ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな) 作:愉快な笛吹きさん
「わあ……!」
グラウンドにやってくると、その光景にたづなさんの目が釘付けとなった。
いつもは遊びやトレーニングの場でしかないこの場所も、今日は広めの動線に沿って無数のテントが立ち並び、生徒たちがそれぞれに店を出してファンとの交流をはかっている。
豪快なBBQで客の目と食欲を釘付けする者や、本職にも勝る手つきでたこ焼きを返して喝采を浴びる者。
えいえいむんと愛情のこもった家庭料理で独身男性のハートを盗んでいく者もいれば、ぱくぱくですわとばかりに豪快にスイーツを貪り、これまた喝采を浴びる者もいる。最後のはちょっと方向性が違うが。
出店の形式ではあるものの、なにも飲食一辺倒というわけでもない。
ちらりと視線を傾ければ、真剣な様子で水晶玉に手をかざすマチカネフクキタルの姿や、手作りの本を売りつつ、同好の士と共に公衆の面前でお見せできない顔をしているアグネスデジタルの姿もある。理事長のものがないかあとでチェックしておこう。
「本当に色々なお店があるんですね」
初めて上京してきた田舎娘よろしく、きょろきょろと視線を動かすたづなさん。毎年のことだから特に珍しくもないだろうに。
そんな疑問を口にすれば、彼女が小さく笑う。
「ああいう賑やかな場所の見回りは基本的に生徒会の受け持ちなんです。私は人気が無い場所が殆どですね。何かあっても一人で対応できますから」
「そうなのか、なら――」
「奈良?」
「あ、いや何でもない。気にしないで」
なら、学生時代は――と言いかけて、慌てて引っ込める。これだけ珍しがってるくらいだ。以前はどうだったかなど訊くまでもないだろう。危うくまた同じ轍を踏むところだった。
だがこれで自分のやるべきことは一層明白になる。今日は心ゆくまで彼女に祭を楽しんでもらおう。
「えー、ワガハイの作った美味しいはっちみーはいかがかね?」
「二つくれ」
「マリアナ海溝での死闘で捕獲した大王イカを使ったゴルシ焼きそばだあ!」
「二人前頼む」
「お、美味しいチョコはいりませんか? あれ? もう無くなっちゃってる……な、なら代わりに私をあげますぅう〜!」
「悪いが返品で。売り子なら店まで取りに帰ればいいだけだろ? 二つな」
「くっくっく。このタキオンが開発した新型栄養剤はいかがかね? 味も効果も保証付き。健康にも直ちに影響はないときている。まあ小一時間ほど身体が緑色に光るかもしれないが、サイリウムの代わりになると思えば問題は無いだろう?」
「くっ…………わかった。一つもらおう」
「ダメですー!」
熟考の末に購入ようとしたところでたづなさんに引っ張られ、その場を後にした。
やれやれと肩を竦めたアグネスタキオンが雑踏の中へと消えていく。新たなモルモットを探しにいったのだろう。
ようやく安全圏まで脱出したことが確認できると、たづなさんが手を離す。
「もう! 何でもかんでも買ってはいけません!」
「いや、たづなさん緑が好きだから……いっそ光ってみたら喜ぶかなと」
「緑なら何でもかんでも良いってわけじゃないです! だったらロイヤルビタージュースだって緑のうちですよ?」
確かにそうだった。これ以上無いほどの説得力だ。
少しばかり掛かっていたことに項垂れていると、たづなさんが呟く。
「……でも、トレーナーさんの気持ちは嬉しかったですよ。なので今度お時間のある時に披露してもらえれば」
「披露する意味が全く無くないかそれ?」
そう呻きながら、悪戯っぽく笑うたづなさんをちらり見る。今まで大した女性経験があるわけでもないが、とりあえず今のところは楽しめている感じだ。
