ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな)   作:愉快な笛吹きさん

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ブロンズと挑む有マ記念(後編)

「精が出ますね。ナイスネイチャさん」

 

 数日後、すっかり夜も更けた学園の見回りをしていると、視聴覚室から明かりが漏れていた。

 大型スクリーンに映された映像を独り食い入るように見ていた彼女を認めると、声をかける。

 

「たづなさん?」

 

 気付いたナイスネイチャさんが何か言葉を発しかけるも、その前にここに来た理由を察したらしい。

 ちらと壁の時計を確認したあと「げっ」と声を出す。

 

「もうこんな時間じゃん! すみませんすぐ片付けますから」

 

「あ、いえ。一斉退館の時間はまだまだですから続けていただいて構いませんよ。トレーナーさんから出された宿題は順調に進んでいますか?」

 

「あーまあ、それなりには……」

 

 ほっと息を吐いたナイスネイチャさんが再び動画を再生する。見ているのはこれまで彼女が勝利してきたレース映像だった。

 

 ――自分のレースプランが必要だ

 

 数日前の合同練習の後、トレーナーさんから出た結論はそれだった。各種データもトレーナーさんがこれまで培ってきた勘からも、ナイスネイチャさんは有マ記念を勝ち抜く力は持っている。

 あとはそれを最大限に活用すべく、トレーナーさんから渡されたここ10年分ほどのレース展開をまとめた資料を元に、自身の今までのレースを振り返って理想のレース運びを構築するための作業が連日行われていた。

 

「ああそっか。この坂で二人抜いたんだっけ。高低差も中山とそう変わりはないから……よし」

 

 動画を見ながら当時の記憶を思い出した彼女が、ホワイトボードに描かれた中山競バ場のコースマップにマーカーをつける。少しすると、猫のイラストに『上り坂は割と得意。ここで抜いて中盤の位置取りを優位にする』という吹き出しが描き込まれた。

 普段の大人びた対応とは違った可愛らしい一面にくすりとする。

 

「このイラストは、もしかしてナイスネイチャさんのトレーナーさんですか?」

 

 コースのあちこちで猫の姿が散見されるなか、一箇所だけ違う絵があった。ラストの直線、スタンド前で拳を握って『頑張れネイチャ!』と声を上げている男性。

 訊ねると、たちまち彼女がしどろもどろになった。

 

「ええっと……まあはい、そうです。猫ばっかりじゃ絵的に寂しいかなと思いまして」

 

 どこか言い訳じみたコメント。

 流石に不自然だと思ったのだろうか。苦笑した彼女が件のイラストにそっと手を触れる。

 

「アタシのトレーナーさん……いつもここが指定席なんです。スタンドの一番前で、転げ落ちそうになるくらいまで身を乗り出して、声を張り上げるんです『あと少しだ頑張れ! 勝てるぞネイチャー!』って」

 

「ええ、想像できますよ。いつもものすごく熱い方ですから」

 

 元応援団という珍しい経歴の持ち主だが、それに違わぬキャラの人だ。

 頷いたナイスネイチャさんが続ける。

 

「終わった後は恥ずかしいなあ、って思うんですけどね。でもレースのときはそれが聞こえたらどれだけへろへろでも走る力が湧いてくるんです……だからまあ、一種の願掛けみたいなものといいますか」

 

 その時の光景が胸をよぎったのだろう。呟くうちにナイスネイチャさんの頬が緩み、尻尾もぱたぱたと揺れ始めた。

 柔らかな表情。そこに漂う雰囲気から彼女の胸の内を何となく察すると、ぽつりと告げた。

 

「ナイスネイチャさんは馬場トレーナーさんの事が大好きなんですね」

 

「ぶふぁっ!?」

 

 相当驚いたのだろう。およそ年頃の少女らしからぬ声を上げた彼女が、ぴんと尻尾を立ててこちらに振り向いた。

 

「え? や、あの、その、それは……」

 

 みるみる顔が赤くなっていく。

 その反応だけでもう十分だった。わたわたとしながら何か言おうとするも言葉にならない彼女に、思わず笑ってしまう。

 

「大丈夫ですよ。ナイスネイチャさんは既に18歳ですから。一般的なお付き合いの範疇であれば学園側がとやかく言うことはありません」

 

「そ、そうなんですね。それなら……っていやいや! アタシまだ何も言ってないんですけど」

 

「では、馬場トレーナーさんとは何でもないんですか?」

 

 訊ねてみると、うぐ、と彼女が言葉をつまらせた。

 

「そ、それはその……そ、そういうたづなさんこそトレーナーさんとはどうなのさ! こないだの雰囲気見てたら――」

 

