ifウマ娘個別ストーリー(駿川たづな)   作:愉快な笛吹きさん

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あんし〜んなハロウィン

 デビュー戦が済むと、すぐに次のイベントがやってきた。

 

 ハロウィンパーティ――栗東・美浦の二つの寮生が合同で行う、割と大きな学園行事だ。

 寮生の中から代表に選ばれた者は仮装用の衣装を手配、作成するほか、当日は皆が参加できるようなダイナミックな催し物を企画しなければならない。

 最近だと学園の備品を利用したお化け屋敷や、手作りの山車によるパレード。変わったものでは屋上から生徒が胸に抱えた想いを大声で叫んだりするものもあった。とはいえ最後のはトレーナーに告白しまくるウマ娘が続出したことが問題視され、それっきりとなったのだが。

 あの時トップバッターで告白された鈴木先輩の『あ、詰んだ』顔は今も忘れられない。トレーナーを辞め、今は三児の父親だと聞いている。

 

 そういう経緯もあって、誰が代表に選ばれるかはトレーナーたちにとっても重要だ。だから今年の担当がテイエムオペラオーと知ったときはほっと胸を撫で下ろした。

 常時ヅカ俳優状態なのは少々胸焼けするものの、基本的には周囲を楽しませようとするエンターテイナーであり、かつ段取りも上手なため心配は少ない。

 

 

「ふふっ、見たまえトレーナーくん! あんなに恥ずかしがり屋だったはずの太陽が、このボクの美しさを一目見ようとつい顔を覗かせてしまったらしい」

 

 ハロウィン当日。

 カボチャをふんだんに使った意匠がされたゲートの前で、オペラオーが今日もオペラオーしている。

 意訳するに『前日まで曇りだったのに今日は晴れてんじゃん』といった感じだろうか。ヤマニンゼファーの風語も理解しつつあるため、そろそろバイリンガルを名乗ってもいいのかもしれない。

 

「ああそうだな。やはり世紀末覇王を前にして目を背けることは難しいのだろう」

 

 彼女の担当トレーナーもしっかりとそのノリについていく。誰もいないレッスンスタジオで鏡に向かってひたすら高笑いの練習をしていた頑張り屋さんだ。

 悦に入った二人を感動した様子で見つめるメイショウドトウの脇を通り過ぎると、いよいよウマバーサルスタジオ……もといハロウィンパーティの会場へと足を踏み入れる。

 二つの寮に挟まれた大きな広場は、今やすっかり様変わりしていた。

 

「相変わらず本格的だな」

 

 もう何度となく目にした光景ではあるものの、それでも見る度に驚かされる。

 中世の城や建物が描かれた大きな書き割りに、オグリキャップやライスシャワーサイズのカボチャをいくつも使った灯籠。エアシャカールを筆頭に、メカやITに強い連中が作り上げたゾンビロボットが辺りを闊歩するなか、この場に集った全てのウマ娘やトレーナーが、思い思いのコスプレや被り物で盛り上がっている。

 

 かくいう自分もTPOに合わせ、白シャツにベスト、黒のスラックスといういつもの仕事着の上に黒の長マントを羽織り、髪型もオールバックにしている。早い話がドラキュラの格好だ。

 と――

 

「年々規模が大きくなってますよね。皆さんの情熱にはいつも驚かされます」

 

「えっと……たづなさんだよな?」

 

「はい」

 

 すっかり聞き覚えのある声に振り向いた瞬間、はっと驚く。今年は理事長たちも顔を出すとは聞いていたものの、コスプレまでするとは予想外だった。

 おそらく卒業生たちが残したと思わしき置土産からたづなさんが選んだのは占い師だか魔女だかの衣装だ。バタフライマスクに黒のロングドレスの出で立ち。スカートのスリットからちらりと見えるレースのガーターが何とも妖艶さを醸し出している。

 

「理事長たちは?」

 

