ツバキくんは絵が得意   作:にえる

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 アメリアは膝を抱えて地面に座っていた。

 隣のツバキも同様だった。

 波濤のように押し寄せる魚群は何度見ても意味が分からない。

 更に言えば、今回は魚群を掻き分けて泳ぐ勇者のせいで輪をかけて意味がわからない。

 唐突な情報を叩きこまれたせいか、ツバキは「はえーすっごい……」と呟くだけだった。

 勇者の手によって、または木との衝突、落下の衝撃、あるいは魚同士の押し合い、様々な理由で魚群から弾かれた魚が付近に散らばっている。

 活きのいい魚から悪い魚まで、大小、色とりどり。

 

「俺はてっきり川を遡上する魚を狙うのかと」

 

 ぴちぴちと跳ねる魚と、ぐったりと動かなくなった魚を手に取ったツバキが呟いた。

 アメリアにはその気持ちがわかる。

 割が良いとだけ聞いて初めて参加した時は本当に酷かった。

 混乱したアメリアは前衛に強化を掛けてしまい、ルーシリアが魚群に飲まれ、ローレットは樹上に避難していた。

 もしかするとあの時に闇のルーシリアは消滅したのかもしれない。

 

「それが普通ですよね。サーモンランは魔力の流れに沿って陸路、途切れたら飛んだりするみたいですよ」

 

 飛べる時間は短くて、ほとんど跳ねるみたいなものらしい。

 跳ねて流れに乗れなければ、そこらへんで散らばるのも特徴だった。

 魔力は外部による影響を受けやすく、先ほどの勇者が放った一撃で流れが簡単に歪んだのだろう。

 

「羽根もないのに飛ぶのかあ……。色々な魚がいるんですね。うわ、これとか歩いてますよ。三対六脚……あ、小さなハサミもあるのか」

 

 これって多脚になるんですかね、というツバキの問い。

 その視線の先には、大ぶりな魚の姿があった。

 腹の辺りから生えた虫の物に似た脚を絡めて木にしがみついている姿は、ここら辺ではなかなか見ることが出来ない種類だ。

 

「足の数は基本的に陸上を想定していますからね。ここら辺で戦うならウーズ種と同じ扱いかと」

 

 アメリアが問いに答えれば、そこら辺はちょっと複雑なんですね、とツバキが言う。

 確かに足の数による等級分けは癖もあるが、比較的簡素化している。

 実はギルドで詳しく調べようとすれば、数値化されたもっと複雑な指標を見ることが出来る。

 細かく数字によって段階分けしている等級もあるが、冒険者の中でそれを理解している者はおそらく少ない。

 冒険者とは学が無い集まりで、その中でもセトリオードに所属する連中はまだマシな部類だという話が結局の所だ。

 一目で見て多いか少ないかわかる足の数が指標になるのも当然のことだった。

 

「……これなら俺でも勝てますかね」

 

「逸れているなら勝手に死にますから勝てると思います。……ただ、サーモンランの漁期内では定期的にさっきの魚群が押し寄せてきて、終盤は勢いはそれほど無いのですが歩行可能な魚が群れてきて、木にびっしり張り付いていたりするので。一斉に襲われたら死ぬのでは」

 

「ナイフで捌いてやります」

 

「槍は?」

 

「……ホーンラビットを狩るのに全力を出すドラゴンはいませんよ」

 

 腰に隠してあるナイフを取り出したツバキが不敵に笑った。

 基礎を木製で作り、鉄の刃を繋いだナイフだった。

 槍は小さな相手には無力なので、その時になったら放り投げるらしい。

 要らないのでは、アメリアはそう思った。

 

「サーモンランすげーやべーな!」

 

「すげーやべーサーモンランを泳ぎ切ったのもすげーやべーですよ」

 

「オレは勇者だからな!」

 

「勇者すげーやべー」

 

 でけー魚が取れたぜ! と大人一人分はある大きさの魚を抱えながら勇者が戻ってきた。

 早速頭を使っていない会話を男同士で繰り広げている。

 とりあえず第一波は終わったようだった。

 

「それにしてもよくその大きさの魚が取れましたね」

 

「泳ぐのに飽きて飛び出す時にちょうどいいから捕まえてみた!」

 

「暴れてしょうがなかったのでは。……うわ、牙すっご。これはエラが無い個体なんですね。巨大だからなのかな」

 

「それが動かなくなっちまったんだよな。中に泳いでる時はめちゃくちゃ元気だったのに」

 