「好きですよ」

 

 にっこりとして、断言する。騒がしくしていたナイスネイチャさんの口がぴたりと止まった。

 

「そ、それって……」

 

「もちろん異性として、の話です。そんなに意外でしたか?」

 

「いやまあ……今まで隙の無い仕事一筋の人ってイメージだったのでギャップがあるといいますか」

 

「固い感じに見えていた、ということでしょうか?」

 

 特にそういうつもりは無かったのだが、他人からすればまた違って見えるのかもしれない。

 が、ナイスネイチャさんは首を横に振る。

 

「固いというより、こっそり恐れられてる感じですね。いつものあの笑顔が消えた時がそいつの命日だ、とかあの帽子の下を見て生きて返った者はいないらしいとか」

 

「そこまでいったらもう都市伝説の類では?」

 

「いやホントに。それが本当ならアタシも今頃生きていないでしょうし」

 

 私の帽子辺りを見ながら、ナイスネイチャさんが軽い笑い声を響かせる。

 そうして軽く息を吐いたあと、自身の胸の内を告げた。

 

「アタシも……そうです。トレーナーさんのことがずっと好きで、でも伝えられるだけの自信が無くって。有マに勝ちたいのはこの前言った理由もあるけど、自分の担保が欲しいからでもあるんです」

 

「担保?」

 

「はい。もし有マを勝てるくらいのキラキラウマ娘になれば自信を持ってトレーナーさんに告白できる。仮にフラレても実績だけは残るんで……って口にしたら随分ずるいこと言っちゃってんな、アタシ」

 

 自嘲気味に頭を掻く彼女。だが私はそう思わなかった。

 

「いいんじゃないでしょうか。私も似たようなことを考えていますし」 

 

「え……たづなさんも?」

 

「はい。私の場合はクラシック三冠を達成したらになりますが」

 

「いやハードルたっか!」

 

 目を丸くしながら叫んだナイスネイチャさんにくすりとする。 

 

「高いですよね。私も正直不安で。だからナイスネイチャさんには期待しているんです。同じ目標を掲げた先達として、鮮やかに勝利されることを願っていますよ」

 

 そう言って笑みを浮かべる。一瞬きょとんとした顔をした彼女が、耐えきれず吹き出した。

 

「もう、そんなこと言われたら責任重大じゃん。たづなさんの恋路まで影響するとかさ」

 

「ええ、初恋なので験を担ごうかと」

 

「余計重いわ……ま、でも期待を掛けてくれるのは怖いけど嫌じゃないんで。頑張りますね」

 

「はい。応援していますよ」

 

 互いに笑い合ったのを最後に、ナイスネイチャさんが作業を再開する。再生した動画に視線を戻したが、ふと画面から目を離さずにぽつりと呟いた。

 

「ところで、もしも三冠を逃した場合は告白しないんですか?」

 

「あ、しますよ。験担ぎはあくまで験担ぎですから」

 

「……うん、やっぱメンタル強いわ。たづなさん」

 

 動画の中の彼女が丁度ゴール板を駆け抜けたところで。

 苦笑いを浮かべながらナイスネイチャさんがリモコンの停止ボタンを押した。

 

 

 雲一つ無い快晴だった。

 昼下がりの中山競馬場。2500、右回り。トレセン学園に籍を置いたウマ娘の多くがその舞台に立つことを望み、勝利することを夢見るレース。

 有マ記念――投票に選ばれた16人のウマ娘がパドックに姿を見せるのを、場内のファンは今か今かと待ち構えていた。

 

「こっちです。トレーナーさん」

 

「ああ、今行く」

 

 所在確認のためのLANE通話を終えると、パドックの最前席で手を振っているたづなさんの下へ向かう。

 顔見知りに遭遇する可能性があるからか、今日はウマ耳を隠していた。

 

「すまん遅れた。可愛い帽子だな」

 

 フェイクファーのロシアハットをかぶり、いつもより厚着姿のたづなさんに告げる。

 ふふ、とはにかんだ彼女が「ありがとうございます」と応えた。

 

「ナイスネイチャさんは3枠6番ですね」

 

「ああ、ここに来る途中で確認してきたよ。つくづく3と縁が深いなあいつは」

 

 とはいえ枠順としてはそう悪くない。今年は後ろ脚質の者もそれなりにいるため、内枠寄りなのは位置取り争いで有利になることだろう。

 

「トレーナーさんの見立てではどうですか?」

 

 1番のウマ娘がパドックに姿を見せたタイミングで、たづなさんが訊ねてきた。

 彼女の方に首を向けると答える。

 

「それはネイチャが一着になるかどうかって話か?」

 