「あちらですね」

 

 たづなさんが指し示した場所を見れば、秋川理事長と手伝いにやってきた樫本代理が生徒たちに取り囲まれている。

 二人の衣装はうってかわって和風ホラー路線だった。理事長のは座敷わらしだろうか。黒髪のカツラにちゃんちゃんこは彼女の身長も相まってよく似合っていた。

 だが極めつけは樫本代理だろう。白のロングワンピースに自前の長髪で顔をすっぽりと隠しており、まさにリアル貞子だった。

 その完成度の高さに、たまたま通りかかったウマ娘たちが足を止めて感嘆の声を上げている。

 

「樫本代理の衣装はビターグラッセさんとリトルココンさんが選んだそうですよ」

 

「いやもうぴったりだな。あとは大樹のウロから這い出てきたら完璧じゃないか?」

 

 そう告げた途端、その場面を想像したのだろう。たづなさんが耐えかねたように吹き出した。テレビであれば効果音が流れ、ヤエノムテキのタイキックを受ける場面だろうか。

 

「大丈夫か?」

 

「けほっ……もう! トレーナーさんが変なことをおっしゃるからですよ」

 

「ごめんごめん。まあこれもイタズラのうちってことで」

 

「スーパークリークさんに捕まりでもしたんですか? いつから子供になったんです?」

 

「身体は大人、頭脳は子供なので」

 

「ならお酒は控えるべきですね。アルコールは子供の脳細胞に悪い影響を与えるそうですから」

 

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 しっかりとオチもつけたところで並んで歩き出す。コスプレしているとはいえ名目上は見回りのため、異変がないか目を光らせる必要がある。

 とはいえ最大の懸念であるウマ娘によるトラブルは参加しているトレーナーたちに任されているため、そう神経質になることもない。

 設備やセットなんかに不備は無いかを一通りチェックし終えると、あとは待機という名の暇な時間が出来上がった。

 一休みしようかとたづなさんとベンチに腰掛けると、二人のウマ娘がこちらにやってきた。

 

「ふっふっふ。ここであったが百年目! お菓子をくれなきゃターボがイタズラするぞ〜」

 

「いいぞターボ! 義によってこのウインディちゃんも助太刀するのだ。ギブミーチョコレートなのだ!」

 

「戦後かな? まあいいけど」

 

 苦笑しながらお菓子を詰め込んだ袋を開ける。こういうちびっこウマ娘たちにトレーナーたちがお菓子をせびられるのも毎年の恒例だ。

 

「ちなみに渡さなかった場合はどんなイタズラが待ってるんだ?」

 

「トレーナーがターボの心を弄んだ、というビラでもまこうかなって」

 

「シャレにならんやつだからなそれ。人生の落とし穴に嵌める気か」

 

 絶対に止めなさいと念押ししてからターボたちを解放する。子供はときに無邪気に残酷なことをするというのが骨身にしみる一幕だった。

 

「あ、あの。お菓子があれば良かったら分けていただけませんか? さっきタイキシャトルさんがお腹が空いて凄く辛そうな顔をしていたので……」

 

 ターボたちが去ったあと、入れ替わるようにたづなさんに声をかけたのはニシノフラワーだった。

 走りも学業も優秀かつ他人への思いやりを常に欠かさない出来杉くんのような彼女の訴えに、たづなさんが快くお菓子を渡す。タイキシャトルの分を差し引いてもかなりおまけしていると思わしき量だった。気持ちはわかる。

 

「はいどうぞ」

 

「ありがとうございます先輩。お二人に幸せが訪れますように」

 

 最後にぺこりと頭を下げて、ニシノが走り去っていく。マスクをしているので当然ではあるのだが、やはりたづなさんだとはわからないらしい。

 先輩と呼ばれて満更でも無さそうな彼女を微笑ましく見ていると、また新たなウマ娘がやってきた。

 とんがり帽子を被った露出多めの魔女コスプレをしている金髪の……ウマ娘、なのか?

