ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな) 作:愉快な笛吹きさん
――8月30日 AM 9:30――
内ラチで賑やかにコーラスを上げる雀たちの傍を、一陣の風が通り過ぎた。その先に置かれたいくつものカラーコーンを縫うように駆け抜けると、ラストの直線へと差し掛かる。
ふっ――と、彼女が息を吐くのがわかった。まるで撃鉄を引いた拳銃を向けられているかのような圧力。
ぞくりとしつつ、そのまま弾丸のようなスピードでゴール板を通過していく彼女の姿を目に焼き付ける。
「……どうでしたか?」
たったっと小走りに駆け戻ってきたたづなさんを、まあ待てと軽く手で制する。
先日から取り入れた新たな練習――コーナー途中に置いたカラーコーンを通過した際の身体データをタブレットに収集し、フィードバックをかけていくもの――だが、データ集計にいちいち時間を要するのが面倒ではあった。
あらかじめ冷やしておいたタオルを彼女に手渡すと、口を開く。
「データが出るまでは何とも言えないけどな。多分これまでで一番良かったように思う。何というか……迫力が違ってた」
「迫力ですか?」
「ああ。レースで一着を取る者が見せる躍動感というか佇まいというか……うーん、上手い日本語が見つからん。何せ国語は3だったからなあ」
「その代わり理数系は成績優秀ではなかったですか?」
「お、鋭い。良くわかったなあ」
「ふふっ……ええ、何というかちょっと理屈っぽいところがありますから。トレーナーさんって」
「そりゃまあ、データと筋肉は何があっても裏切らないからな」
「どことなく闇を感じるコメントですね」
そんなやり取りをする内に、どうやら集計も済んだらしい。タブレットに出てきた各数値を見比べれば、やはりそれまでのものより明らかに良くなっているようだった。
「うん、あのジグザグ走行の中でも左右のバランスがしっかり保たれてる。まだまだ洗練していく必要はあるけどこれなら合格ラインだ」
「ほんとですか?」
「ああ。まさか夏休みの内に修正できるとは思わなかったよ。流石だな、たづなさん」
改善が見られたならすかさず持ち上げていく。以前のコーチは大きなレースに勝った後の『よくやった』が唯一かつ最大の賛辞だったというから尚更だ。
「いえいえ、これもトレーナーさんの指導があればこそですよ。ありがとうございます」
口元を嬉しそうに綻ばせるたづなさんを見て満足する。ちらりと時計を見れば、もうそろそろ切り上げる頃合いだった。
「よし、なら今日はもう上がろうか。クールダウンに行ってくれ」
「え? もう終わり……ですか?」
「ああ。もともとその予定だったろ? 今日は色々とやることが多いし」
「でもあと一本くらいなら……」
「ダメだ」
「なら半周」
「ダメです」
「ラスト400だけでも」
「アル中患者か何かかな? もう素直に諦めてほしいんだけど」
「でもわがままに全力で合わせてくれるって言いましたよ?」
「しまったそれがあったか…………わかった。一回だけな」
「ふふっ、トレーナーさんのそういうところ、好きですよ。じゃあ行って来ますね」
言うが早いか、背を向けた彼女が足早にスタート地点に走り去っていく。
――そういうところ、好きですよ。
「あーくそ、あの緑の悪魔め……」
流れから出た言葉なのは百も承知であるものの、それでも胸がざわざわする。
半ば上の空となりながら、彼女が走る姿をぼんやりと見つめていた。
――AM 11:00――
「……どうかな。個人的にはかなり上位にランクインすると思ってるんだけど」
トレーニングを終えた後、やや早めの昼食を摂る運びとなった。学園からやや離れたとあるラーメン店で、スープを一口飲んで切り出してみる。
「……ええ、これほどのスープにお目にかかったのは久々です。こんな穴場をどうやって知ったのですか?」
「ただの偶然だよ。同僚と出張帰りにぶらり立ち寄ってさ、『まずかったら自分、美味かったら同僚持ち』の賭けで見事勝利した、ありがたい店だ」
「なるほど。ならここは私が支払う番ですね」
「いやいや、担当ウマ娘に払わせるとか何の冗談かな。こっち持ちに決まってるだろ」
「ですが、さっき使っていたトレーニングの機械、かなり高いものなんですよね? それに私の方がお給料も多めですし……」
心配そうにこちらを見つめてくるたづなさん。そういえば学園スタッフの給与担当でもあったか。薄々そうだろうとは思っていたものの、やはり言葉に出されると少しショックではある。