「それは不思議ですね。……こいつのヒレは上下に動くみたいだ。骨格がそうなんだ」

 

「な!」

 

 なはは、と声をあげる勇者は巨大魚のヒレを掴み、吊るし上げている。

 ニコニコしながら動かなくなったという巨大な魚をツバキは検分していた。

 周囲をぐるぐると回りながら観察している。

 近くに落ちていた魚を、同じように脚の生えた魚も、動かなくなった魚も観察している。

 構造、部位、動き。

 魚のヒレは左右で、この巨大な生き物は上下に動く、と実際に動かして勇者に見せていた。

 アメリアも興味を惹かれ、隣に移動する。

 

「巨大な頭部、エラも無い、骨格の構造。魚と同じ生活はしてますけど魚じゃないって感じですかね。こういう魔物はいますか?」

 

「沿岸部や海なら似た魔物が出たような……」

 

「なるほど。魔物って収斂進化するのかな」

 

 記憶を掘り進め、水辺で似通った魔物が出ることを伝えるとツバキは小さく呟いた。

 教会の知識だろうか。

 アメリアは興味があったが、勇者はどうなのだろうか。

 吊るしていた魚は地に置かれた。

 

「それってなんか意味あるのか?」

 

「うーん、弱点がわかるとか、生息域が何処なのかとか、そういうことがわかるかもしれませんね。……あとは味? これは肉が固くて筋っぽいんじゃないかな」

 

「味かあ、味は大事だよなあ。焼いて塩振ったらうまいけどな!」

 

「塩焼きもいいですが、鮮度がいいので生で食べられないですかね」

 

 唐突に狂気的なことを言い出したツバキに目を丸くする。

 その言葉を聞いた勇者はすぐさま取り上げるように巨大魚を持ち上げた。

 やはり国が違っても根底にある生命が関わる常識は同じらしい。

 

「ツバキ! 生はやめとけ! オレは耐えられるがお前には耐えられない!」

 

「いや、それを食べるわけじゃないですけど」

 

「おねーさん! これどっか預けるとこあるって聞いたんだけど!」

 

「あっちのほうで買取してると思いますよ」

 

 隊商やギルドが馬車を用意して、その場で買い取っているはずだった。

 アメリアが指差した方向から賑わっている声が聞こえていることに気づいたのだろう。

 勇者は巨大魚を抱えたまま、周囲に転がっていた魚も手早く回収して駆け出した。

 懐にも無理やり詰め込んでいたためパンパンに膨れ上がっていた。

 勇者の跡を示すよう、点々と魚が零れ落ちている。

 

「あれは食べないですけどね。でも鮮度がいいやつは生で食べられそうじゃないですか?」

 

「う、うーん」

 

 アメリアは言葉を濁した。

 エルフにだって生の肉や魚を食べる習慣は無い。

 そもそも果実や野草を好む。

 また、エルフは好きな果実を好きなだけ食べるために植樹しまくるところもある。

 

「活きのいい魚だけじゃないのが不思議ですよね。死んでるのかな」

 

 一緒に勇者が落としていった魚を拾って後を追いかけていると、ツバキが興味深いことを言った。

 確かに活きの良い魚が跳ねまわっている横で、ぐったりとしている魚がいる。

 アメリアは感覚を集中させて魔力を探ると、魚の内部から急速に魔力が失われていることが分かった。

 比べて、活きのいい魚は未だに魔力が留まっている。

 

「これは確かに死んでるのかもしれませんね。魔力が失われていきます」

 

「気を付けないと魔力は外に垂れ流しになるんですよね。それでは?」

 

「生物の魔力核は魔力を溜め込んだり生み出したりする臓器なので、完全に失われることは無いはずです。二匹を比べても、動かない魚の方がずっと速く漏れ出していますし、残存していない。魔力はなぜか細さのある末端から抜けやすいんですけど」

 

 ぷちり、と自分の髪の毛を抜いて見せる。

 鮮やかで輝くような青色の艶が徐々に失われていく様が見て取れた。

 ダークエルフとしての経験によって内包する魔力の多さが、色艶の減衰を遅くしていた。

 濃紺に近づいていく。

 

「なるほどなあ。表面積とか関わっているんですかね」

 

「表面積……確かに」

 

「だから特にヒレとか尾から洩れてるんですね。俺の髪もなにか変わるんですか。……変わらないか」

 

「変わりませんね。……それにしても生粋の黒とは」

 