 

「わお! 何だか趣味が合いそうなマスクを掛けたそこのウマ娘さん、ちょおっとあたしとイイコトしてみないかしらあ?」

 

「イ、イイコト……ですか?」

 

「ええ、ちょっとこの笹針をチクッとしてみるだけ。飛ぶわよお〜、身体に力がみなぎってきてレースでは一着連発! 血行も良くなるからお肌もツルツル! 金運もアップするし受験にも合格できるし身長もアップできちゃうかも……多分」

 

「へえ、面白そうだな。ぜひ続きを聞かせてもらえないか? 警察署の方で」

 

「ああん、通報手慣れ過ぎぃ♪」

 

 あのトレードマークの怪しいサングラスをかけていなかったせいで気付かなかった。ようやく正体もわかり緊急連絡先にコールしようとした瞬間、がっちりと手首を押さえられる。いや力強いなこいつ。

 

「久々に現れたな安心沢。何しに来たんだ」

 

「ん〜? ああ誰かと思えばあなただったのね? てことはこの娘が新しい担当かしら? なかなか良さそうな娘じゃない」

 

 戸惑うたづなさんに視線を向けて、学園の有名不審者かつエセ笹針師の安心沢刺々美が不敵に微笑む。

 相変わらず自分の実験相手を物色するために潜り込んでいたのだろう。何とも厄介な女に目をつけられてしまった。

 お前には関係無いと追い払おうとするも、大仰に肩を竦めてみせるだけだ。

 

「ほんとつれないわねえ。以前はあんなにも情熱的だったのに」

 

「以前はな。お前とはもうとっくに終わった仲だろう」

 

「あら、私は今でもヨリを戻したいと思ってるのよ? アナタさえよければすぐにでも……ね」

 

「勘弁してくれ。もうお前に振り回されるのは――ん?」

 

 トレーナー……いや、男としての勘だろうか。妙に嫌な予感がしてたづなさんに目を向けた。そういえばこの不審者を目の前にしてやけに大人しいが――

 

「とと、トレーナーさんは……ず、随分この方と親しいんですね」

 

 小刻みに身体を震わせ、思いきりキョドっているたづなさんに、しまった! と心で叫ぶ。どう見ても男女関係のそれにしか思えない会話内容は、彼女に誤解を与えるのに十分だったろう。

 慌ててたづなさんに声を掛け、どうにか誤解を解こうとしたのだが、

 

「ん、もう……今あたしと喋ってたでしょ。無視しちゃイヤ〜よ♪」

 

 そう言って背後から安心沢が最悪のタイミングで抱きついてくる。

 大きな苺大福をこちらに押し付け、まるで見せつけるかのようなムーブに、たづなさんの瞳がNTRもののラストの如く光を失った。

 

「ち、違うんだ。その……」

 

「いえ、いいんです。トレーナーさんのプライベートにまで踏み込むつもりはありませんから……あ! 私ちょっとお手洗いに行ってきますね」

 

「ちょ、待っ――」

 

 言うが早いか、ベンチから立ち上がったたづなさんが静かに走り去っていった。咄嗟に伸ばした腕が虚しさだけを掴んでだらんと落ちる。

 

(…………とりあえず、だ)

 

 まずは一つずつ片付けていこう。深いため息を吐き出すとその場でぐるりと回転し、安心沢の手首を掴んだ。

 その手に握られた笹針を半眼で見つめながら呟く。

 

「これは一体何かな?」

 

「えっと……落ち込んだ時にはこれが一番かと思って!」

 

「なるほど、じゃあちょっと試してみようか。ブスッとな」

 

「あふうんっ!」

 