「大丈夫、このくらい大したことないから。オグリキャップやスペシャルウィークみたいな四次元胃袋の持ち主でもないんだし」
「確かにあのお二人には到底及びませんが……わかりました。なら明日はオフなので、明後日のお昼は私が払いますね。放課後まではこれまで同様、秘書とトレーナーの間柄ですから」
良い落とし所を見つけた、といった様子で彼女が手を合わせて笑う。とはいえ平日の昼間にトレーナーと担当ウマ娘が一緒に食事を摂るのはいかがなものだろうか? 色々と邪推されそうな気もするが……
(――あ、いいのか)
よくよく考えれば、別に彼女は学生でも未成年でも無い。よってそういう方面の配慮は不要と気付いてどっと気持ちが楽になる。もうあの面倒な外出届やらSNS等によるこまめな状況報告やらを一切しなくてもいいなんて、まさに天国だ。
「どうしたんですか? さっきからにやにやして」
「いや……たった今たづなさんのありがたみを実感したんで」
「よくわかりませんがどういたしまして。でも何かちょっとヒモ男っぽいです。トレーナーさん」
そういえば金銭が絡む会話の最中だったか。誤解ではあるのだが、かといって『成人で良かった』と言ってるも同然の弁解などできるわけもない。
結局、ジト目のたづなさんに苦笑いを返すに留め、さっさとレジに向かった。
――PM 12:30――
「わあ! 本当に沢山の種類がありますね」
昼食を食べ終えた後は、列車に揺られて都心へと向かう。辿り着いたのは大型スポーツ用品店。多種多様なレースシューズが並べられた棚に、たづなさんが興奮した声を上げる。
「うん、都内だとここが一番品揃えが豊富なんじゃないかな。でも今日のメインはそれじゃなくて、こっちだ」
「これって……インソールを作成するときの」
指し示した足型測定機を見た彼女がきょとんとした声を上げる。
「当たりだ。じゃあ持ってきてくれたレースシューズを貸してくれ」
「わかりました。あ、でも持ち帰ったらダメですよ」
「いやいやしないから。確かに収集してはトロフィーと一緒に飾ってる変態もいるけど」
「ええ……あれレースの報酬としてトレーナー間で正式に契約を交わしてるので介入できないんですよね。靴を脱がされてスリッパでとぼとぼ帰っていく姿を見るとやるせなくなります」
管理者の苦労を顔に滲ませ、たづなさんがため息を吐く。同意はするものの、今この場で話すべき内容ではないとも思ったが。
「話がそれたな。靴を持参してもらったのは実際の擦り減り具合を確認してもらう為だ。もちろん測定機も使うし、タブレットに蓄積してきたデータも使う。これまで溜め込んだものを総動員してたづなさんの走りに最適なインソールを作る予定だ」
「インソールでそんなにも違うんですか?」
「ああ。足裏のバランスを整えることで着地時には上手く衝撃を吸収してくれるし、蹴り出す際も圧力が分散しない。結果的に疲労軽減や怪我の防止などの効果に繋がるんだ」
「なるほど……すごいですね」
たづなさんから感心した声が上がるものの、もちろん効果のほどは個人差による。ただ彼女のように生まれつき足に不具合を抱えているケースであればその恩恵は大きいだろう。
完成までは約一週間。装着して走ったときの彼女の感想や各データの変化が今から楽しみだ。
全ての手続きを終えて精算に入る。提示された金額に思わず二度見してしまったものの、フルオーダーなのだから仕方ない。たづなさんに気付かれない内にさっさとカードを取り出した。練習器具の分も合わさった後々の支払い額に戦々恐々とするものの、まあどうにか致命傷で済むだろう。
リボ払いの選択肢もちょっとだけ頭にあったが、元々分割払いは抵抗あるうえに、何故か引き返せなくなるような嫌な予感がして取り止めた。おかしいな。あの真面目なライスシャワーがオススメしている画像をどこかで見たことがある筈なのだが。
――PM 4:15――
「オーラーイ、オーラーイ…………はーい、ストップでーす!」
西日に照らされたトレセン学園の玄関前で、誘導棒を持ったたづなさんの声が響き渡る。長くも短い夏合宿が終わり、ようやくバスが学園へと戻って来たのだ。生徒たちの車は直接寮前に向かうため、ここで降りるのは教職員やトレーナーといった大人のスタッフのみとなる。
「無事、到着!! たづなよ、誘導ご苦労だった!」
「お帰りなさい理事長、合宿では何も変わったことはありませんでしたか?」
「うむ! 万事問題無い――と言いたいところだが……すまない。実は今年も想定していた予算をだいぶ上回ってしまった!」