「はい。もちろん走ってみないとわからないのは重々承知なんですが……」

 

 と、心配そうな表情を浮かべるたづなさん。これまで気にかけてきたぶん不安もまたひとしおといったところだろうか。

 顎に手を当てると、「そうだな……」と見解を述べる。

 

「まあレースプラン次第だろうな。100%は無理でも8割方あの通りにネイチャが走れたなら先頭争いには加われると思う。ただやっぱりラストがなあ。差しウマなのに末脚が鈍いってのは不安がある」

 

「そうですか。何とか上手くいくといいのですけど……あ、ナイスネイチャさんが出てこられましたね」

 

 そう言ってたづなさんが首を向ける。後に続く形でパドックの方を見やると、勝負服を身に着けたネイチャが少し照れた様子で決めポーズをとっていた。

 ぱしゃぱしゃと周囲からカメラ音が鳴り響くなか、ふと彼女の名前を呼ぶ声が聞こえる。それも一人や二人ではなく集団で。

 声の方向から二階スタンド辺りだと目星をつけて振り向く。そうして目に飛び込んできたのは『ネイチャしか勝たん』と記された巨大な応援旗を掲げた一人の男と、中年以上の年齢層で構成された男女の大集団だった。

 

「さあ皆さんもう一度! フレー! フレー! ネ・イ・チャ! それ!」

 

「フレッ! フレッ! ネイチャ!」

 

「フレッ! フレッ! ネイちゃん!」

 

「フガッ、フガッ、ネイヒャン」

 

「ネイチャあああああーー!!」

 

 パドック中に響き渡るような大音声で彼女の名前がコールされる。言うまでもなく、あの応援旗を振っているのが馬場トレーナーだった。とすると、後ろの集団はネイチャが懇意にしている商店街の住人たちなのだろう。

 相変わらず見事なまでの統制ぶり。そして案の定、応援された当人は恥ずかしさのあまりその場にしゃがみ込み、顔を両手で覆っている。

 何ともカオスな状況だが、とりあえず探し人は見つかった。

 耐えろネイチャと心でエールを送ると、たづなさんを連れて二階スタンドの方へ向かった。

 

 

「おお! 久しぶりだな。元気にしていたか!」

 

 応援団のいた場所辺りまでやってくると、丁度応援旗をしまっている最中の馬場トレーナーに出会うことができた。目が合うなり常人の1.5倍のボリュームで挨拶してくる先輩に苦笑する。

 

「まあそれなりには。先輩の方は相変わらずですね」

 

 同じ職場なのにまるで同窓会みたいなやり取りだが、そう不思議なものでもない。

 担当の遠征や出張などで学園を離れることはままあるうえに、トレセン学園の敷地はとにかく広い。練習コースでばったり鉢合わせするケースも、URAファイナルが新設されたときに学園内のコースが増設されたことからめっきりと減っている。

 

「お疲れ様です、馬場トレーナーさん」

 

「おお、誰かと思えばたづなさんじゃないか。もしかしてデートの途中か?」

 

「まあそんな感じですかね。先輩の応援している姿を見かけたんでついでに挨拶しとこうかと思いまして」

 

「おおそうか! 殊勝な心構えは嬉しいが、本当は仲睦まじい姿を見せつけたいだけじゃないのか?」

 

「あーそれも多少あるかもですね。すみません」

 

 会話をしつつ、ここは先輩の描いたストーリーに乗っかっておくことにする。

 誤解される形になってしまったたづなさんにはすまないと手を立てておいたが、何故か上機嫌なのが余計に怖い。

 

「いや、構わない! ここに来たってことはうちのネイチャを応援するつもりだろうからな! 是非とも熱いエールをかけてやってくれ!」

 

「ええ、元よりそのつもりです。で、ネイチャの調子はどうですか?」

 

「うむ、以前にケガをして以降は地力を上げることだけに集中していたからな。恥ずかしながら戦術面についてはほとんど磨くことができなかった」

 

 くうう、と拳を握った馬場さんが渋面を浮かべる。

 

「だが! 今はまだ発展途上のときだ。身体が出来上がり、じっくり時間をかけて戦術も教えられるようになる来年こそが彼女の飛躍の年になるだろう!」

 

「よう言うた! 期待しとるでトレーナーさん」

 

「あんたなら安心してネイちゃんを任せられるよ!」

 

 拳を突き上げ、きっぱりと宣言した馬場さんに、商店街のご老人方が次々に喝采を送る。

 どこぞのお祭りウマ娘並に盛り上がるのは大変結構なのだが、今は確かめるべきことがあった。

 馬場さんに声を掛けて振り向かせる。

 

「どうした?」

 