 首筋に笹針を打ち込んで、安心沢の拘束から逃れる。

 大成功かそれとも失敗か。陸に上げられたマグロの如くびくんびくんのたうっている彼女をベンチにもたれさせると、たづなさんの走っていった後を追う。入場ゲートの方に向かったことから学園側に戻っていったのだろう。

 

 ――トレーナーさんのプライベートにまで踏み込むつもりはありませんから。

 

「くそ……」

 

 担当ウマ娘であれば当然の距離感ではあるものの、どうにももやもやした気分だった。

 

 

「はあ……」

 

 ため息を吐きながら徐々に足を止める。感情のままに走ってきた結果、どうやら校門の近くまできてしまったらしい。

 とりあえず休憩しようと、桜の木の下に設けられたベンチに腰掛ける。

 

「彼女……いたんですね。トレーナーさん」

 

 口に出して、またもや落ち込む。考えてみれば彼とて立派な成人男性だ。そういう存在がいたって全然おかしな話ではない。とはいえその相手があの不審者だというのは意外過ぎたが。

 

「追い出したら……良かったのかな」

 

 一般人と触れ合うイベントではないのだから、当然その権利があるしその権限もある。なのにそれを放棄して立ち去ってしまったのは彼の悲しむ顔がちらついたからだった。

 ふふ、と苦笑してしまう。こんなことで仕事放棄してしまうなんて秘書失格だ。

 たとえ実らなくても構わない。デビュー戦のときにそう心に決めたはずなのに、動揺し過ぎだった。

 

(……戻ろう)

 

 胸中を整理して、ようやく頭も少し冷えてきた。

 不自然な態度をとってしまったことでトレーナーさんに迷惑をかけたかもしれない。というかあの場でお手洗いを堂々宣言するとはいかがなものだったろうか。もうちょっとこう……あるだろうに。

 さっきまでとは別の理由でトレーナーさんに顔を合わせづらいなと考えていると、不意の風が辺りを吹き抜けた。

 ざあっと、そびえ立つ桜の葉が一斉に音を立てる。

 

「そういえば……トレーナーさんと初めて出会ったのもここでしたね……」

 

 

 もうどのくらい前になるだろうか――季節は春、桜の花が満開を迎えていたときのことだった。

 勢いよく吹き付けた風が手にしていた書類を舞い上げ、枝に引っ掛けてしまった。

 ジャンプしても到底届かない高さ。理事長とシンボリルドルフさんの捺印も貰っているために作り直すにも手間がかかる。

 これはいよいよ覚悟を決めるべきかとパンプスを脱ぎ始めたところでぶらりと彼が現れた。

 

「……何をされているんですか?」

 

 下ろしたてのスーツを身にまとい、まだあどけなさの残る顔がこちらを見つめていた。

 路上で素足を出しかけた自分の姿に羞恥を覚えつつ、事情を説明する。

 ふむふむと黙って聞いていた彼が、枝上の書類に目をやりながら告げた。

 

「どうにか取れそうですし、俺が登ってきますよ」

 

「え? でも――」

 

「いいから。素足で登ったりしたらレギンス破れちゃいますし」

 

 そう言うとジャケットと革靴を脱ぎ、シャツを腕まくりした彼が幹に取り付いた。多少の覚束なさはあるものの、それでもどうにか目標の高さまで登り詰める。

 そうして枝をばさばさと揺らすと、引っ掛かっていた書類が落ちてきた。

 

「いけましたかー?」

 

「はーい、大丈夫です。ありがとうございまーす」

 

 書類を拾い上げて大声で返事をすると、彼が頷いたのが見えた。そのまま慣れない動作でえっちらおっちら幹を降りていく姿に少しばかり不安を覚える。

 直後――

 

「うわっ!」

 

 体勢が崩れ、彼の身体が傾いた瞬間、足が動いていた。

 両腕を広げ、落ちてきた彼を間一髪で受け止める――が、流石に衝撃までは殺しきれない。

 たたらを踏みながら、最後は二人まとめて盛大に地面にすっ転んだ。

 