「え……ええっ!? 昨年より2割も多く割り当てたのにですか?」
「そうなのだ……しかも今回は食費に相当余裕を持たせた筈なのだが、それでも追いつかなかったようだ。あとはいくつかの器物破損が発生している。聞けば柵と間違えて壊したり単に力加減を知らなかったり薬品が突如爆発したそうなのだが」
(まあ、あいつらだろうな……)
名前こそ一切出ていないものの、容疑者の顔はすぐに浮かんでくる。どいつもこいつも学園の有名人かつ問題人物だ。渡された明細の束をチェックしながら徐々に顔を青ざめさせていくたづなさんを不憫に思う。
「……了解です。本当にお疲れ様でした。では打ち上げ会場は6時からいつものところです。私はこれを処理したあとで向かいますので」
「承諾! すまんが任せるぞ――諸君っ! 二ヶ月に渡る長期合宿、誠にご苦労だった。ささやかではあるが今年も慰労会を開催するので、時間と健康に余裕があるなら出席してもらいたいっ!」
理事長がそう宣言した瞬間、周囲からは歓声が沸き起こる。日頃より10代の活発な少女たちのペースに合わせられるバイタリティを持っていることから、この学園のスタッフたちの多くはアクティブかつ良い意味での体育会系気質の者が多い。なのでこういった飲みニケーションの類も今どき珍しく歓迎される風潮だ。
一部のみ戸惑った空気を醸し出しているのは今年入ったばかりの新人たちのグループだろう。タダ酒の場はどれだけあっても良いので彼らにはしっかりとシンパになってもらわなくてはならない。というわけで――
「よう、夏合宿どうもお疲れ様。君たちは行くのかな? 慰労会」
「あ、お疲れ様です。そうですね、私は行くつもりではいるんですが、あとの皆さんはどうしようかなと相談しているところで……」
応対してくれたのはボブカット風の髪型をした小柄な女性トレーナーだった。確か桐生院といったか。とっかかりは掴めたので、彼女以外にも聞こえるようにやや大きめの声を出す。
「そうか。まあ明後日からはまた忙しい学園生活が始まることだしな。慣れない環境で疲れてるなら担当ウマ娘に迷惑を掛けない為にもさっさと帰って休んだ方がいい」
「そ、そうですよね……なら」
「ただ、もし余裕があるんなら参加してみても損はないかな。酒で口を滑らせたベテラントレーナーが育成のコツや担当ウマ娘の特徴をうっかり喋っちまうことなんてザラにあるし。実際俺もそれで何度かレースで勝たせてもらった」
「えっ?」
桐生院以外の新人トレーナーたちの目がばっ、とこちらに向けられる。実に素直で良いことだ。
「あとはそうだな……中堅以上のトレーナーならみんな担当との適切な距離の取り方を把握してるからな。君らの中にも合宿時に担当から迫られたり、逆に変にギクシャクしてしまった奴がいるんじゃないか? もしそういうので悩んでいるんなら、同じ経験を乗り越えた先達者たちに酒の力で相談してみるのも一つの手だと思うぞ」
「な、なるほど……わ、私、参加しますっ!」
「そ、そうだな。俺も行くぞ!」
「あたしもよ! 明日はオフだしとことんやってやろうじゃない!」
元々乗り気だった桐生院を皮切りに、ここまで迷っていた者たちからも続々と参加の声が上がっていく。これでも反応が無い者は体調不良やどうしても外せない用事があるのだろう。その殆どは残念そうな顔をしているので、次はきっと参加してくれるに違いない。
「先輩ももちろん参加するんですよね?」
ミッション達成にひとり満足していると、桐生院から声をかけられた。もちろんだろ、と即答しかけたところで――
「……あ、そういや合宿行ってなかったな」
参加資格が無いことに気付き愕然とする。骨折り損もいいところだった。
――PM 5:10――
「はあ……」
カーテンを閉めた理事長室内で、ひとり小さく息をつく。画面に表示されている数字をしばらく眺めた後、再び手元のマウスを動かしはじめた。
どうしよう……明細に書かれた金額を会計ソフトに放り込んで終わるつもりだったのに、つい収支計算までしてしまったのが間違いだった。表示された赤字額に青くなり、慌てて予算の流用案に手をつけてはみたものの、いいプランが思いつかない。
壁の時計を見れば集合まであと50分を切っている。それまでにとりあえず自由が効きそうな予算項目を探して、私服に着替えて軽く化粧も直して、その後に移動……ダメだ、到底時間が足りない。
どんどんと気持ちばかりが焦ってしまう。そんなとき――
「お疲れ様。そろそろ出発しないと間に合わないぞ、たづなさん」
