後初のGⅠタイトルおめでとう」
「……そうでしたね」
レース後に浴びたシャワーで、再びコンディショナーの香りがするたづなさんの髪を軽く撫でる。相変わらずどきどきしてしまうものの、肝心の彼女の反応が前回と比べて妙に薄い。
「どうした? もしかしてレース後に何かあったのか?」
「いえ、何でもないんです。ただ……ちょっと考えてしまいまして」
「何を?」
身体を離すと、たづなさんが口を開くのを待つ。
そうして彼女がウイニングライブの後、ハートシーザーに会いにいったことを告白した。
一通りの顛末を話し終えたあと、憂いのこもった表情で彼女が告げる。
「……それで、思ってしまったんです。私がレースに勝てば勝つだけ、若い誰かの未来を奪ってしまうのではないかと。今日はたまたま上手く事が進みましたが、次はどうなるかわかりません。だとしたら――」
「……たづなさん」
「はい?」
もはや聞いてはいられなかった。彼女の言葉を遮ると手をかざし、問答無用でデコピンをお見舞いする。
「いたっ! い、いきなり何するんですか」
額を押さえながらたづなさんが抗議してくる。ちょっと強かったかもしれないが、頭を冷やしてもらうにはこのくらいでもいいだろう。
大げさなくらいにため息を漏らすと、彼女に告げた。
「なんかもう色々と間違ってたり勘違いしているみたいだからな、ちょっとしたお仕置きだ」
「お、お仕置き?」
「そうだ。まず一つ目。昔のたづなさんがどれだけ凄いウマ娘だったかは知らないけど、今はたかだかジュニア級のGⅠをかろうじて獲ったペーペーだろ。そんな半人前が他人の心配とかおこがましいにも程がある」
「うっ……」
「二つ目。今後はGⅠを本格的に主戦場にしていく。どいつもこいつもレースを勝ち抜いてきた精鋭揃いだろうから今回みたいな崖っぷちに立たされたような奴は多分いない。むしろそんな甘っちょろい気持ちを抱えて挑めばこっちが泣かされる羽目になる」
「ううっ……」
「最後、三つ目。トゥインクルシリーズに限らず、殆どのプロスポーツに年齢の上限は無い。実力さえあれば例え50歳を越えたって若者と同じ舞台に立つことができる。それを素晴らしいとは思えど、引け目を感じたり遠慮するのは違うだろうって、俺は思う」
「……」
「以上、説教終わり。ご静聴ありがとうございました」
緊張していたのか、何故か最後はプレゼン風になって口を閉じる。年上の上司かつ自分より能力の高い女性に説教するのがこんなにプレッシャーだとは思わなかった。
まだ心臓がばくばくしているのを感じながら、恐る恐るたづなさんの様子を確かめる。
と――
「うおっ」
突然たづなさんがこちらに両手を伸ばし、頬をつまんできた。
そのままぐいっと横に引っ張られる。
「あの……いひゃいんだけど」
「……デコピンのお返しです。さっきから正論ばかり言う生意気なお口はこれですか! これですね!」
「いひゃい、いひゃいよ。はふなはん」
ちょっと涙目のむくれた顔で、何度も頬を引っ張ってくるたづなさん。
そのうちこぶとりじいさんみたく引き千切られるんじゃないかと思った直後、ぱっと手が離される。
「……落ち着いた?」
「はい……八つ当たりしてしまって本当にすみません……あと、ありがとうございました。トレーナーさんの言う通り、変に色々考え過ぎていたみたいです」
そう言って、元の調子を取り戻したたづなさんが苦笑する。下手すれば嫌われる覚悟で色々と言ったものの、とりあえず険悪になるまでには至らなかったようだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
「なら良かった。キツいこと言っちゃったけど、たづなさんには少しでも気持ち良く走ってもらいたいからさ」
「ありがとうございます。では……私が更に気持ち良く走る為にもう一ついいですか?」
「ん? ああ」
頷くと、足を進めて再び彼女を抱きとめる。
さっきのやり直し。だが今度はたづなさんの表情も豊かだった。まるで愛を囁くように、今日の勝利を称える。
互いに見つめあい、何ともロマンチックな雰囲気だった。
今ならいける――半ば勝利を確信しながら「行きつけの居酒屋で祝勝会しないか」と誘うも、何故か『わかってねーなこいつ』とでも言いたげな顔で「明日は仕事ですから」ときれいに突っぱねられた。
おかしいな、ちゃんと代行も呼ぶつもりだったのに。
今回登場したモブウマ娘
ハートシーザー――アプリのダートレースで登場。内巻きの黒髪ロングに灰色のメッシュが入った、ちょっとだけシリウスシンボリっぽい外観。人気があるのか画像検索でも割と豊富