「す、すみませんっ! 大丈夫ですか! お怪我は!?」

 

「あ、はい大丈夫です。ちょっと服に土がついたくらいで」

 

 慌てて立ち上がった彼を見るに、どうやら無事のようだった。ほっとしつつ、ぱんぱんと服の土埃を払う。

 

「すみません、俺のせいで……あっ、クリーニング代、俺に払わせて下さい」

 

「いえ、そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ。それで貴方は……トレーナーさん、ですよね?」

 

「は、はい。今日からここに勤めることになりました! よろしくお願いします!」

 

「はい、よろしくお願いしますね。私は理事長秘書の駿川たづなと申します。丁度トレーナーさんを迎えにいくところだったんですよ」

 

「そうだったんですね……出会って早々に命を救っていただき、ありがとうございました」

 

「いえいえ、そもそも私が書類を飛ばさなければ起こらなかったことですから」

 

 ぺこぺこと彼が頭を下げればこちらもぶんぶんと掌を振る。

 少し危なっかしいところはあるものの、良い人が来たなという印象だった。

 が――

 

「でも、やっぱりウマ娘って凄いんですね。まさか落ちてくる俺の身体をがっちり受け止めるだなんて思いもしませんでした」

 

「えっ……?」

 

 そう言って私の頭の上にきらきらした目を向けるトレーナーさんに気付いた瞬間、ばっと頭に手をやった。

 おそらくさっき転んだ拍子にだろう。帽子が脱げ落ちていた。窮屈さから解放されたウマ耳がぴこぴこと気持ち良さそうに動いているのが掌ごしに伝わる。

 

「み、見ちゃいましたか……?」

 

「え? ええまあ……もしかして見たらダメなやつでしたか?」

 

「あ、いえそういうわけでは……ですができれば他の方には内緒にしておいてもらえませんか?」

 

「わかりました。あ、でも一つ条件が」

 

「……何でしょうか」

 

 いきなり交渉を持ちかけられ、少し身構える。

 にっと笑みを浮かべた彼が、きっぱりとした声で告げた。

 

「クリーニング代、きっちり受け取って下さい」

 

 

「……懐かしいなあ」

 

 当時のことを思い出して、ふふ、と笑みが漏れた。長らく学園に勤めているが、帽子の下を理事長以外の誰かに見られたのは後にも先にもあの時だけだ。

 サトノダイヤモンドさん風に解釈すればあれで縁ができたということなのだろう。気付けば彼と顔を合わす機会が増え、顔見知りがいない場面では帽子を外すこともあった。そうして今は彼の担当ウマ娘。本当にバ生とは何が起こるかわからないものだ。

 そして、今も。

 

「……ここにいたんだな」

 

「トレーナーさん……」

 

 走ってきたのだろうか。額の汗をハンカチで拭いながら、トレーナーさんが目の前に立っていた。

 あの日のあどけなさは消え、すっかり大人の男性になった彼の姿を見て、喜びと一抹の寂しさがない混ぜになる。

 

「何してるんだ。こんなところで」

 

「休憩です。慣れない衣装でちょっと疲れてしまいまして。トレーナーさんこそ、こんなところにいないで早く彼女さんの下に行ってあげて下さいね。不審者であることはまあ……ちょっと大目に見ておきますから」

 

「いや、そのことだけど――」

 

「わお! 私たちってそういう風に見られてたの? も〜う可愛いじゃない」

 

 そう声を上げて突然現れたのは件の不審……もとい安心沢さんだった。

 またも二人の仲を見せつけにきたのだろうか? だがそれにしてはトレーナーさんの顔が苦虫を噛み潰したようなものになっている。

 

(あれ……?)