そうこうする内にグラウンドをほぼ回り終える。買い食い続きでいい感じに腹も膨らんだので、ここらで何か身体を動かせるようなイベントがあれば参加してみたいところだ。
と――
『うぇーーい☆ 今日は待ちに待った聖蹄祭! 皆バイブスアガってるー!?』
会場に設置されたスピーカーから、突如テンション高い声が響いてきた。
学園一のパリピウマ娘であるダイタクヘリオスのものだ。
『とりま今から校舎前でウチとパマちん主催のダンスコンテストやるんで。興味あったら皆かまちょ!』
『飛び入り参加も全然OKだからね〜。じゃあまた会場で! よろ〜』
どうやらイベント告知の放送だったらしい。ある程度ここを堪能したファンの人たちが、渡りに船とばかりにこの場を離れていく。それは自分たちも例外ではない。
どちらからともなく行ってみようかという話になると、グラウンドを後にした。
「いやーこれはテンアゲな熱盛パフォだったんじゃね? 審査員のトプロっちはどう? 三行で☆」
「凄いです。
ワンダフルでミラクルで、
とにかく凄いです」
「きっかり三行あざっす☆ んじゃ次は――」
爆逃げコンビが主催するダンスイベントも、いよいよ佳境に差し掛かってきた。事前からの参加者は皆踊り終え、今は一般客からの参加者を募っている。
ダンス経験の無い者でも参加ウマ娘たちからのサポートと、ヘリオスとメジロパーマーによるアゲアゲ実況で大いに盛り上がれるという、かなり満足度の高いイベントだった。
レースとはまた違った熱量にあてられ、凄い凄いと耳をぴこぴこさせているたづなさんに、いっそのこと提案してみる。
「どう? 良かったら参加してみないか?」
「わ、私がですか?」
「うん、これだけ人が集まってるし、ウイニングライブのいい予行練習にもなるかと思って」
そう理由を付け加えると、うーんとたづなさんが悩み始めた。実際、担当になってからはトレーニングばかりでライブの方はノータッチなのが少しばかり心配だったりもする。
一応ダンスの基礎は身体に染み付いているため、あとは公式の振り付けを覚えれば大丈夫とのことらしいが。
「わかりました。じゃあトレーナーさんも参加してくれたらエントリーしてみます」
「え、俺も?」
「はい。一人では少し恥ずかしいので……」
確かに、ブランクがあるのにいきなり壇上へ上がるのも勇気がいることだろう。
一人一人踊っていく形式なので、先に自分が出てハードルを下げておくのもいいかもしれない。
「わかった。やってみるか」
「いやーマジ卍なパフォーマンス、どもどもでーっす! じゃあ審査員のライアンから感想をどうぞー」
「そうですね、とにかく大腿四頭筋がいきいきとしている様子にドキドキしちゃいました。体幹を支えるコアマッスルたちも凄く頑張っていたと思います」
メジロライアンによる筋肉コメントで会場が笑いの場に包まれると、いよいよ自分の番となった。
真後ろのたづなさんからいってらっしゃいと手を振られたのを合図に、仮設ステージへと乗り込む。
「うぇーーい☆ 次の挑戦者は何とウチらの学園のトレピッピだよ! ウマ娘をエブリデイ教えてる良さみなパフォにぜひ期待よろ☆」
ヘリオスの盛り上げで会場からの熱気が否が応でも高まると、曲が流れ始める。
事前に好みの曲をリクエストしておくシステムで、今回は無難にうまぴょい伝説にしておいた。多少下手でも曲の勢いで乗り切れるうえに、踊りのレベルに合わせてDJ役のヘリオスがBPMやタメをアドリブしてくれるので客ウケもよい。
「はっ……はあっ」
ウイニングライブもトレーナーの指導項目にあることから一応は踊れるのだが、やはり体力的にきつい。おまけにこちらをイジるためか、ヘリオスがBPMを少しずつ上げてきている。殺す気か。
