ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな)   作:愉快な笛吹きさん

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無人のターフにて

「はっ……はっ……」

 

 7月上旬――特別な理由がある場合を除けば、教師も生徒もトレーナーも揃ってバスへと乗り込み、海辺で二ヶ月にも渡る長期合宿が行われている時期――

 

「よし、そのままラストスパート!」

 

「はああああっ!」

 

 すっかりがらんとしたトレセン学園の練習コースに、雄叫びと蹄鉄の音が鳴り響く。先日から新たに担当したウマ娘――兼、理事長秘書を務めている駿川たづなさんだ。

 合図と共に更に勢いを増した彼女の身体がゴール板を駆け抜ける。手元のタブレットをタップした直後、巻き起こった風圧が自身の髪を揺らした。

 

「――うん、良くなってますよ。記録更新だ」

 

 ジョギングで戻ってきたたづなさんに、ほら、とタブレットの画面を差し出す。映し出されたタイムを見て満足したのだろう。ほっとした様子でその場で腰を降ろした。

 

「良かった。今日はもう伸びないかと思ってましたから」

 

「焦ることはないですよ。デビューまでにはまだまだ時間がありますから」

 

 そう口ずさみつつ、言い得て妙だな、と苦笑する。何せ彼女はもうずっと以前にデビュー戦をこなしている。にも関わらずこうして一からやり直すのはURAの規定に『登録抹消から五年以上を経た場合は再びデビュー戦から』という記述があるからだ。ちなみにその場合、普通なら一度きりしかないクラシック三冠等の挑戦権も復活する。

 

 おそらくはデビューした後、外部事情などで已む無く学園を去った者たちへのカムバック措置なのだろう。『五年以上』としているのは、わざと抹消しては何度も三冠に再チャレンジするような悪用を防ぐためか。

 そう思えば妥当な措置だとは思うものの、これだけの空白期間を経て復帰しようなどという酔狂な者は現れなかっただろう――今までは。

 

「ええ、わかっています。ですが少しでも早く右足の癖を直したくて」

 

 このままいけばそのパイオニアとなるであろうたづなさんが笑みを零す。当たり前だが、今の彼女のレベルであればデビュー戦など赤子の手を捻るようなものだ。

 よって彼女の目は既にその先を見据えていた。クラシック、シニア級の――今現在において最強と呼ばれている者たちの後ろ姿を。

 とはいえ、だ。

 

「きゃっ」

 

 ぽこん、と彼女の頭に軽く拳を落とす。びっくりした様子で目をぱちくりさせる彼女の目の前に座り込むと、スポーツドリンクのボトルを差し出した。

 

「わかっているんなら無茶は厳禁です。今は令和の世なんですから。ハードトレして自分を追い込みさえすれば全てが上手くいくような腐った根性論は燃えないゴミに捨てて下さい」

 

「もう……それくらいわかってます!」

 

 つーん、と可愛らしくそっぽを向いて、たづなさんがボトルに口を付けた。何とも豪快に量を減らしていくドリンクを見やりつつ、やっぱり我慢してたじゃないか、と苦笑する。

 

「ちなみに水禁止令とか設けてませんから喉が乾いたらいつでも飲んで下さい。昨日みたいにトイレに行くフリしてこっそり飲む必要は無いですよ」

 

「なっ……!? え? き、気付いてたんですか?」

 

 危うくボトルを取り落としかけた後、たづなさんの目が勢いよくこちらを向いた。くっくっと笑いながら告げる。

 

「そりゃもう。自分が学生の時もまだそういうスタイルは残ってましたから。ばればれでしたよ」

 

「もう……わかってたのなら言って下さい」

 

「言う暇もなくさっさと行っちゃったじゃないですか。まさかとは思いますがトイレの水に手を出したりとかは」

 

「怒りますよ。そういうトレーナーさんこそ、学生の時はそんな経験があったんじゃないんですか?」

 

「…………うん、まあ……一回だけ。恐ろしく暑い夏の日のことでした」

 

「えっと、すみません……これ以上は言わなくて結構です」

 

 ブラック部活あるあるを吐き出し、しばし無言となる――数秒後、どちらからともなく吹き出した。

 

「ふふっ、本当……酷かったですよね。昔は」

 

「今聞くと信じられないことばかりでしたもんね。たづなさんはうさぎ跳びやらされたりとかは?」

 

「はい、やりましたよ。それこそ本物に負けないくらいの数を飛ばされたんじゃないでしょうか?」

 

「よくそれで膝が完全にぶっ壊れずに済みましたね。いや、その前に自分でストップをかけたのか……まあとにかく、ちゃんと完治できて本当に良かった」

 

「はい。しかもこうして現役に戻れる日が来るなんて、思ってもみませんでした……声をかけてくれて、本当にありがとうございます。トレーナーさん」

 

 そう言うと、たづなさんがにこりと微笑む。汗ばんだ身体、まだ少しだけ上下している肩。先程までのまっすぐな努力の姿を見せつけられた後のこの表情は、信頼に応えたいと強く思う反面、どうにも心臓に悪い。

 

「ふう……」

 

 赤くなった頬を気付かれたくなくて、ばたりと地面へと倒れ込む。誰もいないターフに寝転ぶのは罰当たりとは思うものの、何とも気持ちが良かった。

 見上げれば一面の青空。そよ風に煽られた緑の芝が、心地良くさわさわと耳を刺激する。このまま一眠りできてしまいそうだな、と思いかけたその瞬間――隣でどさりと音がした。

 

「たづなさん?」

 

「ふふっ、あんまりにも気持ち良さそうでしたから。思わず真似しちゃいました」

 

 自分同様、仰向けに寝転がったたづなさんが、こちらに首を寄せてくる。

 

「理事長秘書がこんなことしていいんですか?」

 

「トレーナーさんこそ、こんなところで油を売っていてもいいんですか?」

 

「理事長秘書さんが許容してくれているみたいですから」

 

「私も、担当トレーナーさんが何も言わないんならいいんじゃないでしょうか?」

 

 互いに軽口を言ってから、ふふ、と笑う。やがて、どちらからともなく差し出された手をそっと重ねると、おもむろに告げた。

 

「……大丈夫です。貴方の足はもう二度と壊れやしない。ゆっくり着実に。そして万全のデビューができるように全力を尽くします」

 

「はい、信頼していますねトレーナーさん……あ、それと、できれば二人だけの時は敬語を止めてもらえると嬉しいんですが」

 

「え、駄目なんですか?」

 

「駄目というか、トレーニングの時は敬語じゃない方が身が引き締まる感じがしますので……とはいえ人前では使い分ける必要がありますし、無理にとは言いませんが」

 

「いえ、トレーニングに必要だというのなら頑張ります……あ、いや。頑張るよ。こんな感じでいいかな?」

 

「はい、よくできてますよ。大丈夫です」

 

 彼女から褒められ、僅かに心が高揚する。敬語を止めても何故か上下関係が全く変わらない気がするのは気のせいだろうか?

 ――何にせよ、彼女との絆が少しだけ深まったひとときだった。

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