「いや、さっき来年もネイチャの面倒を見るようなことを言ってましたけど……馬場さんって海外に転勤するんじゃないんですか?」

 

「何だもう知ってたのか。うむ、確かに転勤といえば転勤になるか。ほんの一ヶ月の間だけだが」

 

「……は?」

 

 一瞬ぽかんとした後、たづなさんの方を見る。

 そうして彼女がためらいがちに頷くと、今まで感じていた違和感が消え去ったのだった。

 

 

「――というわけでな。冬場の一ヶ月くらいならトレーニングにも支障は無い。むしろ今後のネイチャの育成にプラスになるだろうと考えたわけだ」

 

 パドックでのお披露目も終了し、すっかり空席になった二階スタンドで、馬場さんから今回のあらましを聞き終える。

 結局、全てはネイチャの早とちりであり、二人の関係に何ら問題は無かった。

 とりあえず最悪の展開――ネイチャが惨敗し、トレーナーも海外に行ってしまう――になる可能性が無くなったことにほっとする。

 とはいえ――

 

「てかこれ、最初にネイチャに話す訳にはいかなかったんですか?」

 

 じろりとたづなさんの方を見る。全てを知っていたにも関わらず真相を黙っていたことに関して少しばかり不満だった。

 まあ自身については彼女からの申し出もあったうえに、元より『わがままに合わせる』約束も交わしていたから気にしない。だがネイチャについては何も知らないまま必死に頑張っていた。さっさと話していれば要らぬ苦労をせずとも良かったのにな、と考えてしまう。

 沈黙を続けていたたづなさんが口を開く。

 

「トレーナーさんのおっしゃる通り、最初はきちんと話すつもりだったんです。ですが声を上げようとした瞬間、ナイスネイチャさんの真剣な表情と決意を聞いてしまい……」

 

「ああ」

 

 腑に落ちる。あのとき彼女が何か言いかけたのはそれだったのか。

 

「……生徒を見守る者として、そして一人のウマ娘として、あの想いを無碍にしたくはないと思ってしまったんです。今まで黙っていたこと、本当に申し訳ございませんでした」

 

「いや、大丈夫だよ。理由は分かったし、納得もできたから」

 

 深々と頭を下げるたづなさんに軽く手を振る。まあ言われてみればあの雰囲気に水を差すのはちょっとためらうかもしれない。ネイチャにしても結果的には勝ちを狙えるくらいに仕上がったため、損した者は誰もいないか。

 とはいえ、

 

「けど、次からはちゃんと俺にも相談するようにな。ユーコピー?」

 

「ふふっ、はい。アイコピーです」

 

 最後はマヤノトップガンの口癖を借り、元の空気を取り戻す。そうしてしばらく放置していた馬場さんの方を振り向けば、すっかり目を点にしていて固まっていた。まあそうなるよな。

 

「い、一体何の話だ? ていうかたづなさんが……ウ、ウマ娘?」

 

「あー、全部説明しますんでとりあえず落ち着きましょう。ほらひっひっふーですよ」

 

 ネイチャには既にバレているため、この際ついでに知っていてもらった方がいいだろう。

 真面目にラマーズ法、或いはオグリ式呼吸法をやり始めた馬場さんに、これまでの経緯を一から語っていった。

 

 

「――というわけです」

 

 正面スタンドへの道を歩きすがら、やや長めの説明を終えた。応援旗を脇に挟む形で腕組みしながら聞いていた馬場さんが「ふむ……」と呟く。

 

「事情はわかった。まずは彼女の無茶を止めてくれたことに礼を言いたい。万が一ケガでもしていたら後悔してもしきれなかった」

 

「いえ、たまたま出会っただけですから。こちらこそ馬場トレーナーさんに無断でナイスネイチャさんを連れ回してしまい本当に申し訳ございません」

 

 たづなさんが立ち止まって謝辞を述べるも、馬場さんが静かに首を振る。

 

「いいんだ。ネイチャの気持ちを汲んでくれたゆえの行動なんだからな。感謝しかないさ。しかし、なるほどそうか……」

 

「ネイチャが何か?」

 

「いや、レース前にあれほど集中している彼女を見たのは初めてだったからな。今日のレース、ひょっとするかもしれん」

 

「なら、きっと大丈夫ですよ。ナイスネイチャさんが言っておられました。馬場トレーナーさんの応援を聞くと走る力がぐんぐん湧いてくるって。パドックであれだけの応援があるなら本番もきっと――」

 

「――今、何て言った?」

 

「え?」

 

 たづなさんの話を聞いていた瞬間、何かが脳裏をかすめた。

 絶対に聞き逃してはならない――トレーナーの直感に従い、たづなさんにもう一度さっきの言葉を繰り返すよう強要する。

 