2位3位用のパートも折り混ぜて少しでも息を入れながら、サビのラストに入りステージを走り出す。そういやハイタッチする相手がいないなと思っていたら、客席からマーチャン人形が飛んできたのでキャッチした。流石のアピール力だ。
「さっすがトレーナーさん! あのリズムで最後まで踊りきるとか。最高にいい波ノッてたよー!」
どうにか最後まで踊りきり、マーチャン人形を本人に返すと拍手でステージを降りていく。
控えていたたづなさんとぱちんとハイタッチすると、すれ違いざまに声を交わした。
「カッコ良かったですよ。トレーナーさん」
「ありがとう。たづなさんも楽しんでな。ここで見てるから」
「はい!」
気合いの入った返事のあと彼女が壇上へ躍り出た。飛び入り参加では初めてのウマ娘の登場に、会場がにわかに盛り上がる。
「おおーーっ☆ テンアゲが過ぎて思わず誘われちゃった的な? オトナの雰囲気たっぷりな飛び入りウマ娘のテクにこりゃも期待アゲしかないっしょ☆ ってことで、ミュージックスタート!」
紹介が終わり、いよいよ曲が流れ出す。聴こえてきた切なさを感じるイントロにああ……と納得した。
『Never Looking Back』いかに挫折を繰り返そうとも前に進まんとする思いがこめられた人気曲だ。
靴音を響かせながら、たづなさんがマイクスタンドの前に進み出た。一見して修練を積んできたことがわかる滑らかな所作に、それまで賑やかだった客席がはっとなる。
鮮やかな手付きでマイクを抜き取り、そして――
「ありがとうございました」
曲が終わり、マイクをスタンドに戻したたづなさんが礼を言うと、会場が湧きに湧く。
最初こそやや声が小さかったり、自己流の振り付けがやや古臭かったりしたものの、やはり曲選びが良かったのだろう。
自らの心境と重ね、情感たっぷりに舞い歌った姿はこの場に集った多くの人とウマ娘の琴線に触れたらしい。「かんどうじだあ〜!」と滝の様な涙を出しているウイニングチケットなどが良い例だ。何を隠そう、自分も。
彼女の願いに応えないとな、と、決意を新たにする。
「いやー盛り上がったねえ。もしかしてここのOBの人かな? 本当に凄いパフォーマンスだったよ」
「ありがとうございます。ええと、そうですね、そんな感じです」
話しかけてきたパーマーに、たづなさんが言葉を濁す。決して嘘ではないが、パーマーが想像しているものともまた違うだろう。その事実が少し面白かった。
「次はどこに行かれるんですか?」
ダンスイベントの会場を後にすると、再び校舎の中へ戻ってきた。
当初より随分と賑やかになった廊下を歩きながら、たづなさんの質問に答える。
「ああ、ずっと動き回ってたからそろそろ一息つこうと思って。丁度マンハッタンカフェから喫茶店を開くから来てほしいと言われてるから、そこに向かってるんだ」
「マンハッタンカフェさんがカフェ……シンボリルドルフさんがいかにも言いそうですね」
「確かに……ルドルフで思い出したけど、生徒会の出し物がギリギリまで会長の大ダジャレ大会に決まってたんだってな。エアグルーヴの胃が本気でヤバいことになってたらしい」
「おいたわしやですね。もし成功させるならナイスネイチャさんが百人くらい必要になりそうです」
「何とか回避してからは逆にルドルフの方が凹んでたみたいだけどな」
そんな雑談を交わしながら先に進んでいくと、ふと辺りの空気が変わった。じめっとした、何となく重苦しい感じがする。
すると――
「いらっしゃいませ。トレーナーさん、たづなさん」
カーテンが敷き詰められ、暗がりになっている廊下の奥から、エプロン姿のマンハッタンカフェが現れた。格好こそ年相応の可愛さがあるものの、登場の仕方は完全に冥界への案内人だ。
「お店へ案内しますね……どうぞこちらへ」
「よろしくな……喫茶店じゃなく秘密結社に連れてかれる気分だが」