 ツバキが自らの頭髪を抜いて見せる。

 時間変化はほとんどない。

 残念そうだったが、アメリアとしてはかなり驚く事実だった。

 魔力による見かけ上の色ではないことが。

 

「黒が珍しいとは知っているんですけど、頭髪の色は何か意味あるんですか? 性格診断?」

 

「え、あ、はい。……主に魔力性質とは言われてますが。この国は茶色が多いようですね」

 

 黒は冷静とか無いですか、とちょっと面白そうに聞いてくるが、それどころではない。

 古い文献では色々と書き連ねられている。

 国によっては髪が白か黒だというだけで死ぬ場合もある。

 

「……それより、あまり髪を抜いて見せないほうがいいですよ。勇者が来た国なんて黒髪の魔王の伝承が残ってますからね」

 

「でも俺、ブラックウーズに殺されますよ。どんな魔王ですか、それ」

 

「あ、はい。うーん……」

 

 あまりにも悲しそうな顔でブラックウーズすら倒せないなどと言い出した。

 縄張り争いなどが生じるとウーズ同士で争いが起きることもある。

 ウーズですらウーズを倒せる。

 地域によってはウーズを水代わりにする魔物もいる。

 つまり、ツバキは飲み物と争って負けるかもしれないと言っている。

 いや、言ってないが、アメリアからするとそう受け取ってもおかしくない情けない言葉だった。

 核を突けば倒せるだろうが、とてつもなく不憫な生き物に見えてくるから不思議だ。

 

「でも死んでる魚も混じってるんですね。アンデッドみたいでちょっと怖いです」

 

「アンデッド……」

 

「アンデッドになったら未練とか本能に引っ張られるんですよね、確か。だから生前の思い入れある家族等の近くに寄っていくんですけど。でもアンデッドに変異しているので傷つけてしまうとか」

 

 ツバキの言葉に考えを巡らせようとして、再び地響きが起こった。

 魔力の流れが妙に揺らいでいた。

 足元で這いまわるような……。

 

 「サーモンが飲まれたぞ!」「あのサーモンが!?」「くそっ、サーモンランの勇者サーモンがいなくなるなんて……!」「なんなのだこれは! どうすればいいのだ!」「でかすぎんだろ」「サーモンがいなくて何がサーモンランだ!」

 

 徐々に近づいてくる地響きと、悲壮な叫び声に思考を中断された。

 そわそわしているツバキの手を握り、流れから離れようとする。

 

「速すぎる……!」

 

 逃げるには間に合わない。

 速度がどのサーモンランよりも速く、そして巨大すぎた。

 自らの質量で森を割り、地面を砕きながらそれは現れた。

 魚というにはあまりに巨大すぎた。

 背から水を噴き出すと、数多の魚が空に舞い散った。

 

「あれってク……」

 

「焦っちゃいけないぜ、嬢ちゃんたち。あれはキングサーモン。極稀にサーモンランに現れるやつらの棟梁よ。おれもこれで三度しか見たことが無いがな」

 

 アメリアとツバキの間に割って入ってきた壮年の男が、ガハハと豪快に笑う。

 誰です?

 

「いやでもクジ……」

 

「心配するんじゃねえ若いの。サーモンは由緒正しき名前を受け継いだおれたちの勇者よ。逃げずに両足で立ってビシッと待ってりゃ大漁よ」

 

 誰だよおめーは。

 アメリアはツバキの知識が披露されるのを待っているが、そのたびに遮られている。

 

「知ってるか? サーモンランはずっと昔、おれたちのじいさんのそのまたじいさんが空腹に泣いているときに始まったんだ。黒髪の旅人がサーモンランという祭りを始めろと言ってな。みんなで祈れと。そうしたらどうだ? たちまち大漁よ! ここらで生まれた魚も、見知らぬ魚も来るようになってな! 魚以外の食べ物にも余裕が出るとな、色々と変わっちまうんだ。昔はここらにでかい川があったらしいが、治水がどうとかで無くなっちまったんだ。だがサーモンランは不屈さ。変わらず続いている! 見てろ、勇者サーモンの雄姿を!」

 

「だからサーモンランは現地の言葉じゃなくて英語のままなんですね。ん? カタカナ英語か?」

 

「いまなんて?」

 

「知ってるか? サーモンランはずっと昔、おれたちのじいさんのそのまたじいさんが空腹に泣いているときに始ま……」

 

「あなたじゃないです! 黙らないと燃やしますよ!」

 