「ええと……ば、馬場トレーナーさんの応援を聞くと走る力がぐんぐん湧いてくるって」

 

「それだっ!」

 

 たづなさんの両手をぎゅっと握り、歓喜の声を上げる。これまで足りなかった最後の一ピースがようやく嵌まったのを感じた。

 

「先輩っ!」

 

「どうした急に。というかあまり目の前でいちゃつかないでくれないか?」

 

「いや、それどころじゃないんです」

 

 彼女から手を離し、今度は馬場さんの肩を掴む。ぎょっとする先輩の表情や、何やらショックを受けたたづなさんの顔が目に入るが、今は無視だ。

 

「ネイチャを勝たせる方法がわかったんです! 俺を信じて付いてきてもらえませんか?」

 

 

「はっ、はっ」

 

 レースもいよいよ後半に入ってきた。前後左右から聞こえる地響きの音に自らも加わって、向正面を駆け抜ける。

 展開としては今のところ悪くない。序盤は先行バたちのポジション争いに巻き込まれないよう後方に位置取り、その後ややペースが落ち着くホームストレッチから第二コーナーまでは得意の坂とコーナーを利用して、いつもより前目の順位をキープした。

 

(走りやすい)

 

 相手に巻き込まれずに、自分の走りを行うのがこんなにも楽だとは思わなかった。スタミナもそうだが、何より相手の動きにいちいち惑わされないため精神的な疲労が段違いだ。

 そうして同時に理解もする。アタシのトレーナーさんも、ゆくゆくはこうするつもりでずっと下地を作っていたのだと。

 その目標が中途に終わってしまうのは遺憾ではあるが、だからこそその片鱗だけでも彼の目に焼き付かせたい。

 

「はあああっ!」

 

 現在の順位は5位。前を走るウマ娘は逃げが2人、先行が2人だ。下り傾斜に足を乗せ、じりじりと距離を詰めながら第三コーナー突入までの速度を稼いでおく。

 が、

 

「え、わっ!」

 

 突然のことだった。すぐ前を争っていた二人のウマ娘が互いにぶつかり合い、うち一人がアタシの進路先に飛び込んできたのだ。

 咄嗟に外に避けたもののすぐにコーナーが迫る。さっきの二人もすぐさま立て直して並走する形になったため、大外を走らされることになってしまった。

 

「くうっ……」

 

 プランが崩れたことで心に動揺が走った。このまま大外から行くべき? それとも一旦下がる? スタミナは大丈夫なの? スパート位置は変えるべき?

 答えのわからない無数の選択肢が自身の心に押し寄せてくる。だけどわかっているのだ。アタシにはテイオーやマヤノのような臨機応変さは持ち合わせていない。浮かんだ選択肢のどれを選んだところでそれを心から信じきることはできないだろう。

 

 だから――スタンドに目を向ける。どんなレースでもアタシが信じられるものを

 いつだって、アタシが信じている人を

 進む道と、誰かを好きになる温かさを教えてくれたあの人の姿を

 その直後――

 

「ネイチャアアアアーー!!」

 

 ごくごく間近から聞こえてきたその声に、思わず耳をびくりとさせる。

 ばっと内ラチ側に首を向ければ、内バ場内にこの日だけ開放されている応援広場で、トレーナーさんが大音声を発しながら旗を振り回しているのが見えた。

 

「トレーナーさん!?」

 

「進めえええ! ネイチャアアアアーー!!」

 

「――っ!」

 

 額に汗を浮かべ、なおも声を張り上げた彼の言葉が胸に届いた瞬間、全ての迷いが吹き飛んだ。

 信じるとか、疑うとか、そんなことを考える前にただただ身体が動く。

 

「ああああああっ!!」

 

 もはやスタミナなんて気にしない。大外からぶん回すように一気にスパート態勢に入った。さっきのトラブった一人をあっさりと追い抜き、第四コーナーの出口で残りの一人も抜く。

 ラスト直線。外を回したぶんスタミナは不安なものの、加速は十分についている。

 現在三位。毎度お馴染みの、長年アタシに付きまとってきた数字。

 だけど違う。今日だけは違う! アタシと、応援してくれた人たちと、トレーナーさんの想いを込めて、

 行こう――きっとその先へ!