妙に反響する靴音と共にカフェの背中を追っていく。雰囲気に緊張しているのか、たづなさんがぴとっと身体を寄せてきた。止めてくれ、その攻撃は俺に効く。
「着きました……ここです」
カフェの言葉で足を止める。
見た感じはよくある形式の喫茶店だった。空き教室の入口にはイラストの入ったウェルカムボードが立てられ、ドアには可愛らしい飾り付けもしてある。
だがそんな努力も、横の壁にべたべた貼られている御札や霊縄のインパクトの前では無意味に思えたが。
「絶対寺本の仕業だろ、これ」
「マンハッタンカフェさんのトレーナーさんになられた方ですよね。中にいらっしゃるんですか?」
「ええ……給仕をしてくれています。このお札や縄は、悪いものが寄りつかないようにとのことで……」
「人まで寄りつかなくなってるみたいだけどな……とりあえず入ってみるか」
相変わらずだなと思いつつ、たづなさんを引き連れて足を踏み入れる。
内装は意外にも良い感じの雰囲気だった。黒布を貼り付けたカーテンが降ろされ、間接照明の灯りだけがほうと照らされるなか、私物のものと思わしきぬいぐるみやラグ、ソファーなんかを組み合わせてほっとする空間ができあがっている。
喫茶店というよりはバーの雰囲気に近いのかもしれない。或いはガード下のおでん屋とか。
と――
「むっ……悪霊か」
「人間だよ。何で毎回間違えるんだ」
奥から現れたカフェのトレーナーである寺本が、学生時代からの変わらないやり取りで出迎えてきた。
寺生まれを体現するかのような見事なスキンヘッドに鋭い目つき。いつもとは違う給仕服姿も引き締まった体躯にはよく似合っていた。
「冗談だ。いらっしゃいませ、ようこそ当店へ。生者では最初のお客だな」
「お前が言うとシャレにならんから止めてくれ。たづなさんがビクッてなっただろ」
「たづなさん……? ああ、言われてみれば確かに。驚かせてしまい申し訳ない」
いつも冷静な友人が珍しく目をぱちくりとした。やっぱ初見じゃ気付かないよな。
思わぬところで上司と鉢合わせする格好になった寺本が、姿勢を正すと合掌しながらお辞儀する。
「寺本です。新人説明会や研修の際には何かとお世話になりました。あと、俺とカフェを引き合わせてくれた事を心より感謝します」
「ありがとうございます。ですが私は何も。お二人を繋いだのはトレーナーさんですから」
「お礼ならいつでも受け付けてるからな。金色で泡の出る飲み物がベストだ」
「普通に図々しいな。紹介してくれたのは素直にありがたいが、お前が勘違いしていたせいでいらん誤解が生まれるところだったぞ」
そう告げられ、寺本にじろりと睨まれた。そういや最初は厨二病の体で連絡したんだったか。引き合わせた数時間後に「妄想じゃなくて本物だろうが!」と電話越しに怒られた記憶が蘇る。
「とりあえず、まずは座って下さい……何を飲まれますか?」
「ああ、普通にアイスコーヒーでいいよ」
「私も同じもので」
「わかりました。ではトレーナーさん……お二人をお願いします」
「わかった、任せておけ」
そう言うと仕切りの奥へとカフェが消えた。何故かこの場に残った寺本の存在が気になり声をかける。
「……給仕なのに運ばなくていいのか?」
「ああ、お前たちの安全を守る方が先だ」
「それはもう給仕って呼ばないと思うんだが? 一体何が起こるんだよ」
「いや何も。只の冗だ――破ぁっ!! ……冗談だ」
「いま絶対何か祓ったよな!?」
何事も無かったかのような顔の寺本に詰め寄るものの、首を振るだけで頑なに認めようとはしない。
ふとたづなさんの方を見てみれば、平静を装ってはいるものの、膝上に置かれた手がかたかたと震えている。そろそろ限界が近いようだ。