 

 広場のときより幾分か冷静になったせいだろうか。今もそうだが、よくよく考えてみれば恋人だと断定するには少々怪しい部分が見受けられた。

 はあ、とトレーナーさんが息を吐く。

 

「とりあえず先に言っておくよ。こいつとは別に恋人でも何でもない」

 

「あら、私は別にそれでも構わないけど?」

 

「ややこしくなるから黙ってろ。まあ一言で言えばビジネスパートナーだな。もしくはタキオンとモルモット」

 

「モルモ……え?」

 

 ビジネスパートナーはともかく、二番目のやつは意味がよくわからない。彼女の笹針と何か関係があるのだろうか?

 

「数年前だったか。どこからか学園に忍び込んでいたこいつをたまたま見かけてな――」

 

 そうしてぽつりぽつりと、トレーナーさんが彼女との関係を語りはじめた。

 

 

「――つまり、担当ウマ娘のために笹針の効果を試してみようと自ら実験台になったんですか? しっかりトレーニングも積んで」

 

「ああ。で最後はササバリィンクル・シリーズっていう笹針で肉体改造を受けた連中たちが集うレースにまで出場してな。確か笹針賞っていったか」

 

「ええそうよ。あの時のあなたはほんとサイコーにキレてたわ。ラスト直線で驚異の七人抜きをしたときのこと、今でも鮮明に覚えているわよ」

 

「七人抜き……?」

 

 やけに印象に残る言葉を聞いたその瞬間、ひとつの記憶が蘇った。全身黒づくめの人物が疾風迅雷の如くターフを駆け抜ける光景。

 

「ああっ! もしかしてあの時の優勝者ってトレーナーさんだったんですか? ご自身のことを黒い暴風だとおっしゃっていた」

 

「ぐふうっ!!」

 

 そう告げた瞬間、何故かトレーナーさんが勢いよく吹き出した。腹にダメージを負ったような動きでニ、三歩ほど後退すると、震える声で訊ねてくる。

 

「ど、どうしてそれを……」

 

「あのレース、私も現地で見ていたんです! 思わず走り出したくなるほどの素晴らしいレースでした! あ、勝利インタビューもすごく印象的でしたよね。確か『何人たりとも俺の前を走ることは許されない』でしたっけ」

 

「うああああああっ!」

 

 まさかあの走りをしていたのがトレーナーさんだなんて思いもしなかった。両手を合わせながら興奮気味に当時のことを振り返る。

 何故かトレーナーさんは頭を抱えながら叫んでいるが。

 

「もう止めて……俺のライフはゼロなんだ。走ったあとのテンションで頭がフットーしてたんだよおお!」

 

「あら、黒い暴風は最初のバンブーステークスから名乗ってたじゃない」

 

「傷口を抉るのはやめろおっ!」

 

 耳を塞ぎながらぶんぶんとヘッドバンギングするトレーナーさん。その様子をけらけらとおかしそうに笑う彼女の様子を見るに、ようやく二人の言ってることは全て本当であることが実感できた。

 

「あー面白かった……で、どう? これでようやくあんし〜んできたかしら?」

 

「え?」

 

 ふと、笑うのを止めた彼女がじっとこちらを見つめる。普段の奇行からくる印象さえ取っ払えば、本当に美人な人だった。

 

「ウマ娘ちゃんたちが幸せになることがあたしの望み。だからあなたの大好きなトレーナーさんを奪うような真似はしないわ」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 本人が聞いている前で何を。そう思いながら慌ててトレーナーさんの方に視線を向けたが、さっきから謎の精神的ダメージを受け続けていたせいか聞こえてはいないようだった。 

 考えることを止め、今は物言わぬ石像と化している。

 

「ごまかさなくてもいいわよ。あんなに寂しそうな顔で走り去っていくんだもの、流石に責任感じちゃったわよ。ま、彼が必死に追いかけていったから心配要らないとは思ったけどね」

 

「貴方は…………いえ、貴方もトレーナーさんのことが好きなんですか?」

 

「わお! 直球どまんなか♪」

 