 赤い髪のエイプを燃やす癖が付いてきてしまったのか。

 アメリアがつい魔法を使ってしまう。

 なんとか形に成る前に止めることはできたが、キングサーモンとやらの興味を引いたのは間違いなかった。

 

「ツバキさん! キングサーモンが来ます! 逃げないと!」

 

「ヒレ使ってますね。あれはクジ……」

 

 言ってる場合か、と手を引く。

 あの巨体に轢かれては耐えられるのは勇者や赤いエイプみたいな人種だけだ。

 ダークエルフと神父は繊細なので耐えられない。

 

「オレがいるだろ!」

 

 前に躍り出た勇者が枝をひと振りし、キングサーモンの巨体をかち上げた。

 落下し、再び地が揺れる。

 動くはずの無い地の揺れというものは根源的な恐怖を覚えた。

 周囲にいた誰もが怯え竦み、身体を地に伏していた。

 偉そうに話していた壮年の男も、アメリアも。

 

「勇者! 勇者来た! これで勝てる! 槍使いますか! 使え!」

 

「良い武器は蝕んじまうからいらねえ! 見てろ!」

 

「見てます! 」

 

「そうだ! オレを見ろ! それだけで……」

 

 腰が抜けたアメリアが呆然と見つける先で、男二人が笑っていた。

 何が楽しいのか、ツバキははしゃいで声援を送っている。

 勇者も高笑いしながらキングサーモンの頭上へと跳び、頭部を切り落とした。

 

「どうだ! 見たか! 見えるよな!」

 

「見てます! まだ動いてます!」

 

「やべーな!!!」

 

「体の真ん中に心臓があるので! 核もたぶんそこですよ!」

 

「よっしゃあ! 消し飛ばすからよ!」

 

「中に人が飲まれたらしいですよ!」

 

 暴れるキングサーモンの体を見て、勇者が笑う。

 そして、垂れ流されている血液の中に飛び込んだ。

 切り落とされて転がっていたキングサーモンの頭部に残された濁った瞳が、力なく行く末を見ていた。

 ぱくぱくと口を動かしていたのは、何を意味したのだろうか。

 尾を振り回し、びちびちと暴れていたキングサーモンの体はやがて動かなくなった。

 

 ほんの僅かな時間、静寂が訪れた。

 キングサーモンの背が吹き飛び、中から勇者が飛び出した。

 飲み込まれたというサーモンだろうか、男が抱えられていた。

 

「オレが倒したぞおおおお!!!」

 

「かっこいい! 勇者かっこいい!!」

 

 勇者が咆哮し、ツバキが歓声をあげた。

 誰も声をあげない。

 アメリアには理解できているが、果たしてこの場にいる人間に事象が理解できているのか。

 

「オレが倒した……」

 

 勇者が力なく呟いた。

 

「そうだ……。お前に助けられた……。お前こそサーモンランの勇者だ……」

 

 助けられた男が言った。

 

「そうですよ! 人を助けた! 立派だった! キングサーモンも倒した! 超強い! 彼こそ勇者です! 祝え! キングサーモンの討伐を! 喜べ! 新たなサーモンランの勇者の誕生を! おめでとー!」

 

 ツバキがすごーいと叫んでいた。

 

「勇者?」「勇者だ」「そうだ、新たなサーモンランの勇者が生まれた!」「勇者!」「サーモンランの勇者!」

 

 徐々に歓声が広がっていく。

 感謝の言葉、新たな勇者の誕生を祝う喜び。

 勇者を呼ぶ声が森に轟く。

 

「オレが勇者だあああああ!!!!」

 

 応えるように、その場にいた誰もが「うおおおおお!」と叫んだ。

 キングサーモンの巨体による地響きにも負けないほどの大きさだった。

 その姿はまさにサーモンランの勇者だった。

 たぶん笑っていた。

 

 

 

 

 

 勇者と呼ばれるたびに喜んで活躍してみせる男がいたものだから、すっかり遅くなってしまった。

 帰る頃には夜の帳が下りていた。

 サーモンランの集荷物を運ぶ馬車についていって門を通ったくらいだ。

 勇者の活躍で歓迎されたのだが。

 

「魚の生臭さが酷いと思うのでちゃんと洗ってくださいね」

 

 アメリアが経験談から助言する。

 洗ったからといって落ちるとは限らないが。

 

「オレこのままでいい……。魚の勇者になる……」

 