いい加減立ち去るべきかと思いかけたそのとき、お盆にグラスを乗せてカフェが戻ってきた。
「お待たせしました……どうぞ」
「ありがとう……うん、普通に美味しいな。本格的なやつって感じがする」
語彙力に乏しいコメントしか出せないが、気持ちのほどは伝わっただろう。
たづなさんも気に入ったらしく、無言でほう、とした表情を浮かべていた。
それまでやや緊張気味だったカフェの顔がぱっと明るくなる。
「良かった……コーヒーには結構こだわりがあるので……そう言ってもらえてほっとしました」
「その前に店の環境にもこだわってほしいんだが……いくら味が良くても怪異の起こる喫茶店とか落ち着けないにもほどがあるぞ」
「仕方あるまい。どうもこの教室は陰気が集まりやすいようでな。結界を張ったがそれでも雑魚がしょっちゅう中に入ってくる――ああ、ちなみにネズミの破ぁっ!なしだ」
「いや全然ごまかしきれてないから! たづなさんの方も限界みたいだし、悪いが飲んだらすぐ出るぞ」
「そう……ですか」
お盆を胸元に抱えていたカフェが、がくりと肩を落とす。少し言い過ぎたかもしれない。
再び顔色を悪くしているたづなさんに近寄った彼女が、頭を下げる。
「ごめんなさいたづなさん……来てくれた方にゆっくりした時間を過ごしてもらいたいと思って頑張ったんですが……これでは逆効果ですね」
「マンハッタンカフェさん……」
しゅんとするカフェを見て、一時恐怖が薄らいだのだろう。たづなさんの目がこちらを向く。
「私は大丈夫ですから。もう少しここでゆっくりしていきませんか?」
「それはいいけど……まずは他のお客さんが寄り付かないことにはなあ」
ここに来るまでの出来事を整理してみる。何となくじめった空気に加え、異様な雰囲気を与える入口の御札や霊縄。単なる飾り付けではなく、霊障を改善する為なので撤去はできない。
またも何かを祓い終えたらしき寺本が告げる。
「この際だ。思い付きでもいいから何か解決策はないか? 連日遅くまで残っていたこの娘の頑張りを無駄にさせたくはない」
「トレーナーさん……」
さらりと見せた寺本の気遣いに、カフェが心打たれた表情を見せる。結成間もないペアだが上手くいっているようで何よりだ。
あいつの友人として、また先輩トレーナーとして何とかしてやりたいとは思うものの、生憎こういった霊能関係に強い知人やウマ娘を他に知らない。せめて全体的に漂う陰気でじめった空気を何とかできれば御の字なのだが――
「ああなるほど……陰気に空気か」
「何か良い方法があるんですか? トレーナーさん」
「ものは試しだけどな。ちょっとこの二人の力を借りてみようと思う」
携帯を開き、学園名簿を表示する。そうして指し示した名前に、皆が驚いた顔を見せた。
それから二時間後――見違えるほどの光景がそこにあった。
何ということでしょう。どこかじめっとした喫茶店へと続く廊下は、ところどころで窓が開け放たれたことにより、さらりと秋の風が吹く明るい空間に。
これまで不審感を与えてばかりだった御札や霊縄の前には大きな観葉植物を置いて、立ち寄る人たちの心を和ませています。
喫茶店の中も少しだけ様変わり。
ほっと癒やされる中央の空間はそのままに、南側を徹底的に掃除。一方で火を扱うサイフォン等は魔除けの効果を狙って北側へと移動させました。
陰気が特に強い箇所には匠の技が。
カーテンの隙間から僅かに陽光を取り入れ、更に御札を貼った床の上に柄物のラグを敷くことで、上下から陽気を取り入れました。これなら怪異にも合わずコーヒーを楽しめることでしょう。
「――という感じらしい。どうやら上手くいったみたいだな」
「ええ、こんなにも変わるものなんですね」