 

 

「なっ!?」

 

 ラストの直線に入った瞬間、更にギアを上げるネイチャを見て、思わず馬場さんの声が止んだ。

 隣のたづなさんも一瞬見惚れた様子で目を見開く。

 まさに剃刀のような切れ味の末脚。場内に響く大声援ですぐさま我に返った二人が、再び必死にエールを送る。

 

「いけえええ! ネイチャあああ!!」

 

「あと一人! 差せます! 差せますよーー!!」

 

「そうだ! やってみせろ! ネイチャああ!!」

 

 打てる手は全て打ち尽くした。あとは自分も加わって、精一杯彼女を応援する。

 ラスト50、それまで粘りに粘っていた先頭の娘がついに根負けしてネイチャと肩を並べた。

 今日一番の歓声が中山に響き渡る。

 そして――

 

『今、ゴォォォォォォーール!! 最後まで手に汗を握った有マ記念! 激戦を制したのは6番ナイスネイチャ、ナイスネイチャです! 故障から立ち直り、長年の悲願でもあったGⅠ制覇を今、最高の形で成し遂げることができました!!』

 

「きゃあああー! トレーナーさん、やりました! ナイスネイチャさんが一着を取りましたよ!」

 

「うぶっ!」

 

 アナウンスが聞こえた瞬間、感極まったたづなさんが思い切り抱きついてきた。彼女の良い香りと厚着の上からでも伝わる立派な感触が、内なる野生を盛んに刺激する。

 

「た、たづなさん……」

 

「えっ? あ、すみません。あまりにも嬉しくってつい……」

 

 そう言って照れ笑いをするたづなさんに苦笑しつつ、今度は馬場さんに声をかける。が、返事がない。気になって振り向いてみると、拳を高く掲げたまま気を失っていた。

 マジかよ、と驚いたものの、長年の苦労が遂に報われたのだ。本人的にはまさに一片の悔いなしといったところなのだろう。

 何度か身体をゆすって、とりあえず目覚めさせる。

 

「む……今日は大事なレースの日だったな」

 

「いや時間戻したらだめでしょ」

 

 レース結果を巻き戻すという伝説の目覚まし時計でも使ったかのような反応を見せる馬場さん。

 未だ半信半疑といった様子の先輩にあらためて現実であることを告げると、静かに目を閉じた。

 そして、

 

「く、うっ……ついに、やったな……ネイチャああ! うおおおおーん!」

 

 人目を憚らず大声で男泣きをする馬場さんを、たづなさんと二人慰める。その最中にふと彼女と目が合うと、お互いに拳を軽くぶつけて笑う。

 大仕事をやりきった充実の笑みだった。

 

 

「それにしても、何故突然ここで応援しようとおっしゃったんですか?」

 

 レースの熱狂も徐々に遠ざかったタイミングで、たづなさんが説明を求めてきた。ああ、と頷くと種明かしを始める。

 

「きっかけはたづなさんがネイチャから聞いた話だな。確か『馬場トレーナーさんの応援を聞くと走る力がぐんぐん湧いてくる』だっけか」

 

「ええ、合ってますよ」

 

「聞いた瞬間、思ったんだよ『それ、掛かってるんじゃないか?』って」

 

「はい?」

 

 案の定ぽかんとするたづなさんを面白がりながら続ける。

 

「そもそも冷静に考えたらおかしな話だろ? どんなレースであってもメインスタンドの前となれば数えきれないほどの人が声を上げている。いくら馬場さんが大声の持ち主とはいえ、時速70キロ近い速度で走りながらたった一人の声だけに反応して力に変えるとか、尋常の状態じゃない」

 

「確かに……」

 

「まあ掛かってる、ってのは不適切か。培ってきた絆とか信頼関係とかそういう類の力なのかもな。問題はそんな良い武器を持ってるのにラストで伸び悩んでいたのは何故か? おそらく十分に加速しきる前にゴールに着いてしまうからだ」

 

「ああ」

 

 ――何故か末脚のキレが前より鈍くなっちゃったんだ

 

 ネイチャの言葉を思い出したのか、たづなさんが口を押さえる。せっかくの隠し玉もそれに合わせた加速ができなければ持ち腐れだろう。

 ようやく復帰した馬場さんが話に加わる。

 

「ならばここに来たのは――」

 

「ええ、いつもより早い場所で発動させることで、彼女に"ロングスパート"を強制的に行わせたんです。加速が鈍いのなら前もって助走をつけてやればカバーできますよね?」

 

「だがそのぶんスタミナの消耗は―――ああなるほど、そこで例のレースプランか」

 

「ええ、想定通りの走りができていれば省エネにもなるし、ギリギリいけるんじゃないかなあと。こんな感じですね」

 

 ふう、と息を吐き出すと、話を打ち切る。

 こうして振り返ると、本当に多くの要素が成り立ってこの結果に結びついたのだと実感する。

 まさに複雑怪奇であり、だからこそトレーナーの仕事は面白い。

 