 よっぽど楽しかったのか、だらしない顔をした勇者がそう口にした。

 魚の勇者とは一体。

 

「それにしても凄いですね。たぶんあのクジラは高位のアンデッド化してましたよ。アンデッドはあんまりわからないので知識に照らし合わせた結果ですけど。分類はノーライフキングかなあ」

 

 アンデッドの専門ともいえるツバキの言葉。

 教会がそう(・・)発言すればそう(・・)であると認められるほどに強い権威を持つ。

 遠い昔に黒髪の旅人が齎したとされるサーモンラン、アンデッドに分類される魚たち、キングサーモン。

 生きている魚、死んだ魚を遡上させる『力ある言葉』によって作られた祭り。

 わからないことも多いが、それを認めたとなればサーモンランは愉快なことにはならないだろう。

 

「その、ツバキさん。ギルドにはアンデッドと伝えないほうがいいかと。サーモンラン自体がよろしくないことになります」

 

「え? あー、そうですね。勇者が良ければ言わないです。……鮮度が良いと魚も美味しいからいいと思うんだけど」

 

「オレはよくわかんねーけど、このままずっとちやほやされたい」

 

 勇者の言葉から、サーモンランは大漁を約束された祭りということで決まった。

 あの魚群は、はじまりのサーモンランに呼ばれた魚たちが目指した場所へと向かうのだろう。

 

「二人とも教会に来ます? お夕飯ならありますよ」

 

「オレはやめとくよ。酒場に行くからな!」

 

 そうですか、とツバキがしょんぼりした様子だった。

 魚の生臭さが付いたであろうアメリアも断ろうとしたが、それを見てしまうと言葉に詰まった。

 勇者に背を押される。

 

「代わりにダークエルフのねーさんが行くからよ!」

 

「え、ちょ、私が行くなら勇者も……」

 

 焦って振り向けば、先ほどまでの浮かれた様子は引いていた。

 少しだけ張り詰めた空気を感じる。

 

「悪いけど、オレ、この街が好きになった。ツバキも好きだ。おねーさんも。……教会行ったら面白くなりそうにないんだわ。でもツバキががっかりするのも可哀そうだから頼むよ。な?」

 

 はあ、とアメリアはため息を吐いた。

 楽しそうな二人の仲に水を差すのも悪い。

 仕方なく受け入れる。

 「行けるようになったら絶対行く」と言い残し、勇者はギルドの酒場に向かった。

 

 勇者と別れた後、教会への道のりを歩きながら今日の話を二人でする。

 ツバキはずっとサーモンランの話をしている。

 勇者もそうだ。

 サーモンランからの帰り道も、人を守っただとか、ツバキがどうとかずっと話していた。

 よっぽど楽しかったのだろう。

 アメリアだって純粋なその様子を見ていれば笑顔の一つも零れる。

 とはいえ、門で待つ人々に手遊びを流行らせるのはよくないと思うが。

 私は決して負けてない……。

 

「凄いですよね! 勇者がこうすると、びゅってなるんですよ! 俺もできないかな」

 

「あれは膨大な魔力を放ってるだけですからね」

 

 剣を振る動作を真似ているが、実際は木の枝だった。

 それであのふざけた威力を出すのだから、サーモンランの勇者どころの話じゃない。

 真似なら出来るが、あれほど気軽に連射できるとは言えない。

 

「あれには練習とまりょ、く……」

 

 笑いながら夜の教会に入れば、アメリアは言葉を失った。

 すぐそこに光があった。

 

「アンバー、待ってた?」

 

 優しい顔で、穏やかな声で助祭が名前を呼んだ。

 アメリアでは言葉にできない名前を呼んでいた。

 すぐに忘れてしまうのか、元から知らなかっただけなのか。

 名前を呼んだという事だけを知っていた。

 ルーシリアの執念に戦慄すら抱く。

 おそらく助祭との会話から、この名前を割り出したに違いない。

 時間をかけて、何度も何度も自らの中で意味を構成して。

 正しくなく、しかし間違いでもない名前を。

 

「そう、今日一緒に冒険してくれた人。いい人でね。名前だけでもいいから挨拶しなよ」

 

 アメリアは知っている。

 かつてこの街に移送されてきた者がいることを。

 仰々しい隊列を使わなければならなかった者がいることを。

 アメリアはそれを知っているだけ。

 その存在を知っている。

 ただひたすらに尊い何か。

 いと高き天使に至る、名も無き聖女。

 

 

 

アンバーエイト

 

 

 

 

 

 

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