そう言うとたづなさんが喫茶店の入口を見やる。少し前まで閑古鳥が鳴いていた場所は、今や行列ができるほどの変貌を遂げていた。仕方なく時間制限を設けたようだが、帰る人たちは概ね満足そうな顔をしているから問題は無いだろう。
ちょうど手の空いたらしきカフェと寺本が足早にこちらへやってくる。
「本当に……ありがとうございました。トレーナさんのおかげです」
「どういたしまして。あの二人にも礼を忘れずにな、何せこの店を立て直した匠たちだ」
ちら、と目線で示した先には二人のウマ娘が話している。コパノリッキーにヤマニンゼファー。それぞれ風水と、風を感じる特技を持ったウマ娘だ。
二人からのアドバイスをもとに廊下や店内を改装した結果、どうにか陰気は薄まり、怪異も自然と消え去った。
頷いたカフェたちが二人の下に寄って礼を言う。
「ううん、お礼なんていいよ。これで風水のこと、皆にもっともっと知ってもらえたしね☆」
「風を吹かせてほしいと言われた時は飄風なお誘いだと思いましたが……中々どうして面白い試みでした。凪は時に悪風を招くのだと知れたのも、良い経験です」
「経験か……これまで防ぐか祓うばかりだったが、こんなやり方もあったとはな。大陸の理論に自然の知恵、どちらも大いに助けられた。良かったら今後も俺に教えてもらえないだろうか?」
「うん? それってもしかしてスカウトの話かな?」
「そうじゃないが……そうだな。お礼ついでに走りを見てやるくらいならできる。その時にまた考えてみよう」
寺本がそう言うと、場がにわかに活気づいた。屈託なく喜ぶリッキー、やや不機嫌になったカフェは寺本のシャツを後ろから摘み、ゼファーは「まあ」と口元に手を当てている。
軽い修羅場の香りがするものの、とりあえずは一見落着だろう。
「そろそろ行こうか」
「はい」
たづなさんを連れてすっとこの場を離れていく。こちらに気付いた寺本が最後に合掌しながらお辞儀すると、片手を振って返した。
「綺麗ですね……」
すっかり日も暮れたトレセン学園の屋上。ベンチに座って次々と打ち上がる花火を見ているうちに、自然と声が漏れた。
隣にいるトレーナーさんがそうだな、と同意する。
「色々と穴場を探したけど、やっぱここが一番なんだよな。皆で盛り上がりたいからか、生徒たちもこの時間は寄り付かないし……ってことで、そろそろいいかな? たづなさん」
「はい……トレーナーさん」
もはや言葉はいらなかった。この雰囲気で何をすればいいかなど、十分過ぎるほどに分かりきっている。
互いに向き合い、花火を映し出した瞳をじっと見つめる。そうして想いが最高潮にまで高まると、どちらからともなく腕を伸ばした。
そして――
「乾杯っ!」
手にしたノンアル缶を互いにぶつけると、そのまま口元へ付けた。一口、二口と飲み干した後、はあ……と息を吐く。
「ふう……アルコールが入ってないのは残念だが最高だな。ここ最近はずっとロイビでの晩酌だったから」
「そういえば作業中に色々と試されていたんでしたっけ。何か良いレシピは見つかりましたか?」
「ああ、やっぱりブラックコーヒーで割るのが一番だな。眠気と体力回復をまとめて補える」
「味の方は改善できなかったんですね……」
互いに苦笑いをして会話が途切れた。乾杯してすぐの会話がロイヤルビタージュースな辺り、いかにこの数日間が激務だったかがよくわかる。
ともすればあの味が口中に蘇ってきそうになるのをこらえていると、トレーナーさんが口を開いた。
「でもまあ、終わってみれば良い経験だったかな。たづなさんと一緒に会場を回って、あの書類の山が出会ったウマ娘一人一人の笑顔に繋がっているんだなってことがよくわかったよ」
「はい! まさにそうなんです! わかっていただけますか」
手を合わせながら、やや興奮気味に声を上げる。仕事の能力を持ち上げられることはままあれど、仕事への想いに理解を示してくれる人は殆どいないから。