「ま、理屈っぽい話はこのくらいで。いまは今日の主役を出迎えにいかないと」

 

「そうだな」

 

 そう言って二人の背中を押しながら、ネイチャの下へと向かった。

 

 

 正面スタンドまで帰ってくると、そこはまさにお祭り騒ぎとなっていた。ザ・商店街ズの面々にもみくちゃにされたネイチャが四方八方に会釈とお礼コメントを乱射している。

 と、

 

「ネイちゃーん、あんたのトレーナーさんが来たぞー!」

 

 誰かが放ったその一言で途端に様相が変わった。瞬時にこちらの位置を掴むや、まるでモーゼの十戒の如く人垣が左右に割れ、ネイチャまでの道を作り上げる。

 

「トレーナー……さん」

 

 ネイチャが微かに呟いたのを合図に、馬場さんが静かに歩き出した。

 かつ、かつ、と靴音を立てながら、彼女から半歩の距離まで近付く。

 そして、

 

「アタシ……勝ったよ」

 

「ああ、ちゃんと見ていたとも。見事な勝利だったぞ!」

 

「うん、ありがと。えっと……それでね。いまここでトレーナーさんに言いたいことがあって」

 

「任せておけ! 既に祝勝会の場所はばっちり抑えてある!」

 

「そっちじゃない! いや重要だけども」

 

 タマモクロスばりの切れ味あるツッコミに、周囲がどっと沸いた。

 夫婦漫才だのいいぞもっとやれだの野次が飛ぶなか、こほんとネイチャが咳払いをする。

 

「ええと、まずはあらためてお礼を言わせて。これまで何かと面倒くさいアタシを支えてくれて本当にありがとう。まだ実感は無いけど……ようやくキラキラのウマ娘になれたかも」

 

「いや、ネイチャを面倒だなんて思ったことはない! それにおかしなことを言うものだ。俺は出会った瞬間からネイチャはずっとキラキラしていると感じていたぞ!」

 

「うぐっ!!」

 

 まるで幼い少年のように真っ直ぐな言葉に、ネイチャの顔がみるみる赤くなる。

 いやーあれは照れるよな、と解説者ポジションでたづなさんに同意を求めようとするも、何故か彼女や商店街ズの方々は固唾を飲んだように見守っている。

 

「そ、それでね、結果も出せたし、これでもう心残りはないよね。聞いちゃったんだアタシ、トレーナーさんが海外に行っちゃうって」

 

「ああそうだ。だが――」

 

「だからね、その前に伝えておこうと思って」

 

「うん?」

 

 胸に手を当て、ただならぬ雰囲気のネイチャに馬場さんが虚を突かれた顔をする。

 すーはーと呼吸をした彼女に合わせ、たづなさんほか周囲の圧力が一段と増した。

 そして――

 

「……好きです、トレーナーさん。あなたの事が、ずっと好きでした」

 

「――っ!?」

 

 頬を赤くしたネイチャが、軽くつま先を立てて想いを告げた。まさかの商店街ズが見守る中での公開告白に思わず嘘でしょ……とシズカる。

 

「やりましたね……ネイチャさん」

 

 ぼそりと呟いたたづなさんに目を向けてみれば、まるでネットの外人4コマのように歓喜の表情で拳を握っていた。商店街ズも右に同じで、声を立てることなく馬場さんのリアクションに注目している。

 その先輩はといえば、ネイチャの告白を聞いてから眉一つ動いていなかった。普段があんな感じだけに果たしてどう返すのか、かなり気になるところだが。

 と――

 

「ネイチャ」

 

「う、うん……」

 

 かなりの沈黙を挟んで馬場さんが口を開いた。まるでもう一度レースが始まるかのような緊張感に、思わず息を呑む。

 

「誤解しているみたいだが、海外に行くのは一ヶ月間だけだ。その後はまた日本に帰って担当を継続する」

 

「へっ……?」

 

 少しの間ぽかんとしたネイチャだが……徐々に自らの勘違いに気付いたのだろう。ぼんっ、と音がしてきそうな程に顔が真っ赤になった。

 

「じゃ、じゃあその……全部、アタシの勘違いってことで?」

 

「そういうことになる」

 

「あ……は、は」

 

 乾いた笑いを上げるネイチャ。今まで抱えていた想いや決意のほとんどが杞憂だったと知ればまあそんな反応にもなるだろう。

 返答ではなくレース無効を選んだ馬場さんに、周囲がやや落胆した雰囲気になる。

 だが――

 

「おっと」

 

 安堵か、それとも徒労感からか。

 足元すら覚束なくなったネイチャの身体を馬場さんがそのたくましい腕で受け止めた。

 フィギュアのペアダンスでよく見る体勢のまま、馬場さんが口を開く。

 