 彼女に向き直ると、この際気になっていたことをぶつけてみる。

 いつものようにおどけた声を上げる彼女だったが、そのうち落ち着き払った様子で呟いた。

 

「……笹針賞が終わった後にね、福引の特賞が当たったから二人で温泉に行ったのよ。そこで一応アタックはしてみたんだけど全然気付いてくれなかった感じ。ほ〜んと、見る目無いんだから」

 

 そう言うと彼女が大仰に肩を竦めてみせる。何の未練も無さそうな、こざっぱりとした感じだった。

 ふふ、と彼女が微笑む。

 

「心配しなくても、私のレースはもう終わったわ。だから次はあなたの番。私の気が変わる前にこのニブちんをどうにかゲットしちゃいなさい。もちろんその時は素顔で、ね」

 

 そう言って掛けていたマスクを彼女がゆっくりと取り払う。露わになった私の顔をまじまじと見ていた彼女だったが、突然「ん?」と声を上げた。

 ごそごそと、何故か胸の谷間から現れた携帯を取り出すと画像フォルダを開く。

 

「あっ」

 

 そうして『猛犬注意』と書かれた私の画像を見比べて、察したようだった。

 冷や汗を浮かべつつ、何事も無かったかのごとく再びマスクを掛けようとする手をがしっと捕まえる。

 

「アドバイス、どうもありがとうございました。良ければ続きをぜひ個室でお聞かせ願いたいのですが?」

 

「だ、駄目よ。2時半に空手の稽古があるの、付き合えないわ」

 

「今日は休んで下さい」

 

 色々とあったものの、ようやく本来の業務に徹することができそうだ。

 どこかすっきりとした気分で、抵抗する彼女をずるずる連行していった。

 

 

「もちろん最初はそんなつもりはなかったんだ。だけどトレーニングを重ねるうちに少しずつ早くなっていくのが心地よくなってきてさ。あいつもあいつでタイムが伸びたらサラマンダーより早ーいとか煽ててくるもんだから自分でも気付かないうちに完治したはずの病がじわじわと再発してきて気が付いたときには――」

 

 夕方――ハロウィンイベントも無事に終わり、やけに早口で喋るトレーナーさんと共に帰り道を歩く。

 

 結局、何だかんだで世話を焼いてくれたこともあり、彼女には少しばかり説教をしたあとすぐに解放した。きつく注意したところでどうせすぐまたやってくるのだろうから。

 

(次は私の番……か)

 

 今もせっせと口を動かしているトレーナーさんの横顔を眺めながら、彼女の言葉を思い出す。

 普段の彼の反応を振り返るに、決して悪く思われてはいないと思う。

 だけど今はトレーナーと担当ウマ娘の関係だ。デビュー戦を終え、さあこれからというときに感情のままに想いをぶつけてしまうのは、彼の精神的負担を増やす結果にしかならないだろう。

 だから……今はこのままでいい。ゆっくり着実に。トレーナーさんが何も気負わなくなったその時にこそ想いを伝えよう。

 焦ることはなかった。待ち続けることには慣れているのだから。

 あ、でも――

 

「ところで、トレーナーさんは安心沢さん以外にも親しくされている女性はいますか?」

 

「どうした急に?」

 

「いえ、今日みたいな勘違いを今後しないようにもあらかじめ把握しておけたら、と思いまして」

 

「そうなんだ。まあ別にいいけど、さっきプライベートには踏み込まないとか言ってなかった?」

 

「言ってないですね。おそらくトレーナーさんが聞き間違われたんだと思います」

 

「凄えな。あまりに堂々過ぎてこっちが悪いように思えてきた」

 

 今日の教訓から、伏兵の存在はきちんと知っておく必要があるだろう。

 

 携帯に表示された連絡先一覧を見ながらトレーナーさんが名前を挙げ連ねていく。

 意外に多かったのがほんのちょっと悔しかった。

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