と――
「ま、そんなわけでな……ほら」
「?」
不意に、トレーナーさんから折り曲げた紙を手渡される。開いてみると、中央にQRコードが印刷されていた。
「ダジャレ大会を阻止してやった礼にエアグルーヴに作ってもらったんだ。一人で満足するのもいいけど、ときには利用者からの声を聞くのもやる気に繋がるからな」
彼の声に従い、自分の携帯でコードを読み取る。出てきたリンク先をタップすれば、簡単な掲示板形式のサイトが表示された。
タイトルは――『聖蹄祭でお世話になった学園スタッフへのお礼メッセージ』
「これは……」
すっ、と指を滑らせる。エアグルーヴからの説明と例文も兼ねたメッセージを皮切りに、既に多くの投稿が寄せられているようだった。
無理をいって希望時間に届けてもらった配送業者への感謝や、一緒に作業を手伝ってくれた先生方へのメッセージ、炊き出しに協力してくれた食堂スタッフへのお礼など、長短様々な言葉が書かれている。
そして――
「あ……」
その中には私宛の投稿もあった。
絶対に無理だと思ってた会場が、短い時間だけど使えるようになっていたことへの感謝。
足を怪我してる自分でも関われる部署に配属できて楽しめたことへのお礼。
引退することになったけど、隣合わせになったライバルと最後に売上げ勝負ができて良い思い出作りができたという画像付きのメッセージなど。
どれもこれも、私とトレーナーさんとで話し合った案件だった。気にかけていたそれが無事に良い方向に向かっていたことに、自然と頬が緩む。
「良かった……皆満足してくれているみたいです」
「そうだな……で、これでようやく目標達成だ」
「目標達成?」
ぐびぐびと缶をあおりながら、トレーナーさんが妙なことを口にする。
最後まで飲み干して缶を床に置いた後、ぽつりと呟いた。
「聖蹄祭は皆が笑える日にしたいんだろ? ようやく自然に笑ってくれたな、たづなさん」
(あっ……)
言われてみて頬に手を当てる。気が付けば、聖蹄祭の前から意識していたはずの口元が緩んでいた。
にやりとトレーナーさんが笑みを浮かべる。
「誰か一人が我慢すれば、なんて考えは俺は好きじゃないんだよ。笑うなら皆で笑うべきだろ? だから――」
そっと伸びたトレーナーさんの手が、私の頭に触れる。
「本当にお疲れ様。よく頑張ったな、たづなさん」
そう言って、頭を撫でられる。セットした髪が乱れないように軽く、優しく、労るように。
そうして思い出した。私がこうも聖蹄祭に拘る理由を――
『聖蹄祭に参加? あんな弱者共の馴れ合いに参加するくらいならトレーニングに打ち込む方が千倍は有意義だ! わかったならさっさと練習に戻れ!』
何も知らなかった。一流の人は皆そういうものなのかと思い、脇目も振らずにトレーニングに打ち込んだ。
『ごめんなさい。今の医学では貴方の足はもう………そう。わかったわ。長く、辛い入院生活になるけど、それでもいいのね?』
全てを失い、先の見えない日々が始まった。ただただ必死にリハビリをこなす。もしも治った暁には、それまでやれなかった事をやれたらいいなと、強く思った。
『――は? 今さら何言ってんだか。元チームメイトの人たちから聞いてんだよ、あんたがアタシらを見下してたってね。弱者だから聖蹄祭なんかで馴れ合ってるなんて、よくもまあそこまで貶してくれたもんだ!』
長いリハビリを終えて戻ってくると、既にクラスに私の居場所は無かった。
何かしら言い返せることはあったのかもしれない。でも最初に選択を間違えてしまったのは私。
そう思うと何も言葉が出なかった。
『たづなよ、少し働き過ぎではないか? 今年の見回りだがたまには皆のいる場所で息抜きをしても…………そうか。わかった』