「トレーナーさん? どうしてここに?」
ノックに続いて入ってきたのは自分のトレーナーさんだった。ずかずかとこちらに歩み寄ると、両手に持った缶コーヒーの一本を私に差し出してくる。
「ありがとうございます……ですが今はこれをどうにかしてしまいたくて」
「会計ソフト……ってことはさっきの明細絡みか。もう入力は済んでるみたいだけど?」
「ええ、ですが合宿で生じた赤字をどこかで埋め合わせする必要があって。都合のつきそうな予算項目が見当たらないんです……」
「なるほど――だったらまず生徒会関連のところを見直してみたらいいんじゃないか? 何でもエアグルーヴがルドルフの為に徹底して無駄を削ったとかで、昨年はかなりの予算が余ったらしい」
「えっ……そうなんですか?」
「ああ。それとこのイベントは去年参加したけど多くのウマ娘たちから不評だったから、いっそやらない方がいいかも知れない。あとは全く使ってない部室の維持費とか、何故か毎年購入されているセグウェイとか、あれ必要か?って話を同僚たちとした覚えがあるな」
つらつらと現場目線で意見を述べるトレーナーさんに合わせて該当項目の予算を削っていくこと数分――決して少なくない額の赤字はほぼ綺麗に解消されていた。本当に削ってよいものかの是非は後日あらためて照査する必要はあるものの、ひとまず目途はついた格好だ。
「はあ〜〜っ」
PCをシャットダウンし、懸案事項から解き放たれた瞬間、ぐでーっと机に突っ伏した。数秒ほど充電を行った後、顔を起こして功労者であるトレーナーさんを見つめる。
「ありがとうございますトレーナーさん。おかげで助かりました」
「どういたしまして。その代わりといってはなんだけど、一つ頼みを聞いてくれないかな?」
「何でしょうか?」
「うん、まあ、その……」
何故か言い淀むトレーナーさんの姿に、少しだけどきりとした。二人きりの部屋で、あらたまった態度となれば、否が応にも意識してしまう。
だが、
「この後の慰労会な、その……一緒に連れて行ってくれないかな?」
「はい?」
「ほら、俺今回合宿に行ってないから参加できないだろ? けどたづなさんが口利きしてくれたら一人くらいはねじ込めるんじゃないかと思ってさ」
そうして出てきた言葉は、ムードもへったくれもない代物だった。そういえば酒の席が大好きな人だったか。身振り手振りで慰労会に参加したい旨を必死に訴えるさまに、思わず笑いが漏れてしまう。
「どうした? たづなさん?」
「いえ、トレーナーさんの動きが面白かったもので。というかそんなことをしなくたって参加できますよ。学園スタッフ全員が対象者なんですから」
「え、マジで?」
「はい、マジですよ」
そう言うと、トレーナーさんの顔が鳩が豆鉄砲を食ったようになる。トレーニングのときや足を気にしてくれたとき。そして私をスカウトしたいと言ってくれたときとはまた別の、どこかほっとする表情。
今日一日を一緒に過ごしたことで、あらためて実感する。この人がトレーナーになってくれて本当に良かったと。
「というわけで、遅れないようにそろそろ出発しましょうか、トレーナーさん」
「ああ……って、ちょっ、何してるんだたづなさん?」
立ち上がるなり、そっと彼の腕にもたれかかる。重みを感じさせないように。ごく当たり前の行為に見えるように。
平常心を保ちつつ、いつもの笑顔を作る。
「今日は流石にちょっと疲れちゃいまして。すみませんがこのまま私の私室まで連れていってもらえませんか?」
「こ、このままで?」
「はい、このままで。あ、大丈夫ですよ、辺りに人の気配は無いみたいですから」
「そういう問題じゃないんだが……まあ、いいか」
そう言った瞬間、彼の手が自分の肩に回された。体重を預けても大丈夫だと訴えるように、きゅっと引き寄せられる。
「そ、それじゃあ行きますね。足元気をつけて」
「はい。エスコートよろしくお願いします。あと敬語に戻ってますよ」
彼の気遣いを感じつつ、えっちらおっちら歩き出す。そんなに長い距離ではないものの、それでもこちらを気にするかのように時折目が向けられ、その度に嬉しさが溢れてくる。
明後日からはいよいよ学園も再開する。現役復帰したことで、きっと例年以上に多忙な日々が待っているだろう。が、心も身体も彼がしっかりとメンテナンスしてくれた。だから、十分に乗り切れる。
(ありがとうございます。そして、引き続きよろしくお願いしますね、私のトレーナーさん)
心の内であらためて感謝を述べる。そうして私室に辿り着くまでの間、彼の横顔をひっそりと眺め続けた。