「それからさっきの告白だが、ネイチャの想いは非常に嬉しく思う。だがネイチャは俺の担当でありまだ学生の身でもある。素直に受け入れるには世間の目を考えると非常に厳しいだろう」

 

「う、うん……やっぱり、そうだよね」

 

 あはは、とネイチャが寂しげに笑う。

 トレーナーの模範ともいえる隙の無い解答に、誰も口を挟めない様子だった。

 だけど……まあ、大丈夫だろう。

 

「だからな、待っていてくれないか?」

 

「……え?」

 

 彼女の目尻に浮かんだ涙をそっと拭うと、馬場さんが続きを告げる。

 

「言っただろう? 非常に嬉しく思うとな。だからこの先ネイチャが引退し、学園を卒業したその時であれば、俺もネイチャの想いに応えたいと思う。まだまだ先の長い話だが、受け入れてくれるのであれば――」

 

「うんっ!!」

 

 悩む余地なんて無いとばかりにネイチャが抱き着く。

 レースも、そして彼女の恋路も。

 共に最高のフィニッシュを迎えたことに周囲は再び歓喜の渦に包まれたのだった。

 

 

「はあ〜〜、本当に良かったですねえ」

 

 すっかり夜も更けた商店街にて。

 シャッターだらけの無人の通りを上機嫌のたづなさんとゆっくり通り過ぎていく。

 ウイニングライブが終わったあと、馬場さんに誘われたこともあってネイチャの祝勝会に参加していたのだ。

 

「もう完全に披露宴にしか見えなかったけどな。ま、何であれ自分が関わったウマ娘が喜ぶ姿を見るのは嬉しいもんだよ」

 

「ええ、私も同じです。だからでしょうか……今日はちょっと飲み過ぎちゃいました」

 

 そう言ったそばからたづなさんが少しよろける。咄嗟に先程の馬場さんを見習って腕を差し出すものの、酔っぱらいに同じ真似ができるわけもなく。

 結局、二人揃ってすっ転んだ。

 

「すみません、おケガは無いですか?」

 

「ええ、たづなさんは?」

 

「大丈夫です。というかこの状況……似てますよね。私たちが初めて出会ったときに」

 

「ああーそういえば。よくそんな前のこと覚えてたなあ。あの時は逆に庇ってもらったんだっけ」

 

「ええ、あの頃はトレーナーさんもまだこんなに小さくって」

 

「いや小さ過ぎるだろ。今の半分くらいしか無いじゃん」

 

 古い記憶が蘇り、たづなさんとくすくす笑い合う。お互い笑い上戸でテンションが一致してるのも大きいのだろう。

 とかく楽しい気分だった。

 

「で、そんな少年みたいだったトレーナーさんがすっかり成長して今は私の担当なんですよ。何なんですかねこれ? 逆光源氏ですか?」

 

「母を介護する息子の方が該当するかな――あ、嘘ですごめん、怒らないで」

 

 割と失言だった。母呼ばわりされたたづなさんに瞬時に詰められると、ぽかぽか胸を叩かれる。

 

「深く傷付きました……このうえは謝罪と賠償を要求します」

 

「大変申し訳ございませんでした……で、賠償の方は?」

 

 単に言ってみただけなのか。うーんとたづなさんが考える。

 

「そうですね……なら、ナイスネイチャさんのように私を有マで勝たせて下さい」

 

「え、そういう系でいいのか?」

 

「ええ。学生時代は憧れていたものの、ついに立つことはありませんでしたから……あーりまあです」

 

「うん、重い話だからって最後に無理やり笑いにしなくてもいいよ」

 

 酔っているせいだろう。滅多に見られないたづなさんのルドルフジョークに、ひらひらと手を振って合いの手を入れておく。

 自分もやりがちだから気持ちはわかるが。

 

 ともあれ彼女の想いは理解した。誰もいないことを念のため確認すると、片膝を着いて彼女の手を取った。

 そのまま、彼女の手の甲に唇を落とす。

 

「約束するよ。来年はたづなさんをあの舞台で勝たせてみせる。だから……ええと、そんなに恥ずかしがられると最後までやり辛いんだけど」

 

「だ、だって……その」

 

 てっきり「いつの時代ですかそれーw」くらいの反応を予想していたのだが、まさか酔いが吹き飛びそうな勢いで顔を真っ赤にするとは思わなかった。

 すみませんと言って中断する。やはり酔った勢いで何かをするべきではない。たづなさんを立たせると、その後は言葉少なに彼女の家の近くまで歩く。

 

 そうして別れるぎりぎりまで、彼女は繋いだ手を離してはくれなかった。

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