理事長の気遣いはありがたいが、人気の無いところで誰かがしょんぼりしているかもしれない。あの日の私のように。
どれだけ大変でもいい。もう自分のような思いをするウマ娘が現れなければ、それで満足だったのだ。
なのに――
――よく頑張ったな、たづなさん
「あれ……?」
つう、と、何かが頬を伝った。慌てて目元を拭うものの、次から次へと流れてくる。
異変に気付いたのだろう。トレーナーさんがぽんぽんと肩を叩くと、気遣うようにそっと後ろを向く。
優しく、大きな背中がそこにあった。
「う……ううっ……」
もう我慢する必要はなかった。ぱっと彼の背に寄りかかると、そのまま堰を切ったように咽び泣く。
ずっと、誰かに言ってもらいたかった。足が駄目になった時に、リハビリを終えて戻ってきたときに、秘書として山のような仕事を終わらせたときに。
『凄い』でも『良くやった』でもない。ただありのままに、自分を受け入れ、労って欲しかったのだ。
「綺麗だな……」
夜空を見上げたまま、トレーナーさんがポツリと呟く。
打ち上げては消えていく花火のように。
募った想いは涙となって秋の夜に流れていった。
「おはよう。たづなさん」
「おはようございます。トレーナーさん」
翌日――誰もいない自販機コーナーにて、たづなさんと久々にまともな挨拶を交わした。お互い目にクマも無ければ片手にロイヤル(ryを握っているわけでもない。
正真正銘の日常が戻ってきたのだ。
「昨日はよく眠れたかな?」
「はい。おかげさまで。トレーナーさんの方は?」
「ええ、寝不足だったせいか、二缶開けただけでぐっすりだったよ。だいぶ鈍ってるなあ」
「飲み過ぎにはくれぐれも注意して下さいね。今日からトレーニング再開ですか?」
「まあそのつもりだったんだけどな。何か祭でヒートアップした連中が急遽模擬レースをやる話になったらしくて、コースが一日中使えないらしい。なので今代わりのメニューを考えてるんだけど――」
そこまで告げたその時、たづなさんがまあ、と口元に手を当てる。
ふとデジャヴを感じた。思えば祭の前に会議室という名の牢屋に入れられたのもこんな始まり方だったような気がする。
いつも以上ににこにことするたづなさんが、まるで悪魔のような何かに見えた。
「あ、お忙しいようですし、そろそろ俺は」
「トレーナーさん」
「はいっ!」
素早く踵を返したものの、あえなく彼女に呼び止められた。恐る恐る振り返ると、頬に柔らかい何かが触れる。
「え……?」
すっと頬に手を当てる。ほんの一瞬だったが確かに彼女の唇が触れた気がした。驚きながら隣の彼女を見れば、少しだけ頬が染まっている感じもする。
と――
「良かった。逃げないということは、快く協力して下さるんですね」
「しまった! ハニートラップか!」
にっこり笑った彼女に手首をホールドされ、脱出のタイミングを失った。
人間にウマ娘が敵うわけありませんと誰かが言った通り、ずるずると連行されていく。
「ええと、一体何が始まるんです?」
「聖蹄祭の残務処理ですね。各出店で売り上げたお金を計算したうえで学園予算に計上したり、各部署や生徒会から上がってきた問題点や改善部分をまとめたり、入場者に配っていたアンケート結果を集計したりとかです。大丈夫ですよ。準備に比べたら全然大したことはありませんから」
全然普通に一日潰れそうな内容だった。相変わらず自分基準でものさしを測る彼女に、自然と苦笑いが浮かんでくる。
でも――
「今からやれば夕方には終われると思います。さくっと片付けて、またご指導のほどよろしくお願いしますね」
どこか肩の力が抜けた彼女の表情は一層いきいきしているようにも見えた。仕方無いな、と腹を括る。
この経験を今後のトレーニングに役立てられないかと思案しつつ、いつもの会議室へと入っていった。